(22.2.2) ロドリゴ巡礼日誌 旅行の準備
このところ体調が不調だ。一つはこの14日に四季の道駅伝が開催され、そのルートや交通整理を間違いなく実施することに気を使っていることと、もう一つは読書会の河村さんが、2日にK出版者に私を連れて行くことになっているからだ。例の「ロドリゴ巡礼日誌」の企画書をK出版者のT氏が見て、説明をしてほしいと言ってきたからだ。
「山崎さん、Tさんに会うまでに完成原稿ができますか?」言われて胃が痛くなった。
私は毎日やっているルーチンワークにはめっぽう強いのだが、イベントのような特別な催し物があると、ひどく緊張して体調を壊してしまう。
今回も完成原稿を作ろうと決心したとたんに胃がシクシクと痛み出した。
「まずいな、このままでは又病気になってしまう。なんとか病気にならないで完成原稿を作る方法はないものだろうか」
ようやくひらめいたのが、ブログの中で完成原稿を作り上げてしまうことだ。
正直言ってブログを書きながら、さらに本の原稿を書くというような離れ業はできそうもない。各単元ごとに書いていって、原稿に落とすときに校正すればいい。
ようやく方法論が確立したので、明日の打ち合わせでせめて第1章だけでもできていたらと書き始めた。
第1章 旅だちの準備
あれは何時頃のことだったろうか、私の山仲間のタムさんがフランス巡礼の旅に一緒に行かないかと私を誘ったのは。
タムさんは勤めていた金融機関の先輩で私より10歳程度年配だ。タムさんはこの金融機関の総合研究所勤務が長く、そこの主任研究員をしていた。
その間地方の調査があるたびに時間を見つけては登山をしていたので、深田久弥の日本百名山をほとんど登り切り、それでも飽き足らず世界5大陸の最高峰を目指していた。
実際にヨーロッパアルプスのモンブラン、アフリカのキリマンジャロ、北アメリカのマッキンリーの登坂に成功し、南アメリカのアコンカグアにはもう少しのところで登頂を断念し、次はエベレストを目指していた。
「山崎さん、エベレストに登ろうよ、今ではしっかりしたガイドが付いてくれれば誰でも登れるんだ。費用を二人で折半しないか」誘われた。
私は確かに山登りは好きだが日本の山しか登ったことがない。最高で富士山なのだから4千メートルを越えた登山をしたことがない。
「高山病になってしまいますよ、いくら何でもエベレストは・・・」躊躇した。
その後タムさんは「それならヒマラヤの7000m級の山ではどうだい」と私を誘ったが、私は色よい返事をしなかった。
もっともタムさんもだんだんと年をとり、70歳を越えたのだから体力勝負の登山には見切りをつける年齢になっていた。
「なら、山崎さん、フランス巡礼の旅にでないか、もともと中世の巡礼の旅はフランスから始まったんだ。その当時はフランスとかスペインとかの国境はなくて、キリスト教国というような一つのまとまりだったんだ」
ある日タムさんがそう言った。この話には興味が持てた。
私は外国の町を歩くのが好きだ。はじめて外国旅行をしたのが43歳の時だが、その後毎年のように海外旅行をしていた。ただし学生がするような旅行だ。
学生のような完全な貧乏旅行ではないが、ほぼそれに近く飛行場の片隅でよく寝ていた。
街は基本的に歩くことにしていたので、タイのバンコックの運河沿いの道や、フィリッピンのマニラ市の何か暗黒街のような街を歩いたり、香港の薄汚れた今にも崩れ落ちそうなアパートの一室に泊まったりした。
私の職場の同僚が「山崎さん、そんなことをしてゲリラにつかまって身代金を要求されたら事ですよ。山崎さんは一応大会社の管理職なんですよ」と注意してくれたが、幸いにそうした事故にも会わず、外国に行ったら常に体力の許す限り歩き回ることにしていた。
だから今回のタムさんの申し出ではなかなか魅力的だった。
「フランスの片田舎を歩くのも悪くないな・・・・・・、付き合いましょう」
タムさんは以前スペインのサンチャゴへの道をほぼ1ヶ月かけて歩いている。この道はNHKでも取り上げられており、スペインの高校生が日本で言う修学旅行の一環としてこの巡礼の道を集団で歩いてたルポがあった。
「山崎さん、本当は巡礼はフランスから始まるんだ。このフランスからの道を歩めば、中世の巡礼者が歩んだその道を完全に追体験できる。ただどうやって歩いたらいいのかが分からない」
確かにフランスの古道の歩き方なんてまったく知識がない。おそらく道路マップを入手して主要な街道沿いに歩くか、専門の山岳地図のようなものを入手して、それにそっていけば行けるようには思ったが、まったく雲をつかむような話だった。
しかしタムさんは熱心だった。なにしろ専門は調査員だから、フランス古道を歩いた人たちの集まりがあることをインターネットで探し当てた。
「日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会」という。ここでサンチャゴ巡礼を行く人のための情報交換会を開催していた。
ほとんどの人がスペイン道を目指していたが、ごく少数だがフランス道を行こうとしている人が居る。
先達も何人かいて、その人からタムさんはとても重要な情報を得てきた。
「山崎さん、どうやらル・ピュイからの巡礼道は日本の自然歩道のように整備されていてR65というらしい。このR65にそっていけば、スペインとの国境の町サン・ジャン・ピエド・ポーまで行けそうだ」
タムさんはさらに行った人から地図のコピーまでもらってきていた。
Maim Maim Dodo(ミアム・ミアム・ドゥ・ドゥ)というガイドブックのコピーだったが、確かにこれさえあればまず、間違いはなさそうだった。
「そうか、フランスの古道は日本の自然遊歩道と同じで道が整備されており、ガイドブックもあるのか」すっかり自信を持った。
地図さえあれば後はまったく問題ない。いつものリックに最低限の荷物を入れて旅立てばいいだけだ。
軽装での旅は完全に身についているので、すっかり気が楽になった。
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