(22.9.21) ロドリゴ 蝦夷地探訪記 その14
この日(元禄3年8月20日)は、初田牛の誰もいない駅舎をたって根室に向かいました。
目的地のノサップ岬はもうすぐそこと言う感じになってまいりました。
途中昆布森や西和田という集落を通過しましたが、このあたりの森林の荒廃には驚いてしまいました。
道路に沿って松林が続いているのですが、風雪に耐えられず倒壊しておりました。
このあたりは風がことのほか強く、風力発電には好地のようですが、一方そうした場所に道路を作ると互いに寄り添って風雪をたえてきた森林がたちどころに支えがなくなって倒壊するようでございました。
(松林が倒壊していた。森林は寄り添って生きているため、風の強い場所に道路をつくると高木は倒壊する)
(近くに風力発電の設備があった)
初田牛から花咲線沿いに蝦夷の道が根室に向かって伸びており、約40km程度で根室の都邑に到着する予定でございました。
ロドリゴが完全に誤解していましたのは、根室と言い、花咲と言いとてもよく聞く地名でしたので、根室は釧路並みの大きな都邑だと思っていたのでございます。
しかし着いた根室は人口3万人程度(80年代は4万人)の、市とはとてもいえないような寂しげな集落でございました。
JRの駅舎も1階建てのこじんまりとした建物で、駅前も閑散としておりオテルもほとんどなく、かろうじて見つけたオテルは一階が飲食店で2階と3階がオテルになっておりました。
ロドリゴは都邑ではオテルに泊まることにしていたのですが、「これなら公園にテントを張ったほうがましかもしれない」と一瞬思ったほどでございます。
(明治になり、この根室の和田村に屯田兵が置かれた)
根室とはアイヌ語でネモロといい、「河口に流木が寄り集まる小川」と言う意味だと聞きました。
ここは松前藩が交易所を設置した場所でございますが、もともと交易所は根室ではなく近くのノッカマップにありました。
ところが松前藩のアイヌに対する年貢の取立てが極度に厳しく、これに怒ったアイヌと松前藩の間にクナシリ・メシナの戦いが繰り広げられ、松前藩の一方的な勝利に終わったのだそうでございます。
その結果多くのアイヌをノッカマップで斬首したため、ノッカマップを避けて根室に交易所を移したと聞き及びました。
注)根室の風土記には以下のように記載されております。
ノッカマップ岬は根室半島の根室湾側に面する小さな岬です。ノッカマップ灯台以外は何もないおよそ観光とは無縁の岬ですが北海道の歴史上極めて重要な場所です。
1789年当時の松前藩から蝦夷地の交易を一任された場所請負人の不当な交易や強制労働に対して憤りを爆発させた国後島のアイヌとこれに呼応したメナシ(現羅臼・標津付近)のアイヌが蜂起し和人商人を襲撃。
松前藩はこれを鎮圧し(クナシリ・メナシの戦い)蜂起に参加した者をこのノッカマップに集め取り調べを行った後、首謀者とされた37名をここで処刑しました。これ以降和人の蝦夷地支配は決定的なものとなっていきます。
根室は漁業と牧畜で生計を立てている場所のようで、駅前は閑散としていますが漁港周辺には松前藩の役所や両替所が立ち並んでおりました。
高札もオロシャ語で書かれている等、とてもオロシャとの関連が深い場所のようでございました。
(根室市周辺は平坦な土地が多く、ほとんどが牧場になっていた)
ロドリゴはこのオテルでいつものようにすべての衣類を風呂に投げ込み、自身もその中に入って衣類と身体の洗濯をし、旅の汚れを落としたのでございます。
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