(22.4.12) だから言ったじゃないの 岡田外相始末記
「だから言ったじゃないの」という状況になってきた。岡田外相が推し進めてきた日米密約の存在の開示ついて、「お前が言っていたのだから、真面目に密約文書をさがせ」と東京地裁から命令されてしまった。
岡田外相の調査は不十分だと言われたのである。
岡田外相が日米密約の存在を国民に明らかにすると言って、外務省の尻をたたいたのが昨年の9月で、今年の2月に外務省の有識者会議がその調査結果を発表した。
今回裁判で問題になった密約とは、開示された4つの密約の中のうちの一つ、「沖縄返還の財政負担をめぐる密約」のことで、具体的には以下の密約が存在し、その内容を明記した密約文書があったと言うものである。
① 米軍の軍用地回復費用として400万ドル(約4億円)の肩代わり
② 米軍の短波放送(VOA)の国外移設費用1600万ドル(約15億円)の肩代わり
③ 日本側による米国での無利子預金の存在
従来外務省はこうした密約は存在しなかったと突っぱねてきたが、岡田外相の開示命令で、有識者会議は10年2月に「(密約文書の存在は確認できなかったが)広義の密約は存在した」と結論付けた。
岡田外相はこれで満足したようだが、そうは問屋がおろさなかった。
この密約の存在をすっぱ抜き毎日新聞を追われた西山記者が起こした裁判の判決で、東京地裁は「密約文書が過去の一時期に存在していたことは確かであれば、(今は存在しないと証明できない限り)真面目に探せ」と命令した。
09年9月に密約文書の開示を命じた岡田外相が今度は自分が開示を怠っている責任者と裁判所から認定されてしまった。
岡田外相は憤懣やる方ないようで「俺の命令で調査して、ないとしたのだからない」と突っぱねるつもりのようだが、岡田外相よりも、より密約文書の開示に熱心な西山元記者が現れた以上、岡田外相は従来の自民党政権と同じ立場になった。
パンドラの箱は一旦開けられるとどこまで開けたらいいか分からなくなる。
原理主義者岡田外相がより厳しい原理主義者西山元記者に追い詰められていく姿は、かつての全共闘運動とまったく同じだ。
私が大学生だった1970年代は全共闘運動が燃え盛った時期で、当初は最も左翼と思われていた共産党配下の民青が、いわゆる全共闘によって、体制維持勢力とみなされていた時期である。
その後全共闘は互いにそのラジカルさを競い、少しでもラジカルさが劣ると思われた党派は容赦なく指弾され、最後は浅間山荘事件となってメンバーを互いに殺し合い自然消滅していった。
パンドラの箱をあければそこまで行かないと収束しない。
岡田外相が得意満面になって公表した密約文書の存在については、こんどは「外務省が存在しないことを明確に証明できない限り存在する」と言うことになった。
「だから言ったじゃないの」
原理主義者はより厳しい原理主義者によって追い詰められるのだ。
注)西山元記者を一般的な意味で原理主義者と呼ぶのは適切でないが、こと「沖縄返還の財政負担をめぐる密約文書」の存在については、西山元記者は絶対に譲ることはない。
なにしろこの事件をスクープしたことで毎日新聞を追われたからだ。
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