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(22.9.6) BAHA(骨伝導補聴器)は救世主になるだろうか?

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 最近の難聴の進み具合にはほとほと困惑している。
以前はNHKのアナウンサーの声だけは明瞭に理解できたのに、最近はそれも危うくなってきた。

 幸いNHKでは日本語字幕をニュースやドラマで採用してくれているので、最近は音声を消音にして、もっぱら日本語字幕で見ることにしている。
聞こえない耳で無理に聞こうとすると、精神的に疲れるからだ。

 私の耳は感音声難聴で、音声を大きくするだけでは騒音と同じで意味がない。特に子音が聞こえないのでこれを補強する補聴器が必要なのだが、正直言って満足する補聴器に出会ったことがない。
最近は諦めて、補聴器をせずに想像力を駆使して会話をしている。
その人の思考パターンを理解して、どのような話をしているか予想するのである(ただしこれは面識のない人には効果がない)。

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 もし効果的な補聴器があれば是非使用したいと思っていたら、先日の毎日新聞に「小耳症対策としてBAHA(バハ)という骨伝導補聴器が有効」だとの記事が目に入った。

 小耳症とは耳の穴がふさがれている病気で、したがって鼓膜を経由して音声が入ってこない。
そのため骨を経由して音声を補足しようとして開発されたのが、骨伝導補聴器だが、従来のものはバンド方式と言って、補聴器をバンドで骨に固定して音声を伝える。

 この方式の弱点は補聴器を骨に強く接触させる必要があるため、バンドがやたらときついということで、こうしたバンドをしていると頭がガンガン痛くなってくる。
こんなに痛いのなら補聴器などしないほうがましだ」と思えるほどである。

注)バンドを緩めると今度は音声が聞こえなくなるので、はなはだ扱いづらい。

 それに対して小耳症対策として日本に紹介されたこの骨伝導補聴器BAHA(バハは、骨と結合する性質を持つチタンを側頭骨に埋め込み、そこに集音機能を持つ機器を植え込んで、骨に直接振動を伝える方式だという。
直接埋め込まれていて骨と一体化するので、慣れれば明瞭な音声が聞こえるという。

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 問題はチタンを埋め込むために手術が必要なことと、現在は保険対象外のため実費を支払わなくてはならない。
技術そのものは1970年代スウェーデンで開発されたもので、日本では小耳症対策として大学病院の治験を終え、医薬品医療機器総合機構の審査を待っているところだ。
承認されれば保険対象になる。

 私の場合は中耳に問題があって音が聞こえないのだが、骨からの伝導はそれほど衰えているわけでないことが検査で分かっている。
保険対象になったら埋め込んでみたいものだ

 そう思っているが、この手術を実施できるのが信州大学のような一部の大学病院だけで、しかもかなりの入院期間が必要らしい。
チタンと骨が一体化するまで時間がかかるという。

 だが、この方法が本当に有効であれば実に喜ばしいことだ。日本には多くの難聴者がいるが、かなりの人にとって福音になる可能性がある。

 それと言うのも現在一般に普及している耳穴式補聴器はかなり問題があり、デジタル式はやたらと価格が高く(片耳で20万円前後)、その割には補聴機能が十分でない。
眼鏡のようにかければ明瞭に見えるというわけには行かず、騒音の方が大きくなり実に不愉快だ。

 馬鹿馬鹿しいので私は補聴器を使用していないが、一方で会議などに参加すると、ほとんど話されていることが分からないことが多く、実に精神的に苦痛だ。
最近は会議と聞くとなるべく避けるようにしている。

 このBAHAという骨伝導補聴器はもしかしたら私の苦痛を取り除いてくれるかもしれない。今後の推移を十分注意して情報をトレースすることにした。

 

 

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コメント

難聴がますます進んできているとのこと、お見舞い申し上げます。
私は聴力の衰えは、あまり感じておりませんが、小学5年生の時に、左耳中耳炎の手術をし、その際に鼓膜はもちろんのこと、聴力をつかさどる器官までそっくり除去してしまいました。このために、左耳の聴力は「0」に近いものとなりました。
それでも、残った右耳は、今日に至るまで(齢70歳)正常に働いてくれています。
ですから、多少の不便は感じるものの、山崎さんほどの不自由さは感じておりません。
最近は、健全だった妻の方の聴力が落ちてきて、TVのボリュームをだんだん大きくしないと聞こえないくなってきました。
この程度では、日常生活には、さしたる不自由は感じないのですが、この先、妻の両親はかなり難聴になっていたので、ちょっと心配しています。私は、加齢とともに、視力がだんだん落ちてきて、1年前に作った眼鏡の度が合わなくなってきています。
裸眼だと、すぐ近くまで来ないと、誰だかわからないこともあり、衰えを感じております。
「歳をとる」ということは、このような衰えを実感すること、になるのかもしれませんが、パソコンという武器を、さらに一層鍛えて、難聴を乗り越えてほしいと、願っております。

(山崎) いつも心配してくださってありがとうございます。

投稿: 散歩おじいさん | 2010年9月 6日 (月) 22時12分

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