(22.12.20) 菅内閣のカウントダウン 小沢氏とのチキンレース
菅内閣の命脈がいつまで続くかという段階になってきた。
元々菅内閣は参議院選挙で敗北した時からすでに首の皮一枚になっていたのだが、ここにきて小沢元代表との一騎打ちの状況になり、どうやら小沢氏との関係修復は不可能のようだ。
菅総理が小沢元代表の政治倫理審査会出席要請に自ら乗り出さず、岡田幹事長にその作業を一任していたのは、こじれた場合に仲裁する立場を残しておきたかったからである。
「首相の私の要望を聞いてくれ」
しかし小沢氏はこと政治倫理審査会出席については一歩を引くつもりはなさそうだ。
もともと小沢元代表としては民主党の危機を回避するために参議院選挙前に幹事長という職を退いたのに、「菅のヤツ、財務省の尻馬に乗って消費税を引き上げるなんて言いやがって・・・・・・、おかげで大敗だ」という思いがある。
現在の民主党の危機は菅首相自らがもたらしたもので、これ以上の菅首相との付き合いはごめんというのが本音だ。
それよりも菅内閣が崩壊した後の政権構想に乗り出しており、民主党を中心にした大連立を模索している。
だから菅首相と小沢氏の間はチキンレースになっている。
菅内閣は小沢氏招致についてもママならず、また国会では参議院で過半数割れで、衆議院での3分の2の再可決もママならないのだから、法案一つ通すのも容易でない。
さらに国防問題では鳩山前総理が好きなだけ引っ掻き回した普天間基地問題が重くのしかかっている。
辺野古以外に行くべき場所がないのは誰の目にも明らかだが、いっぽう沖縄県の抵抗が激しくこの沖縄の住民パワーを押し切るような力量は菅内閣にはない。
注)もっとも普天間基地問題はどの政党が対応しても解決不能だろう。結局対応するそぶりだけしながら普天間基地をそのまま使用せざる得ないと言うのが実態だ。
地方選挙では完全に民主党は見捨てられており、最近の茨城県議選では野党時代の6議席を守るのがやっとで、来年の統一地方選では目を覆うような大敗北になるだろう。
今総選挙を行えば民主党の地すべり的敗北、自民党の復活、みんなの党の大躍進というところだろうから、民主党の1年生議員が青くなるのは当然だ。
国会議員になったとたんにただの人になるのでは、何のために政界に飛び込んだか意味がなくなる。
客観的に見たら菅内閣の命運は尽きている。小沢元代表との確執で敗北して下野するか、来年度予算で法律改正案件が通らず下野するか、あるいは統一地方選挙の敗北で下野するだろう。
いづれにしても1年は持たないわけで、これほど頻繁に国家の代表者が変わる国は珍しい。
しかしこんなに頻繁に首相が変わっていいものだろうか。
出てくる首相は当初は人気が高くても瞬く間に馬脚をあらわし、支持率は菅首相のいう1%に落ちてもおかしくない状況だ。
実はこうした状況は、私は国民の方にも問題があるのではないかと思うようになった。
首相に最初から決断力や判断力や指導力を求めるのは無理で、自分と同じような人が首相をしているのだから失敗は当たり前で、大目に見ながら首相を育てなければいけないのではないか、そう思うようになった。
そうでなくては誰がなっても首相を1年以上勤めることは不可能だ。
今必要なのは猿とさしてかわらない人を何とか首相らしくしてあげる我慢で、最低限オバマ大統領が首相の顔を覚えられる程度には任期を務めさせる寛容精神だ。
「日本の首相は猿顔だったろうか?」なんてオバマ大統領に思われるのはやはり恥だと思う。
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コメント
23日夜、IWJで取材されてましたが、この映像をTV局が使いたがっていたものの、
許可がおりなかったようで、TV放送ではナレーションと称して音声だけ吹き替えていたそうな。
http://iwakamiyasumi.com/
ネットの強みは「後に残る」ことと、有志が文字起こしをしてくれて検索されやすくなる、でしょうか。
有志による文字起こしが掲載されました。
http://www.yshimizu.com/IWJ-temp/Ozawa.html
(山崎)情報提供ありがとうございました。
投稿: 横田 | 2010年12月24日 (金) 17時31分
国会内の議員の確執は、「忠臣蔵」の松の廊下のシーンのようなものか。
それならば、国民は目を皿のようにしてついてくる。
政治哲学の問題ならば、国民はついてこない。
投稿: noga | 2010年12月21日 (火) 05時31分