(20.6.1) ちはら台の朗読会

おゆみ野四季の道」のテーマソング。以下のファイルをダウンロードすると曲が始まります。
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 ちはら台コミュニティーセンターでおこなわれている朗読会がまた今年も開始された。2ヶ月に1回のペースで年6回朗読会がおこなわれる。
コーディネーターYさんが「また今年も継続できたのは、こおして皆さんが参加してくれるおかげです」と感謝の言葉を述べていたが、今回も30名余りの参加者がいた。

 この朗読会平日(金曜日)10時からほぼ2時間かけておこなわれるので、もっぱら定年退職者か、この時間に仕事が入っていない主婦が対象になる。年齢層はかなり高い。
男性は少なく今回も常連の3名だった。私はコーディネーターのYさんからいつも開催通知のメールが入るので、参加することにしている。

 今回は趣向がかわって、読み手は4名主婦の方だった。ちはら台で幼児や小学生に童話や絵本を読み聞かせているグループのメンバーで、話し方がとても上手なのはいつもそのようにして話を聞かせているからだろう。

 童話は、① ネコとクラリネットふき るのひとりごと としょかんライオンの3話だったが、子供だったら確かに興味深深で聞くだろうと思われた内容だった。

 特に の「としょかんライオン」はなかなかの傑作で、図書館好きのライオンと規則だけにうるさい図書館長の女性とのやり取りが笑わせる。
ライオンがいるのでおお騒ぎになっても「ライオンが図書館に来てはいけないと言う規則はないのですから、きてもかまいません。ただしうるさく吠えたり走ったりすることは許しません」と言う訳だ。

  「さるのひとりごと」を話した女性は、話の内容をまったく暗記しており、それを方言でたくみに話すのにはびっくりした。私のように三歩歩くとすべてを忘れる人間からすると脅威的にみえる。

 童話もそれなりに楽しめたが、正直に言えば60歳を越えた人間に童話を聞かせるのはやや無理がある。童話はやはり幼児や小学生のように感受性が豊かな子供に聞かせて価値があるもので、老人にはやはり退屈だ。
かみさんにそお言ったら「パパさんは最近幼児化しているからちょうどいいんじゃないの」と言われてしまった。

 童話以外には、川上弘美氏の「夜のドライブ」という30分程度の朗読があった。読み手はYさんで相変わらず上手だ。
私は川上弘美氏を知らなかったが、1996年に「蛇を踏む」と言う作品で芥川賞を受賞しているという。

夜のドライブ」は互いに一人暮らしの母親と娘が、誘い合って温泉旅館までドライブし、その夜中に寝つかれなかった母親が、娘に「夜のドライブ」を誘うと言う話である。

 それだけの話で、小説としての盛り上がりや、心の葛藤はまったくない。「ただ夜中にドライブをしました」と言う話だ。
これが小説なのだろうか」考え込んでしまった。

 川上氏のこの作品は「伝えるべき内容がなくても小説として存在できるか」という前衛的な作品だが、こおした抽象絵画のような作品は年長者には向かない。
かつて旧ソ連のフルシチョフ前衛絵画を見て「これはロバの尻尾で書いたのか」と言ったが、そんな印象だ。

 やはり朗読会では、前々回の平岩弓枝氏の「ちっちゃなかみさん」のように思わず泣いてしまうような作品がふさわしい。あの時は私は声を出して泣きそうになり懸命に口を抑えたほどだ。周りの女性たちも目頭を押さえていた。

 朗読会では時間の関係から短編小説を取り上げることになるが、短編小説は短い筋の中に凝縮してメッセージをこめなければならないので、長編小説より難しく、これはと言う作品が少ない。
平岩弓枝氏のようなすぐれた短編小説家はいるが、なかなか朗読会にふさわしい本を見つけることができない。

 そおした実情は知っているが、次回はしみじみとした小説を聞かせてもらいたいものだと思っている。


別件)おゆみ野の街の散策者を募集しています。


① 日程  6月1日
② 時間  午前9時半から12時まで
③ 集合場所  鎌取駅改札口(ここに齋藤さんと私がいます)
④ 散策コース

・四季の道(夏の道) ここでケヤキ並木の剪定がされたがその後の経緯について確認する。

・泉谷公園  森および菖蒲園の散策  植生について齋藤さんのレクチャーあり

・泉谷公園 川沿いの道  あずまやや水車小屋が放火や破壊されたが、その後の経緯について確認

・苅田郷  時間があればここまで足をのばす。時間がなくなれば学園前駅で解散。

⑤ 雨の場合は取りやめ(別途日にちを設定する)

 



 

 

 

 

 

 


 

 

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(20.3.30)朗読会に参加した

おゆみ野四季の道」のテーマソング。以下のファイルをダウンロードすると曲が始まります。
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 先日(27日)、ちはら台のコミュニティーセンターで行なわれている「目から耳から本の世界へのいざない」という朗読会に参加した。
この朗読会は2ヶ月に1回の割合で開催されている。

 今回のプログラムは、伊集院 静氏の「陽だまりの木」だったが、私自身は伊集院 静氏もまた「陽だまりの木」も知らなかった。
この朗読会のよさは、自分がまったく知らない作者の小説に触れられることだ。

 コーディネーターのYさんが「この時期にふさわしいテーマとして、かなり前からこの本の朗読を決めていました」と紹介していた。
読み手は私もよく知っているHさんだったが、トレーニングをよくしたと見え、なかなかのできばえで朗読を楽しめた。
Yさんが「Hさんは、山崎さんを凌駕したのではないかしら」と言っていたが、そのとおりだと思う。

 「陽だまりの樹」という題名は、手塚治虫氏の漫画にもあって、そこでは「陽だまりの樹は一見立派な枝振りで立っている木だが、中身が空洞化している」という意味に使われていた。幕末の徳川幕府を揶揄(やゆした言葉である。

 伊集院 静氏の「陽だまりの木」も同じ意味かと思っていたらまったく違っていた。

 この小説の主人公は65歳になり、今まさに定年を迎えるサラリーマンである。妻に先だだれて一人で暮らしている。
当初は町工場に過ぎなかった会社が、主人公が定年を迎えた時には押しも推されぬメーカーに成長していたが、主人公自身は会社が大きくなるにつれ会社の方針とあわなくなり窓際に追いやられている。

 しかし、本人はたとえ窓際の仕事でも誠実にこなしてきたが、今まさに定年を迎えた時、後輩から「本当に長い間ごくろうさまでした」と言われたことから自分の人生を問い直す行動が始まる。

たった、それだけの、それだけの言葉で済むことでしかなかったのか
そして、主人公は過去40年間、通勤電車の車窓から見ていた高台に静かに凛として立っている陽だまりの木に会いに行こうと決心する。

 この場合の陽だまりの木は実はひたすら誠実に生きてきた彼自身のシンボルであり、それゆえ主人公の気持ちを陽だまりの木に聞いてもらいたい衝動に駆られるのだ。

 しかしその木は存在しなかった。実は数日前にこの高台の家の取り壊しと同時に、近くの公園に移設されていたのだが、当初その事実に気づかなく、主人公は悲嘆にくれる。

 しかし、ようやく陽だまりの木が存在していることが分かり、公園に行って喜び勇んでその木の下で一日過ごすのだが、そこで小さな町工場の少女に出会う。
そしてその町工場を覗くことによって、彼は昔の小さかった町工場で懸命に働いた自分をおもいだし、この工場に再就職を果たそうとするところで、この小説は終わる。

 陽だまりの木とはかれ自身であり、高台の一等地から、工場が密集している公園の一角に移されたが、彼自身も小さな工場に自分自身を見出すと言うストーリーだ。

 この小説の朗読を聴きながら、あまりに自分自身の経験と乖離していることに驚いた。同じなのはいずれも出世しなかったと言うことだけで、後の行動パターンはまったく異なる。

 私にも後輩から「本当に長い間ごくろうさまでした」と言われたが、実に素直な気持ちで聞いたものだ。
やれやれ、これで気苦労の多かったサラリーマン生活が止められる。楽しい毎日が始まるぞ」そう思ったものだ。
だから、「たったそれだけの言葉で・・・」なんて思う主人公の気持ちが理解できなかった。
本当にそう思うだろうか。伊集院 静氏はサラリーマンを知らないのではないか

 しかしGoogleで検索してみると、意外とこの「陽だまりの木」の評判はいい。主人公に感情移入している人が多いのだ。

うぅーん、うなってしまった
私の方が異質で、主人公のように「それだけの言葉で評価されては心外だ」と思うのが普通なのだろうか。

 これは世の中の定年退職者の方にその時の気持ちを聞いてみるのが一番だと思われる。


 定年退職のときに「長い間ごくろうさまでした」と言われてどのような気持ちになりましたか。

 



 

 

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(20.1.2)ちっちゃなかみさん

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 驚いた。珠玉の短編小説と言うものがあった。平岩弓枝氏の「ちっちゃなかみさん」である。
最もこれを知ったのは本を読んだからではない。朗読会で知ったのだ。

 ちはら台のコミュニティーセンターで年に6回行なわれる「目から耳から 本の世界のいざない」の一環として先日(1月31日)行なわれた朗読会のプログラムである。

 朗読をしたのはちはら台に住んでおられる主婦の方で、おそらく2ヶ月間に渡って特訓したはずだ。
読み間違いもほとんどなく実に立派な朗読だった。
あえて言うと登場人物ごとの台詞を、その人物になりきって話すことに物足りなさを感じたが、これは実際にやってみると難題中の難題なので、求めるほうが無理かもしれない。

 さらに私が感心したのはこの本の短編小説としての完成度であり、またこの本を朗読会用として選定したプロデューサの眼力である。
この会は実質的にちはら台の鬼軍曹が仕切っているのだが、鬼軍曹の小説を見る目は確かだ。

 今回の「ちっちゃなかみさん」は短編小説としてのつぼを完全に押さえた名作だ。
私は平岩弓枝氏の本を読んだことはなかったが、今回の朗読会で聞いて平岩弓枝氏を知らなかったことを恥じた。

 短編小説だから筋はいたって簡単である。

 向島で3代続いた料理屋、笹屋の一人娘、お京が一方の主人公である。お京は今年で20歳になった。江戸時代だから嫁ぐのが少し遅いくらいだ。両親は縁談でやきもきしている。

 一方お京はしっかり者の看板娘として店をきりもりし、親は手を出すすきもない。そして縁談話をすべて断る。自分では思う人がいるのだと言う。

 相手はかつぎ豆腐売り信吉といい、いたって評判のいい男だが、親から見れば、単に店に出入りしているかつぎ豆腐売りにすぎない。しかも娘は新吉とまともに口を利いたこともなく娘の片思いのようだ。

 新吉と夫婦になれなければ一生独身ですごすと言う娘の言葉に両親は大慌て。さっそく新吉の身辺調査を始めると『ちっちゃなかみさん』がいるという。

 実はこの『ちっちゃなかみさん』がこの短編小説のキーで、これがあるからこの小説を書いたようなものだが、新吉の姉がやくざな男との間に生んだ姉弟の姉の方である。

 新吉の両親はすでに死亡しており、姉とやくざは駆け落ちして二人の幼子だけが残されている。『ちっちゃなかみさん』のお加世11歳、弟の治助6歳だ。

 新吉はこの二人を実の兄弟として懸命に養育している。親代わりだ。そしてお加世は『ちっちゃなかみさん』として新吉を支えている。
まさにちいさなかみさんなのだ。

 ここから話はクライマックスに入る。
お京が思い余って新吉に思いを告げたが,新吉からは断られる。姉弟二人が一人前になるまでは結婚することが出きないという。
それが死んだ父母との約束だと言うのだ。

 お京は落胆し一生独身を宣言し、両親は「独身宣言」を聞いてさらに落胆してお寺参りに出かける。

 一方新吉は、本当はお京を深く愛していたが、姉弟の手前じっと我慢をしている。しかし夜中になると『お京さん』と呻吟してしまう毎日だ。
それを『ちっちゃなかみさん』のお加世が聞いてしまい、自分たちさえいなくなれば新吉お京が夫婦になれると小さな胸で決心をする。
11歳の少女の決心だ。

 お寺参りをしていた夫婦に、後をつけてきた姉弟が新吉とお京を夫婦にしてほしいと懇願する場面がこの小説のクライマックスになっている。
11歳の小娘が自分たちを犠牲にして、兄の幸せを思う気持ちを告白する場面は、聞いただけで涙が出てしまう。
「弟は子守をしながら自分が面倒を見る」ので、兄の願いをかなえてほしいと言う。
作者は明確には言わないが、この時代少女に出来ることは女郎しかない。

私はほとんど嗚咽しそうになり、かろうじて耐えたが涙は留まるところがなかった。周りの人たちも涙を流していた。
最終的にはハッピーエンドになるのだが、それまでは胸が張り裂けそうだった。


 この小説は日本人の琴線に触れる珠玉の名作だ。小さな姉弟が育ててくれた兄への恩返しとして、身を引いて犠牲になると言う心情は、日本人だったら誰でも泣いてしまう。

 それにしても平岩弓枝氏短編小説を創作する力量には驚いた。またそれを朗読会で取り上げた鬼軍曹の眼力にも敬服した一日だった。

 

 

 

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(19.12.13)朗読の反省会

 11月27日に実施した朗読会磯笛」の反省会を行った。集まってくれたのは企画をしてくれたおゆみ野WalkersTさんYさん、朗読会に参加してくれたみやこ会の会長で友人の I さん、おなじく朗読会に参加してくれたO さんで、私を含めて5名である。

 O さんとは初対面だったが学校評議員や、民生委員・児童委員をされており、おゆみ野walkersの「この人に会いたい」シリーズにも掲載されていたので、何か前からの知り合いのような感じで会うことができた。

 反省会は緑郵便局の近くの「うさ吉」というお茶漬け屋さんでランチを食しながらしたのだが、楽しいひと時を過ごすことができた。
O さんが「主人が働いているときに、こおしてランチを食べるなんて悪いみたい」といわれていたのが印象的だったが、サラリーマンの付き合い酒に比べればささやかなものだ。

 今回朗読会の席で書いていただいた感想文を改めて読んでみたが、とても好意的な評価にうれしくなった。
懸命に努力した結果で、ちはら台の鬼軍曹が「努力すれば必ず報われます」といっていた意味がよく分かった。

 通常小説を耳で聞く機会は少ないので、耳からの情報で場面を想像する試みは脳にとてもいい刺激を与えるらしい。
特に朗読を初めて聞かれた方は、何か新たな発見をしたように驚かれていた。

 書いていただいた感想文を二つ紹介したい。本当はもっと紹介したいのだが代表と思っていただきたい。

今日は、すてきなひと時をありがとうございます。
そこにいる島蔵さん(主人公の名)の姿と、荒波の様子が手に取るように感じられ不思議です。

 穏やかな語りと、島蔵さんの口調の対比が魅力的でした。
自分では選ばない書物だと思いますが、聞き入りました。
企画をしてくださったwalkersさん、ありがとう

久しぶりに頭の中でコトバを追いかけながら時間をすごすことができました。淡々とした語り口が、乙川さんの乾いた即物的な文章と調和して、それに島蔵の生臭い声がところどころ浮き上がってくるようで、とても気持ちよく、それこそ波間の舟を感じるような気分でした。

物語の転機やキーワードになる文章は意識して語ってくださっているので、ストーリーの展開や予感もきっちり感じることができ、とてもわかりやすかったです


 好評だったのでとてもよかったと思っている。またおゆみ野wakersTさんYさんと新たな企画をすることにした。

 

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(19.11.28)おゆみ野の朗読会終わる

 おゆみ野walkersTさんや、Yさんが手配してくれたおゆみ野公民館での朗読会が終わった。
うれしいことに25名もの参加者を得たが、そのうちの半数はおゆみ野walkersのメンバーであり、残りの半数は私の主催するブログの読者だった。

 Tさんや、Yさんと「おゆみ野でも大人の朗読会を開いてみましょう」という企画を立ち上げたが、どのくらいの人数が集まるのか、本当はおっかなびっくりだったのだ。思いがけず多くの方に集まってもらったと思っている。

 今回朗読を行ったのは、前回ちはら台コミュニティーセンターで実施した、乙川優三郎(おとかわ ゆうざぶろう)の磯笛だったが、やはり二回目になると少しは落ち着いて朗読ができるらしい。
前回は最後の場面で自分でも泣き声になってしまったが、今回は耐えることができた。

 参加者から感想文をいただいたが、概して評判が良かったのでとてもほっとしている。
またこのような機会を設けてほしい」と書かれた方も何人かいて、すっかりその気になってしまった。

 しかしレパートリー磯笛だけでは限界があるので、またちはら台の鬼軍曹に頼んで、レパートリーを増やしてもらおう。
軍曹殿、軍曹殿の訓練を受けに、再び参りました。よろしくお願いいたします

 今回の朗読を聴いてみやこ会の I さんが「いつもの山崎さんとは、別人のようだった」といっていたが、出てくる人物に乗り移らないと迫真の朗読はできないので、それに近づこうと努力した結果が少しは現れたらしい。

 二回目になって少しは朗読の醍醐味みたいなものが分かってきた。
大人の朗読会がひとつの文化となって街に根付くようになったらとてもすばらしいことなので、今後も機会をとらえて実施していきたいとものだと思っている。

おゆみ野walkersの、Tさん、Yさん、またよろしくお願いいたします」頼んでおこう。

 それにしても今回参加をいただいたおゆみ野walkersの方や、みやこ会のメンバー、おゆみ野クリーンクラブのメンバー、それにブログの読者の皆さんに心から感謝します。
最後になりますが、市会議員の福谷さんも時間をとって来ていただき、ありがとうございました。

 今回の朗読会の写真を掲載いたします
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/191127

なお、おゆみ野walkersのブログにも今回の記事が掲載されています。このブログの四季の道関連リストおゆみ野walkersをクリックしていただければ見ることができます。

 

 

 

 

 

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(19.11.25)朗読会への招待

 朗読会の日時が迫ってきた。朗読会の主催をしてくれるおゆみ野WALKERSソフィーさんから「山崎さんのブログの読者にも声をかけてください」と言われたし、実際自分でもそのようにしなければいけないと思っていた。

 ただ正直に言うと、自分のことでもあり、なんとも気恥ずかしさが伴う。
もし、とちったりしたらどうしょう。その時は人が少ないほうがいいのではないか」なんて気持ちに襲われるが、ことここにいたって怯むわけにはいかない。このブログの読者にお願いすることにしよう。
是非参加をしてください。

(日程は以下のとおりです)

日時  11月27日(火)  午前10時~12時

場所  おゆみ野公民館の多目的室
(扇田小学校の近くです。なお多目的室は二階の奥にあります。自動車の駐車場はありますが、いつもいっぱいになっていますので、近所の方は自転車か徒歩にしてください)

朗読の本  磯笛(乙川優三郎著 「むこうだんばら亭」のなかの一編)


 磯笛についての事前知識は以下のとおりです

1.著者 乙川優三郎(おとかわ ゆうざぶろう)
・昭和28年生まれ  現在54歳
・2002年に「生きる」で直木賞受賞、他にも山本周五郎賞やオール読み物新人賞等多数の賞を受賞している

2.本の題名 むこうだんばら亭
・銚子のいなさ屋の孝助を取り巻く人々の話を、8編の短編小説としてまとめたもの。「磯笛」はその中の1編で、外川(とかわ)という漁村に住む島蔵という年老いた漁師の話。なお、むこうだんばら亭とはいなさ屋の別名。

3.時代背景 
・江戸時代の末期
と思われる。

4.舞台
・銚子 当時はこの周辺の大きな漁港は外川川口だった。外川は銚子電鉄の終点の駅。HNKの朝の連続小説「澪つくし」の舞台ともなっている。川口は利根川の河口の漁港。

松岸 銚子より利根川をややさかのぼったところにある。ここに江戸時代遊郭があり、島蔵に雇われる「なお」という女性が遊女をしていた。

5.銚子の海の特徴

・犬吠崎の沖合いで親潮と黒潮がぶつかり、格好の漁場となっている。ここはイワシ漁が最も盛んで、銚子はイワシ網漁で潤っていたが、主人公の島蔵は「いわし網漁」でなく、確実な「タイ漁」で生計を立てている。

・一方ここは非常に危険な海でもあり、台風の余波と思われる大波が突如として襲ってくる。これを鹿波(しかなみ)といって漁師は非常に恐れていた。

川口には千人塚という漁師の遭難碑があるが、非常に多数の漁師がこの海で命を落としている。千人塚はその供養塔。

6.遭難のパターン

 ・鹿波は南東(やませ)方向から来るので、舟は北に流される。地理的には南から外川、犬吠崎、川口の順に並んでおり、犬吠沖で漁をしていて鹿波に襲われると、北の川口に逃げる以外方法はない。
しかし、川口は利根川の河口であり、利根川の水と海の水がせめぎあってだんばら波という、漁師にとって侮れない波が立っている。

 したがって鹿波に襲われると、背後は鹿波、前方はだんばら波にはさまれて、当時の舟は簡単に転覆し遭難した

7.難しい言葉

万祝(まいわい) 大漁の記念に作る長半纏(ながばんてん)。よく映画では海賊の親分が着ている。

猪牙舟(ちょきぶね) 猪の牙のように先がとがった3人乗りの帆のない手漕ぎの舟。これで島蔵はタイ漁をしている。前をミヨシ、真ん中を胴、後ろをトモという。

トモシ  舟の後ろのトモにいて、そこで櫓(ろ)をこぐ人をトモシという。

カチコ  船頭の助手で年季小僧。舟の前のミヨシにいて、そこに座っている。なお船頭は舟の中心(胴)に座っている。

桂庵(けいあん)   口利き屋のこと。遊女等の斡旋をしていた。

根魚(ねざかな)  犬吠沖の磯根にいる魚。タイもその一種。

南東風(いなさ)  台風の余波の可能性があるので、この風が吹くときは注意が要る。「いなさの風がいっとうおっかねえ」と漁師は思っている。

二丁櫓(にちょうろ) 櫓が二つの舟。一丁櫓よりも早い。

 以上です。11月27日にお待ちしております。

なお、言葉だけで説明するのは難しいので、写真を掲載します。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/19111204


  

 

 

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(19.10.17)朗読会の再開

 朗読会がまたできそうだ。例の乙川優三郎著の「磯笛」の朗読会である。9月の末に、ちはら台のコミュニティーセンターで実施した朗読会は意外に好評で、実にほっとしたのだが、今度はおゆみ野で朗読会を実施する話が持ち上がった。

 私はブログ仲間としておゆみ野walkersSさんMさんと交流があるのだが、その席で「おゆみ野でも朗読会をしたいものですね」という話になった。
いいですよ、もう一度しましょう」女性の頼みごとには相変わらず二つ返事で了承する。

 実は「磯笛」の朗読会のために、鬼軍曹のトレーナーYさんから二ヶ月間徹底的にしごかれたので、その成果が1回だけの朗読会ではやや消化不良だと思っていた。
もう一度ぐらいやらないと、元がとれない

 さっそくSさんが骨をおってくれ、11月27日(火) 10時~12時、おゆみ野公民館の多目的室で実施することになった。
30名程度の人員を収容できる場所で、おゆみ野walkersの予想参集人員は10名前後なので、私のブログの読者にも来てもらいたいということになった。

 うれしことに、「おゆみ野で朗読会を実施するときは声をかけてください」と何人かに言われていたので、さっそく声をかけることにしよう。

 SさんMさんとは事前に公民館でリハーサルをすることになりそうだ。電源やマイクや椅子の手配や照明の手配が必要になり、ぶっつけ本番ですると「マイクの電源がはいらないし、照明が消えない」なんてことになってしまう。
ちはら台のコミュニティーセンターではこおした手配はトレーナーのYさんがすべてしてくれたが、今度は私とSさん達でしなければならない。
Sさん、Mさん、お手数ですがお願いいたします

 それにしても鬼軍曹のYさんのトレーニングのおかげで、ふたたび朗読会が実施できるなんて行幸以外のなに者でもない。

軍曹殿、軍曹殿の訓練により、私も実戦経験が豊富な古参兵になることができました。ありがとうございました

なお、本件と関連する記事はカテゴリーの「朗読」にはいっております。

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(19.9.28)朗読会 終わる

 朗読会がやっと終わった。例の乙川優三郎磯笛の朗読会である。
聴衆は15人前後のこじんまりとした朗読会であるが、トレーナーのYさんから「決して手抜きをするな」と厳しく言われていたため、相当緊張してしまった。

 しかし朗読会の結果は意外と好評だった。アンケートはどちらかと言うと好意的に書いてくれるものだが、それにしてもよい評価に安堵した。

情景が鮮明に浮かび、しかもとっても聞きやすかった
主人公の語り、特に方言については良く研究してあった
語り手が熱心に読んでくれているのが分かった」等等

 自分としては途中で読み間違ったり、最後は主人公に同情して泣き声になったりして、とちったかなという気持ちがあったのだが、聞き手は心のやさしい人が多く、そおした小さなミスは見逃してくれたらしい。

 確かに2ヶ月間にわたってYさんから鬼のようなトレーニングを受けたのだから、そこそこの結果がでなければYさんも立つ瀬がないだろう。
鬼軍曹のしごきで一人前になった新兵のようなものだ。
軍曹殿、訓練、ありがとうございます

 この朗読会の参加者はほとんどが年配者なのだが、若く妙齢な女性が二人いたのにはびっくりした。良く見たら私のブログの読者で、ありがたいことにブログをみて参加してくれたらしい。
とてもよかったわよ」とやさしく言ってくれた。

 これで朗読も終わった。確かにYさんの言うとおり、「得るところの多かった」2ヶ月だったと言える。
この間、話し方と言うものを初めて真剣に勉強してしまった。
もっと早くからトレーニングしていたらNHKのアナウンサーになれたかもしれないと思うと残念でならない。

 しかし調子に乗るのはよそう。調子に乗りすぎると、またYさんから白羽の矢を射られてしまいそうだ。

朗読会に関係する記事は、このブログの「朗読」に時系列で入っております。

朗読会の写真を掲載します。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/19927

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(19.9.23)本番前のリハーサル

 乙川優三郎著、磯笛の朗読会が来週に迫った。今日(20日)は本番を想定して、本会場とマイクを使用した朗読会のリハーサルをおこなった。観衆としてはトレイナーのYさん以外に、前回の朗読を担当したAさんにも最終チェックに付き合ってもらった。

 本番ではYさん磯笛の時代背景、主人公がおこなっている漁法、聞いただけでは理解ができない漁村特有の言葉の説明を15分程度おこない、私が本文を約1時間半程度かけて朗読することになる。

 通しではじめて読んでみたが、1時間半も緊張しているのは並大抵のことではない。疲れて気を抜くとすぐに読み間違いや語句の飛ばしが発生してしまう。

 よくサッカーで90分間集中することが要求されているが、ちょうどあれと同じだとの印象を得た。
ちょっと気を抜くと失点につながり「ドーハの悲劇」になってしまう。

 朗読はボランティアであり、また聴衆もどちらかと言えば年配者が多く、時間に余裕があるから来ているという風情もある。しかしトレーナーのYさんは、だからと言って手を抜くことは許してくれない。
すべてこれ修行」という風情で、少しでも私が手を抜くと「かーつ、貴僧はいまだ悟りの境地にあらず」なんて一括されてしまう。
あの日本教の元祖といわれる明恵上人みたいだ。

 しかし朗読のトレーニングを受けて、人のために読む読み方というものをはじめて知った。またNHKの「その時歴史が動いた」を担当している松平アナウンサーの話し方を真剣に研究してしまった。
私も松平さんのような、間の取りかたや抑揚をつけたいものだ」と今は思っている。

 Yさんが最初「必ず役に立ちます」といってたことは間違いではなかった。感謝すべきだが、やはり2ヶ月間のトレーニングはかなり厳しかったと言える。
今ははやく本番が終わって肩の荷を降ろしたい気持ちでいっぱいだ。

 なお、奇特な人がいて私の朗読を聴きたいという人がいれば、9月27日(木)、午前10時~12時、ちはら台のコミュニティーセンターに来られれば、私が汗だくで朗読している姿を見ることができます。参加は実質的には自由のようです。

この朗読に関する記事は、このブログのカテゴリー「朗読」に時系列で入っております。

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(19.9.7)標準語を話せますか

 私はこの年になるまで、自分がしゃべっている言葉が標準語であることを疑ったことはなかった。なにしろ郊外とはいえ、生まれも育ちも東京なのである。
一時期、転勤で東京を離れたことはあったがその間の12年間を除き、東京か東京周辺で暮らしていた。だから自分がしゃべっている言葉はNHKのアナウンサーがしゃべるような典型的な標準語だと信じていた。

 ところが意外なことに、私の言葉は標準語とは似ても似つかない一種独特の言葉だと悟らしてくれたのは、朗読会のインストラクター、Yさんである
Yさんの指導で、乙川優三郎(おとかわ ゆうざぶろう)著、磯笛という本の朗読のトレーニングを受けているのだが、Yさんが「山崎さんの言葉は、ゴツゴツとしていて、講談を聞いてるようだ」と言ったときは何を言っているのかさっぱり理解できなかった。

 なにしろ61年間もこのスタイルでしゃべってきたのだ。すっかりなじんでしまって、自分のしゃべり方の特長なんてまったく分からない。
標準語で何が悪い。こっちとら江戸っ子だよ
一瞬「ムッ」としたけれど、Yさんが「録音をして聞いてみるのがいい」というので、半信半疑ながら録音をして聞いてみた。

 正直言ってこのときほど驚いたことはない。
これ、なに、どこの言葉
なんとも表現のしようもない言葉使いだった。
単語のアクセントが標準語とずれていたり、語尾が極端に強調されてしりあがりになっている。標準語なんてとてもいえない。
あえて類型を探すと、イタリア語のようだ。あのマルチェロ アストロヤンニのイタリア語である。

 これでは朗読を聴いた人は疲れてしまって、朗読会のアンケートを回収したら散々な評価になりそうだ。
朗読者は、最低限日本語をしゃべってほしい
内容より、言葉の抑揚が気になって、何の話か分からなかった
イタリア人に朗読をさせるな

 今は深く反省をして、語尾を弱くし、はねあがらないように練習している。
それにしても61年間、自分の話し方に一度も気付かなかったとはうかつだった。

 やはり、自分の話し方を気付かせてくれたYさんに感謝しよう。
今日からNHKのアナウンサーのような言葉使いをするようにトレーニングします

・この朗読に関係する記事は、このブログのカテゴリー「朗読」に時系列で入っております。

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