(21.11.5) 雪の米沢街道 雪中行軍75km
(米沢街道1日目、ようやくランナーがゴールに到着したところ。御園生さんが出迎えている)
今回の御園生(みそのう)さんのジャーニーラン、米沢街道75kmは雪中行軍になってしまった。
なにしろ11月初旬としては珍しいくらいの冬型の天気になってしまい、ここ福島から山形にかけての県境の山は大荒れの雪景色になってしまった。
注)今回のジャーニーランは米沢街道・二本松街道を4日で走るRUNでしたが、私は後半の米沢街道(11月2日、3日)に参加しました。
通常ならばこうした場合、レースは取り止めになるのだが、御園生さんのジャーニーランは取り止めになることがない。
参加条件として「自己責任」が歌われており、出るも止めるも自己責任だから、当然行き倒れても自己責任になる。
今回の参加人数は17名で、他に御園生さんを含めたサポート隊が3名の20名で行われた。この種の競技に参加するランナーはほとんどがベテランで、過去に何回も厳しい天候のもとで競技をした経験があるので、少々の天候不順では驚かない。
(米沢街道2日目、桧原峠越えが始まった)
私も昔、やはり御園生さんのトランスエゾというジャーニーランを、台風の中で走ったことがある。雨脚が極度に強く目の前がまったく見えないほどだった。
その時は知らなかったが、私たちが渡った橋がその後土石流でうずまって交通遮断になっていた。
雪の中を走った経験は、富士五湖100kmに参加した時にある。このレースは4月に開催されているのだが、前日ひどい雪になってしまい競技ははじまったものの途中で警察からストップがかかり、50km程度の所で取り止めになった。
(前を行くWさんの力走)
しかし御園生さんの競技は何があっても中止になることがないので、「今日は八甲田山の雪中行軍か」と覚悟を決めた。
私は前日(2日)の会津若松市から北塩原村までの約45kmはすっかりコースを外れてしまい、桧原湖(ひばらこ)の北側に出なければならないのに、南側に出て約10kあまり余計に走らなければならなかった。
「イヤー、桧原湖は意外に大きいんだ」呆れたり、感心したりして走ったものだ。
この日(2日)の午後から天候が崩れ、最初は雨模様だったのだがだんだんとみぞれになり、2時ごろから雪になってしまった。それもかなりの大雪だ。この日のゴールの民宿にたどり着いた時は全身寒さで固まってしまっていた。
(不肖 私。これがマラソンなのだから笑ってしまう)
翌日(3日)も雪が降り止まなかったが、いつものように雪中行軍が開始された。
宿泊した民宿、えんどうのご主人はとても親切な方だったが、ありがたいことにビニール袋を用意してくれた。
これで足を包んで、それからランニングシューズを履くと、雪で濡れないので寒さをしのげる。
ランニングシューズは登山靴と異なり、上部はメッシュでできているので、こうしないと最悪の場合は凍傷になってしまう。
(桧原峠越え)
私は若いWさんと二人で果敢に飛び出したのだが、村では15cm位の積雪が桧原峠(ひばらとうげ)に入るとだんだん深くなり、平均で30cm、雪だまりでは40cm位の深さがあり、難渋する。
Wさんは長身で足が長いためあまりこの雪を苦にしている様子はなかったが、私は短足なので目いっぱい足を上げなくては前に進めない。
「うぅーん、サラブレッドとロバの戦いのようなものだ」
しかも小川にかかっている丸木橋を渡っているときに、私はもんどりうって小川に落っこちてしまった。深さは15cmから20cmだから命には別条ないが、雪解け水だらか凍え上がる。
「チメテー、ケツが凍りそうだ」悲鳴を上げた。
(ここの丸木橋を渡っているときに私は小川に落ちた)
それからは止まると震えがくるので止まることもできず身体を動かし続けなければならない。
「そうか、八甲田山で遭難した青森第5連隊の将兵はこうして遭難したんだ」歴史を追体験してしまった。
(ようやく山を降りたところ)
米沢市に到着し、米沢市の博物館のトイレで着替えをした時はしんそこほっとしたが、この日も雪が降ったり止んだりの雪国の天候で、着替えをしても寒さから回復できない。
私のつもりでは米沢城を見るつもりだったが、城はなく上杉神社になっていた。
「そうか、米沢城はもうないのか」少しがっかりした。
寒さのため、観光をする気にもならず、すぐさま帰宅をしてしまった。
しかし、まあ、御園生さんのジャーニーランは相変わらずタフだ。
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