(22.12.25) 文学入門 村上龍 最後の家族

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 今回の読書会のテーマ本は村上龍氏の「最後の家族」である。
ひきこもりの子供を抱えた家族が、その引きこもりを解決していく過程において家族そのものは崩壊していくというストーリーだった。

 この本を選んだのはTさんだが、Tさんのお子さんが過食症に悩んでおり、そうした意味でこの本を選択したのだろうと思われた。
私はいつものように村上龍氏もこの「最後の家族」という小説も知らなかったが、読んでみて村上氏が常に衝撃的な小説を世に問うている小説家であり、また自らの作品を映画化している映画監督であることを知った。

 さらにJMMというメールマガジンを発行し経済・政治現象について常に自らの見解を発信し続けている人だと知ってさらに驚いた。
何かルネッサンス期のレオナルド・ダ・ビンチのようなイメージだ。

 この「最後の家族」という小説は2つの意味で読むものに対し衝撃を与える。
一つは小説の形式であり、もう一つは「ひきこもり」というものに対する理解の深さである。

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 形式についてはすぐに気がつくのだが、ここには主人公が4人いる。父親の秀吉、妻の昭子、ひきこもりの長男秀樹、そして秀樹の家庭内暴力に心を痛める妹の知美である。

 通常の小説は主人公が一人であり、その人の目を通して周りの人物が動いていくのだが、この小説は4人がそれぞれ別個の主人公であり、あえて言えば4つの小説を一つにまとめたような形式だ。
なぜそうした形式をとるのかといえば、最後に全員がそれぞれ独立して家族が崩壊し、その結果として秀樹のひきこもりも終了するという構成になっているからである。
最後に別れるのだから、小説の形式も分けて記載するということらしい。

 またひきこもりに関する村上氏の知識の深さには驚嘆するが、本の末尾に取材をした人の一覧があるので納得した。
ここには精神科医、心理療法士、心理カウンセラー、弁護士等約20名近くの専門家からの聞き取り調査を行っていた。
ほとんど「ひきこもり入門」という学術書と同じような調査や資料集めをしている。

 だからこの本は小説の形式を取った「ひきこもり学入門」であり、最後の結論は自立である。

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 ストーリーは至って単純で、大学受験で志望校に入れなかった秀樹という青年が約1年半に渡ってひきこもっている場面から始まる。

 秀樹は社会との接点を絶ったのだがたった一つの接点は、窓を覆っていた黒いケント紙にあけた10cmの穴である。
そこから望遠レンズで外界を眺めていたら、たまたま隣家のドメスティックバイオレンスDV)を目撃してしまった。

 本人はその時までは完全夜型で母親を除けばほとんど会話を交わすこともなかったのだが、この隣家の女性を救おうと決心したところから、生活パターンが変わってくる。
隣を監視するために昼型の生活に戻り、かつ女性相談センターや警察に盛んに隣家の女性の情報を伝えることによって社会との接触をいやが上でもせざるえなくなる。
一方報告を受けた相談センターや警察からは被害を受けている女性本人が申し出るか、現行犯でないと対応は難しいと返答される。

 秀樹はこの女性を救おうと自分がひきこもりであったのを忘れ、最後はDVに詳しい女性弁護士に相談に行くのだが、秀樹のしつこいまでのこうした行為は隣家の男性が行っているDVと同じで、もし秀樹がその女性を救ったとしても今度は秀樹がDVをその女性に加えることになると諭される。

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 秀吉の話はかなり悲劇的だ。技術はあるが経営に失敗し倒産間際の中小企業の営業畑の次長をしている。社内での話題はいつ会社が他の企業に買収されるかの一点にかかっている。
秀吉はやっと手に入れた住宅があるが、この住宅資金の返済が終わっておらず失職すると払えない。また長女の大学の受験が控えている。

 そのために希望退職もせずにがんばってきたが、この会社は外資に乗っ取られ秀吉は解雇される。

 秀吉は家族を守るのが自分の勤めと思っている一途な男性で、唯一の喜びは家族そろっての食事だ。
しかしこの家族そろっての食事も家族が成長するにしたがって不可能になり、秀樹はひきこもりをはじめ、それを叱責すると暴力を振るわれる。

 秀吉と妻の昭子に対する秀樹の暴力は余りにひどい。ある日、秀樹が燐家を監視したり庭に侵入していると燐家からクレームをつけられた時も暴力沙汰になり、秀吉は秀樹から階段から突き落とされ救急車で病院に運ばれる。
これを期に秀吉は別居を余儀なくされる。
ひきこもりの世界で子供の暴力が激しい時は、暴力を受ける親は別居するのが一番だとの精神科医の指示に従ったものだ。

 秀吉の人生は家族を守ろうとすればするほど家族が崩壊していくという悲劇の人生だ。

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 妻の昭子は秀樹のひきこもりが発生したたあと、精神科医やカウンセラーに通って何とか秀樹のひきこもりを治そうとするが、秀樹が嫌がって医者に行かないため効果はほとんどない。
現在通っている精神科医師からは「無理につれてくる必要はないこと。暴力を振るわれそうになったら、暴力をふるわないで」と毅然とした態度を貫くべきだとスジェスチョンされている。

 この精神科医の指示にしたがうことで昭子は秀樹というひきこもりの子供から徐々に精神的に独立していく。

 昭子はここの医院に通うようになった時から、たまたまそこで家の補修をしていた大工の延江と知り合う。
この医院に来た時は延江と喫茶店で落ち合うのだが、この10歳以上若い大工は体中から健康な動物の臭いを発散させて、昭子の女心をさそう。

 この小説に出てくる延江という男性は非常に魅力的だ。大工の仕事に情熱を持っており、他の仕事と自分を比較したりはしない。ひたすら大工の仕事で男を磨こうとしており、イメージは高倉健だ。
二人の間には肉体関係はないのだが、昭子はいつでも延江に抱かれたいと思っており、母親ではなく女として自立したいと思うようになる。

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 知美は秀樹が両親に暴力をふるうのにうんざりしている。早く家を出たいと思っているが決心がつかない。大学受験は上智大学を目指すことにしたが、それは親の希望だ。

 たまたま元ひきこもりの10歳以上年配の近藤という宝石研磨職人と知り合いになる。
近藤の狭い住宅兼仕事場に通ううち知美は近藤に引かれていく。
近藤から「自分はイタリアに宝石研磨の勉強に行くが一緒に行かないか」との誘いを受け、最初は躊躇するが、家から離れる手段としてイタリアに行くことにする。

 物語はこうした4人の人生がそれぞれ別個に語られ、その中でひきこもり、家庭内暴力、DVがどのように発生し、それを相談所や警察、弁護士がどのようにかかわるかが克明に記載される。
そうした意味で「ひきこもり学入門」であり、私のようにこうした方面の知識が皆無の者にはとても刺激的だ。

 この小説で村上氏がイワンとしたことは明確だ。家族はいつか崩壊する。それをいつまでも維持しようとしても無駄で、それぞれが独立した人格として生きるようになって、はじめてひきこもりも家庭内暴力もDVもなくなるというものだ。

 この家族の最後は失業した秀吉は再就職ができず故郷の一角で親から資金を借りて一人で喫茶店を経営し、昭子はひきこもりのNPO法人でフルタイムの仕事を始め、別居生活に入り実質的に秀吉と別れた。分かれた後昭子は延江とハワイ旅行をして肉体関係を持つ。
秀樹は弁護士のDVの対応に感動して、家を出て司法試験の勉強を始める。
知美はイタリアでイタリア語の勉強をしている。

 この最後の結論はいささか私には現実感がないと思われたが、それでも村上氏の意図はよく分かる。
人は結婚し子供ができ、それを育て、子供が独立すれば親は精神的に別れるということだ。

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 実は私は熊やライオンの生き方を見て、人間にもそうした動物性があるのではないかと長い間思っていた。
たとえば母熊は子供が2歳になると子供を追い出し、自分は新しい伴侶を求め、また新たな子孫を残す営みに邁進する。

 追い出された子供は自分で餌をとらなければ餓死するので命をかけて狩を行い、それに成功したものだけが生き延びることができる。
人間だけが長期間家庭というものを維持するが、子育てが終了すればその家庭を維持すべき生物学的理由はない

 あるのは経済的理由(精神的な理由もある)で、家や年金等の問題が解決しないと夫婦は別れるわけには行かない。ただこの子供を含めた家庭なるものをいつまでも維持しようとすれば生物学的な無理が発生し、それがひきこもりや家庭内暴力やDVでないかと私は思っていた

 子供は巣立ちをさせ、親は互いに独立すべきなのだ。
そうした意味でこの村上氏の小説は私が大いに同意できる内容で、是非多くの人が読んでもらいたい小説だ。

注)読書会の報告者TMさんの感想文は以下のURLをクリックすると読むことができます。是非参照してください。
http://yamazakijirou1.cocolog-nifty.com/shiryou/2011/01/23126-b4e0.html





 

 

 

 

 


 

 

 

 

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(22.12.9) 文学入門 米原万里  嘘つきアーニャの真っ赤な真実 その2

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2 「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」

注)米原万里さんの経歴は「その1」に記載してあります。

 
この題名はすこぶる刺激的で読む人を引き付ける。
題名の意味は「嘘をつくことが習い性になっている少女アーニャがなぜそのような嘘つきなのかの社会学的な分析」といってもいい。

 アーニャは万里さんが通っていたプラハのソビエト学校の同級生で、万里さんが6年生の頃ルーマニアからやってきた社会主義社会の優等生にような少女だ。
すべて社会主義の教科書どおりのような言葉や話をする。

 たとえばここチェコのプラハで相手を呼ぶ場合に、アーニャは必ずソードロフAさんと呼ぶ。
ソードロフとは日本語で同志、ロシア語でタワーリシチという意味で、ロシア社会では通常使用されていた呼称だが、ここチェコではロシアに対する反感が強く、こう呼ばれると誰でも嫌悪感を持つ言葉らしい。
俺はロシア人の同志ではないぞ

 スクールバスの運転手も近くの駄菓子屋のおばさんも、この呼称に辟易し「パン(だんな)とかパニー(奥さん)と呼んでほしい」と依頼するのだが、アーニャはこのソビエト流の呼称を絶対にやめない。
そんな資本主義的な呼称では呼べないという訳だ。

 アーニャの生活はソビエトロシアが望むそのものの生き方で、ロシア語を完璧にこなし社会主義の優位性を唱えて止まないのだが、実際のアーニャの生活は父親がルーマニアの高官で、母は有閑マダムで、住居は元貴族の屋敷に住み、召使をあごで使っている。

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  ルーマニアの社会主義政権は政権獲得後保守化して、いわゆる特権階級が形成され、民衆との間に資本主義国でも見られないほどの格差が広がっていたらしい。

 ソビエトロシアでもノーメンクラツーラ
労働貴族)という階層があったのは有名だが、最近は中国で太子党お偉方の子弟)という階層が跋扈している。
そしてルーマニアではロシアの労働貴族をもっと極端な形にして貧富の差が拡大していたという。

注)なぜ平等を希求して革命を起こした後、労働貴族が発生するかの理由は反対者を実力でパージ(銃殺したり強制労働収容所に送る)しなければ、自分の地位が危うくなるため。
パージしないと今度は自分がパージされるので、反対者を牢獄送りにして自分はいつまでも地位に留まることになり、結果として特権を享受することになる。


 アーニャはこうした貴族的生活と社会主義社会の建前とのギャップを乗り越えるために「」という仮想空間を作り、その仮想空間の中で生活することで乗り越えようとしたらしい。それを万里さんは「真っ赤な真実」と呼ぶ。
社会主義の建前を誠実な顔つきで常時述べている自分は、立派な社会主義者という訳だ。

 アーニャの父母はユダヤ人で、ルーマニアで生き残るためにユダヤ名を捨ててルーマニアの労働貴族として懸命に生き残っている。
アーニャには三人の兄がいるのだが、三番上の兄はそうした生き方に耐えられずユダヤ教徒となって自分のアイデンティティを探し求め、一番目の兄はルーマニアから逃れてギリシャへ、二番目の兄も西欧社会に溶け込もうとしたが精神に異常をきたしてしまった。

 アーニャの父母は労働貴族の常として子供を西欧社会に送りだそうとする。いつ自分の地位が失脚するかも知れず、また財産の隠し場所としてアメリカやイギリスに住む子供に学費送金にかこつけて資産隠しができるからだ。

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アーニャはルーマニアに帰って万里さんとは音信不通になっていたが、30年後にルーマニアに訪れてみると、アーニャの父母は89年のチャウシェスク政権崩壊後も労働貴族としての地位に留まっており、アーニャはイギリスに留学してイギリス人と結婚していた。

注)ルーマニア人が外国人と結婚するのは非常に難しく、父親がチャウシェスクの了解をもらってようやく結婚できた。

 30年後に会ったアーニャの生活はイギリス社会に完全に溶け込んでおり、かつてはロシア語を自由に操っていたように今は英語を自由に操り、イギリス社会のアッパー・ミドルの生活を楽しんでいた。
ねえ、マリ、あの頃は、私もあなたも、純情無垢に体制を信じきっていたわね」と言ってのけるアーニャに万里さんは違和感を覚える。

 革命後もルーマニア人の生活は悲惨で救いようがないことを見てきたばかりだからだ。
ルーマニアの人々の惨状に心が痛まないの?」と聞く万里さんに対し。アーニャは「それは、痛むに決まっているじゃないの。アフリカにもアジアにも南米にももっとひどいところはたくさんあるわ」と答える。

 さらに万里さんが「でも、ルーマニアはあなたが育った国でしょう」と聞くと「そういう狭い民族主義が、世界を不幸にするもとなのよ」と誠実そのものという風情で言ってのけた。
アーニャは相変わらず「真っ赤な真実」の中に住んでいた訳だ。

 

 

 

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(22.11.23) 文学入門 米原万里  嘘つきアーニャの真っ赤な真実 その1

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その1 「リッツァの夢見た青空」


 今回の読書会のテーマ本は米原万里氏の「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」だった。
いつものように私は米原万里氏もこの本も知らなかったが、読んでみて驚いた。

 米原氏の経歴を見ると通常の日本人が経験することはないような幼年期をおくっており、この本はそれを元に書かれた異色の体験記になっていた。
米原氏が生まれたのは1950年だから、私よりは4歳年下だがほぼ同世代と言っていい。

 20世紀の後半を生きたわけで、いわゆる東西の冷戦期とソビエトロシアの崩壊期が人生に重なっている。
私自身は日本に住み冷戦を日本の中で経験したのだが、米原氏はそれをチェコスロバキア(当時)のプラハ9歳から14歳までの5年間1960年から1964年まで)の間経験していたことになる。

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 なぜ米原氏がこの間プラハにいたかというと、父親が日本共産党の幹部でプラハにある社会主義陣営の国際的組織インターに派遣され、そこで雑誌「平和と社会主義の諸問題」の編集をしていたからだ。

 米原氏の父親が派遣された1960年は、日米安保条約が締結された年で、日本では朝野を挙げて賛成・反対運動が盛り上がっている時期だった。
国会の前には毎日のように全学連と労働者のデモが繰り出されていて、それを機動隊が阻止しようと肉弾戦が繰り返されていたものだ。

 今から思うと当時は信じられないほど左派勢力が力を持っており、その左派勢力を背後で支援していたのがソビエトロシアだった。
当時ソビエトロシアは世界革命を先導していたから、そのための組織の一つとしてプラハに国際的プロパガンダのための国際機関インターを持っていた。

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 米原万里氏は少女期の日本の学年で言えば、小学校4年から中学2年までをプラハでソ連が運営していたソビエト学校に通っている。
この学校はロシア人だけでなく、米原氏のように各国から派遣されてきた子女や、亡命共産主義者の子女が通っていた非常に国際色豊かな学校だったという。

 米原万里氏は2006年、56歳の若さで癌で死亡したが、それまで日本を代表するロシア語の同時通訳者で、かつエッセイストで作家という多忙な生活をしていた。
この本は米原氏が死去する5年前の2001年に上梓され、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞している。

 この本は3部に分かれており、一部が「リッツァの夢見た青空」、2部が「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」そして3部が「白い都のヤスミンカ」と題名が付けられているが、いづれもこのソビエト学校で学んだ女友達との友情と別れ、そして30年後の再開の物語になっている。
この本の題名は3部作の第2部の題名をそのまま表題にしたものだ。

 当初私は共産主義者の娘が書いた本だから、赤旗を読むような教条的な話だろうと思ったが、それは誤解だった。
米原氏の語り口は非常にリアリスティックで、めちゃくちゃに面白く、また東欧社会に住む人々がどのような運命をたどり、そしてどんな考えを持っているか生き生きとどんな解説書より分かりやすく教えてくれている。
各賞を総なめにした実力のほどが分かる(他に読売文学書や講談社エッセイスト賞を他の作品で受賞している)。

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 第一部に登場するリッツァは亡命ギリシャ人の娘で、戦後ギリシャが王党派と共産主義者の間で内戦になり、結果的に王党派が勝利したのだが、そのために国を追われた共産主義者の娘だ。

注)従来ギリシャは王政だったが、第2次世界大戦中はナチス・ドイツの支配下にあった。戦後イギリスに支援された王党派とソ連に支援されたパルチザン派が壮烈な内戦を繰り広げ、その後イギリスに変わってアメリカが王党派を支援したことで、1949年王党派の勝利で内戦は終結した。
この内戦の終結で、ソ連のヨーロッパへの進出はギリシャを分水嶺として食い止められることになった。


 リッツァはまるで勉強はできないが非常なおませで、性に関することは何でも知っている少女で何か男はつらいよ女寅さんのような性格だ。万里さんはこのリッツァから初期の性教育を受けて興奮している。

 私も知っているが概してスラブ系の国民は性に対しておおらかだ。男の子が女の子のスカートの下に手を入れることは日常的に行われていたらしい。
早くから男女の営みがあり、リッツァの2歳上の美男子の兄貴は数学の単位が取れなくなると、30歳代の女性数学教師を篭絡して見事学校を卒業している。

注)この学校は12年制の一貫学校。

 リッツァは真っ青な海の故郷ギリシャに帰る事に非常な憧れを持っており、実際に軍事政権が倒れた後、81年にギリシャに帰ってみたが、自分が西ヨーロッパの人間で東ヨーロッパには住めないことを感じてチェコに戻っている。

注)ギリシャでは1950年に総選挙が行われ、王政の元で民主化が進められたが左右の対立が激しく民生は安定しなかった。この状況を見た軍部がアメリカの支援の下でクーデタを起こし、68年から78年にかけて軍政を敷いている。

 
リッツァの運命は1968年に起きたプラハの春社会主義国のなかでの民主化運動)で暗転した。プラハの春を押しつぶすためにワルシャワ条約機構軍(実際はソ連)がチェコスロバキアになだれ込み、言論の自由を押しつぶしたが、その時リッツァの父親はソビエトの弾圧に断固反対したのだという。
そのため国際機関インターを追われ、かつチェコで生活をする基盤がなくなったため、已む無く西ドイツに亡命したという。

 リッツァは当時カレル大学の医学生だったが、寮は追い出されたものの大学からは追放されることがなく、その後父親の後を追って西ドイツで医者の開業をしていた。

 この物語は30年後、万里さんがリッツァにあいたい一心でかつてのソビエト学校をたづね、さらにカレル大学を訪ね、プラハのギリシャ人コロニーを紹介され、ついにドイツに住んでいたリッツァに会うまでの物語である。
なにか日本映画「幸せの黄色いハンカチ」のような、会えるまでの緊張感がみなぎり読んでいて飽きない。

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 リッツァのドイツでの診療所は主として東欧圏やトルコやギリシャといったドイツでの下層階級を相手としている診療所だが、ロシア語、チェコ語、ギリシャ語、トルコ語、そしてドイツ語を操るリッツァ先生の評判はすこぶるいいらしかった。

 リッツァはドイツ生活を必ずしも受け入れているわけでなく、ドイツを「経済はいいけど文化がない」と評しており、老後は人柄のいいスロバキアで過ごしたいと言っていた。
理由はスロバキアが半分ロシアで、ロシア人の持つ「あったかーくて、お人好しで馬鹿親切」な性格を共有しているからだという。

注)ロシア人は個人的に付き合うと、間違いなくリッツァのいう性格を持っていることが分かる

 元兄嫁(とても美人だが浪費癖があり兄が生活力がなくなると兄を捨てて新しい男とアメリカに移住した)を罵倒する時は「あの自堕落な雌犬! 腐れ○○○の売女」など相当下品な言葉使いだが、この女性には非常に好感が持てた。
ドイツという場所で、医者としてもし望めば上流階級として暮らせるのに、あえて自分の故国や最下層の人々のための医者として生きようとする姿がすがすがしいからだろう。


注)なお読書会の主催者、河村義人さんの読後感は以下のURLをクリックすると見ることができますのでご参照ください。
http://yamazakijirou1.cocolog-nifty.com/shiryou/2010/12/221210-4f9f.html

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

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(22.10.31) 文学入門 山本周五郎 「青べか物語」 その2

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 「青べか」とは一人乗りの平底舟でかつて浦安周辺の漁師が貝や魚を取るために使用していた舟の名称である。
山本周五郎氏は昭和の初期にこの浦安に一時住み、そこでたちの悪いぶっくれ舟(青べか)を購入させられ、この舟に乗って釣りをしていたことは、その1に記載した。

 この青べか物語りは33章からなっていて、それぞれがなかなか興味のある内容だが、私が最も気に入ったのは「芦の中の一夜」という章である。
これはサマーセット・モームの短編集を読んでいるような感覚に襲われるほど、出色のできばえになっている。

 ある日主人公は浦安の東の一面に芦の生えている水路で、幸山船長という引退した元蒸気船の船長に合う。
この人は引退後、この芦原の水路にかつて船長が操舵していた17号と言う蒸気船を係留し、その中で一人で暮らしていた。

 子供たちは成人してそれぞれ立派な家庭を築いているので、世間体もあり父親に一緒に暮らそうと提案するのだが、幸山船長は頑として受け付けず、この芦原の水路で一人で暮らしていた。
世間では気がおかしいのではないかと疑われていたが、実は理由があった。

 この物語はなぜ幸山船長が17号船に愛着を持ち、なぜ一人で芦原で暮らし続けるかの謎解き物語だ。

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 船長がながく勤めた会社を引退する時に退職金を拒否し、その代わりに会社から貰い受けたのがこの17号船で、すでに廃船同様の状態で係留されていた。
会社は不思議に思ったが、なぜ船長が17号船にこだわったかについては、17号船にまつわる淡く悲しい初恋があったからである。

 船長が18歳の時初恋をしたのだが、相手の女性の親が大変やり手の企業家で、娘を蒸気船の水夫(当時はまだ水夫だった)の元に嫁入りすることを許さず、ある大店の元に嫁入りさせた。

 二人は深く愛し合っており、娘の結婚式が迫った有る夜、娘から「どうせ嫁にいくのだから、このからだをあなたの好きなようにしてくれ」と船長は哀願されたが、そうすることもなく二人は分かれたと言う。
しかしその後も二人は精神的に結ばれたままの状況が続いた。

 娘の婚家は江戸川堤に近く、また船長は17号船に乗って江戸川を一日1回上り下りするのだが、娘は17号船のエンジン音を聞くとあねさまかぶりにたタスキをかけたまま必ず土手に駆け出してくる。

 そして手を振るとか声をかけることもなく、ただ船の通り過ぎるあいだ、自分がそこにいることを彼に見せ、またあらぬ態で彼のほうを密かに見続けたのだと言う。

 その後産褥で寝付いた時を除いて、その娘は幸山船長が通るたびに土手に姿を現し続けたと言う。
一方幸山船長も27歳で結婚したが、結婚した相手と彼とは愛情の交換はなく、その女性が32歳で早世してからは、二度と結婚することはなかった。

 こうしてその後も江戸川の土手での相手の姿を見ると言うだけの密かな忍び愛が続いたが、彼女は船長が42歳の時に41歳で病死した。
その事実を知った時船長はこう確信した。
そうさな、あのこは死んでおらのとこへ戻ってきた、っていうふうな気持ちだな、長えこと人に貸しといたものがかえって来た、そんな気持ちだっけだ

 その後船長はその娘と心の中で婚姻し、引退後は思い出の17号船の中で二人で暮らし続けているのだと言う。

 この話が本当にあった話か、あるいは山本周五郎氏の創作かは定かではないが、とても感動させる話だ。
昭和初期に生きた日本人がどのような気持ちで生きていたか、何か手に取るように分かって私はとても満足した。

 山本周五郎氏自身は64歳で死去したが、その数年前に「ぼくは母さんと結婚するときに、日本一の作家になって見せると約束したが、どうも、とうとう日本一になりそこなったらしい」と妻に述懐したという。
山本周五郎氏が日本一か否かはともかく、山本氏が「青べか物語」のような庶民の暮らしのルポをこのような形で残してくれたことに、私はとても感謝した

 

 

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(22.10.30) 文学入門 山本周五郎 「青べか物語」 その1

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(現在の江戸川河口。青べか物語の舞台

 今回の読書会のテーマ本は山本周五郎氏の「青べか物語」である。
担当は私だが、この「青べか物語」を読んだことがあるわけではない。この本を選択した理由は山本周五郎氏の他の本が気に入っていたからで、「きっと青べか物語も面白いに違いない」と思ったからだ。

 私が山本周五郎氏の本を最初に読んだのは大学生の頃で、友達の本棚に「ながい坂」が置いてあった。
この本の要旨は「見知らぬ世界に想いを馳せ」と言うブログに、以下のように適切にまとめられていたので参考にしてほしい。

下級武士の家に生まれた阿部小三郎は、いつも使っていた小さな橋が権力者の都合で取り壊されるという出来事を屈辱に感じ、勉学や武芸に励み平侍の子どもはなかなか入れない一級の藩校で学ぶ。
その後藩主飛騨守昌治(ひだのかみまさはる)に信頼されるようになり、元服して主水正(もんどのしょう)と改名し大火事や孤児対策で手腕を発揮し異例の出世を遂げることになる。
その後、昌治が計画した大堰堤工事の責任者に命じられ、工事を進めるが藩主継承争いや藩内の利害関係の中で工事は妨害され、主水正は命をも狙われる。様々な困難、そして孤独に耐えながら主水正は人生を歩んでゆく
。」

 私はこの「ながい坂」がとても気に入り、その後山本周五郎氏の代表作でもある「樅の木は残った」「さぶ」「赤ひげ診療譚」などを読み「山本周五郎と言う作家は、何と誠実な作家なのだろうか」と感嘆し、さらに「赤ひげ診療譚」にでて来る庶民の生活の描写のうまさにうなったが、なぜか「青べか物語」は読んでいなかった。

 青べかとは青く塗られた一人乗りの平底舟で、これを使用して現在の江戸川下流域にある浦安一帯の漁師が貝や海苔取りに使った舟のことを言う。
山本周五郎氏は昭和3年前後の数年間、この浦安で生活しておりその時見聞した経験を元に、1960年にこの「青べか物語」を上梓した。

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妙見島付近)

 「青べか物語」は実に興味深い本だ。当時(昭和の初期)の庶民生活が手に取るように分かると言う意味で刺激的だ。
特に私のように戦後の教育を受けてきたものにとっては、戦前は全否定の世界で、特高警察が常に思想弾圧を行っており市民は逼塞してものも言えず、暗く何ともやりきれない世界と説明されてきた。

 しかしよく考えてみると思想弾圧などと言うかなり高等な営為は、そもそも思想なるものを持っているインテリ階層が対象で、小学校を出るかでないかがほとんどの庶民にとっては、当初から対象外だ。
数少ないインテリ世界と圧倒的多数の庶民生活はほとんど切り離されており、庶民には庶民の生活があった。

 そこでは東京あたりからやってくる裕福な釣り客をどうだまくらかして金をせしめるかとか、男女の性道徳なんぞはまったくないところで自由な性生活を互いに楽しむとか、男女差がなく生活力が上のものが優位に立ち男女が平等に競争しているとか、何とも騒がしくほほえましい世界が広がっている。

 この舞台になった浦安は今では日本有数の住宅地だが、当時は辺鄙な漁村で交通の便はもっぱら蒸気船だったのだから、ほとんど陸の孤島と言ってもいいような場所だった。

 私はこの浦安一帯がとても好きで、よく江戸川沿いをJOGするのだが、当時有った「沖の百万坪」と言われた広大な荒地は埋め立てられ今はディズニーランドがそびえている。
また東の海も埋め立てられ、とても品のいい住宅地になっているが、かつてはここで浦安の漁師が貝や海苔採取をしていた場所だ。

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沖の百万坪は今では東京ディズニーランドになっている

 この本の題名になっている「青べか」はここの芳爺さんにだまされて購入させられた「青いペンキの塗られたぶっくれ舟(たちの悪い舟」で土地のものからは軽蔑されていた舟だが、先生と呼ばれていた作者はこの舟を強引に売りつけられる。

 先生は当初この舟に見向きもしなかったが、子供たちがこの舟に石を投げつけて壊すのを見て、愛着の情が起こり、なんとかこの「ぶっくれ舟」を操作する方法を覚えて、江戸川の河口で釣りをして遊ぶことができるようになった。

 この小説は全体で33章からなり、それぞれが独立したエピソードになっている。その始めの章に「青べかを買った話」があって、この小説の導入部になっている。

 この「青べか物語」は小説と言ってよいかかなり迷うところだ。ルポと言っても間違いではなく山本周五郎氏はこの浦安の庶民生活を帳面に詳細に残しており、明らかに将来小説の素材にしようとしていたことが分かる。

 33の章ので出来具合は、サマーセット・モームの短編集のように完成度の高いものと、そうでないもののごった煮だ。
しかし読み始めるとやめられないのは昭和初期の日本と言うものの庶民生活が分かるからで、庶民と言うものがかなりおおらかで、かつ食わせ物であることを知ることができる。

注)なお、読書会の主催者河村義人さんの読後感がありますので、一緒に確認してください。私の評価とは正反対になっています。
http://yamazakijirou1.cocolog-nifty.com/shiryou/2010/11/221110.html

 

 

 

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(22.10.7) 文学入門 耕治人 「そうかもしれない」 「どんなご縁で」

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 今回の読書会のテーマ本は耕治人こう はると)氏の「そうかもしれないと「どんなご縁で」という短編だった。
私はいつものように耕治人氏をまったく知らなかったが、戦前から戦後にかけての詩人兼文学者で、私小説作家として著名な人だという。

 1988年口内炎のがんで亡くなっているが、その最後の1年間に認知症患者だった妻と耕治人氏との間で交わされた言葉や、自身の闘病記がこの小説の主題になっている。

 「そうかもしれない」とは耕治人氏が口内炎のがんで入院していた病院に認知症の妻が訪問した時に、「この人があなたのご主人ですよ」といわれてつぶやく言葉である。
そうかもしれないが私には夫かどうか分からない」という意味だ。

注)この時期耕治人氏の病状は悪化しており、最後の看取りとして認知症の妻を施設の人が連れてきた。

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 一方「どんなご縁で」は認知症が進み、夜失禁した妻の下の世話を耕治人氏(この時は耕治人氏はまだ入院していない)がするのだが、その時妻が言った言葉である。
どんなご縁でこんな親切な対応をしてくださるのですか?」という意味だ。

そうかもしれない」は雪村いづみ桂 春團治の主演で映画化され、雪村いづみが渾身の演技をしたと評判になった映画だそうだが、私は見ていない。

 ただこの短編を読んだ感想を正直に言うと、印象はあまりいいものではなかった。
一種の闘病記で、それを自分の周りに起こった事件というよりは日常を細部にわたって書いてあるのだが、そうした闘病記は今ではありきたりになっており新鮮な感覚で読めない。

注)もしかしたら1988年の段階でこうした癌や認知症の闘病記を発表するのは相当勇気の要ることだったかもしれないが、私には判断する材料がない。

 露骨な表現を許してもらえれば、癌も認知症も今では普通にある病気で年をとれば誰でもかかる病気だから、単なる老人看護の話の一形態に過ぎないのではないかと思ってしまう。
したがって当時は評判だったとしても、今では耕治人氏が残した小説は時代から遅れてしまい、読む人はほとんどいなくなったのではなかろうかと推定された。

注)現在耕治人氏の小説はほとんどが絶版になっている。

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 今回の読書会の対象ではなかったが「赤い美しいお顔」という短編が「そうかもしれない」と一緒に講談社の本の中に納められていた。
これは川端康成氏に師事した耕治人氏が、一途に川端氏を尊敬し「私だけの先生」とまで思慕する小説である。
ほとんど一方的な片思いの恋愛小説みたいだ。

 もちろん「赤い美しいお顔」とは川端康成氏の顔だが、あまりに思い入れが強すぎて、川端氏は辟易していたと思われる。
だんだんと川端氏が耕治人氏を避けるようになると、さらに思い入れが募り、最後は川端氏の些細な言葉で傷つき神経症になっていく様が描かれている。

 私にはこの「赤い美しいお顔」という短編が一番面白かったが、それは繊細すぎる人間がいかに精神的に崩れていくかよく分かるからだ
自分と川端氏を一体化すれば、すべての川端氏の言動が耕治人氏に向けられたことになるが、実態は川端氏と耕治人氏は別人格で、それぞれの人生を歩んでいるにすぎない。

 それを無理やり自分と川端氏だけの世界に限定して解釈して神経症になってしまうのは、心がか細すぎるからであろう。
最も詩人の素質はそのか細い繊細な神経にあるのだから、詩人としては一流でも、生活人としては精神病院で治療を受けるのも止む終えないと思われた。

注)その後耕治人氏は川端氏にだまされたと一方的に思って川端氏が死去した後、川端氏の家族を相手に裁判を起こし敗訴している。


なお、この読書会の主催者河村義人さんが、以下の詳細な評論を書いていますので参照してください。

個別具体的な「老い」(リンクが張っております)

 

 

 

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(22.9.8) 文学入門 藤原てい 「流れる星は生きている」

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 今回の読書会のテーマ本は藤原てい氏の「流れる星は生きている」で、この本を選んだのは読書会主催者の河村義人さんである。

 いつものように私は藤原てい氏もこの本も知らなかったが、読んでびっくりした。
藤原てい氏が新田次郎氏の妻で、この本にも登場する次男の正彦氏は数学者で「国家の品格」という書物を著し、最近は思想家としての側面が強い人だったからである。
調べてみると一族には学者や小説家が輩出しており、心理学でいう天才の家系と言っていい。

 この一族のなかで私が知っていたのは新田次郎氏と藤原正彦氏だけだったが、新田次郎氏の孤高の人槍ヶ岳開山は愛読書であり、また剣岳点の記八甲田山死の彷徨は映画を見て感動した。
藤原正彦氏の「国家の品格」には同意するところが多い。

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 今回のテーマ本の「流れる星は生きている」は昭和24年に刊行されているから私が3歳の時の作品だ。
日本が敗戦をした昭和20年からほぼ1年をかけて、満州の新京現在の長春)から3人の子供を引き連れ日本に帰ってくるまでの逃避行の記録である。

 私はこれを完全な記録として読んだが、念のため参照したWikipediaには一部には創作があると書いてあった。
しかしどこが創作部分か分からないので、すべてドキュメンタリーとして読んでいる。

 満州からの引き上げは、他の地域からの引き上げに比べて、日本人とって飛び切り過酷なものであったことは、かつて読んだ五味川純平氏の「人間の条件」や高橋和巳氏の小説で描かれていたので知っていた。
その最大の理由が、戦勝国がスターリンソビエトロシアであり、ロシア自体がとてつもなく貧しかったことと、スターリンが意図的に日本人の男性を強制労働、女性は性の労働に狩り出したためである。

注)スターリンのソビエトロシアはあらゆる人々に対して過酷な政体で、多くのロシア人、ドイツ人、そして日本人が犠牲になっている。

 一家は満州新京の観象台(現在の気象庁)に赴任した新田次郎氏について1943年に満州に渡り、1945年8月9日に日本に逃避行を開始したが、実際は約1年あまりの間、現在の北朝鮮の宣川で一種の収容所生活を余儀なくされている。

注)8月9日はソ連軍の侵攻が開始された日。いち早く軍属と官僚の家族には退避命令が下された

 この間新田次郎氏はソ連軍によって抑留され、藤原てい氏は長男正広(6歳)、次男正彦(3歳)、長女咲子(1ヶ月)を引きつれ、自身が鬼になることによって子供たちの命を救っている。

 私がこの本を読んで一種のやりきれなさを感じるのは、ここに出てくる人が本人を含めてすべての人が、生きるか死ぬかの瀬戸際で鬼になり、鬼になりきった人だけが生き延びたと言う「人間と言うものは最後はこうしたものだ」という悲しいまでの報告だからだ。

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 夫新田次郎氏に対する評価も散々だ。
新田次郎氏は新京からの脱出時に家族を先に旅立たせ、自分は観象台の残務整理をするのだが、それを「最後まで見栄と、ていさいのために、私たちを犠牲にしようとする夫に向かって、私はただ人並みの妻として涙を流すより仕方がなかった」と述べている。
私など新田次郎氏は立派な作家だと思っているので、ここで描かれる「見栄とていさい」だけの男の姿には衝撃だ。

 しかし藤原てい氏が描く日本人は自身を含めてすべてが利己的に振舞う。
特にてい氏は1ヶ月の幼児がいるため、この幼児のオムツの処理に四苦八苦するのだが、周りの大人たちはこの幼児のためのオムツを洗う水を惜しがり、また幼児がなくと「うるさい」と非難し、配給は子供には少なくあてがわれる。

 この逃避行の過程で大人は幼児を犠牲にし、強いものだけが結局は助かる。そうしたなかでてい氏はこの咲子と言う1ヶ月の幼児を助けるために、行商や、こじき女になり、また人のいい女性から金を巻き上げるすべを会得することで生き延びる。

 特にこの本に出てくる「かっぱおやじ」は印象的だ。自分が指揮する日本人集団だけの利益を優先して、他の集団のことを省みない。
てい氏の集団が「かっぱおやじ」の集団に援助を請うのだが、聞いたふりをしても出し抜いて自分たちだけで逃げてしまう。
俺の集団だけが生き延びるのだ」そうした生の人間の息吹を感じさせる人間性だ。

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 だがこうした人々も生活が安定していて新京で優雅に暮らしていたら、きっといいご主人でいい奥さんだったに違いない。

 1年余りの宣川での収容所生活の後、38度線の米軍キャンプ地に向けて決死の脱出を図るのだが、汽車は途中の沙里院までしか行かず、そこからは38度線目指して徒歩での脱出となったという。

注)日本の敗戦後38度線をはさんで北はソ連、南をアメリカが占領していた。

 雨の降りしきる泥濘の山道を靴も履かずに数十キロの山道を突破する時の記載は特に胸を打つ。
足には石が挟まり歩くことがおぼつかなくなり途中で幼児を人に預けるが、幼児はすぐに大人に見捨てられてしまう。
見捨てられた幼児に再会したてい氏は最後の力でこの幼児とともに川を渡るのだが、渡れたのが奇跡に見える。
こうした逃避行が数日続いている。

注)山道を裸足で歩けるのは常時裸足で歩いている人だけで、靴をはいた生活をしてきた人は石の上を歩く痛さに悲鳴をあげる。通常は歩くことができない。

 38度線に達し、生と死の境で米軍に助けられ、日本に帰ることができたのだが、この決死行は私が今まで知った決死行のなかで一番すさまじかった。

 この本は深く研究するに値する本だ。
人間が極限状況に追いこめられた時にどのような行動をとるかの生きた証言だし、人間がどこまで生命力を維持できるかの証言にもなっている。
読むことはとてもつらい本だが、多くの日本人が読むのに値する本であることは間違いない。

 なお、主催者の河村義人さんのレジュメは以下のとおりですので、合わせて参照してください。
http://yamazakijirou1.cocolog-nifty.com/shiryou/2010/09/2298.html

 

 

 

 

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(22.9.4) 文学入門 村上春樹 「走ることについて」

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 この本を私に紹介してくれたのはY姉さんである。Y姉さんはある日、本屋でこの本を見つけ「山崎さんに読ませたらきっと喜ぶに違いない」と思ってわざわざプレゼントしてくれた。

 村上春樹氏については当然小説家としての村上氏は知っており、昨年の6月には氏の短編小説「蛍」を題材に読書会をしている。
その時の印象は「何とも乾いたニヒルな作家」だというもので、正直言ってそれ以上氏の小説を読む気がしなかった。
だから氏の代表作である「ノルウェイの森」も「IQ84」も読んでいない。

注)「蛍」の読後感は以下のURLを参照。
http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-ed1e.html

 しかしY姉さんによると「村上春樹は相当のランナーでランニングに関する本も書いており、これがそれだ」という。
この本は小説ではなく、ランニングをテーマにした自伝で、村上氏の言葉ではメモワールとなっている。
小説家でランナーという取り合わせは何とも奇妙で「本当かい?」という感じで読み始めたが、読んで驚いた。

 村上春樹氏のランニング観や実際に練習している方法、それにその成果である記録、および体型、そして何よりもランニングと実生活の関係が(村上氏の場合は小説家としてのそれで私は定年退職者としてのそれ)、まったくと言っていいほど私と瓜二つだったからである。
なんだい、これは俺と同じじゃないか。一卵性の双生児みたいだ

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 どの位似ているかを列挙すると以下のとおりだ。

① 村上春樹氏 61歳 私 64歳  ほぼ同じ世代と言っていい。

② 体格: この本の中に写真が掲載されているが、ずんぐりむっくりの短足型で、下半身より上半身が発達している。これは私の体型とまったく同じ。

③ 練習方法: 月に300km程度走っており、決まった時間にほぼ毎日走る。これは私が現役時代に行っていた練習方法と同じ(最近は毎日というわけには行かなくなった)。

④ 記録:フルマラソンで3時間30分前後、100kmマラソンで11時間42分。私のフルマラソンの最高記録が3時間18分、100kmは11時間前後。両者とも平均的な市民ランナー。

⑤ 生活方法:決まった時間に決まったことを行い、そのリズムを崩さない。
村上氏: 朝3時間程度小説を書き、午後はJOGを行う。
私:朝清掃活動、午前中にブログを仕上げ、午後はJOG

⑥ 社会生活:人と酒を飲み交わしたり、集団スポーツをしない。個人生活を大事にしてスポーツは個人スポーツを好む。

⑦ フルマラソンで記録が伸びなくなってからの対応。
村上氏:トライアスロンに挑戦
私:超長距離ランに挑戦


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 これほどまでに村上氏と私が似た最大の理由は持って生まれた体型にありそうだ。ずんぐりむっくりの短足型の人間は、最大限努力をしても一流の長距離ランナーにはなれない。

 一流ランナーはまず体型で決まり、細身で体重が軽く、体全体に占める足のウェイトが大きい足長型で、頭が相対的に小さくなくてはならない。
ケニヤの選手をイメージすればすぐ分かるはずだ。

 村上氏や私のような体型の者はどんなに努力しても市民ランナーの勲章といえる3時間を切れない(きったランナーをサブスリーランナーという)。
だからある時から記録狙いは諦め、他人と競争するよりも自分が到達できた3時間30分程度の記録を維持してそれができれば満足することになる。

 それでもこの3時間30分を維持するのも並大抵のことでなく、月に300km、年間3600km程度の走り込みが必要で、このために人との付き合いをやめて、ひたすら練習に励む。

 その結果として生活は非常に規則正しくなり、体型は脂肪が取れてすっきりするが、付き合いがない分社会人としての評価が低くなる。
このバランスを回復するため、特殊な部門で才能を発揮しようとし、村上氏は小説家として大成した(私は著名でないブロガー)。

 この村上氏のメモワール「走ることについて」には衝撃を受けた。世の中には自分とまったく同じような人間がいるのだという驚きだ。
一方はノーベル文学賞候補で、私は単なる年金生活者に過ぎないが、そうした社会的評価を別にすれば、村上氏と私は一卵性双生児の兄弟だといってもよいほど似ている。

注)正確な本の題名は「走ることについて 語るときに 僕の語ること」

 

 

  

 

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(22.7.21) 文学入門 春宵十話 岡 潔

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 今回の読書会のテーマ本は岡潔(おか きよし)氏春宵十話だった。
岡潔氏は79年に他界した日本を代表する数学者だったが、生前多くのエッセイを書いており、春宵十話もそのうちの一冊である。

 死後岡潔氏のエッセイはあまり読まれることがなかったが、最近になって復刻本がだされ、これが評判になっていると聞いていた。

 今回この本をテーマ本に選んだのは私のかみさんである。

 岡潔氏の数学者としての業績は「世界の数学者がいどみながらも誰も解けなかったドイツのベンケ教授の出した多変数函数論についての三つの問題を、見事に解いてみせた」と前坂 俊之(ジャーナリスト)氏のブログに記載されていた。

 さて、この春宵十話という本はとても難しい本だ。文章そのものはやさしいのだが、はっきり言って何を言っているのかさっぱり理解できない。
天才はこのように考える」という独白みたいな本で、結論ははっきりしているのだが、その論証は通常の意味での論証になっていない。

 たとえば最初の「人間の情緒と教育」からかなり断定的だ。
すべて成熟は早すぎるより遅すぎるほうがよい。これが教育というものの根本原則だとおもう

 ところが今の教育は「人間性をおさえて動物性を伸ばした結果」「人に対する知識の不足が」「幼児の育て方や義務教育の面」に現れ「思いやりの心を育てるのに失敗している」という。

 何を言っているのか分かるだろうか。
私などは成熟が早くなったのは日本人の栄養状態がよくなったために成長が早まって、その結果男も女も大人になるのが早まってきためと常識的に思っている。

 確かに性的な成熟が早くなれば異性を意識するのが早まるので、勉強がおろそかになることは分かるが、これが意図的に教育で「人間性をおさえて動物性を伸ばした結果」とは言いがたい。
別に一方を抑えたり、一方を伸ばそうとしたわけでなく自然にそうなってきたと言うのが私の理解だ。

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   岡潔氏が何度もこの本で繰り返し述べているのは「情緒」で、「学問は情緒でする」と主張する。
その理由として大脳生理学の説明があり、交感神経と副交感神経の働きの説明から始まり、急に「感情に不調和が起こると下痢をするというが、本当は情緒の中心が存在し、それが身体全体の中心になっているのではないか」と結論づける。

 ここから岡潔氏は「学問は情緒だ」と言うのだが、情緒の中心が存在することの論証は「下痢をすること」だけだ。
いくらなんでもこれが情緒論の論証になるのだろうか」私ならずとも頭を抱えるだろう。

 私はこの本は天才岡潔はこう考え、こう感じたと言う本だと思っている。
他の人になぜそう考えたり感じたかの説明は一切しないで(一応はしているがまったく理解できない)、自分の思いのたけを語った本だ

 前述の前坂 俊之氏によると岡潔氏は相当な奇行の人物で、「絶えず数学のことを考えており、熱中していい考えが浮かぶと、散歩中だろうが、いきなり道端にしゃがみ込んで石や木を拾い、むつかしい数式を書き込んでは計算を始める。解けるまで、一時間でも二時間でもしやがみ込んで計算しており、道行く人は何事かと驚いた」という。
この辺までは私も理解できる。

 しかし以下の文章を読むと相当な奇人だと誰でも思うだろう。

「路上に字を書くならまだしも、だれもいない道で突然、大演説を始めたり、小1時間も電柱に小石をぶつけたりしていた」そうだ。

注)こうした奇行があったため、一時精神病院に入れられている。

 そして「講義のために数学教室に行くが、その手前に築山があり、そこの岩に小石を投げるのを日課にしていた。
 小石がうまく、この岩にのっかると、そのまま教室に入って数学の講義を行ったが、五、六回やってうまくいかないと、Uターンして帰宅してしまった」そうだから通常の常識で岡潔氏を理解しようと言うのが無理だ。

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岡潔氏は「学問は情緒だ」と言ったが、常識人にはなぜそうなのかまったく理解できない。
それでも天才の言葉は心を打つと言うところだろう。

注)岡潔氏と映画「ビューティフル・マインド」で出てきた天才数学者、ジョン・ナッシュは双子のようによく似ている。

 なおこの本で岡潔氏が述べている幼年期や学生期、それにフランス留学時期等のエピソードはとても興味を持って読める。
しかしそうした経験から帰納される抽象的な理論、とくに情緒論はとても同意できない。
 
 岡潔氏が確かに情緒で数学を行っていたことは確かだとしても、それなら過去の3大数学者、「アルキメデス、ニュートン、ガウスも情緒で数学を構築した」なんていえば言われた本人が目をむくだろう。

 
日本人一般が情緒的傾向があるということが事実だとしてもそれと数学とは直接関係がなく、ただ岡潔氏がそう思っていただけだというのが、私がこの本を読んだ感想だ。

注)いつものようにこの読書会の主催者、河村義人さんが感想文を記載してます。私の評価とはまったく異なりますので比較してみてください。
http://yamazakijirou1.cocolog-nifty.com/shiryou/2010/07/22722-a0f8.html
 
 



 

 

 

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(22.6.4) 人を恋うる歌 与謝野鉄幹

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「人を恋うる歌」は三高寮歌(現在の京都大学)として歌われているので、私も好きな歌の一つだが、本音を言えば意味がよく分からずに歌っている。
作詞者は明治・大正・昭和と活躍した詩人の与謝野鉄幹で、この時代の人はずいぶん難しい歌詞を作るものだ。

 私は四季の道の清掃をしながらよくこの鉄幹の歌を口ずさむみ、清掃活動のテーマソングにしているので、いくらなんでも意味も分からずに歌うのはまずいと思うようになってきた。

 どういう意味なのだろうか、調べて見る気になった。

 歌詞は全体で16番まであるのだそうだが、私が口ずさむのはそのうちの最初のいくつかだ。
Wikipediaで調べてみたら、1番から4番までは以下の通りだそうだ。

1.妻を めとらば 才たけて みめ美わしく情けある
友をえらばば書を読みて 六分の侠気 四分の熱 

2.恋の命をたずぬれば 名を惜しむかな男ゆえ
友のなさけをたずぬれば 義のあるところ火をも踏む

3.汲めや美酒うたひめに 乙女の知らぬ意気地あり
 簿記の筆とる若者に まことの男君を見る

4.あゝわれダンテ(コレッジ)の奇才なく バイロン・ハイネの熱なきも
 石を抱きて野にうたう 芭蕉のさびをよろこばず


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 この中で1番、2番、4番が主として歌われ、3番は歌われることが少ない。私自身は1番と4番しか歌わない。

1番は意味が分かりやすい。

妻をめとるならば 知性があって 美しく 優しい心根の女性がいい。
友達としては、学問に対する熱意があって 義侠心と情熱が6対4位の割合で有った人がいい


注)鉄幹の妻、晶子は間違いなく知性的で情熱的な人だったが、みめ麗しいかどうかは見ている人の主観に左右されそうだ。

2番は分かるようで分かりづらい歌詞だ。本当はよく分からないのだが、強引に現代訳すれば、以下のようになるだろう。

恋愛と言うものはどういうものかといえば、男の名が廃るような道に外れた恋愛をしてはいけない。
友人としての生き方は、信義を旨として そのためには火の中までくぐってもいい


注)与謝野鉄幹と晶子は道ならぬ恋をしていたので、この歌詞と実際は異なる

3番を無視して4番に移るが、この歌詞は読み方によって正反対になる。

私はダンテのような際立った才能もなく バイロン、ハイネのような情熱もないが (中国戦国時代の楚国の詩人の屈原が世をはかなんで懐に石を抱いて入水自殺をした古事にならい)私も懐に石を抱きながら(せめて屈原の精神をみならって)歌を歌おう。
そして芭蕉翁のいう深くかすかな趣に浸りたいものだ


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注1)
よろこばずの「ず」については、打消しの「」ではなく、意志をあらわす「むず」が中世以降「うず」にかわって、最後に「」だけになった用法。
この意味にとると「芭蕉のさびを喜ぼう」と言う意味になる


注2)一方最後の「芭蕉のさびをよこばず」を否定の「」と素直にとると「芭蕉の言うさびなんて下らないから無視する」と言うことになる。

 そうなると全体の訳は「私も懐に石を抱きながら歌をうたおう。しかし私は近代的な知性を愛するので、芭蕉の言うような古臭いさびなんて立場はとらない」と言うことになる。

注3)歌詞の中にはダンテではなくコレッジというものが有るが、この場合はイギリスの浪漫派詩人のクールリッジのこと。発音はコレッジとなるのだそうだ。

 私はとりあえず上記のような意味で理解したが、この歌の歌詞について深い知識のある方がおられて、「こうした意味なんだ」なんて教えてくださるとありがたいものだ。

 なお、「人を恋うる歌」のメロディーを知らない方は、以下のYou Tubeをクリックすると聞くことができます。

http://www.youtube.com/watch?v=f4ox-_b5ONI

 

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