(22.8.3) 日本テレビ報道局の無謀な取材 奥秩父滝川(ブドウ沢)の三重遭難

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(トシムネさん撮影、山崎編集 なおこの写真は北岳の大樺沢です)

 防災ヘリの墜落でなくなられた5名の方には心から気の毒に思ったが、今度の日本テレビ報道局記者カメラマン滝川(この上流にブドウ沢がある)での死亡(溺死)には同情の余地はない。

 ほとんど死亡するのが当然の状況で死亡している。
時間的経緯を追っていくと、7月31日朝6時半ごろから取材のため入山を開始したが、メンバーはA記者(30歳)、Bカメラマン(43歳)、山岳ガイドCさん(33歳)の3名だった。

 この取材は、ヘリの墜落現場まで行って地上からの映像を撮ることを目的とし、ブドウ沢まで沢を遡行する予定だった。
しかし山岳ガイドのCさんによると、A記者は沢登りを行う装備がまったくなされてなかった。
防寒着を持っておらず、ヘルメットも沢登り用の靴もなかったため、CさんA記者にヘルメットと靴を貸したのだという。

 一方日本テレビによれば、今回の取材は以下の条件で許可したと言う。
① 山岳ガイドを必ずつけること
② 取材日数は1日
③ 十分な装備を用意すること


注)登山経験、特に沢登りの経験がない人は、十分な装備と言っても何を用意したらいいのか分からない。許可した方も聞いた方もどうすればいいか分からなかったのが実情だろう。

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(トシムネさん撮影、山崎編集 なおこの写真は北岳の大樺沢です)

 今回派遣された二人のうちA記者は明らかに登山経験が不足しており(経験は簡単な山登り程度だったと思われる)、一方Bカメラマンはアラスカやチベット等の山岳取材の経験者で、防寒着等の用意はしていたが、山岳ガイドのCさんの話だと「二人とも足取りがおぼつかなかった」と言う。

注)過去にどのような経歴があっても日常的に身体を鍛えていなければ、沢を歩いたり滝を登ったりすることはうまくできない。

 ガイドのCさんはこうした状況を見て、二人が沢に入るのは無謀と判断したが、無下に断ることができないため、滝川に下りて、その水の冷たさ(10度C程度)を実感させ、「雲行きが怪しいので、撤退しましょう」と提案したと言う。

注)実際その日の夜半から激しい雨が降った。

 記者とカメラマンはこの段階ではCさんの指示に従い、一旦登山口まで引き返したが、問題はこの後に起こった。
取材に来たものの河原に下りただけで終わってしまったため、カメラマンのBさんが、「尾根筋から墜落したヘリの映像を取れる場所を見つけてくる」と10時ごろから記者とカメラマンだけで再度山に入ったという

注)この取材の実質的なリーダーはBカメラマンだった。

 登山経験の少ない人にはこの行動の意味が分からない。
通常尾根筋は道が明確に存在し、危険な箇所はほとんどない。しかもここはせいぜい1000Mを越す程度の山並みだから、3000M級の山道を歩くのとは違う。

 一方沢筋が幾層にも現れ、水に浸かりながら岸壁を渡るヘツリというような場所や、水が深いトロと言われる遊泳して対岸に渡る場所がしばしば現れる。
水温が10度程度だと、よほど防水のしっかりした衣類を着ていても身体から体温が奪われ、2時間程度低体温症になって身体が動かなくなることがある。

 ガイドのCさんが「尾根筋ならば二人で行ってもまったく問題ない」と判断し日本テレビの2名の行動を許した理由はそこにあるのだが、実際は記者とカメラマンは沢に入っていた。
死亡した場所が滝川なのだから、尾根にいたはずがない。

 BさんはガイドのCさんが危険を感知して沢に入るのを躊躇したため、あえて嘘をついて沢に入ったものと思われる。どうしても報道の映像がほしかったのだろう。

 しかしこの時に最大のミスをしている。
① ロープを持っていかなかったこと(尾根筋ではまったく必要がないが沢では下降時に絶対必要
② A記者の服装が軽登山の服装だったこと
(沢の水温に耐えられない


Cimg1618_2  (トシムネさん撮影、山崎編集 なおこの写真は北岳の大樺沢です)

 沢登りでは撤退(下降)する時が一番問題になる。通常登るのは体力と気力さえあれば可能なのだが、撤退するために滝を下りる時は必ずロープがいる
足下が見えないので、よほどのベテランでもフリーで降りることは危険だ。

 今回二人は沢に入って滝川を遡りブドウ沢に入ろうとしたが、たちまちのうちに身体が冷え、撤退に迫られたはずだ。なにしろA記者は防寒着を持っておらず、沢登りがはじめてだったはずだからだ。

注)沢登りの経験者だったらヘルメットや沢登り用の靴を持っていないことなどありえない。

 しかしこの時になってロープがないことが致命的な失敗になった。登った滝や急角度の傾斜を経験不足のA記者は降りることができなくなって、滑って深みに落ち込み川に流されたと推定される。

注)A記者の頭部には複数の傷があった。一方Bカメラマンには外傷がなかった。

 
BカメラマンA記者を救おうとしたが、一緒におぼれてしまい体力の限界が来て二人とも溺死したものと思われる。
この日の夕刻には雨が降っており、二人はさらに川に流されたようだ。

 今回の事故については同情する余地はない
あえて嘘をつき、軽装備でかつ未経験の若者を連れて沢に入り、撤退用のロープももって行かなかったのだから、遭難するのが当然だ。

 日本テレビはこのような無謀きわまる取材を許可したこと、特に登山経験がほとんどない若者に軽装備で沢登りをさせたことについて、十分な検証をする必要がある。




 

 




 

 

 

 

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(22.8.1) 山岳遭難と救助依頼の是非  秩父山系ブドウ沢のヘリの事故

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(トシムネさん撮影 山崎編集)

 山で遭難したら、救助依頼をすべきなのだろうか? 
つくずくそう思ってしまった。

 この7月24日秩父山系ブドウ沢の1100m付近で沢登を行っていた東京都勤労者山岳連盟8人のパーティーのうち一人の女性(55歳)が滝つぼに転落し救助を求めた。
その救援に向かった防災ヘリが救援に失敗し谷底に墜落して救助隊員5人の命が失われた。

注)救助を求めた女性も死亡した。なおヘリの出動は連絡を受けた25日。

 この埼玉県の防災ヘリには7名の乗員がいたが、埼玉県防災航空隊員2名、秩父消防署特別救助隊員1名、それと機長および副機長が殉職し、降下をしていた2名の隊員は命が助かった。
死亡した5名は、機長を除くとほとんどが30台の若者であり、あまりにも早すぎる人生の終わり方で痛ましい。

 私が沢登りをしていたのは、私自身が30才台の頃だから、今から30年前の昔になる。
丹沢奥多摩、そして今回事故が起こった奥秩父の沢に入っていた。
私の場合、沢にはほとんど一人で入っていたし、当時は携帯電話はなかったので(今でも使用していない)、事故が起こればすべて自己責任で対処するより仕方がなかった。

 実際私も滝つぼに落ちたことがあるが、身体が一旦深くもぐり、かぶっていた黄色い帽子が水面に浮かんでおり、それがあたかも満月のように見えたのを覚えている。
異様な不思議な時間で、自分が滝つぼに落ちたことを認識するまでしばらく時間がかかった。その後我に返って慌てふためいて泳いだものだ。

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(トシムネさん撮影 山崎編集)

 沢登りはもともとかなり危険なスポーツであり、事故と隣り合わせにある。
まず、事故が起こらないように技能と体力を高めておくことが一番だが、もし事故が発生した場合、パーティーを組んでいるならばそのパーティーが滑落者を助けなければいけない。

 県警等に救助を依頼するのは最後の手段になるが、私自身は絶対に救助を依頼しないことにしていた。
もし不幸にして死亡することがあっても、それは沢登りと言う危険なスポーツに挑戦した結果だから、救助されるぐらいならば死んだほうがましだと思っていたからだ。

 沢は大変危険な場所である。日本の沢は一般的に深く、V字型に切れ込んでおり、100m程度の切れ込みはざらにある。
尾根筋と異なり、ヘリコプターが容易に近づける場所ではない。
無理して救助しようとするとヘリコプター自身が事故に会って、二重遭難になる可能性が高い。

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(トシムネさん撮影 山崎編集)

 まさに今回はそうした事例で、若い命が無駄に5名も失われてしまった。
今回このパーティーは県警に救助依頼をしたのだが、なぜ自分たちで救助をしなかったか不思議でならない。
沢に入っているのだから一番近い場所におり、ロープも持っていたはずだ。
パーティーを組んでいた東京都勤労者山岳連盟の他の7名は一体何をしていたのだろうか。

注)もしかしたら救助はしたが重症だったのでヘリを呼んだのかもしれないが、私だったら重症者を担いで下山する。

 今回のヘリの墜落原因はヘリが自ら起こす下降気流に巻き込まれたセットリング・ウイズ・パワーという現象だといわれているが、谷筋のような険しい環境では逃れるすべがなかったのだろう。

 中高年の登山ブームで救援依頼は激増していると聞く。最近登った南アルプス北岳の稜線で2回も救助ヘリに遭遇してしまった。
尾根筋の登山道ぐらいは骨折などしないで登ってほしいものだが、実際は事故が多発している。

 だが尾根筋はまだいい。ヘリが安全に救助できるからだ。一方谷筋のような場所はヘリもいつ二重遭難するか分からない。
このような場所で沢登をするなら、何度も言うように自己責任で対処し、他人の命まで犠牲にするようなまねはしてほしくないものだ。

 

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(21.7.20) トムラウシは魔性の山

Image0_3     (一番奥のとんがった山がトムラウシ山

*現在ロドリゴ巡礼日誌を掲載中ですが、本件を先に掲載します

 大雪山系で、私と同年齢の60歳代の人を中心とする10名に及ぶ大量遭難死亡事故については、驚きと共にそうしたことがあって不思議がないという気持ちを強くした。

 実は私自身も今回遭難者9名を出したトムラウシ山(他の1名の遭難者は美瑛岳で同様の経験をしているからである。
私が同僚のタムさんと大雪山系の縦走をしたのは2000年の夏だから気象条件的にはまったく同じ頃といえる。

 今回8名の遭難者を出したパーティーとはちょうど反対のルートをたどって美瑛岳からトムラウシ山の稜線南沼キャンプ指定地でキャンプを張った。
南沼はとても水のきれいな直径70~80m程度の沼で、二人で沼に入って身体を洗ったり泳いだものである。

 その日は快晴でこうして沼で泳ぐことができたのに、翌日の早朝から天候は大荒れになってしまった。横殴りの雨がテントに吹きつけ、雨で視界がさえぎられわれわれ二人は風の音がするたびにテントを押さえなければならなかったほどだ。

 とても歩けるような状態でなく、今回の遭難者の話しにあるような、気温10度程度、風速20m以上、体感温度マイナス5度以下という状況だった。
こりゃ、動くのは無理だ。ここで天候の回復を待とう

 私たちは動くことを断念し、ここに逗留することにしたのだが翌日も暴風雨は収まらず、2日間テントの中で寝ていた。さすがに3日目になるとあせってきた。
これ以上いても、天候は回復しない。思い切って動こう

 暴風雨のなかでテントをたたみ、タムさんは時間の関係でトムラウシ山からトムラウシ温泉に下山し、私は大雪山系の主峰旭岳にむかって縦走を開始した。
ちょうど今回遭難した8名と反対方向に動き始めたことになる。

 このとき私は大変不思議な経験をしている。暴風雨が荒れ狂っていたのはトムラウシ周辺だけであり、トムラウシを離れるに従って信じられないほど風雨が収まったのである。
トムラウシ山を見上げるとそこだけが雲がかかり、雲が恐ろしいスピードで流れていた。
なんだ、荒れていたのはトムラウシだけか・・・・
今回遭難者が泊まっていたヒサゴ沼分岐あたりまで来ると、風はかなり弱まっていたのを覚えている。

Image01_2    今回の集団登山の遭難者18名(うち8名死亡)はトムラウシから2時間程度の距離にあるヒサゴ沼避難小屋からトムラウシに向かって出発したのだが、客観的には無謀だったとしかいいようがない。
ヒサゴ沼周辺の気象条件より、トムラウシ山周辺の気象条件は比較にならないほど厳しく、嵐に向かって進んで行ったようなものだ。

 アイヌ語で「花の多い山」という意味のトムラウシは、一方で魔性の山といってよく、一旦荒れ始めると手がつけられない。
私たちはまったく動くことができず停滞し、2日間寝ていたため体力的には温存されていたが、私はトムラウシの下降路のロックガーデンでは岩にへばりつきながら歩いていた。
そうしないと身体が飛ばされそうだったからだが、持っていたマットがリュックから外れて1秒程度の間に30m程度飛ばされたのには驚いた。

 しかしトムラウシ山を離れるに従って風も雨も穏やかになる。今回の遭難者は私とは反対にその魔性の山が牙を剥いているトムラウシに向かって行動したのだから遭難するのは当然だ。

 実際はヒサゴ沼からの避難路は化雲岳から天人峡温泉に降りるルートか、トムラウシ山を経由してトムラウシ温泉に降りるルートしかない。どちらも同じくらいの時間がかかるが、今回のパーティーはおそらくトムラウシ温泉に宿の手配がしてあったために無理をしたのだと思う。

 トムラウシ山魔性の山だ。普段はとてもおとなしいが一旦牙を剥くと手がつけられない。それもトムラウシに近づけば近づくほど牙を剥く。
そうしたことを今回のツアーを企画したガイドが知らなかったか、知っていても計画上無理をしたのか分からないが、いずれにしてもトムラウシ山を侮ったことだけは確かだ。

 

 

 

 

 

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(21.7.10) 剣岳登山 走友会  登山NO 33

2008年 62才

剣岳 ちはら台走友会  7月25日~27日


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 今年のちはら台走友会の登山は剣岳だった。25日(金曜日)の夜に出発して、27日(日曜日)の夜に帰ってくる計画だ。
貸切のバスを利用した車中一泊山小屋(剣山荘)一泊の予定である。走友会のメンバーは現役のサラリーマンが多いため、通常は2泊3日のコースをこうして時間を稼ぐ。

 当初は剣岳の一般コースとしてはかなり難関な草月尾根コースを予定していたが、根雪が多くアイゼンやピッケルが必要と分かったため、よりポピュラーな室堂経由のコースに変更された。

 これだと初日6時間かかるコースが4時間程度に短縮される。夜行バスではほとんど眠れないため時間短縮は大歓迎だ。
やれやれ、今回は山小屋で前日の睡眠不足を解消できそうだ

 今回は16名の参加だった。現役のランナーは元気がよく剣岳走破に意欲を燃やしていたが、日頃練習不足のランナーは気持ちがナーバスだ。
一服剣か前剣まで行けばそこで引返してもいい」ぶつぶつ言っている

 一服剣前剣剣岳の前山で、この二つの前山を越すと本体の剣岳に到着できる。
剣岳に登るにはカニのタテバイという難所を登り、帰りはカニのヨコバイというこれも目もくらむような難所を下降しなければならない。
登りと下りのルートが分けられているのは、そうしないと登坂者と下降者が難所でぶつかって動きが取れなくなるからだ。
ここは一般の登山道としては桁はずれに難関なルートと言える。

 本音としては前剣で引き返そうとしていた人が数人いたのだが、誰も自分がやめるとはとは言い出さない。真っ先にやめるなどと言えば後で走友会のメンバーから酒の肴にされてしまう。
みんな、ここまで来たのだからがんばろう登山隊長M氏の言葉にしぶしぶ従った。

 M氏はベテランの登山者だから、危なそうなメンバーと登山暦が多いメンバーと組み合わせて登坂させることにした。
私はSさんのサポートをすることになったが、Sさんは文学をこよなく愛す女性だが、マラソンの練習回数はすくない。

走友会の人たちははやいでしょ。だから私が遅れると悪いと思って、やはりリタイアしたほうがいいかなと思ってしまうの
山登りでは人のペースは気にしないでいいんですよ。自分のペースを守ることが一番大事です

 これが登山の鉄則だ。人のペースを気にするとあせって転んだりしてかえって問題が起こる。

 Sさんは登山暦が浅いため、岩登りのコツを知らない。岩にへばりつき、手で無理やりに身体を持ち上げようとして疲労困憊している。
鎖を持った手を伸ばし、身体を岩から離すのです。そうすると足場のスタンスが見えて、体を足でしっかりと支えることが出来ますよ

 当初は蛙が岩にしがみつくような格好で登坂していたが、岩から身体を離すことを覚えてからは実に快調な登山が出来るようになった。
カニのヨコバイといってもそれほどたいしたことなかったわ
高度恐怖症のスピードランナーAさんが「あんな怖いところはなかった」と述懐していたのと大変な違いだ。

 Sさんが走友会のメーリングリストに登山の感想を記載していた。

恐る恐る(カニのタテバイに)取り付いてみたら・・・腕の力が足りなくて足手まといになりそう・・・
けれどみんなの声に励まされ、山崎さんに助っ人としてついてもらうに至り、決心がつきました。

ちゃんと登ってくる!!』
前になり後になりしてアドバイスしてもらい、時には尻まで押し上げてもらい、さほど恐怖心を感じることなく登って降りれたのでした。
ほんとにホントに山崎さん始め皆さんのおかげです。

 頼りになる幹事のOさん、冷静な登山隊長のMさん、そしてそれぞれに魅力的なみなさん、ありがとうございました。
帰り道、折々に振り返って目にするあの山に、本当に登ったというのが不思議でした

 またTさんは実に愉快な人だ。当初私に「登山なんて何が面白いのかわからない。苦しいだけでくだらない」と言っていたのに剣岳に登坂したとたんに人間が変わった。

 帰りはグループの先頭に立ってリードし、これから登る登山者に会うたびに剣岳登坂の講釈をし始めた。
剣の頂上は実にいいですよ。そう、あなた一人で登るのですか。そうですか。カニのヨコバイはかなり厳しいですが、まあ、元気で行ってきなさい
会う人毎に講釈するものだから、登山隊長から「人が詰まっているから進みましょう」と言われてしまった。

 天候は初日、二日目の午前中と良かったのだが、二日目の午後から土砂ぶりの雨になってしまった。雷まで鳴り出すし、生きた心地がしない。
登山隊長のM氏は「ここで、俺の人生も終わりか」と覚悟していたと言う。

 びしょぬれになってようやく室堂のバスターターミナルに着いたが、この午後から翌日にかけて北陸地方は大雨になり、いたるところで洪水が発生していた。。
ほんの1日違いで剣岳の快適な登山が出来たのだからちはら台走友会立山の神の加護を受けていたわけだ。

 それにしても走友会の登山は例年ハイレベルだ。メンバーの一人が言っていた。
来年はもう少し楽な山に登りましょうよ


今回の剣岳登坂の記録写真を掲載します。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/20725?authkey=OcvXiC03ORg

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(21.7.9) ちはら台走友会の登山  登山NO 32

2007年 61歳
 

燕~槍ヶ岳 7月末の2日間 ちはら台走友会

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 最近はもっぱらちはら台走友会の登山に参加することが唯一の登山になってしまった。

 ちはら台走友会は年に2回、春と夏に登山をおこなうが、今回の夏の登山は燕岳(つばくろだけ)2762mから槍ヶ岳3180mへの、いわゆる表銀座コースだった。メンバーは15名である。7月の末に実施された。
 このコースは登山者にはおなじみのコースで、日本アルプス登山の入門コースとして名高い。
 途中に大天井岳2922mの巻き道や、東鎌尾根の槍ヶ岳直下のような、初心者にとって緊張する険しい場所もあるが、概して穏やかな稜線歩きができる人気スポットである。

2泊3日でこのコースを歩く」と登山の責任者から聞いたときは、「走友会の行事としては遠足みたいなものだ」と思ったが、よく聞くと「車中一泊、山中は西岳ヒュッテの1泊」だったので驚いた。
 このコースの通常の登山日数は2泊3日であり、最近のように年配者が多いと、3泊4日のコースなることもある。

 念のため、山岳マップでコースタイムを調べたら、初日が9時間半、2日目が12時間だった。これは食事時間や休息時間を含めない時間だから、1時間程度の食事時間を加えて、それぞれ10時間半13時間がコースタイムと言うことになる。
うぅーん、走友会らしいハードなスケジュールだ」感心した。
 後で聞いた話だが、西岳ヒュッテの管理人から「本当に大丈夫ですか」と念を押されたと言う。

 夜行バスは、夜中の8時に千葉を出発して、登山口の中房温泉に朝の5時ごろ到着する計画になっており、通常であればなんら問題がないのだが、日頃の走友会を知っている私には不安感がよぎった。
夜、寝かせてもらえないのではないかしら

 不安は100%的中してしまった。いつもの盛大な宴会が始まり、続いてしりとり歌合戦が始まって、てんやわんやの大騒ぎになってしまった。
 大いに酒を飲み、大いに歌うのが走友会の元気印の源だ。

 宴会は一応12時には終わったのだが、熟睡したのは酒盛りと歌合戦を楽しんだ人たちで、私はほとんど眠ることができなかった。
これは、徹夜の強行登山になるけれど、『甲州夢街道シルクロード215Km、36時間レース』の練習と割り切ろう」覚悟を決めた。

 天気予報では、天候は下り坂で、2日目の後半は雨の予想だったが、実際はまずまずの天気で、雨もほとんど降らなかった。
 さすがに、初日の後半は寝不足で頭が朦朧としてきたが、幸いにも西岳ヒュッテで熟睡できたため、2日目は実に快適な登山を楽しめた。
 最近の山小屋の設備は年配者に配慮してよく整備されており、布団も新しく、食事は街のレストラン並だ。

 走友会のメンバーは、相変わらずの酒豪ぞろいで、やれ宿に到着した、槍を登坂した等理由をつけてはビールを飲んでいたが、実は体力も相当なものだ。
 特にK氏などは、遅れそうな人の荷物を持ってあげて、さらに岩場を走るようにして登坂するのだから驚きだ。岩は走るためにあると思っているらしい。
イエティーでないかしら」率直な感想である。

 K氏以外でも、槍からの下りはマラニックだと走り出した会長のY氏や、マラニックの愛好家O氏がいる。
 私のように登山経験40年の者でも「ちはら台走友会のマラニック登山」は驚きだ。普通の人が見たら、化け物ぞろいではないかと思うのではないだろうか。

 この年になってまた一つ新しい経験をしてしまった。

 今回はコースの途中で撮った写真を掲載します。 
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/197

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(21.7.8) 青森の山  登山NO 31

2006年 60才

八甲田・岩木山  10月23日~30日 

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 この年の8月に定年退職した。暇になったので一度行きたかった青森の山に登ることにした。やや時期が遅かったが、津軽にあこがれたのだ。

 八甲田山新田次郎の小説でも名高い青森第五連隊が遭難したところだ。
行ってみて初めて知ったのは、遭難現場はかなり青森市側で、八甲田の連山がそびえている場所ではないことだった。
こんな場所で遭難したのか」意外な感じがした。

 酸が湯(すがゆ)温泉のキャンプ場でテントを張ったが誰もいなく、また風雨が非常にきつかった。10月の終わりになると青森は初冬の厳しさで、夜半は寒くて寝付けない。

 翌日、大岳を目指したが、風はますます強まり、歩くこともできなくなったので途中から引き返した。稜線を吹き抜ける八甲田の風は冷たく強い。真冬ならきっとあおられると、とても耐えられないだろう。
これなら遭難してもおかしくない」納得した。

 八甲田に登ることができなかったので、岩木山は登って見ることにした。弘前市からバスで岩木山神社のテント場まで行き、そこででキャンプをしたが、ここも誰一人いなかった。青森はこの時期になると登山客でテントを張る人は皆無になるらしい。
夜中にヨタカが「ぎゃー」と鳴いた時は、飛び起きてしまった。
実に恐ろしげな鳴き声だった。

 岩木山にはかなり頂上近くまで道路が通じているが、いつものようにふもとから登るルートを取った。途中から沢筋になり、頂上付近は雪が降ったあとがあった。寒かったのですぐに下山したが、10月下旬の青森の山にはもう冬山だということがよく分かった。


八甲田山の写真です。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/18102903

岩木山の写真です。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/18102902

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(21.7.7) 南アルプス南部縦走 登山NO 30

2005年 59才

南アルプス南部縦走 タムさんとその同僚二人 7月31日~8月6

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 今年はトランスエゾに参加しないので,登山をすることにした。タムさんに話したところ南アルプス赤石岳に31日から3泊4日程度で身障者を引率していくことになっていると聞いたので一緒にいくことにした。
タムさん六つ星の会という目に障害のある人に登山をしてもらうボランティアの会のメンバーだ。

 昔、タムさんと登山をしたコースで帰り際にタムさんが雷をおそれて飛ばすので大変きつかった思い出がある。今回は身障者がいるためかなりゆっくりした工程になった。

 初めて目の見えない人のサポートをしたが、二人一組になって前と後からサポートし、身障者は前の人の肩かザックに手を置き、前の人がコースの指示をしながら進むという方式だった。
右に大石
崖で約10m、鎖があって足場はしっかりしている」等だ。 

Image11_2  しかしこの時はタムさんは体調を壊していて,熱と腹下しに悩まされていた。強い薬でかろうじて体調を維持している状況で、無理をしてでも引率していくというような状態だった。

 私の方は時間が十分あったので、タムさんたちと赤石岳3120mで別れてから、南アルプスの南部を縦走することにした
聖岳3011mから茶臼岳2604m、光岳2591mに縦走し、光岳から寸又川に降り最後は林道を40K歩いて寸又峡温泉に泊まることにした。
このコースはやたらと長く通常の登山客は通らないルートで、光岳の小屋でルートを確認すると「夏場だったら一日に一人ぐらいは通りますよ」とのことだった。

道は分かりますか
私なら大丈夫ですが」なんとも分からない返事だった。

 実際行ってみると光岳の下りは道がはっきりとせず,しばしば獣道に紛れ込みそうになった。最後の下りの道を見失い、寸又川のどこに出たのかさっぱり分らなくなってしまった。
目印のつり橋を見つけるまで30分程度、川をうろうろしたものだ。

 ここからさらに寸又峡温泉まで約40Kを歩いたが、林道はほとんど土砂で埋まっており、一部でも残っている場所ではマムシ昼寝をしていた。
遠くから石を投げてどいてもらったが、人がほとんど通らないのでマムシものんびりしている。

 途中で土砂降りの雨にあい、気持ちがすっかりなえてきた。途中の小屋で泊まるか温泉まで下るかだいぶ迷ったが、結局温泉までおりた。
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(21.7.6) トレッキング 登山NO 29

2004年 58才
 

八ヶ岳トレッキング(野辺山100k)競争 5月16日

Image0_2  55才を過ぎた頃から登山のバリエーションが広がった。いわゆるトレッキングにはまってしまったのだ。トレッキングとは山を走る競技で、奥多摩丹沢でよく競技が開催されている。

 山道だから油断すると谷底に落ちてしまう危険性があり、特に夜半行なわれる競技が危ない。私は奥多摩で開催される長谷川恒夫カップという競技に何回か出たが、出るたびに怪我をするのには閉口した。

 崖から滑り落ちたり、木造の橋をくりぬいたりしてその都度死ぬかと思ったが幸いに生きている。
一昨年の長谷川恒夫カップでは、本当に死者が出たのだから冗談で言っているのではない。

 今回参加した野辺山100km最初の30kmがトレイルコースで、コースはほとんどが林道であり、かつ昼間だったので危険ということはないが、タフなコースだった。

 100kmマラソンの世界で、
野辺山を制すれば日本のウルトラマラソンを制するといわれていた意味が分かった。

 最高地点は八ヶ岳山麓の1900m、最低地点が900Mで標高差1000mを一気に駆け上がり、また一気にかけおりるのだから、足に対する負担は相当なものだ。
しかもこうした登りは1箇所でなく2箇所もあった。

 当日はあいにくの雨で、一日中降っていたが、長距離走の場合は寒いほうがよく、天気だとひどく消耗してしてしまう。
この日はそれほど寒くはなかったが、それでも後半になると腹がひえてきた。

 こうした競技を終えた後はそこで一泊してかえるのがベストで、無理してかえるとかなり悲惨なことになる。
この時は帰りのバスは7時半発(ゴール制限時間は7時)で、新宿に10時半についたため、さらに2時間かけて家には最終電車で帰った。

 普段は駅から約20分の道を歩いてかえるのだが、非常にくたびれていたので娘に自動車で鎌取まで迎えに来てもらった。
私は普段は絶対といっていいほど自動車に乗ることをしないので、何かおきてを破ったような気落ちになったものだ。

 

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(21.7.5) 妙義山  登山NO 28

2003年 57才
 

妙義山 4月27日~29日 

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 妙義山は一度行きたい山だった。信越線で横川まで来ると,前に急峻な山並みが続き、ロッククライミングのメッカのような場所に見えた。一度家族でこの山並みに入ろうとしたが、「危険立入禁止」の立て札をみて入山を思いとどまった経緯がある。

 今思えばいかなくて良かったような場所だった。次から次へと鎖場が続き、手がしびれてしまいそうだった。鎖はよく整備されているので,急峻な場所でも登ることはできるが、ここはやはりロッククライミングの場所だと思う。

Image11  表妙義の入口は妙義神社になっていて、大変厳かな雰囲気がある。表妙義裏妙義の谷間に国民宿舎があって、毎日汗を流せたのがうれしかった。

 裏妙義の国民宿舎のまえのテント場でキャンプを張ったが、他に誰もキャンプをする人はいなかった。国民宿舎の風呂を何回も使ったので「ああ、キャンプをしている人ね」と管理人に覚えられてしまった。

 場所によってはザイルが必要だと地図には書いてあったが、その場所には近寄らなかったので詳しいことはわからない。なにしろ朝起きて適当に山に向かい、適当に降りては風呂にはいるという生活だった。

 費用はほとんどかからず、特に上野からのアーバン快速に乗ると2200円(片道)でいける。時間も新幹線と大して違いがない。
岩登りを楽しむためには最適な場所だということが分かった。

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(21,7.4) 熊野奥駆け  登山NO 27

2002年 56才
 

熊野奥駆け  5月の連休 約2週間  タムさんと

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 5月の連休に山登りをしたいとタムさんに言ったところ,吉野熊野国立公園の熊野奥駆けをしようと言うことになった。このコースは和歌山側と吉野側に約1週間のコースがあり,和歌山側の方が厳しいという。2週間かけていくこととした。

 池袋の駅前から夜行バスに乗って新宮に出た。新宮からバスで本宮に行き,本宮の茶店に荷物を置いて本宮の見学に出かけた。この茶店には非常に美しい女性がいて、私が驚いて「雛には珍しい美人だ」といったら、タムさんが笑っていた。

 本宮で足が3つのカラス(Jリーグのマークになっている)をみた。本宮から登山口までタクシーで入ることにした。山道はせいぜい1500mの山並みがつながっているだけであり,天狗岳を除けば決して急峻ではなかったが,行程は相当長く体力勝負のようなところがある。

Image22  無人小屋が整備されており快適に寝られるのだが、私は極力テントで寝ることとした。小屋は嫌いなのだ。

 一方タムさんはどうも無人小屋が好きらしく、テントでは眠らなかった。水は下から汲んでくるのだが,ポリタンクに汲んだ日付が記載されており,なるべく新鮮な水を使用するように指導されていた。

 本宮→大森山→玉置山→笠捨山→行仙岳→涅槃岳→天狗岳→釈迦ガ岳→仏性ガ岳→明星ガ岳→弥山→行者還岳→大普賢岳→山上ガ岳→吉野,がコースだったが,最後の吉野はタムさんはいったが,私は山上ガ岳から川合温泉に降り,そこで温泉に入って,バスで近鉄吉野線の下市口にでた。
二週間も山にいるとさすがに山生活も飽きてくる。なにか下界が何とも懐かしい気分になる。

 下市口からは近鉄特急で京都に出,そこから新幹線で帰った。タムさんは吉野まで足を伸ばしている。

 コースはほとんど奈良県の中を通っていた。熊野の修験道として有名な場所で,このコースを完走すれば修験者としてそこそこの評価がされるのだという。

Image23  熊野古道は世界遺産に登録申請するようで、そうした意味では意義深い山行だった。

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