(23.1.20) 稲盛会長がんばれ 日本航空の再建
日本航空の会長、稲盛氏ががんばっている。
日本航空が会社更生法の適用を受けて倒産したのは10年1月19日だが、当時の鳩山首相から再建を託された稲盛会長(京セラとKDDIの創業者)が無給でコンビニ弁当を食べながら再建に乗り出した。
路線の縮小や従業員の削減、そしてなにより職員の意識改革を推し進めた結果、日本航空の業績が急回復し始めた。
10年4月~11月までの連結営業黒字が1460億円になり、11年3期の目標641億円の黒字をこの段階で約800億円上回っている。
なにか日産の再建に取り組んだゴーン会長のようなイメージだが、無給で働くところが稲盛会長の真骨頂だ。
「16000人の首切りをするのに、自分が高給を食むわけには行かない」
稲盛氏は座右の銘「動機善なりや、私心なかりしか」と自ら問いながら日航の再建に取り組んでいる。私達日本人はこのような高貴な精神を持った経営者がいたことに心から感謝すべきだ。
思えば昨年の今頃「日航の再建は夢のまた夢であり、とても無理だろう」と言うのが一般的な見方だった。
なにしろ日航はナショナルフラッグと言う名誉を引き換えに、政治家・国交省・金融団・経営者・従業員が鉄のスクラムを組んで日航を食い物にし、最後のつけを政府に支払わせようとしていたからだ。
それまで国交省は日航こそは最も華やかな天下り先だと思っていたし、政治家は無理な路線開設を日航に命じて地元からの政治資金を当てにしていたし、金融団は倒産間際の日航に高利の融資ができたし、経営者は責任を取らなくても国の資金を当てにできたし、従業員は首切りを心配せずに高給を要求できた。
「親方、日の丸よ、俺達は日航から吸えるだけの利益を吸い上げよう」こうした会社が生き残れたのは、航空業界が新たな参入者を排除して、航空運賃をいくら高額にしても利用せざる得ないときだけだった。
この意識を1年余りで変えてきたのは稲盛会長の力だ。
なにしろトップが無給でコンビニ弁当を食べながら働いている時に、日航を食い物にするだけで給与をもらうわけにはいかないと誰でも思うだろう。
1年前日航が倒産した段階で9500億円の債務超過に陥っており、これを金融団を中心に約5200億円の借金の棒引きと、企業再生支援機構からの3500億円の資本注入によって、再建を図ることにした。
合計で8700億円の大盤ぶるまいで、その分日航は本来は支払わなくてはならない利息の支払いから免れている(利率が3%とすれば、約260億円の経費節減になる)。
この金融支援の引き換えが、内外45の不採算路線からの撤退と、16000名にのぼる従業員の首切りで、規模を従来の3分の2にして再出発する案だった。
この日航の元幹部が作成した案も当初は3カ年計画で、本当はまったく実行する気がなかったのだが、金融団がねじ込んだ結果11年3月までに実施することになったいわくつきの案だ。
注)企業再生機構の支援期間が3ヵ年だったので、いかにも再建に取り組んでいるそぶりだけをして、3年後にまた政府に泣きつこうと言うのが当時の経営者の戦略だった。
この日航を本気で立て直そうとしているのが稲盛氏である。
稲盛氏の経営哲学は「アメーバ経営」と言うのだが、個別の部門や部署が自立的に動いて利益を計上できる体質にしようと言うものだ。
今までの日航は基本的にどんぶり勘定で、不採算部門があっても「それが日航の社会的使命だ」と言ってはばからなかったと言う。
「航空会社は安全と定時運行とサービスが第一で、収益は二の次」(実際は政府が助けてくれるので収益なんかどうでも良い)と言うのが日航の姿だった。
かつての国鉄にそっくりだが、社会主義国が相次いで崩壊してしまった今、このような収益無視を平然と標榜するのは日航だけになってしまっていた。
今期日航の業績が急回復している原因は、リストラ効果、航空燃料が想定より安価に推移したこと等の理由もあるが、やはり経営者の稲盛氏が孤軍奮闘して部門別や路線別の収益管理を徹底させていることに大きな理由がありそうだ。
コンビニ弁当を食べながら無給で再建に奉仕している80歳近くの老人を見て、日航職員が奮起しなかったらそちらのほうがおかしいと私は思う。
最近のコメント