(22.10.31) 文学入門 山本周五郎 「青べか物語」 その2
「青べか」とは一人乗りの平底舟でかつて浦安周辺の漁師が貝や魚を取るために使用していた舟の名称である。
山本周五郎氏は昭和の初期にこの浦安に一時住み、そこでたちの悪いぶっくれ舟(青べか)を購入させられ、この舟に乗って釣りをしていたことは、その1に記載した。
この青べか物語りは33章からなっていて、それぞれがなかなか興味のある内容だが、私が最も気に入ったのは「芦の中の一夜」という章である。
これはサマーセット・モームの短編集を読んでいるような感覚に襲われるほど、出色のできばえになっている。
ある日主人公は浦安の東の一面に芦の生えている水路で、幸山船長という引退した元蒸気船の船長に合う。
この人は引退後、この芦原の水路にかつて船長が操舵していた17号と言う蒸気船を係留し、その中で一人で暮らしていた。
子供たちは成人してそれぞれ立派な家庭を築いているので、世間体もあり父親に一緒に暮らそうと提案するのだが、幸山船長は頑として受け付けず、この芦原の水路で一人で暮らしていた。
世間では気がおかしいのではないかと疑われていたが、実は理由があった。
この物語はなぜ幸山船長が17号船に愛着を持ち、なぜ一人で芦原で暮らし続けるかの謎解き物語だ。
船長がながく勤めた会社を引退する時に退職金を拒否し、その代わりに会社から貰い受けたのがこの17号船で、すでに廃船同様の状態で係留されていた。
会社は不思議に思ったが、なぜ船長が17号船にこだわったかについては、17号船にまつわる淡く悲しい初恋があったからである。
船長が18歳の時初恋をしたのだが、相手の女性の親が大変やり手の企業家で、娘を蒸気船の水夫(当時はまだ水夫だった)の元に嫁入りすることを許さず、ある大店の元に嫁入りさせた。
二人は深く愛し合っており、娘の結婚式が迫った有る夜、娘から「どうせ嫁にいくのだから、このからだをあなたの好きなようにしてくれ」と船長は哀願されたが、そうすることもなく二人は分かれたと言う。
しかしその後も二人は精神的に結ばれたままの状況が続いた。
娘の婚家は江戸川堤に近く、また船長は17号船に乗って江戸川を一日1回上り下りするのだが、娘は17号船のエンジン音を聞くとあねさまかぶりにたタスキをかけたまま必ず土手に駆け出してくる。
そして手を振るとか声をかけることもなく、ただ船の通り過ぎるあいだ、自分がそこにいることを彼に見せ、またあらぬ態で彼のほうを密かに見続けたのだと言う。
その後産褥で寝付いた時を除いて、その娘は幸山船長が通るたびに土手に姿を現し続けたと言う。
一方幸山船長も27歳で結婚したが、結婚した相手と彼とは愛情の交換はなく、その女性が32歳で早世してからは、二度と結婚することはなかった。
こうしてその後も江戸川の土手での相手の姿を見ると言うだけの密かな忍び愛が続いたが、彼女は船長が42歳の時に41歳で病死した。
その事実を知った時船長はこう確信した。
「そうさな、あのこは死んでおらのとこへ戻ってきた、っていうふうな気持ちだな、長えこと人に貸しといたものがかえって来た、そんな気持ちだっけだ」
その後船長はその娘と心の中で婚姻し、引退後は思い出の17号船の中で二人で暮らし続けているのだと言う。
この話が本当にあった話か、あるいは山本周五郎氏の創作かは定かではないが、とても感動させる話だ。
昭和初期に生きた日本人がどのような気持ちで生きていたか、何か手に取るように分かって私はとても満足した。
山本周五郎氏自身は64歳で死去したが、その数年前に「ぼくは母さんと結婚するときに、日本一の作家になって見せると約束したが、どうも、とうとう日本一になりそこなったらしい」と妻に述懐したという。
山本周五郎氏が日本一か否かはともかく、山本氏が「青べか物語」のような庶民の暮らしのルポをこのような形で残してくれたことに、私はとても感謝した
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