(20.10.22) 有吉日枝(ひえ)神社の秋祭り
有吉日枝(ひえ)神社はおゆみ野地区では最も由緒ある神社の一つで、社殿も境内もとても趣のある好きな神社だ。
この神社で19日(日)秋の大祭が行なわれた。
私は昨年からこの日枝神社の秋祭りに行ってみたいと思っていたが、あいにくマラソンレースとかちあってしまい行くことが出来なかった。今年は坐骨神経痛が痛んでいるためマラソンレースは最小限にとどめたので、初めてこの大祭を見ることができた。
ここには自治会や地区の関係者が出店をしており、おゆみ野クリーンクラブのメンバーの小太郎姉さんやシオン姉さんも雑貨店の出店をしていた。
「お祭り専用の品物を扱う特別な店があって、そこから仕入れてきたのよ。何かよく分からないものがいっぱいあるの」小太郎姉さんの説明である。
議員の福谷さんが所属するおゆみ野女性の会もスイトンの出店をしていた。こちらについては福谷さんの「福谷章子のまちづくり」〔リンクが張ってあります〕に詳しい。
秋祭りにはカラオケ大会や、お囃子、餅投げ、有吉中学校の吹奏楽の演奏等が用意されていてなかなか盛況な祭りなのだが、私は「おゆみ野の森」の活動とかち合ってしまい、残念なことに一部しか見ることが出来なかった。
「餅投げのもちをついたり、ビニールに包んだりする作業が大変なの。子供達と一緒に数日前から準備が始まるの。大変だけどやってみると面白いのよ」小太郎姉さんの話である。
日枝神社は何時創建されたかも分からないくらい古い神社で、おそらく有吉の集落が出来た頃に同時に守り神として祭られたのだと思う。
この地は有吉南貝塚と言われるように、縄文時代から人が住んでおり、周囲の崖際にはうずたかく貝殻が積まれている。
縄文海進の頃はちょうど高台の下あたりまで海がせまっていたらしく、魚介類が主要な食料だった縄文人にとって格好の集落を形成する場所だったらしい。
その後海が後退するにつれ、この高台の周辺の低地は格好の農地に変り、ちょうど登呂遺跡のような農地が広がっていたのだろう。
古墳時代、古代、中世までこの高台に人が住んでいた遺構が残っている。その後は現在の有吉地区に人が移り住むようになり、この日枝神社の一帯は神の住む地として神域に変わったというのが私の想像である。
この日枝神社の南側のおゆみ野道に沿って小川が流れており、大百池(おおどいけ)につながり、さらに東京湾に注いでいるが、この川はかつては村田川の支流だったらしい(今は別々に東京湾に流れ込んでいる)。
この小川の水が中世の有吉地区や刈田子地区の農民にとって死活の水だったらしく、何度も水争いが発生しているので、おそらくこの日枝神社の境内に村人が集まり、村の取り決めがなされたはずだ。
「なんとしても、おらたちの水を守るべえ」
「うんにゃ、少しは水を下のものにもわけにゃ、なるめぇ」
そんな話し合いがされたと思われる由緒ある場所のお祭りは、何時までも守って行きたいものだ。
秋祭りの写真を掲載します。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/20101902?authkey=QSnPjgxeZYs#
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