(22.12.23) 年賀状の季節 グリーティングカードで済ませよう
毎年この時期になると悶々と悩んでしまう。年賀状の季節がやってきたからだ。私のような定年退職者は基本的に社会とのしがらみがないのだから、年賀状なんて書かなくてもよさそうなものだが、完全に割り切れないところがつらい。
思い余っていたら娘からグリーティングカードを教えてもらったので4年前からこれを使用している。
最も条件があってメールアドレスがないか分からない人にはこの手が使えない。
一般に年配者はこうしたカードになれていないので仕方なしに年賀状を書くのだが、年賀状ソフトの操作をすっかり忘れているので思い出すまで大苦戦だ。
この年賀状の歴史は古く万葉の昔から行われていたらしいが、庶民が年賀状をやり取りするようになったのは明治の郵便事業が発足してからだという(それ以前はそれなりの文書を書ける人は知識人階級だけだった)。
明治時期、日本人は年賀の挨拶を実際にで出向いて行っておこうのが普通だったが、これを年賀状で代替できたのが日本に年賀状が根付いた原因だそうだ。
「じゃ、俺みたいに年賀の挨拶をしないものは年賀状なんて出さなくてもいいじゃないか」と言ってはみたが書かざるえないだろう。
今日からグリーティングカード作成を開始した。ありがたいことにグリーティングカードは日付指定ができる。正月元旦は回線が混雑するといわれていたが、今までの経験では元旦に届いている。
引退してからの私の生活はまったく地域に根ずいてしまって、知り合いといえばこの周辺に住んでいる人がほとんどになっている。
おゆみ野クリーンクラブやおゆみ野の森のメンバーやちはら台走友会や四季の道駅伝の関係者、読書会の関係者と言ったところで、こうした人たちとは日常的に合っている。
わざわざ年賀のやり取りをするまでもないのだが、幸いにこうしたグループ間はグループメールのシステムが確立しているのでそれを使用して年賀の挨拶をすることにした。
注)ただし時間指定ができないので元旦の当日メールを発送する。
しかしこうしてみると郵便事業の先行きは心もとない。私のようにインターネットを利用して年賀のやり取りをする人が増えると、それでなくても赤字経営の郵便事業は年賀の稼ぎ時にも稼げなくなってしまう。
私などはがきや封書を書くことが少なかったのだが、最近はまったくといっていいほど利用しなくなっている。
なにしろE-メールと郵便ではスピードがまったく違い、また料金が50円(あるいは90円)とゼロ円の対決だから、郵便事業が生き残るのは至難の業だ。
おそらく現在の電報が結婚式のような一部の利用に限られているように、将来は郵便も特殊な用途だけの事業になるだろう。
果たして私が生きている間に、年賀状のやり取りも実質的になくなってしまうのではなかろうかと思ってしまうほどこの事業のビジネスモデルは展望がない。
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