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(22.9.8) 文学入門 藤原てい 「流れる星は生きている」

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 今回の読書会のテーマ本は藤原てい氏の「流れる星は生きている」で、この本を選んだのは読書会主催者の河村義人さんである。

 いつものように私は藤原てい氏もこの本も知らなかったが、読んでびっくりした。
藤原てい氏が新田次郎氏の妻で、この本にも登場する次男の正彦氏は数学者で「国家の品格」という書物を著し、最近は思想家としての側面が強い人だったからである。
調べてみると一族には学者や小説家が輩出しており、心理学でいう天才の家系と言っていい。

 この一族のなかで私が知っていたのは新田次郎氏と藤原正彦氏だけだったが、新田次郎氏の孤高の人槍ヶ岳開山は愛読書であり、また剣岳点の記八甲田山死の彷徨は映画を見て感動した。
藤原正彦氏の「国家の品格」には同意するところが多い。

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 今回のテーマ本の「流れる星は生きている」は昭和24年に刊行されているから私が3歳の時の作品だ。
日本が敗戦をした昭和20年からほぼ1年をかけて、満州の新京現在の長春)から3人の子供を引き連れ日本に帰ってくるまでの逃避行の記録である。

 私はこれを完全な記録として読んだが、念のため参照したWikipediaには一部には創作があると書いてあった。
しかしどこが創作部分か分からないので、すべてドキュメンタリーとして読んでいる。

 満州からの引き上げは、他の地域からの引き上げに比べて、日本人とって飛び切り過酷なものであったことは、かつて読んだ五味川純平氏の「人間の条件」や高橋和巳氏の小説で描かれていたので知っていた。
その最大の理由が、戦勝国がスターリンソビエトロシアであり、ロシア自体がとてつもなく貧しかったことと、スターリンが意図的に日本人の男性を強制労働、女性は性の労働に狩り出したためである。

注)スターリンのソビエトロシアはあらゆる人々に対して過酷な政体で、多くのロシア人、ドイツ人、そして日本人が犠牲になっている。

 一家は満州新京の観象台(現在の気象庁)に赴任した新田次郎氏について1943年に満州に渡り、1945年8月9日に日本に逃避行を開始したが、実際は約1年あまりの間、現在の北朝鮮の宣川で一種の収容所生活を余儀なくされている。

注)8月9日はソ連軍の侵攻が開始された日。いち早く軍属と官僚の家族には退避命令が下された

 この間新田次郎氏はソ連軍によって抑留され、藤原てい氏は長男正広(6歳)、次男正彦(3歳)、長女咲子(1ヶ月)を引きつれ、自身が鬼になることによって子供たちの命を救っている。

 私がこの本を読んで一種のやりきれなさを感じるのは、ここに出てくる人が本人を含めてすべての人が、生きるか死ぬかの瀬戸際で鬼になり、鬼になりきった人だけが生き延びたと言う「人間と言うものは最後はこうしたものだ」という悲しいまでの報告だからだ。

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 夫新田次郎氏に対する評価も散々だ。
新田次郎氏は新京からの脱出時に家族を先に旅立たせ、自分は観象台の残務整理をするのだが、それを「最後まで見栄と、ていさいのために、私たちを犠牲にしようとする夫に向かって、私はただ人並みの妻として涙を流すより仕方がなかった」と述べている。
私など新田次郎氏は立派な作家だと思っているので、ここで描かれる「見栄とていさい」だけの男の姿には衝撃だ。

 しかし藤原てい氏が描く日本人は自身を含めてすべてが利己的に振舞う。
特にてい氏は1ヶ月の幼児がいるため、この幼児のオムツの処理に四苦八苦するのだが、周りの大人たちはこの幼児のためのオムツを洗う水を惜しがり、また幼児がなくと「うるさい」と非難し、配給は子供には少なくあてがわれる。

 この逃避行の過程で大人は幼児を犠牲にし、強いものだけが結局は助かる。そうしたなかでてい氏はこの咲子と言う1ヶ月の幼児を助けるために、行商や、こじき女になり、また人のいい女性から金を巻き上げるすべを会得することで生き延びる。

 特にこの本に出てくる「かっぱおやじ」は印象的だ。自分が指揮する日本人集団だけの利益を優先して、他の集団のことを省みない。
てい氏の集団が「かっぱおやじ」の集団に援助を請うのだが、聞いたふりをしても出し抜いて自分たちだけで逃げてしまう。
俺の集団だけが生き延びるのだ」そうした生の人間の息吹を感じさせる人間性だ。

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 だがこうした人々も生活が安定していて新京で優雅に暮らしていたら、きっといいご主人でいい奥さんだったに違いない。

 1年余りの宣川での収容所生活の後、38度線の米軍キャンプ地に向けて決死の脱出を図るのだが、汽車は途中の沙里院までしか行かず、そこからは38度線目指して徒歩での脱出となったという。

注)日本の敗戦後38度線をはさんで北はソ連、南をアメリカが占領していた。

 雨の降りしきる泥濘の山道を靴も履かずに数十キロの山道を突破する時の記載は特に胸を打つ。
足には石が挟まり歩くことがおぼつかなくなり途中で幼児を人に預けるが、幼児はすぐに大人に見捨てられてしまう。
見捨てられた幼児に再会したてい氏は最後の力でこの幼児とともに川を渡るのだが、渡れたのが奇跡に見える。
こうした逃避行が数日続いている。

注)山道を裸足で歩けるのは常時裸足で歩いている人だけで、靴をはいた生活をしてきた人は石の上を歩く痛さに悲鳴をあげる。通常は歩くことができない。

 38度線に達し、生と死の境で米軍に助けられ、日本に帰ることができたのだが、この決死行は私が今まで知った決死行のなかで一番すさまじかった。

 この本は深く研究するに値する本だ。
人間が極限状況に追いこめられた時にどのような行動をとるかの生きた証言だし、人間がどこまで生命力を維持できるかの証言にもなっている。
読むことはとてもつらい本だが、多くの日本人が読むのに値する本であることは間違いない。

 なお、主催者の河村義人さんのレジュメは以下のとおりですので、合わせて参照してください。
http://yamazakijirou1.cocolog-nifty.com/shiryou/2010/09/2298.html

 

 

 

 

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