都川(みやこがわ)の源流の一つ、都川調節池の里山とそれを取り巻く調節池周辺からゴミが消えた。
「都川源流の自然再生をはかる会」の第5回目の合同作業の結果、1.3t車の車で、都合6回の不法投棄されたゴミの運び出しに成功した。
合計で8t弱のゴミが、地域整備センターのトラックで、若葉・緑環境事務所に運び込まれたことになる。
この日は大変暑い日だったが、集まった7名の情熱はすさまじく、ぜひともこの日までに里山からゴミをすべて撤去する意欲にもえていた。 車を出してくれた地域整備センターのYさんも「今回でゴミをすべて運び出しましょう」と乗り気十分だった。
見てほしいのだ。
都川源流の里山からはゴミがなくなり、笹は刈られ、遊歩道が整備されつつある。
小川や池のような子供にとって危険な場所については、次回以降柵等を作って安全対策をはかる予定だ。
「池の前の笹は刈らずに残そう。安全対策だ」
「それでは、子どもが池がみえないな」
「展望台を作ってやるのはどうだ」
「もしかしたらこの小川は蛍の生息地になるのではないか」
「えさの、カワニナはいたっけ」
「タニシはいたぞ」
集まった7名のうち6名は60歳以上だが、子供のようにはしゃいでしまった。信じられないだろうが、今の60歳以上の元気老人はそん所そこらの若者よりエネルギーにあふれている。
特にこの活動のリーダ、 I さんの情熱はすさまじく、合同作業日以外にも3日にあけずにこの里山に通い、最近操作をマスターした草刈機で笹の除去を行っていた。
これに感化されたのか力持ちのAさんは、不法投棄された自転車やバイクを片付けに時間があれば来ていたし、道作りのプロフェッショナルBさんは、家が里山に近いこともあって、暇があれば里山道を整備していた。
また今回の第5回合同作業には、都川中流域でめだかの再生活動を行っているCさんも初参加した。
ここ都川源流だけでなく、今や泥川と言われて久しい都川のあちこちで、かつての美しい清流を取り戻す活動が活発化しているのだ。
20XX年 都川 フリー百科辞典Wikipedia
かつて泥の川と言われ、小栗公平の映画の題名にまでなった、千葉の都川は、現在日本有数の清流に生まれ変わり、関東の四万十川と言われている。
都川がここまで美しく変貌したのには、都川のあらゆる場所で再生活動が行われた結果であるが、特に都川源流の調節池周辺の環境改善が大きな要因となっている。
この場所の整備は I 氏が主催するボランティア「都川源流の再生をはかる会」のメンバーの努力によるものであるが、当時60歳を越えていたメンバーはすでに鬼籍に入っている。
里山の脇にはメンバーを顕彰したレリーフが建てられており、そこには「老人が若者であることを証明し、かつ都川を再生した功績により、ここに『里山と清流を救った人々』の称号を与える。千葉県知事」と記載されている。(文責 亀ゴン)
今回の作業活動の写真を掲載しておきます。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/xEsVaJ
なお、都川源流の里山開発の経緯については、このブログのカテゴリー「里山」を見ていただくと時系列的に詳細が分かります。
(追記) 実は大変うれしいお便りをSさんからいただいた。私一人で見ているのではもったいないので、一部転写させてもらっています
「私は今は千葉市の美浜区に住んでいますが、今から25、6年前の小学校卒業までの子供の頃、支川都川の中流域?を遊び場としていました。
ちょうど川戸小学校の裏手あたりです。現在は川沿いに遊歩道が舗装整備されています。
今、このあたりの川の流れは遅く、不透明ですが、当時、川の流れは速くて透明でした。
深さは浅いところは膝位まで、砂地の川底が「完全に」見えました。
夏の日にひざまでズボンをたくし上げ、素足で川に入り涼しい川風に当たりながら、ざぶざぶと上流に向かって歩いたことは、今でも鮮明に心に残る思い出です。
生き物も、現在は大きな鯉や亀、カモのような水鳥がよくいますが、その頃は夏になると小さな蛍が出ました。
川底にはたくさんの細長い巻貝がいました。あとでそれがカワニナだと知りました。
他にもいろんな生き物がいました。ギン鮒やクチボソ、虹色に光ったタナゴ。タイコウチ、ザリガニ。
田んぼの方には、よく白いサギがおり、秋に小山に分け入るとあけびもありました。
皆様が里山の保全活動をされていることで、里山と共になにか自分のとても大事なものも、守っていただいているような思いがしましたので、
感謝を申し上げたく、メールを送らせていただきました。
本来であれば私も一緒に清掃ボランティアに参加させていただきたいのですが 健康面に訳があり、陰ながらとなりますが応援させていただきます」
とてもすばらしい文章でしょう。