(21.11.5) 雪の米沢街道 雪中行軍75km

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(米沢街道1日目、ようやくランナーがゴールに到着したところ。御園生さんが出迎えている

 今回の御園生(みそのう)さんのジャーニーラン、米沢街道75km雪中行軍になってしまった。
なにしろ11月初旬としては珍しいくらいの冬型の天気になってしまい、ここ福島から山形にかけての県境の山は大荒れの雪景色になってしまった。

注)今回のジャーニーランは米沢街道・二本松街道を4日で走るRUNでしたが、私は後半の米沢街道(11月2日、3日)に参加しました。

 通常ならばこうした場合、レースは取り止めになるのだが、御園生さんのジャーニーランは取り止めになることがない。
参加条件として「自己責任」が歌われており、出るも止めるも自己責任だから、当然行き倒れても自己責任になる。

 今回の参加人数は17名で、他に御園生さんを含めたサポート隊が3名の20名で行われた。この種の競技に参加するランナーはほとんどがベテランで、過去に何回も厳しい天候のもとで競技をした経験があるので、少々の天候不順では驚かない。

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米沢街道2日目、桧原峠越えが始まった) 

 私も昔、やはり御園生さんのトランスエゾというジャーニーランを、台風の中で走ったことがある。雨脚が極度に強く目の前がまったく見えないほどだった。
その時は知らなかったが、私たちが渡った橋がその後土石流でうずまって交通遮断になっていた。

 雪の中を走った経験は、富士五湖100kmに参加した時にある。このレースは4月に開催されているのだが、前日ひどい雪になってしまい競技ははじまったものの途中で警察からストップがかかり、50km程度の所で取り止めになった。

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前を行くWさんの力走

 しかし御園生さんの競技は何があっても中止になることがないので、「今日は八甲田山の雪中行軍か」と覚悟を決めた。

 私は前日(2日)の会津若松市から北塩原村までの約45kmはすっかりコースを外れてしまい、桧原湖ひばらこ)の北側に出なければならないのに、南側に出て約10kあまり余計に走らなければならなかった。
イヤー、桧原湖は意外に大きいんだ」呆れたり、感心したりして走ったものだ。

 この日(2日)の午後から天候が崩れ、最初は雨模様だったのだがだんだんとみぞれになり、2時ごろから雪になってしまった。それもかなりの大雪だ。この日のゴールの民宿にたどり着いた時は全身寒さで固まってしまっていた。

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不肖 私。これがマラソンなのだから笑ってしまう

 翌日(3日)も雪が降り止まなかったが、いつものように雪中行軍が開始された。
宿泊した民宿、えんどうのご主人はとても親切な方だったが、ありがたいことにビニール袋を用意してくれた。
これで足を包んで、それからランニングシューズを履くと、雪で濡れないので寒さをしのげる。
ランニングシューズは登山靴と異なり、上部はメッシュでできているので、こうしないと最悪の場合は凍傷になってしまう。

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桧原峠越え

 私は若いWさんと二人で果敢に飛び出したのだが、村では15cm位の積雪が桧原峠(ひばらとうげに入るとだんだん深くなり、平均で30cm、雪だまりでは40cm位の深さがあり、難渋する。
Wさんは長身で足が長いためあまりこの雪を苦にしている様子はなかったが、私は短足なので目いっぱい足を上げなくては前に進めない。
うぅーん、サラブレッドとロバの戦いのようなものだ

 しかも小川にかかっている丸木橋を渡っているときに、私はもんどりうって小川に落っこちてしまった。深さは15cmから20cmだから命には別条ないが、雪解け水だらか凍え上がる。
チメテー、ケツが凍りそうだ」悲鳴を上げた。

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ここの丸木橋を渡っているときに私は小川に落ちた

 それからは止まると震えがくるので止まることもできず身体を動かし続けなければならない。
「そうか、八甲田山で遭難した青森第5連隊の将兵はこうして遭難したんだ」歴史を追体験してしまった。

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ようやく山を降りたところ

 米沢市に到着し、米沢市の博物館のトイレで着替えをした時はしんそこほっとしたが、この日も雪が降ったり止んだりの雪国の天候で、着替えをしても寒さから回復できない。

 私のつもりでは米沢城を見るつもりだったが、城はなく上杉神社になっていた。
そうか、米沢城はもうないのか」少しがっかりした。
寒さのため、観光をする気にもならず、すぐさま帰宅をしてしまった。

 しかし、まあ、御園生さんのジャーニーランは相変わらずタフだ。

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(21.10.29) 御園生さんのジャーニーラン  米沢街道

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 先日御園生(みそのうさんが主催するジャーニーラン、下野(しもつけ)街道130km日光市今市から会津若松市)に参加して、すっかりまたジャーニーランに目覚めてしまった。
ジャーニーランとは楽しみながら走り、特に順位にこだわらない競技で、制限時間が時速6km程度で設定されているので、いくらでも寄り道することができる。

 今回は11月の2日、3日をかけて米沢街道75kmを走るのだが、この道は会津若松市から山形県の米沢市まで通じている。
距離的にはまったく問題ないが、下野街道の場合のように旧街道が山道になっているとかなり苦戦するかもしれない。

 実は私は米沢市についてまったく知らず、山形県にあるのかも知らなかったが、最近NHKの天地人をたまたま見ていたら上杉景勝が会津から米沢に転封される場面が出てきた。

 これも正直に言うが今まで上杉家がなぜ会津120万石になったのかも、その後米沢30万石に減封され、その後幕末まで上杉藩が存在していたのかも知らなかった。
上杉謙信は越後の武将で、武田信玄と川中島で戦っていたはずだが・・・・、なぜそれが会津や米沢に移ったのだろうか???」

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 急に上杉家の歴史に目覚めてしまい、Wikipediaで調べてようやく以下のことがわかった。

① 1578年、上杉謙信が急死して後継者を指名していなかったため、ともに謙信の養子だった上杉景勝上杉景虎の間で、後継者争いが発生し国力を消耗するが、結果的には上杉景勝が勝利する。

② 1581年、そのお家騒動の間隙を織田信長につかれ、信長の北陸方面軍団長の柴田勝家に攻め込まれ、ほとんど滅亡の寸前まで追い込まれる。

③ 1582年、
織田信長が本能寺で急死したことにより、こんどは織田家内部の後継者争いが発生し、羽柴秀吉から柴田勝家を挟撃する同盟を申し込まれそれに応ずる。
このときの交渉者が
直江兼次石田三成だったため、その後上杉家は豊臣家に急接近する。

④ 1583年、
羽柴秀吉柴田勝家の賤ヶ岳の戦いで秀吉側に立って参戦し、秀吉の天敵で勝家の同盟者、佐々成政と戦う。

⑤ 1584年、
羽柴秀吉徳川家康の小牧長久手の戦いでも秀吉側に立って参戦し、このときも家康の同盟者佐々成政と対峙している。

⑥ 1590年、小田原合戦でも秀吉側の武将として北条氏を攻める。

⑦ 1595年、豊臣家の5大老の一人になり、豊臣政権内部での重鎮になる。

⑧ 1598年、秀吉の命令で越後から会津120万石に加増されて移封される。これは秀吉に信頼されていた上杉景勝いつ反逆するかわからない伊達政宗最上義光を牽制する意味があった。

⑨ 1600年、関が原の戦いでは西軍にたって徳川家康と対抗する。これは景勝の家老、直江兼次石田三成との盟約に従ったものだが、西軍が敗れたため家康に投降し、その結果会津120万石から米沢30万石に減封され、幕末まで藩は続く。
なお、上杉家が取り潰しにならなかったのは、
直江兼次の懸命な工作によったのだが、天地人でもその辺の事情を描いていた。


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そうか、上杉家は謙信のあと大変だったんだ。ほとんどお家が取り潰しに成る危機を何回も乗り越えてきたのか」ようやく流れがわかった。

 今回は会津120万石時代に、直江兼次の居城があった米沢に走っていくわけだ。
またあの東北地方の美しい山河と歴史の重みのある米沢街道を写真に収められると思うと、とても楽しみだ。

(今日のYou Tubeは四季の道の晩秋です)
http://www.youtube.com/watch?v=rFjkE9bbk-4

  

 

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(21.10.14) 御園生さんのジャーニーランに参加した。 下野(しもつけ)街道 130km

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 久しぶりに御園生(みそのう)さんが主催するジャーニーランを走ってきた。ジャーニーランとは走ること自体を楽しみながら走る競技で、特に速く走る必要はなく、制限時間以内に目的地に到着すればよい。
注)制限時間は時速6km強程度に設定されているので、時間的余裕は十分ある。

 ただし、自分の必要とする荷物は自分で運ばないといけないので、競技用か登山用のリュックに着替えや雨具や懐中電灯や洗面用具を詰めこみ、そしてできうる限り軽くする工夫をして走ることになる。
私の場合はいつも3kg程度の重さしかない。

 今回は下野(しもつけ)街道約130km2泊3日で走る競技だった。日光の今市から会津若松までの街道を、旧街道が残っている場合は旧街道部分を、残っていない場合は国道を走ることになっていた。

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 コースは鬼怒川温泉川治温泉を経由しながら鬼怒川を遡り、さらに鬼怒川の支流の男鹿川を遡って、栃木と福島の県境の山王峠を越える。
峠を越えると今度は阿賀野川の支流の荒海川沿いに会津田島に行き、さらに支流名が変わった大川(阿賀野川を下って会津若松市に到着する。
一言で言って川の道といってよいような道だったが、約1000m山王峠大内峠はしっかりと頂上まで登って下らなければならなかった。

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 今回の競技参加者は15名で他に御園生さんを含めたサポーターが2名、計17名の人員だった。この種の競技はほとんどが趣味の世界に入るので、よほどの物好きしか参加しない。
多くの場合は昔は相応のランナーだったが、年齢を重ねて速く走れなくなり、もっぱら距離を稼ぐランナーにかわった人が多い。
従って年齢はかなり高く、50歳代が中心になる。

 この下野街道は会津藩主保科正之が参勤交代や会津の物資を江戸に運ぶための最短路として整備したため、会津の人の思い入れが強い

 なぜ分かるかと言うと、栃木県側の旧街道は国道にすっかり置き換えられほとんど跡形もなくなっているが、福島県側に入るといたるところに旧街道が残されている。
栃木県側ではもっぱら川の美しさだけが印象に残ったが、福島県側に入ったとたんに、草生したかつての下野街道が現れてきた。

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 この街道の最大の見所は大内宿だった。私は大内宿なるものをまったく知らなかったが、クリーンクラブの小太郎姉さんによるとこの地域では大内宿は大変な名所で、旧中仙道馬籠妻籠に匹敵するのだそうだ。
バスを連ねた観光客が来ており、名物のネギ蕎麦を食べるのが定番コースのようだった。

 昔ながらの宿場町が再現されており、もし観光客がいなければ、三船敏郎の用心棒の世界を見ているみたいだったろう。

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 今回のジャーニーランは当初楽勝だと思っていたが、福島県に入ったとたんに山道を走らされることになった。
特に大内峠からの下りについてはいたる所で道路標識が壊れており、また草刈も不十分なため私たちの約半数が路に迷ってしまった。
うぅーん、困った。一体どっちにいけばいいんだ。右か左か?」頭を何べんも抱えた。

注)下野街道は標識が壊され、雑草が路をふさいでいる場所と、標識がよく設置され、草刈もされて遊歩道として整備が図られている場所が、極端な形で共存している。

 私も3回ほど道を間違えたが、幸いにすぐに道の間違いに気づいたので問題が無かったものの、このままでは通常のハイカーがこの道に入ってくることはだんだんと少なくなってきそうだ。
私が福島県に住んでいたら、「すぐに標識の補修と草刈をしてしまうのだが」と思ったものだ。

 しかしジャーニーランは実に面白い。ここしばらく健康に不安があったが、走り出したらすっかりハイになり、快調な走りができた。
走っているときが一番気持ちがよく、私の身体が走りに特化していることがよく分かる。

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 この競技は競争ではないが、実際は何人かの足自慢がすぐに飛び出して、実質的に競争になる。
今回は超長距離ランでは日本を代表する一人といわれるAさんの後を懸命に追ったリして、すっかり数年前の走りを思い出した。
念願の会津若松の鶴ヶ城も見物でき、充実した3日をおくってしまった。

 

 

 

 

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(21.10.10) 下野(しもつけ)街道路草ジャーニーラン

800px1   (画像はwikipediaより

 久しぶりに御園生(みそのうさんが主催するジャーニーランに参加することにした。
ジャーニーランとは走ることを楽しみながら旅をすると言う意味で、御園生さんはこのジャーニーランの創始者の一人だ。

 ジャーニーランでは荷物をすべて背負って走るのだから、あまり速くは走れない。時速6kmから7km程度のゆっくりした速度で走る。
途中で腹が減ったら適当にコンビニなどに立ち寄って食事をする。

 地図を渡されて、ところどころにチェックポイントがありそこに必要な文字を記入する。たとえば(     )宿と書いてあれば、(今市)宿という具合で、これでその場所を通過した証拠になる。

 私は御園生さんのトランスエゾ北海道の襟裳岬と宗谷岬の間約500km)旧中仙道旧東海道のジャーニーランに参加しているが、旧街道を走るのはなかなか楽しい。
旧中仙道には妻籠宿馬籠宿が往時のままで残されておりとても感動したのを覚えている。
道幅は大抵が3m未満で、昔の街道が意外に狭かったのが分かる。

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(この写真は下野街道ではありません)

 今回は野(しもつけ)街道を走るのだが、この街道は江戸時代に会津藩主保科正之によって整備された街道で、会津の若松城下から下野の今市にいたる約130kmの街道である。
かつては会津藩の参勤交代のルートであったが、今は国道が側に整備されて、この街道は一種の遊歩道になっている。

 旧街道を走ったり歩いたことの無い人は知らないが、古道はほとんどが直線に作られている。少々の山などは迂回などせずまっすぐに上り下りするのでかなりきつい。
昔の人はそうした高低差をものともせず歩きとうしていたようだ。

注)フランスの巡礼道もまっすぐに道が作られていた。かつては土地の私有権などはほとんど無かったのと、まっすぐに作るのが作りやすかったためと思われる。

 00003_011_3路が急斜面になると石畳がひきつめられているが、当然のことに段差は無い。段差など作ると大八車のような運搬手段が通れなくなるからだ。
ただし石畳は雨など降って濡れていると滑りやすくなり、走ることができなくなる。

 私は昔、萩往還道が雨に濡れていた時に走ったが、すぐに転んでしまって往生した。下が石畳だから転ぶと大変痛い。
痛テー、本当に昔の人は転ばずに走れたのかい???」不思議に思ったものだ。

 この街道沿いには鬼怒川温泉、川治温泉、湯野上温泉があって、ちょっとした温泉郷だ。また昔の宿場町などが残されておりノスタルジーを感じさせる場所だ。

 10月10日からの3連休に3日かけて130km走るのだから、平均して毎日40kmちょっとを走ればいい。
この種の競技としては楽な部類に入る(トランスエゾは平均して80km走らなければならない)。

 心配は私の体調で、このところ不調を囲ってきたので大丈夫かと言う気持ちもあるが、走り出すとハイになるので何とかなるだろう。
天候も回復しそうなので、写真もばっちり取れそうだ。

 本当に大好きな旧街道のジャーニーランなので大いに楽しんでくることにしたい。

 

 

 

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(21.2.28) 御園生さんの「のうみそジュニア・ランニングクラブ」

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(御園生さんの「のうみそジュニア・ランニングクラブ」)

 私が今回提案しているマラソン教室のイメージに、非常に参考になるランニングクラブがある。
以下に述べる「のうみそジュニア・ランニングクラブ」がそれで、御園生(みそのう)さんと言う方が主催しているこのクラブは、とてもユニークなクラブだ。
なお「のうみそ」は御園生さんの愛称である。

 小学生と中学生を対象としたクラブで、埼玉県の戸田市にある。目の前に荒川の河川敷と土手があり、そこで多くのランナーがJOGを楽しんでいる環境に恵まれた場所だ。

 部員は現在84名で、7年前に設立された。きっかけは御園生さんが自分の子供を走らせていたら、一緒に走る仲間が少しずつ増えていったからだと記憶している。
それまでは御園生さんはもっぱら大人を相手の長距離RUN呼びかけ人だった。

 今では埼玉県のジュニアの記録を次々に塗り替えているほどの強豪クラブだが、設立の目的はただ速く走ることを目的としていない。
それよりも「ランニングを通して素晴らしい人間になろう」と言うことを目的としている。

 こうしたクラブはしばしば崇高な理念を掲げ、その実はもっぱら記録狙いだったりするが、御園生さんのクラブは正真正銘人間形成のクラブ」である。

 私はしばしば御園生さんが企画するロングラン(トランスエゾ1100km、中仙道ジャーニーラン、東京湾一周180km等)に出場したが、大人に対しても自立と責任を実に厳しく求められた。

 この長距離RUNでは、基本的にサポートはなく、すべて必要なものは背中に背負って走らされる。何があっても自己責任御園生さんの立場は「呼びかけ人」で「主催者」とは言わない。
自分の責任で決められた距離(トランスエゾでは一日約80km)を走れ。走れない場合は公共の乗り物で目的地までたどり着くこと」が基本だ。競技でよくある収容車はない。

 また、公共心に反することは強く戒められ、特に途中で飲んだ飲料水の缶を道端に捨てようものなら大目玉で、すぐにレースを止めさせられてしまうような剣幕だった。

 宿に着くと本当はすぐに寝たいのだが許されず、必ずその日の反省と翌日のコースの説明があり、どちらかと言うと精神修養の場のようだった。

 明らかに御園生さんは「ランニングは人生の修養の場」と認識しており、ジュニア・ランニングクラブを立ち上げた時も同じ思想に立っていた。

 このジュニア・ランイングクラブではクラブの方針と決まりがありそれは以下のようなものになっている。

クラブの方針
☆ ランニングクラブを通して素晴らしい人間になろう!
 
クラブの決まり
① 自分の事は自分でやろう。(自立心・じりつしん)
② 自分を絶対にあきらめない事。(挑戦・ちょうせん)
③ 感謝の気持ちを持ちなさい。(思いやり・チームワーク)
④ 礼儀正しい言葉使い・行動を身に付けよう。(社会性・しゃかいせい


 そうして今年で7年目になるが、クラブはますます発展しており、人間形成もRUNの実力もNO1のクラブに育っている。

 どうだろうか? 私もおゆみ野の地にマラソン教室を開くに当たってそうした社会性があり、自立心が育つジュニアランナーの育成をしたいと思っている。

 マラソン教室の生徒だと言うだけで、この街の住民からしたわれ愛されるような児童を育ててみたいものだ。

 こうした取り組みに多くのランナーや親御さんたちの賛同を得られると嬉しいのだが。



なお、「のうみそジュニア・ランニングクラブ」のホームページは以下の通り
http://www.ne.jp/asahi/no-miso/jrc/junior/index.html

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(20.1.17)東京湾1周 180km その2

おゆみ野四季の道」のテーマソング。以下のファイルをダウンロードすると曲が始まります。
 「pianotokurarinetto.mid」をダウンロード

(詳細版)

  まったく足はあがらず、亀のように遅かったが完走だけはした。
幸いにも左足の肉離れは治っていたが、少しでもスピードを上げるとまた再発しそうだった。

 今回は、走れたことだけで、良しとしよう。
そのうちに、昔のように風を切って走れるようになるかも知れないじゃないか。

(初日) 日本橋から横須賀 約60km

 この日は朝から雨がぱらついていたが、スタート時間の10時頃からは雨脚が強くなり、夕方まで止むことがなかった。
気温は10度を下回っており、風は強くなかったものの完全な冬日だ。
こうした日は雨対策をしっかりとして、順調に走っている限りは問題がない。十分な発熱量があるため、かえって暑いくらいになる。

 ところが疲れてきて歩き始めたり、止まって休んだりするとたちまちのうちに体温が低下し、ひどい寒気がしてくる。
身体は汗でぬれまくっているため、温度低下に耐えられない。

 よく中高年の登山者が雨にぬれて、身体が動けなくなって凍死するのはこうした場合に多い。
幸いにもこの日は体力的に余裕もあり、左足の肉離れも再発しなかったので、スローペースであったが身体だけは動かし続けることができた

 制限時間の1時間前には宿泊地に到着できた。まずは順調だ。

(2日目) 横須賀から久里浜、金谷を経て千葉 約80km

 今回のジャーニーランの山場だ。80kmという距離は御園生さんが呼びかけ人になっているトランス蝦夷550kmや、アメリカ大陸横断競技5000kmの1日の平均走行距離にあたる。

 世界のウルトラマラソンでは約80kmを何日間もわたって走らなければならない。東京湾1周で完走することが、トランス蝦夷に出る資格要件にもなっている。

 この日は雨は降らなかったが、やたらと寒く、風が強い一日だった。久里浜までは追い風だったが、千葉側の金谷に渡ってからはひどい向かい風になった。
海風は特に強く、海岸縁のトンネルは風の通り道になっているので、押し戻されるような強さで風が吹く。

 海岸縁を離れてからは、相対的に風は弱くなってきたが、寒さは相変わらずだ。前日よりも寒さが強い。

 この日は恐れていたスタミナ切れが発生してしまった。12月いっぱい走ることができず、ようやく正月からJOGを再開したが、練習不足は否めない。

 50Kmを過ぎた頃から歩きが入り始め、60kmを過ぎてからは完全に歩きになった。
元気であれば1時間で5kmは歩けるのだが、疲れきった足には4km程度が限界だ。

 夕刻になり寒さが一段と厳しくなる中を、最後の20kmを5時間程度かけてようやく宿泊先にたどりついた。
制限時間は緩やかだったので、その1時間半前には到着したのだが、ホテルの入り口の段差につまずいてよろけてしまった。
寒さで口がこわばり、口を開くのもいやなくらいだった。

(3日目) 千葉から日本橋 約40km

 最終日は距離が短い。その分楽なのだが私は前日の疲労が残り,身体が非常に重たかった。
また右足の付け根に鈍痛があり、走り始めは悲鳴を上げそうだ。

 この日は前日にまして寒い。この冬一番の寒さになった。十分な厚着をして走り出したが、30kmを越えた頃から歩きが入り始めた。
歩くと北風が身にしみる。

最後だからがんばろう」それだけで身体を動かしていた様なものだ。
制限時間の15分前にかろうじてゴールにたどり着いた。
御園生さんが「何とか間に合いましたね」と笑っていた。

必要な装備の写真を掲載します。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/20117?authkey=_9cFatbusR8

ウルトラマラソンに興味があるか、今後出場を予定している方に伺います。東京湾180kmの情報は参考になりましたか。

 

 

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(20.1.16)完走はしたけれど 東京湾1周180km

おゆみ野四季の道」のテーマソング。以下のファイルをダウンロードすると曲が始まります。
 「pianotokurarinetto.mid」をダウンロード

 東京湾1周180kmのマラソン大会が1月12日~14日の3日間に渡って開催された。
日本橋を基点に、横浜横須賀を経て、久里浜まで行き、そこから金谷までフェリーに乗り、金谷から千葉船橋を経て、ふたたび日本橋までもどる180kmの競技である。

 平均すると毎日60km走ることになるが、実際は2日目約80kmで長く、3日目はその分短く設定されている。

 この競技の正式名は「第18回東京湾一周遠足ジャーニーラン」というのだが、「遠足」という意味は「マラソン」とすると警察等へ届出が必要になり、それを避けるためのネーミングである。

 またジャーニーランはこの大会を主催(ただし主催者は呼びかけ人と自分を位置づけている)している御園生さんの思想が反映されているネーミングで「走ることをともに楽しもう」という意味がこめられている。
スピード競技ではなく、楽しみのための競技というメッセージだが、ランナーの性で走り出すとつい競争してしまう。

 競技は国土地理院の2万5千分の1の地図にルートが記載され、ところどころにチェックポイントが設定されている。
競技者はチェックポイントでそこの名称を記載することで、通過したことを証明することになる。

 参加者は32名と少ないが、この種の競技は大抵がこの程度の人数で開催されており、集まってくる人は根っからのウルトラ愛好家だ。
概して年齢が高いのは若者はウルトラのような耐える競技に向かないからだ。
またこの種の競技人口はあまり多くないので、ほとんどの人が顔見知りになっている。

 御園生さんの競技の最大の特色は、すべて自己責任で大会が運営されていることで、通常の大会によくあるエイドは一切設定されていない(ただしボランティアでエイドを出してくれる人がいる)。

 すべての荷物を自分で運ばなければならないので、着替え装備品には工夫がいる。
特に衣類は軽くすぐ乾くがポイントで、毎日同じトレーナーで走ることになるので、宿に着くとすぐに洗濯して乾かさなければならない。
もし洗濯をしないと、そばにやってきた人はその臭気に思わず鼻を覆うほどだ。

 慣れるにしたがって装備品は少なくなるのだが、最初は「始めての海外旅行」みたいにあれもこれも持っていって、途中で全部捨てることになる。
この競技ではないがトランス蝦夷という競技の時、私は持っていたパンツをすべて捨てトレーナーだけになったほどだ。

 今回の大会について言うと、私は昨年の11月末に軽い肉離れをしたため、12月中まったく練習ができなかった。
ようやく今年になっておっかなびっくり練習を再開したが、準備不足もいいところだ。

 完走だけを目指して走ったのだが、幸いにも肉離れは治っており、完走もできた。
目的は達成したが、かつて同じ程度のスピードだと思っていたランナーに次々に抜かされたのは止む終えない。
昔と違って精神的に落ち込ことはなく、「完走、完走」と念じて走り続けた。

 明日はこの競技の詳細について記載する予定だ。

競技のイメージがよく分かる写真を掲載します。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/20115?authkey=bxB2Xa0Fc2Y


 

 

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