(22.10.17) 眼鏡
最近ヒョンなことから眼鏡をしないことにした。別段視力が回復したわけではない。眼鏡が壊れてしまったからだ。
この眼鏡は特に老眼に対して配慮された遠近両用の眼鏡で、大學眼鏡といいパソコンを操作するときはとても具合が良かった。
この眼鏡以外にもかつて使用した眼鏡は山ほど机の中にあるのだが、残念なことに遠くははっきり見えても近くは見えない。
「困ったな、どうしよう」思い余ったががしばらくは眼鏡をしないことにした。
私は定年退職者だから仕事上で人と会うことがない。少なくとも取引先のような重要人物と会うことがなく、このおゆみ野の知り合いに会うだけだ。
少々人を認識できなくても支障のない立場にある。それに老眼だから近くの一定の距離は見えるのでその範囲内でパソコンを操作したり、新聞を見たり、本を読んだり、テレビを見ている限りは問題がない。
「なんだ、これなら面倒な眼鏡なんかしないでもいいじゃないか」
私はほぼ毎日四季の道約6kmの清掃をしていて、朝顔見知りの人と会っている。顔はほとんど認識できないが歩き方やそぶりで誰か認識できることが分かった。
それに何より女性がすべて美しく見えるのには驚いた。
輪郭しか見えないのと、細かなしわやほくろや白髪や、そうした細かなものは一切捨象されるので、何か印象派の絵画を見ているような状況だ。
「すごい、世の女性がすべて美人になってしまった」
自動車を運転する場合は眼鏡をかけることを義務づけられているが、幸いに私は自動車に乗らない。最近まで我が家にも自動車があったが処分してしまった。
移動は歩くか走るか自転車だ。
遠くに行く時は公共機関が発達しているのでこれで十分だ。
よくアフリカやアフガニスタンのような中央アジアの人たちの映像を見ると、ほとんどの人が眼鏡をかけていないことに驚く。
一方日本人は圧倒的に眼鏡が多く、外国で日本人かどうか見抜く方法は眼鏡とカメラだと言われるくらいだ(戦前はこれに出っ歯が加わっていた)。
ハリウッドの映画で日本人が出てくる場合はこのパターンだ。
実際自然と共に生きていくだけならば眼鏡はほとんどいらない。景色はコンサイスの辞書の文字のように細かくないから、大体分かれば十分だ。
最近は自分がかつて必要と思っていたものを一つ一つなくすようにしている。最近まであるか無きかの頭髪を残していたが、それも丸坊主になってすっきりさせてしまった。
これで眼鏡も捨て、自動車も捨てた。携帯などは携帯することがないのでとっくに捨てている。
何か生活がますますシンプルになっていき、そのうちのわが身も不要になり捨てられるようになるかもしれない。
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コメント
あははは、女性が美しく見えるのは得ですね。山崎さんは、いつも女性を美しく見ていたいのでしょう。
でも、周辺の環境美化が、そしてカメゴン氏の存在などが、山崎さんを待っていますから、まだまだ達観するのは早いのではないでしょうか。
我々読者も、毎日のアップを楽しみにしています。
投稿: yokuya | 2010年10月17日 (日) 21時26分
『すごい、世の女性がすべて美人になってしまった』
『わが身も不要になり捨てられるようになるかもしれない』
いやー、すごい境地ですね。
毎日、本ブログ、楽しみにしています!
投稿: 匿名 | 2010年10月17日 (日) 09時04分