(21.12.19) NHK たった一人の反乱 法律を変えた男 岡村勲さん
先日NHKが放送した「たった一人の反乱」は弁護士で、1997年9月その妻を弁護に恨みを持った男に殺害された岡村勲さんの反乱だった。
岡村さんは当時山一證券や第一勧業銀行の会社側の弁護をしていたのだが、山一證券の弁護で恨みを持った加害者が岡村弁護士を殺害しようとして、たまたま家にいた妻の眞苗さんを殺害したのだと言う。
この事件で岡村さんは弁護士と言う立場から、急に被害者の家族になったのだが、そうなってみて始めて被害者が法的に何の権利も認められていないことに気づき愕然としたと言う。
たとえば妻の遺影を持ち込むことも禁止され、裁判記録の閲覧もできず、起訴状も見ることができない。弁護士であったときは自由に見れたこうした書類が被害者になったとたんに見ることができなくなってしまった。
実は日本の刑事訴訟法にはある原則があって、それは「裁判は社会秩序の維持のために行い、被害者のために行うのではない」との判例を最高裁が出している。
「裁判はあだ討ちではない」と言うわけだ。
日本の裁判制度はこの原則で60年間も維持してきたために、被害者の権利の擁護はまったく行わず、あくまで加害者の権利だけを擁護するまったくいびつな法体系になってしまった。
よく日本で言われる人権とは加害者の人権であり、たとえば未成年者が殺人事件を起こしても氏名は伏せられ、一方被害者の方は法的保護を受けられないので、名前も、その人の過去も、生活態度さえ暴かれてしまう。
被害にあった人が「あんな生活をしていれば被害にあうのが当然だ」などと言われたりしても何も反論できず泣き寝入りだ。
そして日弁連は加害者の人権擁護に奔走するので、日本では悪徳弁護士と人権弁護士が同義語になってしまった。
注)私は長い間、人権弁護士と言う人種が日本で最悪の人種だと思っていたが、それは誤解で法体系が加害者だけを守る仕組みになっていたことからの当然の帰結であることが分かった。
岡村さんはこうしたいびつな法体系に対して被害者が直接権利として裁判に参加し、また損害賠償の民事訴訟を刑事訴訟と一緒に行える法体系に変えるべく奔走する。
しかしここでも反対は法務省や日弁連で、いわゆる今までの体制を少しでも変えたくない人たちだった。
「ドイツでは被害者の直接参加がうまくいっていないと聞いている。また刑事裁判と民事裁判を一緒に行うと裁判に時間がかかりすぎる」法務省の反論である。
「被害者を裁判に参加させると加害者の人権が損なわれる」日弁連の見解である。
注)従来は損害賠償を請求するために別途民事訴訟の裁判を起こす必要があり、被害者は二重の負担を強いられていた。
岡村さんは支援者と一緒になってドイツやフランスの被害者参加の裁判制度を調べ、60万通の署名を集めて政府に被害者の裁判参加を訴えた。
小泉首相に直訴し、法制審議会で検討することになったが、最後まで反対したのはここでも日弁連だった。日弁連はあくまで加害者の人権擁護だけに奔走していたからだ。
2007年、ようやく刑事訴訟法が改正され、被害者が被害者参加人として裁判に臨むことができ、また民事訴訟を別途起こさなくても済むようになり、岡村さんの10年に及ぶ戦いが終わった。
現在裁判で被害者や被害者の家族が、裁判の直接当事者として意見を述べたり質問ができるのは、この岡村さんの「たった一人の反乱」のおかげである。
ここおゆみ野でも、しばしば中学生や高校生が犯罪に巻き込まれることがあるが、実際に被害にあわれたTさんの話によると、被害者の家族が警察に問い合わせても何も教えてくれないと言う。
注)刑事訴訟法は裁判にかかる法律で、それ以前の警察の捜査については、相変わらず加害者の人権だけが法的に保護されている。
被害者の家族は岡村さんの努力で裁判になれば被害者参加人として権利が認められたが、裁判以前の捜査段階ではやはり被害者やその家族は蚊帳の外というのが実情だ。
日本の法体系である「加害者だけの人権擁護」の壁は厚い。
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