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(22.12.25) 文学入門 村上龍 最後の家族

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 今回の読書会のテーマ本は村上龍氏の「最後の家族」である。
ひきこもりの子供を抱えた家族が、その引きこもりを解決していく過程において家族そのものは崩壊していくというストーリーだった。

 この本を選んだのはTさんだが、Tさんのお子さんが過食症に悩んでおり、そうした意味でこの本を選択したのだろうと思われた。
私はいつものように村上龍氏もこの「最後の家族」という小説も知らなかったが、読んでみて村上氏が常に衝撃的な小説を世に問うている小説家であり、また自らの作品を映画化している映画監督であることを知った。

 さらにJMMというメールマガジンを発行し経済・政治現象について常に自らの見解を発信し続けている人だと知ってさらに驚いた。
何かルネッサンス期のレオナルド・ダ・ビンチのようなイメージだ。

 この「最後の家族」という小説は2つの意味で読むものに対し衝撃を与える。
一つは小説の形式であり、もう一つは「ひきこもり」というものに対する理解の深さである。

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 形式についてはすぐに気がつくのだが、ここには主人公が4人いる。父親の秀吉、妻の昭子、ひきこもりの長男秀樹、そして秀樹の家庭内暴力に心を痛める妹の知美である。

 通常の小説は主人公が一人であり、その人の目を通して周りの人物が動いていくのだが、この小説は4人がそれぞれ別個の主人公であり、あえて言えば4つの小説を一つにまとめたような形式だ。
なぜそうした形式をとるのかといえば、最後に全員がそれぞれ独立して家族が崩壊し、その結果として秀樹のひきこもりも終了するという構成になっているからである。
最後に別れるのだから、小説の形式も分けて記載するということらしい。

 またひきこもりに関する村上氏の知識の深さには驚嘆するが、本の末尾に取材をした人の一覧があるので納得した。
ここには精神科医、心理療法士、心理カウンセラー、弁護士等約20名近くの専門家からの聞き取り調査を行っていた。
ほとんど「ひきこもり入門」という学術書と同じような調査や資料集めをしている。

 だからこの本は小説の形式を取った「ひきこもり学入門」であり、最後の結論は自立である。

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 ストーリーは至って単純で、大学受験で志望校に入れなかった秀樹という青年が約1年半に渡ってひきこもっている場面から始まる。

 秀樹は社会との接点を絶ったのだがたった一つの接点は、窓を覆っていた黒いケント紙にあけた10cmの穴である。
そこから望遠レンズで外界を眺めていたら、たまたま隣家のドメスティックバイオレンスDV)を目撃してしまった。

 本人はその時までは完全夜型で母親を除けばほとんど会話を交わすこともなかったのだが、この隣家の女性を救おうと決心したところから、生活パターンが変わってくる。
隣を監視するために昼型の生活に戻り、かつ女性相談センターや警察に盛んに隣家の女性の情報を伝えることによって社会との接触をいやが上でもせざるえなくなる。
一方報告を受けた相談センターや警察からは被害を受けている女性本人が申し出るか、現行犯でないと対応は難しいと返答される。

 秀樹はこの女性を救おうと自分がひきこもりであったのを忘れ、最後はDVに詳しい女性弁護士に相談に行くのだが、秀樹のしつこいまでのこうした行為は隣家の男性が行っているDVと同じで、もし秀樹がその女性を救ったとしても今度は秀樹がDVをその女性に加えることになると諭される。

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 秀吉の話はかなり悲劇的だ。技術はあるが経営に失敗し倒産間際の中小企業の営業畑の次長をしている。社内での話題はいつ会社が他の企業に買収されるかの一点にかかっている。
秀吉はやっと手に入れた住宅があるが、この住宅資金の返済が終わっておらず失職すると払えない。また長女の大学の受験が控えている。

 そのために希望退職もせずにがんばってきたが、この会社は外資に乗っ取られ秀吉は解雇される。

 秀吉は家族を守るのが自分の勤めと思っている一途な男性で、唯一の喜びは家族そろっての食事だ。
しかしこの家族そろっての食事も家族が成長するにしたがって不可能になり、秀樹はひきこもりをはじめ、それを叱責すると暴力を振るわれる。

 秀吉と妻の昭子に対する秀樹の暴力は余りにひどい。ある日、秀樹が燐家を監視したり庭に侵入していると燐家からクレームをつけられた時も暴力沙汰になり、秀吉は秀樹から階段から突き落とされ救急車で病院に運ばれる。
これを期に秀吉は別居を余儀なくされる。
ひきこもりの世界で子供の暴力が激しい時は、暴力を受ける親は別居するのが一番だとの精神科医の指示に従ったものだ。

 秀吉の人生は家族を守ろうとすればするほど家族が崩壊していくという悲劇の人生だ。

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 妻の昭子は秀樹のひきこもりが発生したたあと、精神科医やカウンセラーに通って何とか秀樹のひきこもりを治そうとするが、秀樹が嫌がって医者に行かないため効果はほとんどない。
現在通っている精神科医師からは「無理につれてくる必要はないこと。暴力を振るわれそうになったら、暴力をふるわないで」と毅然とした態度を貫くべきだとスジェスチョンされている。

 この精神科医の指示にしたがうことで昭子は秀樹というひきこもりの子供から徐々に精神的に独立していく。

 昭子はここの医院に通うようになった時から、たまたまそこで家の補修をしていた大工の延江と知り合う。
この医院に来た時は延江と喫茶店で落ち合うのだが、この10歳以上若い大工は体中から健康な動物の臭いを発散させて、昭子の女心をさそう。

 この小説に出てくる延江という男性は非常に魅力的だ。大工の仕事に情熱を持っており、他の仕事と自分を比較したりはしない。ひたすら大工の仕事で男を磨こうとしており、イメージは高倉健だ。
二人の間には肉体関係はないのだが、昭子はいつでも延江に抱かれたいと思っており、母親ではなく女として自立したいと思うようになる。

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 知美は秀樹が両親に暴力をふるうのにうんざりしている。早く家を出たいと思っているが決心がつかない。大学受験は上智大学を目指すことにしたが、それは親の希望だ。

 たまたま元ひきこもりの10歳以上年配の近藤という宝石研磨職人と知り合いになる。
近藤の狭い住宅兼仕事場に通ううち知美は近藤に引かれていく。
近藤から「自分はイタリアに宝石研磨の勉強に行くが一緒に行かないか」との誘いを受け、最初は躊躇するが、家から離れる手段としてイタリアに行くことにする。

 物語はこうした4人の人生がそれぞれ別個に語られ、その中でひきこもり、家庭内暴力、DVがどのように発生し、それを相談所や警察、弁護士がどのようにかかわるかが克明に記載される。
そうした意味で「ひきこもり学入門」であり、私のようにこうした方面の知識が皆無の者にはとても刺激的だ。

 この小説で村上氏がイワンとしたことは明確だ。家族はいつか崩壊する。それをいつまでも維持しようとしても無駄で、それぞれが独立した人格として生きるようになって、はじめてひきこもりも家庭内暴力もDVもなくなるというものだ。

 この家族の最後は失業した秀吉は再就職ができず故郷の一角で親から資金を借りて一人で喫茶店を経営し、昭子はひきこもりのNPO法人でフルタイムの仕事を始め、別居生活に入り実質的に秀吉と別れた。分かれた後昭子は延江とハワイ旅行をして肉体関係を持つ。
秀樹は弁護士のDVの対応に感動して、家を出て司法試験の勉強を始める。
知美はイタリアでイタリア語の勉強をしている。

 この最後の結論はいささか私には現実感がないと思われたが、それでも村上氏の意図はよく分かる。
人は結婚し子供ができ、それを育て、子供が独立すれば親は精神的に別れるということだ。

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 実は私は熊やライオンの生き方を見て、人間にもそうした動物性があるのではないかと長い間思っていた。
たとえば母熊は子供が2歳になると子供を追い出し、自分は新しい伴侶を求め、また新たな子孫を残す営みに邁進する。

 追い出された子供は自分で餌をとらなければ餓死するので命をかけて狩を行い、それに成功したものだけが生き延びることができる。
人間だけが長期間家庭というものを維持するが、子育てが終了すればその家庭を維持すべき生物学的理由はない

 あるのは経済的理由(精神的な理由もある)で、家や年金等の問題が解決しないと夫婦は別れるわけには行かない。ただこの子供を含めた家庭なるものをいつまでも維持しようとすれば生物学的な無理が発生し、それがひきこもりや家庭内暴力やDVでないかと私は思っていた

 子供は巣立ちをさせ、親は互いに独立すべきなのだ。
そうした意味でこの村上氏の小説は私が大いに同意できる内容で、是非多くの人が読んでもらいたい小説だ。

注)読書会の報告者TMさんの感想文は以下のURLをクリックすると読むことができます。是非参照してください。
http://yamazakijirou1.cocolog-nifty.com/shiryou/2011/01/23126-b4e0.html





 

 

 

 

 


 

 

 

 

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