(23.1.24) ちはら台のトントンエコマラソン

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 今年も晴天の中、23日の日曜日にちはら台のトントンエコマラソンが開催された。
このマラソン大会は元々はちはら台南中学校の冬の行事を地区に広げて毎年開催しているもので、今回で9回目になると言う。

 参加者もどんどん増えて特に小学生の参加が急増していた。総勢で600名を越える参加だからたいしたものだ。
私も所属しているちはら台走友会はこの行事に全面的に協力しており、Y会長の号令で今年も15名のメンバーが運営にはせ参じた。

 私の役割は最後尾を自転車で走って安全等を確認する役割だったが、競技種目が12種目あったので走友会のメンバー5人で分担して行った。
風が強くちはら台南中学校の校庭は砂ぼこリが立っており最後尾の自転車隊は砂まみれになったが、中学生も小学生も一般の大人も砂塵をものともせずに走っていた。

 競技は午前中いっぱいで終わり、競技を終えた走者はトン汁で身体を温めた。この日は、静かにしていると底冷えのする一日だった。

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これはファミリーの部のスタート

 私の住んでいるおゆみ野でも3年前から四季の道駅伝を開催しており、次の日曜日が開催日だ。
私はこのトントンエコマラソンの運営に参加して、駅伝や子供達のレースのノウハウを教えてもらったのだが、特に遊歩道にテープを貼って誘導する方式はここで学んだ。

 走友会のY会長が「石灰だと後の処理が大変で、一方テープならばすぐに剥がれるから簡単だ」と教えてくれたからである。
もっとも雨が降ったりして地面がぬれている場合はテープはまったく張り付かないので、この場合は止むなく石灰で線を引くことになる。

 ちはら台ではスタート・ゴールちはら台南中学校になっており、また駅伝の走者の引継ぎもグランドの中で行われるのでとてもコンパクトな運営ができる。
応援者も中学のグランドに集中して集まっていた。

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小学校低学年のマラソン

 おゆみ野では四季の道を一周するので、約6kmの間の交通整理をしなけれんばならないのでかなり大変だ。
しかしいづれにしても地区の住民が協力してこのような、マラソン大会を開催できるのは喜ばしいことだ。

 ちはら台もおゆみ野も若い町であり子供達が大勢いて大会を盛り上げてくれる。多くの古くからの団地では老人所帯ばかりで、マラソンなんて夢のまた夢のような場所が多いのだから、恵まれていると言えそうだ。

 知り合いのジャズダンスの若いお母さん方もリレーに参加して華やいでいた。
山崎さん、ここよ。ダンスチームから二組出るの

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一般駅伝の入賞チーム

 走友会のY会長がグループメールで以下のような感想文を書いていましたので転載いたします。。

 トントンエコマラソン協力員のみなさん、ご協力ありがとうございました。

おかげさまでにぎやかに大勢の元気いっぱいの大会となりました。
わらわれの支えが大いに大会に貢献したと思います。
小学生、中学生、一般、全部で約620名の選手が走り、歩いたそうです。
史上最高です。
特に小学生があふれんばかりにグラウンドを埋め尽くす姿は圧巻でした。
その分、ゴール後ごったがえして、着順が全員には行き渡らず、かわいそうな子もいました。
次回は男女別に2~3分あけてスタート、の方向で検討します。
いずれにしても、みなさんのおかげで無事に運営できたことがなによりでした。
ありがとうございました。

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Y会長の競技説明

 

 

 

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(22.12.31) ちはら台走友会のお礼参りRUN 大宮神社・日枝神社・平山薬師

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 今年もちはら台走友会お礼参りRUNが実施された。
この企画は走友会きっての篤信のマッスルさんが企画するのだが、ちはら台、おゆみ野周辺の神社仏閣をRUNしながら、「1年間無事に走らせてもらった」ことの御礼をするものだ。
今年はいつもより多くのメンバーが参加し8名で、20箇所程度の神社仏閣におまいりをした。

 ちはら台からおゆみ野にかけて、古くからの集落の守り神や、立派な神社やお寺があり、私も最初このRUNに参加したときは驚いたものだ。
今回は12時半にちはら台を出発して、再びスタート地点に戻ったのは4時半だったから都合4時間のRUN で、おおよそ25kmの距離だった。

 この近在で私の好きな神社仏閣は、ちはら台の大宮神社、おゆみ野の日枝神社、それと平山の平山薬師だ。

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(ちはら台の大宮神社

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日本全国の著名な神社が合祀されている

 ちはら台の大宮神社はちはら台の守り神のような存在で、とてもユニークなのは日本の著名な神社を合祀しているので、ここ一箇所で日本全国の神社をお参りしたような気分になる。
またここから見た村田川沿いの景色は秀逸で、天気がよければ夕日とシルエットになった富士山が見える。

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(おゆみ野の日枝神社

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(日枝神社の御神木

 おゆみ野の日枝神社はおゆみ野に古くからあった有吉集落の人々の守り神だが、いまではおゆみ野の住民の守り神のような存在になっている。
この地は高台にあり縄文人の住居跡が発掘されている。かつての縄文海進の時代はこの下まで海が迫っていたので、縄文人はこの高台に住んで貝や魚類の採集をしていたのだろう。
この高台からも富士山がとても良く見える。

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(平山薬師の階段)

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平山薬師

 平山薬師は外房線の線路を挟んでおゆみ野と反対側にあり、鎌取駅からは2km程度はなれた場所にある。
おゆみ野は新興住宅地なのだが、ここ平山は昔ながらの千葉の田園風景が広がっている。
この薬師はご利益があらたかだとの評判で、多くの老若男女がお参りに来ている。
正月の飾り付けがこの界隈では一番華やかで、いかにも正月を迎えるという雰囲気がとても好きだ。

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金城寺

 今年1年、怪我もせず100kmマラソンやフルマラソンを走れたのだから、普段はまったく信心深くない私も丁重にお礼をしてきた。
1年の終わりをこのようなお礼参りRUNで締めくくるのは、とても気持ちの良いものだ。

 

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(22.12.24) ちはら台走友会のクリスマスRUN

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コスチュームを決めてさあ出発だ

 今年も23日の天皇誕生日の日に、ちはら台走友会クリスマスRUNが行われた。今年で5回目だ。
クリスマスRUNとは、走友会のメンバーがサンタクローストナカイに変身して地区の子供達にお菓子のプレゼントをする行事だ。
私は昨年に続いてトナカイさんだ。
サンタクロースがやってきたよ。プレゼントがあるよ。みんな集まれ」大声で子供達を集める。

 ちはら台走友会はこの地区のかずさの道を練習コースに使用させてもらっているので、その感謝の気持ちをこめて子供達にお菓子を配っている。
費用はこの地区のイベントに売店を出して稼いだ売上金があてられる。

 昨年は600個のお菓子を用意したが足りなかったので、700個に増やすことにした。
いつものようにコスチュームを決めて、あらかじめアナウンスしていた公園めがけて駆け出したが、今年は昨年のように子供達がいなかった。
あれ、どうしたんだろう・・・・意外だな・・・・・

 公園にいた子供達の数が少なかったので、まだたっぷりとお菓子が残ってしまった。
思案していたら、私達の後をついてきた子供が、「○○公園に行くと子供がいるよ」と教えてくれた。
今までは主としてかずさの道に隣接する公園でお菓子を配っていたが、ちはら台は人口急増地区であり、公園もいたるところにできている。
その子供の後について新興住宅地の公園めぐりをすることになった。
ぼくはちはら台のことは何でも知ってんだ」とても頼もしい案内人だ。

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この二人がちはら台のことを何でも知っている水先案内人

 ここちはら台では最近できた開発地区が多いのだが、このちはら台に古くから住んでいる走友会のメンバーでも新興地区に行くのは初めてだという。
イヤー、こんなに住宅が増えているんだ」驚いていた。

 この日は快晴で、温度も非常に高くとても12月下旬とは思われない陽気だった。
物知りの子供について公園めぐりをしたら、用意したお菓子が全部なくなった。
いやー、よかった。なくなるもんだな・・・・・」見事完売だ。

 プレゼントを配り終わった後は、お菓子のゴミが道に放置されていると困るので清掃作業を行った。
意外にお菓子のゴミはなく普通のゴミをかなり拾って、かずさの道の清掃作業になった。

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この公園で待っていた子供達

 私はいつもちはら台走友会の地区に対する奉仕精神には感心している。
こうしたクリスマスRUNの他にも、清掃活動をしたり、トントンエコマラソンの交通整理をしたり、地区のイベントには必ず補助員や出店を出して参加している。
完全に地区に根ざしたランニングクラブで、単に走るだけを目的にしないのがすばらしい。
ちはら台走友会の活動を見ると、地区とのかかわりをどのようにして実践すればよいか分かるので、とても勉強になる。

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(22.12.6) 長柄町一周駅伝と通信回線のトラブル

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 今日はブログの作成が不可能かと思っていたが、すんでのところで作成ができた。実は昨日からインターネット・エックスプローラが動いてくれない。
5日のブログはネットカフェから稼動させたが、それ以降の分についてどうしようと頭を悩ませていた。

 私が使用しているネット環境はソフトバンクのフレッツ光ネクストなので、早速ソフトバンクのカスタマーサービスに泣きを入れた。
20分ぐらい待って電話がつながり、やれ嬉やとばかり説明をし、何回かのテストをした結果、ソフトバンクのルータに問題がありそうなことが分かった。

 私はこのような場合を想定して前に使っていたNTTのルータを保存していたので、そちらでテストをしてみるとうまくつながったので、ソフトバンクの新しいルータがくるまでは昔のスタイルでこのパソコンを動かしている。

注)ただし、我が家にある2台のパソコンのうち1台しかこの方法では動かない

 そんな訳で首の皮一枚で動いているので今日も何とかブログの更新ができた。

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 今日(5日)は長柄町で一周駅伝大会が開催された。6区間約27kmの距離である。昨年はインフルエンザで大会が中止になったので2年ぶりの大会だ。
ただし出場チームは2年前は69チームだったのに、今回は41チームに減っていた。
何か他のイベントとぶつかったのだろうか、特に高校生のチームが1チームととてもさびしかった。

 しかしでてきているチームはいずれも強豪で、特にトップの山武消防Aチームなどは、大学駅伝の選手が走っており飛びぬけて速かった。
ちはら台走友会からは2チームが参加してAチームは総合10位、私が参加したBチームは総合34位だった。

 走ってみると分かるが中学生といえども馬鹿にできない。私などは女子選手に軽々と抜かされてしまうし、1位から10位の間に5チームも中学生が入賞しているのだから大したものだ。

Dscf2027ちはら台走友会AのYさんの力走)

 この日はほぼ快晴で気温も暖かい小春日和だったので走りやすかった。この長柄町のコースはアップダウンが激しく、特に2区と4区は箱根の登りみたいな箇所がある。
私は相対的に走りやすい3区、約5kmを走ったのだがそれでもあごが上がった。

 正直言うが64歳にもなると若者と一緒になって走るのはことだ。
しかしこの駅伝を止められないのは、限界に近い速度で走れるからで、駅伝以外でこんなにまじめに走ることはない。
いつものことだが走友会のメンバーと楽しく走れてとても幸せだ。



(22.12.8追加)この駅伝を同じグループで走ったマッスルさんが一文を寄せてくれました。

 ところで、我々ロートル(老頭児)も負けてはおれぬ。
というのも先般5日(日)、近在の長柄町で駅伝大会が開催され、これに出場したのだった。

長柄町というのは、私の家からは20分足らずで、全く静かな農村のたたずまいで、私の好きな町(村?)である。
ここで行われた駅伝大会は第52回であり、昨年のインフルエンザ騒ぎでの中止を除けば、昭和32回から毎年開催されてきた、由緒ある(?)町内大会なのだ。

 この大会で、5kmを必死に走りぬいたのは置いておくとして、私にとっては感動する出会いがあった。
私の走った区間は、水上小学校から大崎電気システムズの横を通って、長柄町役場までの最終区だったが、出走までの時間が有余るほどあったので、大崎電気までゆっくりウォーミングアップしている時だった。

 途中に立派な石碑が建っていた。
大田實顕彰碑とある。

 碑の横に説明文があって、そこに記されていた文章を何気なく読んだ私は、全身に緊張が走った。
こんなにも凄い方が、近在におられたのだ。

 走るのがちょっと辛くて嫌だななどと思っていたダレた背筋がピーンと伸びてしまった。

海軍中将 大田 實
大田 實君は明治二十四年四月七日、父彌三郎 母乃ぶ の次男として長柄町高山に生る。
大正二年海軍兵学校を卒業後陸軍歩兵学校において歩兵戦術を修得 海軍陸戦の権威であった。

昭和七年上海事変には上海陸戦大隊長として出征、同十四年海南島攻略陸戦隊指揮官、同十七年ミッドウェイ攻略陸戦隊指揮官、次いで連合陸戦隊司令官としてソロモン方面作戦に殊勲をたてた、昭和二十年一月戦局愈々急を告げるや選ばれて佐世保警備隊司令官から沖縄方面根據地隊司令官となり部下一万名を指揮し陸軍十万を率いる第三十二軍牛島満司令官と一体となり軍官挙げて沖縄防衛に任じ米軍の重囲の中に善戦敢闘七十余日再三の転進懇請にも拘らず那覇南方小祿の海軍陣地を死守し遂に昭和二十年六月十三日午前一時「身はたとえ 沖縄の辺に朽つるとも 守り遂ぐべし 大和島根は」の辞世を口ずさみ残存部隊に後事を託し従容として自決された。

特に六月六日夜発信の海軍次官宛の訣別電報は島田叡知事に代わって県民の献身的協力状況をつぶさに伝え「沖縄県民カク戦ヘリ 県民ニ対シ 後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」と訴えた々の悲願は世界戦史上不朽の電文であり 終戦後二十七年沖縄県の祖国復帰に伴い本土の人々の心を南方同胞援護に向かわせる指標となっている。

好文威武聖戦の必勝を祈念して祖国の為一身を捧げられた郷土の先覚者太田 實君の功徳を偲んで永之に顕彰を讃ふるものである。
昭和四十八年六月十三日
   級友 日本国防協会長 保科 善四郎 撰

 
 帰宅してすぐに大田中将について、インターネット検索をしてみた。
知らなかったのは迂闊だった。
Wikipediaによれば、『穏やかで包容力に富み、小事に拘泥せず責任感の極めて強い人物で、いかなる状況に遭遇しても一言の不満も漏らさず人を誹謗するような言行動は絶えてなかったといわれる。』
とある。加えて

 『自決する直前の6月6日に海軍次官宛てに発信した電報は余りにも有名である。当時の訣別電報の常套句だった「天皇陛下万歳」「皇国ノ弥栄ヲ祈ル」などの言葉はなく、ひたすらに沖縄県民の敢闘の様子を訴えている。』

長くなるが最後の電文の要約を添付する。

 『沖縄県民の実情に関して、権限上は県知事が報告すべき事項であるが、県はすでに通信手段を失っており、第32軍司令部もまたそのような余裕はないと思われる。県知事から海軍司令部宛に依頼があったわけではないが、現状をこのまま見過ごすことはとてもできないので、知事に代わって緊急にお知らせ申し上げる。
沖縄本島に敵が攻撃を開始して以降、陸海軍は防衛戦に専念し、県民のことに関してはほとんど顧みることができなかった。にも関わらず、私が知る限り、県民は青年・壮年が全員残らず防衛のための召集に進んで応募した。残された老人・子供・女性は頼る者がなくなったため自分達だけで、しかも相次ぐ敵の砲爆撃に家屋と財産を全て焼かれてしまってただ着の身着のままで、軍の作戦の邪魔にならないような場所の狭い防空壕に避難し、辛うじて砲爆撃を避けつつも風雨に曝さらされながら窮乏した生活に甘んじ続けている。

しかも若い女性は率先して軍に身を捧げ、看護婦や炊事婦はもちろん、砲弾運び、挺身斬り込み隊にすら申し出る者までいる。

どうせ敵が来たら、老人子供は殺されるだろうし、女性は敵の領土に連れ去られて毒牙にかけられるのだろうからと、生きながらに離別を決意し、娘を軍営の門のところに捨てる親もある。

看護婦に至っては、軍の移動の際に衛生兵が置き去りにした頼れる者のない重傷者の看護を続けている。その様子は非常に真面目で、とても一時の感情に駆られただけとは思えない。

さらに、軍の作戦が大きく変わると、その夜の内に遥かに遠く離れた地域へ移転することを命じられ、輸送手段を持たない人達は文句も言わず雨の中を歩いて移動している。

つまるところ、陸海軍の部隊が沖縄に進駐して以来、終始一貫して勤労奉仕や物資節約を強要されたにもかかわらず、(一部に悪評が無いわけではないが、)ただひたすら日本人としてのご奉公の念を胸に抱きつつ、遂に‥‥(判読不能)与えることがないまま、沖縄島はこの戦闘の結末と運命を共にして草木の一本も残らないほどの焦土と化そうとしている。

食糧はもう6月一杯しかもたない状況であるという。

沖縄県民はこのように戦い抜いた。

県民に対し、後程、特別のご配慮を頂きたくお願いする。』

こう打電された直後、大田少将(後に中将)は自決された。

大阪府の橋本知事も大田中将のこの最後の言葉を引用され、『沖縄普天間問題は、日本全体の人が向き合うべき問題であり、今こそ大田中将の特別のご配慮に報いなければならないのではないか』と言われている。

奥様もご子息も立派な方達だった。
戦後、国から石碑建立の申し出があったとき、「多くの方が亡くなられた中で、主人の碑のみを建てるのは忍びない」と固辞したといい、また孔の開いた黒い頭蓋骨が戻ってきた時も、「多くの部下の遺骨が不明のままだから」と、自宅近くの墓でなく、最後に自決した近くの場所にご主人を埋葬したという。

娘さんは、米国人と結婚後渡米したが、日本軍幹部の娘ということでさんざんいじめられ、パンも買えない日々を過ごされたらしい。
後日、小渕恵三首相が「大変でしたね」と声を掛けられたら、「父の苦労に比べたら、大したことはありません」と泣き崩れたという。

12月8日、くしくも今日は日本が昭和16年1:30、真珠湾攻撃およびマレー作戦を開始した日である。
周辺の中国、北朝鮮では極めて不穏な動きが続いている。

大田中将の碑に直立して、沖縄で本土決戦を迎えられた人々や、苦難の中で戦った兵隊達を思うと、今の苦難など足元にも及ばない。

日本の将来、そして平和のために、我らは何をなすべきか、大いに考えさせられた。


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(22.10.26) ちはら台走友会のサンライズLSD(ロング・スロウ・ディスタンス)

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 今年もちはら台走友会サンライズLSDが実施された。
このレースはちはら台から外房の白子浜までの片道34km本納駅経由のため少し遠くなるが直線では29km)をメンバーが各自の走力に合わせて走破するレースで、今年は14名が参加した。

 目的地のサンライズホテルに泊まって、このホテルの名物である太平洋から登る朝日を眺めて翌日は直線距離の29kmを走って帰る。

 私は最近スロウJOGばかりしていたが、LSDとはいえメンバーは思いっきり飛ばすので久しぶりに身体に活を入れることができた。
目一杯走るときは一人ではとても無理で、一緒に走る人がいるとつられて走りきってしまう。

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 このところの長距離走が効いているみたいでスタミナは一向に切れなかったが、初日は足がややもたついた。
私より若干年配のSさんも私たちと一緒に走ったのだが、本納駅近くで側溝のふたに足を引っ掛けてころび、顔と足をひどく打撲してしまった。

 実は私も含めて老人ランナーの最大の弱点は足を高く上げることができなくなりすり足になってしまうことだ。
それも段々と疲労してくると、意識では足をあげていてもほとんど地面の上をなすっているような走りになる。

 フラットな場所ではそれでも問題はないが、側溝の出っ張りなんかがあるとつま先を引っ掛けて転んでしまう。
通常はかなりひどい打撲になり、老人ランナーが競技から引退する最大の原因になっている。

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 このような災難を予防する方法は2つで、常に意識的につま先を挙げてかかと着地を志すことと、上半身を鍛えて倒れても手で顔や足をカバーするようにすることだ。

注)ランナーにとっては手より足が大事で、手を犠牲にして足を守らなければならない。

 幸い私は上半身が丈夫で、日常的に腕立て伏せなどをしているので、転んでも手がすりむけるだけで決定的なダメージはほとんどない。

 今回は両日とも秋風の吹くとても気持ちのよい日和だった。途中にはコスモス畑があったり、またサンライズホテルから見た日の出はとても美しかった。
また土気でおゆみ野ランナーズのメンバーがLSDを行っていたのに会ったので、互いに挨拶を交し合った。

 体調は絶好調で、これなら11月末のつくばマラソンで待望の年齢別順位100番ランナーズと言う雑誌が、その年に開催されたマラソン大会のタイムを集計して、日本人の年齢別ランキングを発表してくれる)を狙えそうだ。

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 なお、このサンライズLSDはちはら台走友会の一大イベントになっており、エイドサポートがしっかりついてくれるのでとても助かる。
なんとも楽しい両日だった。

 

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(22.10.6) ちはら台走友会のオクトーバー・ラン

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 毎年この時期になるとちはら台走友会オクト-バー・ランが始まる。
10月の1ヶ月間でどれだけの距離を走りこめるかを競うランで、10月に十分練習ができれば冬のシーズンでよい成績が可能になる。

 通常サラリーマンの走行距離は1ヶ月間300km程度が限界で、これ以上走りこんでいる人はよほど練習熱心な人だ(正確に言うと仕事をほっぽりだしても走っている人)。
しかもこのオクトーバー・ランではみんなが競争して走りこみをするので、1位になる人は500km前後走ってしまう。

 私はさすがに500kmは走ることはできないので、目標を400kmと定めた。
私は通常おゆみ野からちはら台にかけての13km周回コースを走るようにしているので、1ヶ月間休まずに走ればほぼ400kmになる。

 しかし実際は雨の日だとか、体調が悪いとか、用事があったりして毎日走るのは不可能だ。
したがって400kmに到達するためには一時期にかなりの長距離を走るようなことをしなければならない。

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 こうした場合、私は江戸川葛西臨海公園から関宿までの往復120kmの練習ロードを走ることにしている。
自転車と人間の専用ロードなので自動車にぶつかる心配はない。
前回走ったときはこの120kmを22時間かかったが、今回は20時間程度で走りたいものだ。

 朝走り出して翌日の朝までかかり、その間夜寝ないで走るのだが、私は24時間走を何回も経験しているので、夜寝ないことについてさして苦痛に思わない。

よし、今回は400km程度走って、走友会の中で3位程度の走行距離にしよう

 今シーズンはいくつかの目標を設定している。
一つは年齢別日本ランキング64歳100番になること、それと萩往還250km2日間で走る)を完走することだ。

 100番になるためにはフルを3時間40分程度で走る必要があるが、63歳時は3時間53分で、154位だった。
 萩往還は過去3回走ったが、途中の休憩所で寝込んでしまって完走していない。最初の24時間で150km程度走れば、後の24時間で100kmは確実にこなせそうだ。
そのためには江戸川の120kmを20時間程度で走りたい。

やまちゃん、がんばれ、10月は精一杯走りこみをしよう!!!」

 何はともあれ、10月の練習で400km程度走って体調を整えることにした。

 

 

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(22.9.29) ちはら台走友会の尾瀬登山 至仏山

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(遠くに見える山が至仏山

 毎年2回程度ちはら台走友会では登山を実施しており、今年の登山は夏は南アルプス北岳、秋が尾瀬の至仏山だった。

 総勢7名であり、山好きのOさんがいつも計画を立ててくれる。
ちはら台を朝の3時に出発して沼田側の大清水まで自動車で入ってそこから登山を開始する。
幸いなことに8時ごろから歩き出すことができたが、この日(25日)は午前中は雨模様だった。

 私は尾瀬には過去2回行ったことがあり、1回目は家族登山、2回目は単独行だった。
家族登山は約30年前になるが、子供が6歳と4歳であり、かみさんを含めて4人でヒウチが岳2356m)に登った時は「よくこんな小さな子が登山できるわね!!」といわれたものだ。

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尾瀬が原の木道。この場所の木道は古くなっているがほとんどの場所が良く整備されている

 今回登る至仏山にはなぜか登山をしていなかったので一度は登っておきたかった山だ。
尾瀬沼まではなだらかな登りと下りが続き、尾瀬沼から尾瀬ヶ原にかけてはほぼ平らな標高1400mの高地を歩くことになる。

 尾瀬は日本の自然保護の発祥地と言ってよく、木道がよく整備されて尾瀬沼も尾瀬ヶ原も保存されているが、何か昔来た頃に比較すると尾瀬ヶ原の乾燥が進んでいた。

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チトウ

 私のかつてのイメージは尾瀬ヶ原一帯にはチトウが散在し、みずばしょうの花が咲き誇ってたのだが、チトウが少なくなり、なにか普通の草原のような雰囲気だ。
それでも霧がでて木々がかすんで見えるさまは、やはり尾瀬だと思う。

 25日の午後からは晴れて、とても気持ちのいい登山になった。雨の場合は木道がすべるので下ばかり見て歩かなければならないので、木道が乾くといっぺんに気持ちが晴れやかになる。

 当日は山の鼻の至仏山荘に泊まったのだが驚いてしまった。
風呂があり(ただし石鹸類は使用できない)、寝具は暖かく、トイレはウォシュレットで食事は街のファミレス並だった。
登山でこんな場所に泊まっていいのだろうか」Oさんが言ったが、私も心底驚いた。

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至仏山の山頂付近

 翌日(26日)は至仏山2228m)に登って鳩待峠におりそこからバスで戸倉ここから自家用車の乗り入れを禁止している)までおりた。
至仏山の登りはほぼ直登だが、木道が整備されているので案外登りやすい。
ちはら台走友会のメンバーも楽々登っていた。

 帰りは温泉に入って汗を流すこともでき、とても気持ちのいい登山になった。
一泊二日の登山だったが、走友会の登山はメンバーが自動車を出してくれるのでこうした時間を短縮した登山ができる。
かつて家族や一人で登山していた頃はどうしても二泊三日はかかったのだからずいぶん楽だ。

また来よう」と山好きのOさんが全員に誘っていた。

 

 

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(22.9.27) ちはら台走友会の8時間走

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 今年も恒例のちはら台走友会8時間走を20日の休日に実施した。
朝7時にスタートして午後3時まで走るのだが、コースはかずさの道の往復8kmである。

注)ちはら台にはかずさの道という自動車道とまったく交わらない片道4kmの遊歩道がある。

 今年はひどい猛暑が続き、この日も日中は30度をこして、しかも湿度が非常に高かった。
こうした日は長距離ランには向かないのだが、日程を変えるわけには行かない。

 走友会のメンバーは30名強いるのだが、今回の出席者は17名だった。
参加者には練習熱心なメンバーが多い。

 朝のうちはそれでも涼しかったのだが、11時ごろから非常に暑くなった。
スピードも落ちてくるし、のどは渇くし、「ヘロヘロ」状態になる。
それでも懸命に走ったのは来年の萩往還250kmのレースを見据えて、長距離走の感覚を身体に覚えこませたいからだ。

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メンバーのSさんの力走)  

 長距離走ではペースを維持し、できるだけ体力の消耗を避けて淡々と走るのがコツだ。
誰かと競って途中でスピードを上げたり、落としたりするといっぺんで体力を消耗してしまう。

 4周程度までは何とかペースを維持していたが、段々と暑さに負けてきた。
こうなると暑さ対策が必要になる。
長年の経験から手ぬぐいを帽子の下にかぶり、後頭部に直射日光が当たるのを避ける措置をする。

 それでも暑く日差しが強い場合はこの手ぬぐいを水に浸して後頭部を冷やしながら走る。最後は身体全体に水をかぶって、水冷式の身体になって走る。

 ちょうどこのコースの真ん中あたりに公園があり、そこに水道があるので全身に水浴びをしながら走ることになった。
子供が私の仕種を不思議そうに見ている。

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コースの折り返し点

 走友会きっての快速ランナーのMさんが飛ばし、その後を等速ランナーの私がついていくという構図になった。
当初は8kmを50分前後で走ったが、最後は1時間10分程度かかり、よれよれになったがそれでも合計で64km走ることができた。

 この時期の長距離走としてはまずまずの成果だ。
終わると全員でかずさの道で宴会が始まった。私は酒は飲まないのでジュース類を飲んでいたが、メンバーは気持ちの良い人が多いので実に楽しいひと時だった。

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(22.7.26) ちはら台走友会の夏山登山 南アルプス北岳

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(間ノ岳方面から見た北岳

 今年のちはら台走友会の夏山登山は南アルプスの北岳と間ノ岳だった。
毎年この時期に金曜日の夜に出発し、2泊3日ただし車中1泊)で夏山登山をすることが恒例になっている。

 総勢17名の登山でなかなかにぎやかだ。朝一番に麓に着いて登山を開始する。ルートは広河原から大樺沢を登って二俣から右俣コースをたどって北岳に登り、その日は北岳山荘に一泊する。
翌日は間ノ岳をピストンして八本歯のコルを下って広河原に下りるコースだった。
北岳登山ではとてもポピュラーなコースだ。

 車中一泊にするのは走友会のメンバーが現役のサラリーマンが多く、休日しか休みを取れないからである。
私は当初金曜日の夜から出かけ、この車中一泊するのに慣れなかったが、今回で4回目なのでこのパターンにすっかり慣れた。
まあ、車の中で眠れなくても死ぬようなことはない」そんな感じだ。

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北岳山荘から見た富士山

 北岳は日本で第2の高峰で3193mある。これ以上は富士山しかないので一度は登ってみたい山だ。私は過去2回この山に登っており、登山道から見た北岳バットレスの雄姿に感動したものだ。
いつか、あのバットレスをロッククライミングしたいものだ」若かった頃はそう思っていたが、そうした機会が訪れる前に年をとってしまった。
今は誰でも歩ける登山道を歩いて山を楽しんでいる。

 北岳のコースは慣れているつもりだったが、バットレスを除いてほとんど記憶に残っていなかった。約30年前の登山なのだから無理もない。その頃は広河原までタクシーが入っていたが、今は麓の芦安でバスに乗り換えなければならない。
自然保護の観点から自家用車の乗り入れを禁止している。

 この北岳や間ノ岳は中央線沿線から見ることができ、夏でも雪が残っていて遠くからでもそれだとよく分かる。
とても雄大で美しく、高山植物の多い山だ。

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八本歯へのトラバースルート

 走友会のメンバーもずいぶん登山を楽しんでいた。リーダーのOさんはマラソンもなかなかのものだが、登山の方がはるかに経験が豊かだ。
国体の登山競争の審判員なんかもしていて、そうした方面では名の知れた人である。

 北岳は走友会が過去に登った剣岳や槍ヶ岳と違って特に危険な場所があるわけではないが、日本第2の高峰だけあって、それなりにタフだ。
北岳山荘の従業員が夕食の時に挨拶していたが、その時「八本歯からの下りは雪渓が多く残っており、最大傾斜度45度で、落石も多く、場合によったら雪渓の穴に落ちるので、アイゼンを持っていない人は近づかないように」との注意を受けた。

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(雪渓の下り。アイゼンは履いていない

 これには困った。私たちは全員アイゼンは持っていないが、帰りのコースは八本歯から下りることにしていた。もしこのルートがたどれないと、再び北岳に登ってからの下降になる。時間も体力もいる。
本当にそんなに危険なのかい?」
昔歩いた時に特別危険だとの記憶がなかったので不思議だった。

 他のメンバーもそう思っていたらしく、総勢17名中15名はこの警告を無視して八本歯コースをたどり雪渓を下りることにした。自己責任だ。
しかしこのコースは実際はかなりタフだった。
延々と木のはしごが続き、それが終わると大樺沢の大雪渓が現れた。

 私自身、雪渓は久しぶりだったのでさんざん転んでしまったが、ほとんどのメンバーが悪戦苦闘していた。
最も転んでも2m程度で止まるので、下まで落ちることはない。
おかげで広河原に下りたときはくたくたになってしまった。

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 今回の登山中に2回も救助のヘリコプターがやってきたのには驚いた。
2回とも二俣から右俣に分かれた場所で、どう見ても事故が起きるような場所でないところで骨折したのだという。

 救助のヘリコプターが来たのを通常の報道ヘリと勘違いして、リーダーのOさんが大きく手を振って挨拶したのだが、救助ヘリが救難信号と勘違いしてOさんの上まで来て旋回してしまった。
救助ヘリに手を振ってはいけないな」Oさんの述懐だ。

注)今回始めて救助ヘリの活躍を目の辺りで見たが、夏山のポピュラーな登山道では登山客が多く、ヘリからは誰が救助を求めているのか分からない。
登山客は救助ヘリと報道ヘリの区別がつかないので、手を大きく振って挨拶するので、これが救助依頼と混同されてますます救助が難しいらしい

 今回は天候もよく紫外線が強かったが、写真は目いっぱい撮ることができた。またしばらくの間はこの写真をブログに掲載できるので、嬉しくなってしまう。

 

 

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(22.5.24) ちはら台走友会の青葉の森リレーマラソン

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(スタート。11番がちはら台走友会のエース 小栗さん

 千葉市の青葉の森公園で毎年開催されている青葉の森リレーマラソンは年々盛んになっているらしい。
このリレーマラソンはフルマラソンの距離を、10名以内の選手一周約2kmの距離をタスキリレーして競う競技で、今回の参加チーム数は220チームだった。

 主催者は、どうやら220チームで足きりをしているようで、ちはら台走友会は当初3チームで申し込みをしたのだが、2チームしか参加が認められなかった。
私のよく知っているおゆみ野リリーズも今回は抽選漏れだったといっていたので、競争率はかなり高くなっている。

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ちはら台走友会のテント。雨だったのでテントがないと体がひえてしまう

 今日(23日)はあいにくの小雨模様でレースの間中小雨がぱらついていた。最も走るほうから言えば小雨ぐらいがちょうどいいので、反対に太陽が燦燦と降り注いでいたりすると、暑さで脱水症状になってしまう。

 ちはら台走友会の2チームは早いチームと、それ以外という組み合わせで、早いチームは上位入賞を狙っていた。ゼッケン番号は申告タイム順で早いチームは11番、遅いチームの番号は89番だった。

 結果は早いチームが総合で12位クラブ別では2位2時間37分でゴールした。遅いチームは3時間8分90番台だった。

注)この競技では総合10位までの表彰と、この10位までを除外して、クラブ部門や男女混合部門等の表彰が行われる。

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ちびっ子ランナーも大人にまじって走っているが、なかなか速

 私は遅いチームのメンバーなのだが、約2kmを8分13秒から34秒の間で走っていた(3回走った)。
最近はかなり真面目なトレーニングをしており、ウルトラマラソンや、スピードプレイの練習もしているので、いつになく持久力とスピードが復活してきている。
今年の目標が、フルマラソンの年齢別ランキングで日本で100番以内を目指しているので、気持ちの持ちようが違うみたいだ。

 しかしいつものことだが、このリレーほど面白いものはない。個人走だとどうしても苦しくなったら手を抜いてしまうが、団体のリレーでは目いっぱい走ってしまう。
普段は絶対に走れないようなスピードで走れるので、終わった後の満足感が違う。
そうか、まだまだスピードも出すことができるんだ

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仮装ランナーも楽しいものだ)

 走友会のメンバーも楽しげに走っていた。他にも知り合いの四季の道ランナーズおゆみ野NASのメンバーが走っていた。
何か千葉近在のランニングクラブが総出のような大会だった。


(別件)

ここおゆみ野の地で昨日(23日)から花器展が開催されています。場所は苅田郷でこの近辺では珍しい農村風景の残っている場所です。


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花を待つ花器 ~作家の花器と生け花展~
期日:2010年 5月23日(日)~5月29日(土)
時間:AM11;00~PM5;00 期間中無休
場所:苅田郷内 ギャラリー凌雲洞(りょううんどう)
   千葉県千葉市緑区刈田子町13番地  
   043-235-7757(開催中問い合わせ先)
主宰:苅田郷 代表 髙梨

※26日(水)のみ、生け花の展示はありません。


陶芸家が1点1点心をこめて創り上げたエネルギー溢れる土もの(つちもの)の花器に、苅田郷に自生している葉物をふんだんに利用した生け花が花器を飾ります。花器は主に栃木県益子や茨城県笠間、千葉県に在住する作家が創った花器で、水盤、筒型、壺、不定形な形のものから小瓶に至るまで、いろいろと取り揃えてございます。皆さまのお越しをお待ちしております。

 

 

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