(21.11.9) Googleさん ありがとう

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 Googleさん、ありがとう。私ほどGoogleに感謝している人もいないのではないかと思う。それくらい私はGoogleのお世話になっている。
Googleのおかげで、記憶力に障害のある人も、自由にブログが書けるからだ。

 実は私には後天的に受けた記憶障害があり、特に長期の記憶が常におぼろげになってしまう。
記憶の限界はほぼ1週間で、それ以上経つと人の名前地名や、記憶のディティールが薄れて、すべてアバウトの世界になる。

 会社にいた頃検査官だったのだが、2週間から3週間ほど出張して帰ってくると、同僚の名前をほとんど忘れているのには難渋した。
仕方がないので、そっと名簿表を出して名前の再確認をしてそれから会話を始めなければならなかった。

 特に上司で役職で呼んでいる場合はまったく名前を忘れてしまい、「お宅の部長は誰でしたっけ」なんていわれると、大ピンチになったものだ。

 私が記憶障害になったのは幼児期の母親の教育にある。私の母親は極度に教育熱心で、しかもすぐに切れる性格だった。
小学校1年~2年生の頃、母親の前に正座させられ、国語と算数の予習、復習をさせられるのだが、少しでも間違うとピンタを食らうので緊張が高まってしまい、手から力が抜け鉛筆を握ることができなくなった。
注)ダグラス・グラマン事件の国会の証人喚問で日商岩井の副社長がサインができない場面があったがそれである。

 鉛筆をすぐ落とすので再びピンタをくらい、「なぜ、鉛筆を持たないの」と叱責を受けた。
鉛筆がもてない」と泣き声で訴えたが、再びピンタをくらって、「お前は勉強がいやだから、そうして逃げる」と言われ、手足を縛られて押入れに閉じ込められたものだ。

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 それが毎回のパターンだったのだが、極度の精神的緊張が続くと頭が壊れてしまうらしい。
おばあちゃんが見かねて「そんなに子供をしかると馬鹿になるよ」と仲裁してくれたが、仲裁が入ると母親はさらに興奮して私を殴りつけたものだ。

 勉強と言っても小学校の1~2年生のレベルだから、記憶力だけを使ったものだったが、その記憶力を司る海馬のどこかに精神的傷が残ったらしい。
その後、私は物を覚えることが極度に苦手になった。

 人の名前を忘れてしまうので、鬼ごっこなんかは最悪で、「○○ちゃん、見つけた」と言うことができない。私は小学校の5年までいじめられっ子だったが、この記憶障害のせいだったと思っている。

 また漢字などは、小学校6年生の時にようやく1年生レベルの漢字を覚えていた位で、学校の教科書はまったく読めず、ひらがなばかりが教科書にふられていた。

 さすがに中学生になれば自分の弱点が分かってきたので、普通の人の数倍の努力でこの記憶障害をカバーするようにしてきたが、いまだに漢字を間違えてしまうのはそのせいである。

 しかし、本当にうれしいことに昨今は記憶力をそれほど求められない社会に変わってきた。インターネットGoogleさえあれば知りたい情報はたちどころに集まるし、うる覚えの内容を確認することもわけもない。

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 私は記憶(メモリー)に障害があるが、判断力や分析力(CPU)はまったく正常なので、データさえ集まればたちどころに評論や論文が書ける。
記憶が悪いと言っても長期記憶が問題なので、さすがに1週間程度は覚えているから、ブログを書くのには支障がない。

注)会社員だったころ、ある会社の分析ですばらしいものがあった。いったい誰が書いたのだろうと思って名前を見たら、自分だったので驚いてしまった。私は自分が書いたものも忘れてしまう。

 ブログを見た人から「山崎さんは物知りですね」と言われることが有るが、実情は以上の通りで、まったく物知りではない。
すべてはGoogleのおかげである。

 私がこうした本来ならば隠しておきたいことを公開するのは、私のような幼児期に虐待を受けてそれが精神的な傷になっている人がいたり、あるいは子供をどうしても虐待することをやめられない人がいるからである。

 私はこのブログのカテゴリーシナリオ ぼくが生きたとき」(リンクが張ってあります)で幼児期の経験を公開しているが、上記のようなトラウマに悩まされてたり、虐待をやめられない人には、是非読むことを薦めたいからだ。
特に虐待を受けてきた人とっては「同じような経験を持つものがいて、それでも63歳まで生きてこれた人がいる」のだから、きっとその人が生きるのに役立つと思っている。

重要な注意:それ以外の人が読むことは薦められない。内容が暗いのと、また通常の人にはありえない経験だからだ

 

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(21.9.6) ふるさとは近きにありて思ふもの 八王子市  

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 私の故郷は東京の郊外、八王子市である。かつては絹織物も町として知られ、町には機屋(はたや)が数多く存在し、私の父親も一時「しまかい」という絹織物を東北の呉服店に販売する卸と行商の中間のような仕事をしていた。

 江戸時代は八王子市は宿場町で、甲州街道沿いに多くの宿場が立ち並んでいたと思うが、私が物心ついた頃には目抜き通りには呉服店が立ち並んでいた。
もっぱら栄えていたのは甲州街道沿いで、一方八王子駅は甲州街道からかなり離れた場所で、現在とは違い駅周辺は閑散としていた。今から約50年前のことである。

 私はこの町を大学卒業以来離れ、その後この町に立ち寄ることが非常にまれになった。父母はこの町で暮らしていたのだが、正月に1回家族全員が集まる行事以外に立ち寄ることがなかったからだ。

 それが母親が腰椎の圧迫骨折をして寝込んでしまったことから、兄弟全員で母親の面倒を見ることになり、毎週1回2泊3日の予定で八王子の町を訪れるようになった。
頻繁に八王子に来るようになってから、不思議なもので昔の記憶がよみがえり始めた。

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 現在母親が住んでいる場所は暁町というのだが、この町を流れる浅川をはさんで八王子駅と反対側にある。
昔は浅川の北側は雑木林と農家しかない町の郊外だったが、その後町の乱開発が始まり、母の家もその一角にある(父親は10年以上前に他界した)。

 暁町そのものは道路整備が整わないままに家が立ち並んでしまったような場所だが、幸いに近くに小宮公園という都会の公園とは思われないような静かな公園があり、また北島三郎が住んでいる北島御殿というビバリーヒルズにあるような邸宅もある。

 母の看病の傍ら、小宮公園や浅川を走り回っているうちに、八王子の町が再びしっくり来るようになってきた。
やはり、ここが故郷か」という感じだ。

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 浅川は昔は機織で使用する染料が流れ込んでいたためいつも紺色ににごり、また下水道も整備されていなかったためどぶ川のような流れだった。
子供の頃、この浅川で水遊びをしたが、学校からは「不衛生なので、浅川で泳いではいけない」と注意されたものだ。
ちょうど中国や東南アジアの河川をイメージすれば当たる。

 この浅川が清流に変わっていたのには驚いた。母の家に行くためには浅川大橋を渡るのだが、ここから見た浅川は実に美しい。
流れは決して深くはないが、大きな鯉が悠然と泳いでいるのが分かる。
私はこの鯉を見るのが好きで、いつもしばらく鯉を眺めている。

 私の小さい頃この浅川のイメージアップのために金魚を放流したことがあった。川に金魚がいるのはなんとも不思議だったが、数年でこの金魚は絶滅した。当時の水質ではとても金魚が生息できるような環境でなかったからだろう。

 浅川といえば台風の後の浅川の流れはすごかった。普段は川幅3分の1程度の水量しかないのだが、台風の後は川幅いっぱいにあふれんばかりに濁流が流れていたのを覚えている。
台風が過ぎた後はこの浅川の濁流をあきもせず眺めていたものだ。

 母親の看病のおかげで、何か古い昔の記憶がやけによみがえってしまった。
室生犀星は「ふるさとは遠きにありて思ふもの」と歌ったが、私のような即物的な人間は近くにないと故郷は思わないらしい。

 

 

 

 

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(21.8.28) 高校柔道部の同窓会

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(現在の母校。建て替えられて美しくなっていた

 先日(22日)高校柔道部の2回目の同窓会が行われた。私たちが高校生だったのは45年以上も前のことだからほぼ半世紀前のことになる。
集まったのは8名で昔の話に花が咲く。

 同窓会のいいところは現在の地位や立場に関係なく、45年前にタイムスリップしてしまうことで、たとえ頭髪がどんなに薄くとも気持ちは高校生になる。
オマエの背負いはどうだった」とか内股の切れが悪かった」とか、ああだ、こうだと言い合っているうちに若かった高校生の自分がよみがえる。

 私のいた高校は都立の進学校で、柔道部はお世辞にも強いとは言えず、私立の強豪チームにいつもぼろ負けだった。
相手高は対戦相手がわが高校柔道部だと知ると、「これは楽勝だ」ということで二線級の選手を出すほど余裕があったものだ。

 もっともそこまでなめられてしまうと、当方としても一矢を報いなければ男が立たないので、私などは高校生がほとんど使用しないかにバサミという奇襲戦法でめでたく一矢を報いたものである。

 当時高校柔道部の練習場は戦前からの建物(現在は建て替えられて残っていない)の一角にあり、掃除はするものの漆喰がぼろぼろ落ちてきて埃っぽいことこの上なかった。その上柔道着はほとんど洗濯をしないので臭さを通り越していた。

 男臭さだけが売り物(本当に臭かったのだ)の柔道部員は、同級生の女性たちからは見向きもされなかったがその理由が分からず、「女は男を見る目がない」などとうそぶいていたものだ。

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 毎年の夏の合宿は実に面白かった。最終日にはコンパ場で打ち上げ会が行われるのだが、合宿のときだけ現れる先輩が酒を振舞ってくれた。
もちろん青少年が酒を飲むのは違法なのだが、当時はそうした規制はあってなきがごとくだった。

 酔って罵声をあげて、戦前から引きつがれきたエロ歌を歌うのだが、あまりの騒々しさに回り近所の住民からクレームがついた。
お前たち、いい加減にしろ。うるさいぞ・・・・・・・・」壁の向こうから大声がする。

 先輩の一人が私に言った。
オマエ、あんなことを言われて黙ってていいのか。主将だろう・・・・言い返して来い
オッス、行ってきます

 壁の前に立っていったものだ。
前たちこそ、うるさいぞ、つべこべ言うな!!!」

 壁の外の住人は完全に頭に来て警察に通報し、コンパ場に警察官がやってきたときは心底驚いた。
周りの住民から苦情が出ていますので、静かにしてください
当時の警察官は粋だったから酒を飲んでいることはお目こぼしをしてくれたようだ。

 思えば高校生が酒を飲んでエロ歌を歌っても許してくれた時代だった。
今だったら校長が責任を取って辞職しなければならないだろう。

 そうした古きよき時代を思い出したひと時だった。

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(21.3.18) 速読について

 最近極端に速読の必要性が増してきた。一番の理由は私が好んで経済評論を書いているからで、ここに来て金融恐慌関連の本格的な図書が目白押しに出てきた。

 当初は新聞記事インターネット週刊誌月刊誌程度まで目を通していればよかったのが、図書まで次々に現れてくるとこれも一応目を通したくなる。
図書は時間をかけて書いているので、相応のレベル内容になっているのが普通だ。
きっと、私が知らないことが書かれているのだろう」とりあえず買い込むことになる。

 しかし、図書1冊を読むとなると相応の時間が必要で何か一日中資料と格闘するようになってしまった。
こりゃ大変だ。何とかならないものだろうか

 私は専門の学者ではなく、清掃活動をしたりマラソンパソコンを教えたり、1日1回はJOGをしたりしている単なる定年退職者だ。
それが経済評論を書いているのは、当初はブログネタがなくなったからであり、最近は経済情勢の変革が「100年に1度」と言われているくらの激変なので、「せっかく生きているのだから、当時生きていた人がどう思っていたか記録に残しておこう」と思ったからである。

 いわば鴨長明や吉田兼好のような気持ちなのだが、さて本格的な図書を読むとなると時間と体力の勝負になる。
早く、確実に内容を把握できないものだろうか

 昔私がやっていた速読の方法は「漢字とカタカナと数字だけを追っていく」という方法で、確かにこれはすばらしいスピードで読めるのだが、残念ながら「何が書いてあるか」はわかっても「何が参考になるか」までは分からない。

 最近している方法は「目次選別法」で、目次でみて私が知りたいところだけ読む方法である。これはかなり効果的なのだが、書物には全体との関連があり、一部だけ読んでも分らないことがある。
また書物の内容が低いと目次で選んだ箇所は正しいのだが参考にならない。
だからこれも必ずしも十分な効果をあげているとはいえない。

 誰か先に読んだ人が「これはいい本だ」といってもらえると参考になるのだが、最近は読んだ人の評価と私の評価が分かれることが多い。

 そして何よりも問題なのは私の記憶力が極端に悪く、かつ書かれている内容の判断に一定の時間がかかると言うことだ。
私の脳は瞬間的判断ができず、サッカーやテニスの審判など絶対に向かない
読んで覚えているなんてことはまったくないのと、読んだことを反芻して文字に落としてみないと内容の把握ができないことが多い。

どうしたらいいんだろう
読んだはしから忘れる記憶力と亀のような遅い判断力(亀は決断するまでに30秒程度常にかかる)で経済評論を書いているのだから、並みの苦労ではない。

 目の前に山と積まれた経済恐慌関連の書物を見ながら、私独自の速読法を編み出したいものだと苦吟している。

 

 

 

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(20.12.30) 平成20年度の回顧 私にとってのこの1年

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 毎年年末になると「この1年が自分にとってどのような1年だったか」振り返っている。
すでに62歳になり、体力的にはかつての自分には及びもつかないが、それでもまだ身体が動いてくれていることに感謝している。
毎日、柔軟体操やJOGを欠かさずやってきたことの効果があるようだ。

 また頭も同様らしく、ブログを書く習慣が根付いてからはや2年以上経つが、トレーニング効果があり、一部ボケが始まっているがその程度で収まっている。

 毎日ブログを書くとなるとその日のテーマ探しにまずおおわらわになる。自分の経験程度だとたちどころにブログは完成するのだが、最近書くようになった経済評論などはかなりの準備が要り、時間がせまってくると新聞記者の締め切り時間みたいに胃が痛む。

 しかし今年の1年はとても新鮮な経験をすることが出来た。特に小学校パソコンの特別講師や、マラソンのトレーナーなどは得がたい経験だ。
小学生を相手にパソコンを教えたりマラソンの走り方を教えていると、すっかり自分も若返ってしまう。実年齢よりも何か20歳ぐらい若い気持ちだ。

 今年1年を振り返ると以下のとおりだ。

① 小学校関連

・ パソコンとマラソンの教師になった。小学生に会って「あ、先生だ」といわれるとなんとも嬉しい。

② 地区のボランティア関連

・ クリーンクラブのメンバーが12名になっている。私のテリトリーは四季の道なので、ほぼ毎日清掃活動をしているが、各メンバーもとても熱心に清掃活動をしてくれている。

・ おゆみ野の森の草刈もほぼ毎月行なってきた。ほおっておくとどうしても荒れてくるので、この森の環境を何とかして維持したいと思っている。ここには森を愛するお父さんやお母さんが集まってくるので、そうした人たちと一緒に活動できるのは幸せだ。

・ 四季の道駅伝大会のプロジェクトが立ち上がった。私もメンバーの一員なのでこれを機会に子供達がマラソン好きになってくれることに期待している。

・ 落書きの消去活動も何回か実施している。特に年末が近づいてきた頃から地区の落書きや破壊活動が増えだした。これは悩みの種だ

③ マラソン関連

・ 今期はレースへの参加を出来るだけ減らしている。この5月の川の道252km以降は基本的にレースには出ないことにしていたが、それでもハーフ1本とフル1本走ってしまった。全てを止めるという訳にはなかなかいかない。

・ 個人レースの参加は少なくなったが、ちはら台走友会として出る駅伝レースや、九十九里浜までのJOGには参加した。特に駅伝レースはとても面白かったので、今後とも参加していきたいものだ。

④ 文芸関連

・ 河村さんが主催している読書会に参加している。最近は小説類を読むことが少なくなっていたので非常にいい経験だ。自分では一生読むことがなさそうな小説を読めるのが得がたい

⑤ ブログ関連

 私は知り合いにブログを作成することを進めている。私以外のブログを4つ立ち上げて、私がそのブログの管理者になっている。若干の管理業務が必要だが、時間は十分にあるので苦にならない。

・ 私自身のブログでは積極的に評論を書くようにしている。これは自分に対するトレーニングとして実施しており、60年以上この世に生きた証として世の中の動きを確認し、それを少しでも分かりやすく解説できたらと思っている。
いわば去り行くものの後世に対する最後の勤めのようなものだ。



 こうして今年1年が過ぎ行こうとしている。1年間このブログと付き合ってくださった方には、心から感謝をこめてメッセージを贈らせていただきたい。

 良い、お年を。また来年もよろしく。

 

 

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