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(22.8.31) 円高・株安は止まらない 若者は荒野を目指せ

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 このところの円高・株安菅政権は悲鳴を上げ、「急激な為替相場の変動に対しては断固たる措置を取る」と為替介入を実施するポーズを見せているが、アメリカがドル安政策をとる限り、それは無駄というものだ。

 アメリカは民主党政権になってから産業資本擁護に急激に傾斜しており、輸出拡大こそがアメリカの利益だとばかりドル安政策をとっているので、アメリカと協調してドル相場の維持を図ることもできない。

注)共和党政権は強いドル政策を推進し、金融資本を擁護してサブプライムローンといういかがわしい商品で海外から資金を調達してきた。
今はそのバブルがはじけ海外からの資金調達ができず、FRBがドルを印刷しては金融機関にゼロ金利で貸し与えている。

 日本では急激な円高によって輸出産業に多大の損失が発生すると例によってマスコミは大騒ぎをしている。
しかし一方で輸入産業はボーナスのような利益が発生しているのだから、輸出産業の苦境のみ捕らえるのは片手落ちだ

 それに日本の大企業はすでに世界各地に工場を展開しており、国内生産と国外生産のバランスの上に利益を上げる体制を整えている。
円高になれば国外生産を増やすだけだから、すでに為替相場の変動をヘッジしており、今大騒ぎをしているような経営者は辞表を提出したほうがいい。

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 問題なのは国内にだけ基盤を置く中小企業で、輸出ウェイトの高い企業はこの円高で苦境に陥っている。
しかし目先の聞く中小企業はすでに中国等に生産拠点を移しており、大企業と同じような体制を構築している。
日本から一歩も出ないような輸出企業はいづれは淘汰されるのだから、それが早いか遅いかの時間の問題にすぎない。

 一方消費者としては円高はいいことづくめだ。スーパーは円高還元セールをしてくれるし、海外旅行をしても強い円のおかげで急に金持ちになったような錯覚にとらわれる。
小金持ちの人は海外に別荘を構えることもできるし、そこで暮らせばハイクラスの生活ができる。

 一方で企業も外国企業の買収が容易になり、自社ですべてのノウハウを開発する必要はないし、世界企業になるチャンスでもある。
だから円高だと大騒ぎするのは、円高対応に乗り遅れた弱小企業だけだ。

 株価については円高になると輸出産業を中心に株安になるが、すでに日本株の半分は外国人が保有している以上、円高になって利益が確保できれば日本株を売るのは当然だ。

注)たとえば5%円高になれば、海外から見れば日本株は5%値上がりしたことになる。したがって利益確保のために日本株を従来より5%安くなるまで売るのがディーラーの戦略になる。

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アメリカがドル安を容認している以上円高は傾向的に進むと思わなければならないし、それにつれて株安も進行するのは止む終えない。

 円高になって困る唯一の問題は、輸出産業が海外にシフトして国内に仕事をする場所がなくなり失業問題が発生することだろう。
短期的には失業手当の支給で乗り切るものの、長期的には日本の若者が海外で働くことを奨励しなければならない

 国内に仕事がなければ海外で働くのはどこの国の国民でも実施してきたことで、新興国の中国やインドやブラジルといった国や、資源国のオーストラリアといった国に職場を求める労働の大移動時代になっている。

 日本に残される職場は国内産業やサービス業(公務員・教員・自衛隊員・医者等)、消費者相手のスーパーやコンビニのような職場、高齢者向けの介護サービス等で、現在の地方の中小都市の現状を見ればどんなものか想像がつくはずだ

 上記のようなサービス業以外に確保できる職場は、研究開発事業のような高度に知的な職場だけで、かつての日本の工場を支えたような工場労働者は日本以外の国に移転されると思ったほうがいい。

 だから若者にははっきり言うべきだ。

国内の職場は限られて、しかも段々と少なくなっていく。君たちは海外に出て外国の若者と競争しながら仕事を開拓しなければならない。
そのためには十分な学力をつけ、外国語も自由に操る必要がある。
大学で遊んでいれば時間給のパート以外の職業には就けないだろう


注)日本企業の国外展開のスピードにあわせて、若者の職場も国外に展開せざるえない。今大学生や高校生が卒業後就職できなくて大問題になっているが、国内で就職活動をしていても問題は解決できない。

 

 

 

 

 

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(22.8.30) ロドリゴ 蝦夷地探訪記 その3

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(今日は襟裳岬から広尾へ地図の右側の黄金海岸をたどった

 今日(元禄3年8月10日)は蝦夷地ではかなり大きな集落の広尾まで行きたいと思いましたが、距離にして46kmあり、どう考えても途中の野宿は必定と思われました。

 幸いに私ロドリゴはテントと寝袋を持参していましたのでどこででも寝ることはできるものの、ただ一つ気がかりなのは夜半ヒグマに襲われる可能性があることでございました。

 江戸近在の奥多摩の山中にはツキノワグマが出没し、時に人に襲い掛かることがあるのですが、人とツキノワグマの力はほぼイーブンで、豪胆な狩人はツキノワグマを谷底に突き落とすぐらいでございます。
しかしヒグマは立ち上がると3mにも達し、ツキノワグマの数倍の体重ですので、とても戦う相手ではなく「食べるなら一思いに食べてください」と頼むのがやっとでございます。

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黄金道路 現在は左のトンネルに入るのだが、右に旧道のトンネルが映っている

 しかも今日広尾に向かう道は特別に険阻で、日高山脈が海にせり落ちており、油断をすると崖から大石が転がり落ちてくるような場所でございます。
長く人を近づけない場所ではありましたが、近藤重蔵様はじめ多くの方々がここに道を開削し、当初は山道でしたが徐々に海岸べりに人もヒグマも通れる道を開削したのでございます。

 この道は現在黄金道路と呼ばれており、当初ロドリゴは砂金を掘るための道路と誤解しておりましたが、大金を費やしてようやく開通した道路という意味だとあとで知りました。

 現在この道路はさらに多くのトンネルが掘られて、海岸道路ではなくトンネル道路に様変わりしております。
かつて大金を費やして開削した海岸道路は打ち捨てられて今はこのロドリゴ以外訪れる人はいないようでございました。

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打ち捨てられた海岸道路。ロドリゴが一人で歩いた

 これは後ほども述べるつもりですが蝦夷地の道路はことのほかよく整備されており、特に地方道は数少ない地元の人が使用するのと、ロドリゴのような旅人がたまに利用する以外利用されることがたえてないようでございました。

 それでもこのような立派な道路が有るのは蝦夷地の鈴木宗男大酋長のおかげで、公共工事が唯一の産業だと言って道路をつくったからだと、土地の和人やアイヌの人々が申しておりました。
ヒグマやキタキツネのためにも道路を整備しよう」これほど博愛に満ちた言葉は聴いたことがありません。

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こうした道路がいたるところに整備されている

 当初ロドリゴはトンネルを避けて景色が見える打ち捨てられた海岸道路を歩いておりました。
しかし大きな土砂崩れの跡がありどうしても通過ができず、已む無く引き換えしてトンネルを通過することにしたのでございます。

 なかでも宇遠別トンネル全長3.3kmもあり、歩くと50分もかかりました。
その間自動車の騒音と排気口のファンの音がものすごく、かつ歩道はせいぜい50cm程度でしたので、油断すると歩道から落ちてしまい、まことに危険極まりない場所でございました。
主よ、これは主がロドリゴに与えたもうた試練なのでしょうか」なんど祈ったことでございましょう。

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海岸道路のがけ崩れの現場。仕方なくここからもと来た道に引き返した

 トンネルを通るたびに緊張しておりましたのでくたくたにくたびれてしまい、やはり広尾までは到着できず、途中の音調津(おしらべつという漁港の岸壁にテントを張って寝ることにいたしました。
襟裳岬を出立したのが朝の5時で到着が4時ごろでしたので、おおよそ40km程度歩いたことになります。

 この漁港には幸いに和人の人家が点在しておりましたので、ヒグマの襲撃を心配せずに寝ることができたのでございます。

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この川で身体を洗って岸壁にテントを張った

(参考)今回の装備について
今回一番頭を悩ませたは装備で、これをできるだけ軽くする必要がありました。
・テント、寝袋は必需品で約3kg
・衣類は基本2セット(昼間と夜中用)、それに雨具1セット 約2kg
・食料は現地調達でできるだけ少なく、水を入れて 約2kg
・リックサックの重さが1kg
・ポシェットにはカメラ、お金、医療品(正露丸・風邪薬・虫対策) 約1kg

合計で9kg程度になりました。

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旅の友達はカモメだけでした





 

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(22.8.29) 金総書記の断末魔 正銀を守ってくだされ!!

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 北朝鮮の金正日総書記が突然中国の東北部吉林省吉林市を訪問したことに世界が注目している。

 金総書記の中国訪問は5月に続いて今年2回目だが、通常独裁権力者が祖国を離れることはよほどの理由がない限り行なわない。
一番の理由はその間にクーデタを起こされて権力の座から追い落とされることが多いからで、最近ではタイのタクシン元首相がニューヨーク滞在中にクーデタが起きている。

 自分の国を離れないもう一つの理由は、国にいれば最高権力者だが海外に出れば貧しい国家の元首に過ぎず、「また物乞いに来たのか」と中国の接待係にさえ馬鹿にされるからである。
馬鹿にされても相手を銃殺刑にもできず、イライラが昂じて精神状態が不安定になる。

 だからなぜこの時期にわざわざ中国の北京ではない吉林市に出向いたのか世界のメディアが注目した。
吉林市には故金日成総書記が抗日闘争を始めるきっかけとなった中学校がありそこを訪問したというのだが、独裁者が単に観光旅行として中学校を見に行くはずがない。

 しかもこの時期にアメリカのカーター元大統領がオバマ大統領の特使として北朝鮮を訪問している。
北朝鮮に捉えられていたアメリカ人の釈放を求めて訪朝しているのだが、カーター元大統領の面接をすっぽかしても中国に行かなくてはならない事情があったわけだ。

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 この中国訪問の理由はただひとつ、後継者として三男、金正銀氏を中国に後継者として認めてもらい、あわせてその物心両面の支援を要請しに行ったということだろう。
そうでなければわざわざ故金日成総書記ゆかりの吉林市に行く必要はなく、北京でよかったはずだからである。
中国側はどうやら胡錦濤主席が対応したようだ。

胡錦濤殿、どうかこの正銀を助けて、人民共和国の行く末を守ってくだされ、これこのとおりじゃ
金正日総書記は健康問題を抱えており、ちょうど豊臣秀吉の晩年のような状態になっている。
いつ心筋梗塞が再発するか分からず、余命は2年以内と見られており今度再発したら命がなくなりそうだ。

 一方正銀氏はまだ20代の若者で、国内に実質的な権力基盤を持っていない。金正日総書記が健在である限り「わが将軍(金総書記のこと)の胆力と気性がそのまま受け継がれたパルコルム(足音」だが、金総書記が死去すれば、実質的なNO2の張成沢国防副委員長がその地位を脅かす可能性が強い。

注)張成沢国防副委員長は03年に一時失脚したが06年に復権し、その後北朝鮮のNO2となっている。中国との関係が深く経済にも明るいといわれており疲弊した北朝鮮経済を立て直すのは張成沢氏しかいない。

一部では「将軍様と張成沢の力関係は紙一重」と評価されており、本来ならば金正日氏からパージされる立場にいるが、あまりに北朝鮮の経済が疲弊してしまい、その建て直しを張成沢氏に頼らざるえない状況でパージもできない。


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 金正日総書記が豊臣秀吉で正銀氏が秀頼、張成沢国防副委員長が徳川家康という構図で、このまま行けば確実に金王朝は終わってしまう。
金正日も人の子だ。子供のために中国もうでをして涙ながらに訴えたのだろう。

私が死んでもなんとかして、正銀を後継者といたしたい。それには胡錦濤殿が後ろ盾になってもらう以外に選択の余地はありません

中国の言うことは何でも聞ききます。核開発も凍結いたしましょう。だから正銀のことはお頼み申します
そんなところだろう。

 しかし中国の本音は中国の開放改革路線にならって経済再建に取り組もうとしている張成沢支持で、6カ国協議をすっぽかし、核開発に邁進してきた金正日総書記にうんざりしている。

 どうやら私が生きている間に金王朝の最後を見ることができそうで、正銀氏はラストエンペラーになりそうだ。

 

 

 

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(22.8.28) ロドリゴ 蝦夷地探訪記 その2

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今日の目的地襟裳岬

 ロドリゴにとってとても意外な気がしましたのは、この蝦夷地が相対的に衰退していることでございました。
蝦夷地全体としても1995年ごろの人口570万人から、現在は550万人に漸減しており、それは特に漁村部や農村部において著しい傾向となっております。

 ここ様似(さまに)においても1980年には約8000人いた人口が、今では約5000人の規模になり、アポイの火祭りを行うのにも事欠く有様のようでございました。
したがってこの集落にはたしてコンビニと称する食料調達地があるか、非常に不安だったのでございます。

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いざ出発だ

 様似の駅を出立したのは元禄3年8月9日の朝6時ごろでしたが、信じられないことに国の道を約200m程度行ったところで、セイコー・マートと称するコンビニに遭遇することができたのでございます。

 このセイコー・マートは橙色の鳩のマークが目印ですが、長らく江戸表に住みセブン・イレブンローソンを見慣れた目からすると「セイコー・マートって何」という雰囲気でしたが、実際はその後このセイコー・マートに何度も飢餓一歩手前で助けられたものでございます。
主よ、主はロドリゴのためにセイコー・マートを用意してくださったのでしょうか

 何はともあれ、当日と翌日までの食料を入手できましたので食料問題は解決でき、泊まりはいつでも野宿が可能で、非常に晴れ晴れとした気持ちで出立できました。

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こうした海岸線が続いている

 今日は様似から襟裳岬(えりもみさきまで歩く予定で、距離はおおよそ36km程度と推定されました。時速4km約9時間の行程ですが、途中で休みを入れたりして10時間程度で襟裳岬に到着が可能に思われました。

 ここ日高地方の太平洋側に面した海岸線は日高昆布の一大産地で、この時期は漁家はあげてこの昆布の収穫に全精力を集中しておりました。
昆布は資源保護のために夏の4ヶ月と漁期が決められ、かつ朝方の3時間だけが許されるという制限の元に、ここに漁業権を持っている猟師が一斉に船を出して収穫を競い合っておりました。

 今回の探索はほとんど海岸線に沿ったものでしたので、この昆布漁の光景は幾度となく見ることができましたが、この昆布漁でその年の生活をまかなわれており、収穫量の多寡が生活を決定づけているようでございました。

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舟で収穫した昆布はトラックに積み替えられ干し場に運ばれていく。こうした作業は一家総出で行われていた

 そして概して言えば漁家は昆布のおかげでかなり裕福な生活をしており、家並みも江戸表のそれとそん色ないレベルでございました。
なるほど、松前藩の財力はこの昆布漁に負っているのか

 途中この地域の守り神である約800mほどのアポイ岳火のあるところの山)の麓を過ぎましたが、ここはアイヌの聖地のようでございました。
襟裳の国の道をひたすら南下し、朝方の霧も晴れ強い直射日光が肌を刺すほどの好天になったのでございます。

 山が海岸にまで迫っており、急斜面を川が流れ落ちており、おかげで水の苦労はなく、また身体が火照ると水浴びをして体温を下げることができたのでございます。

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鹿やキタキツネが出迎えてくれる

 えりも港を過ぎると、襟裳公園道という特別な道があり、周りの光景が一変し高山植物と笹が生い茂る荒涼とした景色が続いておりました。
ここは昨年歩いたフランスの高原地帯にそっくりだ」そんな感じの場所でございます。

 襟裳岬は江戸表の歌い手、森進一が「襟裳の春は 何もない春です」と歌った場所でございますが、この時期常に霧が立ち込め長袖を着込まないと寒さに耐えられないような場所でございました。

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こうした光景が延々と続く

 ようやくついたものの景色は霧にかき消されていましたので、灯台の後ろあたりにテントを張って寝ようとしておりましたところ、ここに住居を構えている和人が「旅の方、もし野宿をされるならバス停の待合室が戸もきっちり閉まって快適ですよ」と教えてくれたのでございます。

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このバス停が一夜の宿になった。戸が頑丈に作られておりヒグマでも開けられないようになっている

 ここ襟裳岬にはヒグマが出没しているらしく、有線放送でさかんに熊対策を放送しており、キャンプなどしていると熊の餌食になってしまいそうな雰囲気でしたので、喜んでこの和人の言葉に従い、バス停の待合室で一夜を過ごすことにしたのでございます。




 

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(22.8.27) 菅総理の不思議な戦略 参議院選挙でも代表選でも負けよう!!

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 なぜこんなに早く菅政権が落日を迎えたのか、なんど考えても分からない。外から見ていると菅総理は好んで落日を演出しており、総理大臣を辞めるために総理大臣をしているようなものだ。

 今日(26日)、小沢前幹事長が民主党の代表選に立候補するとの表明をしたため、菅総理の命運も風前の灯になった。
総裁になって3ヶ月、ただ消費税を上げると言ったことが唯一の存在証明のような総理になっている。

 落日の直接の原因は消費税のアップを参議院選の争点に据えて過半数割れを起こしたことだが、私がどうしても不思議に思うのは「なぜ選挙をわざわざ負けるように演出したか」ということだ。

 民主党の選挙基盤は自民党のように厚くはなく、せいぜい旧社会党や旧民社党を支持してきた労働組合の組織票をあてにするぐらいで、後は個人的人気とムードによって勝ってきた。

 民主党にとって国民の人気取りが最大の眼目であり、だからこそ鳩山前首相は「自分が総裁の間は消費税は一切上げない」と言明していたし、それが民主党の党是であった。

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 ところが菅総理はそうした民主党の党是をいとも簡単に破って「消費税を10%程度上げることを検討しよう」とこれを選挙の争点にしたのである。
今まで「各省庁には約200兆円の隠し財産があり、これを一般会計に繰り入れれば民主党の言ってきたこども手当ての財源はいとも簡単に捻出できる」との主張は嘘だったといったわけだ。

 これでは常時約30%とはいる無党派層がそっぽを向くのは当たり前だ。
無党派層が民主党を支持したのは、自分の懐が痛まない改革だったからである。
200兆円の隠し財産を利用して天下りを享受しているのは高級公務員であり、改革が実行されても一般の無党派層の懐が痛むわけでない。

 しかし消費税アップは違う。5%といえども自分の懐が痛む。
私はよくジャスコを利用しているが月に一回行われる感謝デイこの時は消費税相当分の5%程度価格が安い)には、ジャスコのカウンターが長蛇の列になっている。
消費者は厳しいのだ。

 だから何度も言うが「消費税を10%アップする」なんて政権政党がいえば選挙に敗北することは確実だ。

注)野党の場合は何を言っても実行能力がないから、この場合は消費税アップを言っても直接選挙結果に影響しない。

 管総理はなぜ消費税アップを選挙の争点に据えたのだろうか。いくつかの仮説が考えられる。

① 消費税アップを訴えても選挙に勝てると誤解した。

② 参議院選挙は敗北すると想定して、選挙後の自民党との大連立を模索した。

③ 菅総理が首相に就任する条件が消費税のアップだった。

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はかなりありうる。菅氏は長い間野党政治家だったため、政権維持のノウハウを学んでおらず、小沢前幹事長のような「選挙で勝つためには何でもする」という強さがない。
これはいわば、おぼっちゃん政治家で無能という評価になる。
ただし、なぜ消費税を取り上げたか」の疑問は残る。

は想定できない。事前に民主党の敗北を予想していたなら、自民党との間の下工作が必要だが、そうしたことをしていたとの兆候はない。
どう見てもただ負けたというようにしか見えない。

は専門家の間でささやかれている仮説で、財務省とその裏にいるアメリカに取り込まれたという説だ。
財務省が隠し財産の取り崩しに反対するのは当然で、明治政府以来営々と築いてきた既得権を子供手当てというばら撒き政策で取り崩されてはたまらない。
平素安月給に甘んじているのは、天下りによって高給と再度の退職金が保障されているからで、これで大企業の役員クラスと同じ所得水準になる」というのが本音だ。

 だから「埋蔵金などはなく、あってもほとんど取り崩しは不可能だ」と菅総理が財務相だった頃から洗脳していた。

 一方アメリカにとっては鳩山反米政権(裏に小沢氏がいるは目の上のこぶであり、何とかして排除しようと画策してきた。
小沢前幹事長に対するしつこいまでの政治と金の追求と、鳩山前総理辺野古で行き倒れるようにメディアを使って誘導した。

 またアメリカ政府の日本政府に対する要望の一つにアメリカ国債の購入があり、消費税がアップされて国に余裕が出れば、さらなるアメリカ国債の購入を指示することができる。

注)IMF(アメリカ政府の別働隊)が、選挙直後に日本の消費税は15%にすべきだと言って、菅総理の消費税アップを応援した。

 消費税をアップしなければ埋蔵金を取り崩される財務省と、反米政権に手を焼いたアメリカが手を結んで、鳩山前首相と小沢幹事長の追い落としのキャンペーンをしてきたという。
そしてその後釜に消費税アップを飲み、アメリカとの修復改善を約束した菅氏を総理にすることにした

菅さん、あなたを次期の総裁にしてやる。その代わり財政再建の一環として消費税のアップを言明しなさい」と財務省がささやいたという説だ。

 さてどうだろうか。私は③の説は大いにありうると思っているが、それに加えて①の政治家としての自己保身能力の欠如が消費税増税を言ったのだと推定している。

 しかし「最も成功した謀略は何も証拠を残さない謀略」だから、「菅総理がなぜ参議院選挙を負けるように演出したかは」政治史のなぞとして永遠に残りそうだ。

注)参議院選挙で大敗した菅総理の継投の目はなくなっている。こうして菅親米・親財務省政権は3ヶ月で崩壊し、再び小沢反米・反財務省政権が復活しようとしている。

(22.9.16追加)間総理は4日の代表選で小沢氏を破って再選された。このため小沢政権は発足しなかったが、菅政権がレ-ムダックなのは変わりがない。

 

  
 

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(22.8.26) ロドリゴ 蝦夷地探訪記 その1

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日高本線の終着駅から襟裳岬を経由し、太平洋側を根室半島のノサップ岬まで歩くのが今回のコース

 主の僕(しもべ)ロドリゴサンチャゴ巡礼に旅立ったのは昨年の6月のことでございましたが、このたびマラカの大主教サンチアーノ様より新たな使命が発せられ、蝦夷地のアイヌなる民族の動静を探り,あわせて布教活動の是非を探索する密命をおびたのでございます。

 主の僕ロドリゴが喜び勇んで蝦夷地に出立したのは、ときあたかも芭蕉翁が奥の細道に出立した元禄3年8月8日のことでございます。
当初ロドリゴは大洗の港より北前船に乗り、蝦夷地松前藩の苫小牧の港に着き、そこからは松前藩後用立ての帆船で様似(さまに)の港まで行く予定でしたが、あいにくと北前船は予約が取れず、已む無くJRの飛脚便で様似の港まで行くことにしたのでございます。

 様似はアイヌの言葉ではシャマニと称する港町で、倒木の多いところとの意味だと松前藩藩士亀権乃助殿が説明してくださりました。
またこの一帯から砂金が取れたことから近時、和人が多くこの地に進出しており和人の多い集落でございます。

 亀権乃助殿は私ロドリゴが幕府の密偵であり、松前藩のこの太平洋に面した豊かな昆布、鮭、砂金の産地を幕府の天領として取り上げるための事前調査ではないかと疑っておられました。
このため行く先々で詳細な行動報告を亀権乃助殿にするようにとの強い沙汰があったのでございます。 

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アポイの火祭りが行われていた

 ロドリゴが様似の港に着いた日は、アポイの火祭りと称するお祭りが開催されており、アイヌ・和人が相和して盆踊りなどをしておりましたので、私ロドリゴも故郷セビリアに伝わるフラメンコを披露して座興に加わったものでございます。

 様似に到着したのは夜の9時ごろであり、千葉のおゆみ野の在を出立したのは朝の6時でしたのでおよそ15時間の旅でございました。
フラメンコを踊り疲れきってしまい、JRの無人駅である様似駅の一角にゴム製のマットをひいて明日の旅立ちのために眠ることにしたのでございます。

 明日よりは毎日ほぼ30km程度の距離を歩き、寝る場所は野宿、約2週間かけて根室半島の納沙布岬(ノサップミサキ)まで行くのが今回の探索の目的でございます。
距離にしておおよそ400km程度と推定されますが詳しい旅程はまったく不明でございました。

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無人の様似駅の観光案内所の前にマットをひいてこの日は眠ることにした

 この地はその後近藤重蔵様択捉(エトラフ)探検に通過した場所ではありますが、当時はそのようなことは一切知る由もなく、ただ思うことは明日よりの旅程で食料を確保する場所がありやなしやの一点でございました。

 蝦夷地は江戸やおゆみ野とは異なり、一つの集落から次の集落まで約30km程度離れており、その間はコンビニと称する食料調達地が一切ないと聞かされていたからでございます。
コンビニがもしなければ明日の食料をどのように調達したらよいだろうか

 様似の駅でそのことを思案していると胃がシクシクと痛み始めましたので、「ままよ、どうにかなるだろう」とようやく決心して眠りにつくことができたのでございます。

 

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(22.8.25) アメリカが共食いを始めた なぜ円高が進むのか

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 このところの円高株価の低迷菅政権は悲鳴を上げ、日銀の白川総裁に「これは日銀が無策だからだ」と詰め寄っている。
円が94円になったのも、日経平均株価が9000円を割るのも、すべて日銀が2%程度のインフレターゲットを設けないからで、「何でもいいから資金を市中に注入してデフレを抑えろ」と命令し始めた。

注)日銀は昨年の12月以降、新型オペレーションと称して、金融機関に金利0.1%、期間3ヶ月の資金を20兆円規模で供給させられている。
それでも効果がないので、さらに不良資産を担保とした融資や国債の直接引受け等が取りざたされている。

 しかしこれは日銀に対する濡れ衣というもので、円高も株安もすべてアメリカ経済が行き詰まり共食いを始めたからであり、原因はアメリカにある。
そもそも高度に発展したアメリカのような資本主義社会が中国やインドのように発展するはずがない。
そのアメリカが1990年代以降GDPが成長したように見えたのは、日本とヨーロッパの資金を強奪してきたからである


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 順を追って説明しよう。

 日本のバブルがはじけたのは1990年の始めだが、アメリカは日本に対しアメリカ国債を購入させるだけでは収まらず、BIS規制で日本の金融機関を追い詰め、それまで世界最強と思われていた金融機関を二束三文で購入することに成功した。
このためその後の日本経済はまったく元気がなくなり、以降20年に及ぶ低迷をきたしている。

注)世界的規模の銀行だった長期信用銀行には約8兆円の政府資金が投入されたが、これをリップルウッドに約10億円で売却している。

 アメリカは日本からの資金をこれ以上強奪できないことが分かると、次はヨーロッパからの資金の強奪に切り替えた。
サブプライムローンをたっぷり含んだ証券を、ムーディーズのような格付機関と共謀して安全確実で高利回りの証券と称してヨーロッパに売りまくった。
アイスランドアイルランドがヨーロッパ各地から預金を集め、こうした証券に投資して、リーマンショックまではわが世の春を謳歌していたのがそれである

注)アメリカで組成された証券の約半数がヨーロッパに売られたと推定されており、現在のイギリス、スペイン、ギリシャ等の低迷はその毒があまりにきついからである。

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 こうしてアメリカは当初は日本を、ついでヨーロッパを餌食にして1990年以来の成長を遂げてきたのだが、とうとう餌食にする相手がいなくなってしまった。
草食動物がいなくなれば肉食動物も生きてはいけない。

注)中国が次のターゲットとなっており、アメリカの金融機関・証券会社・ヘッジファンドがさかんに中国に進出しているが、中国は統制経済なのでアメリカの金融機関が自由に活動することを許していない(自由化前の日本と同じ)。
自由化とはアメリカの金融機関が他国の富を強奪する手段である。


 強奪する相手がいなくなると、後は共食いしか残されてない。
アメリカがリーマンショック以降始めたのはこの共食いである。

 まず自動車産業の雄GMが倒産し、アメリカ政府は約4兆円の政府資金の投入を行ったが、GMはどう見ても自力での再建が不可能と思われた。

 そこでアメリカ政府とGMは、アメリカで最も品質が高く、高収益を上げていたアメリカトヨタをマットやブレーキに欠陥があるとの理不尽な理由で徹底的にたたくことにした。
トヨタの販売力が健在ならばGMの車は売れないからだ。
これがものの見事に成功しトヨタは大凋落し、一方GMは再上場が可能なところまで販売が復活した

 GMは政府の企業だから、4兆円の資金を回収する必要がオバマ政権にあり、そのために優良企業のアメリカトヨタを血祭りにあげた。22824_011

 次の共食いは政府とシティー・グループによるゴールドマン・サックスつぶしで、これもシティー・グループに対し約34兆円(4000億ドルの政府資金が導入されシティーは政府の金融機関になっているからだ。
34兆円の回収にはゴールドマン・サックスの足を引っ張るより手がない。トヨタ方式だ

 まず10年2月に突然ニューヨーク・タイムズが、「ゴールドマン・サックスがギリシャ政府に対し数千億円の融資を行っているのに、これを通常の融資ではなく空港税や宝くじの収益金を担保とした交換(スワップ)による取引として偽装している」とすっぱ抜いた。 

 融資ではなく交換にすればスワップ取引になり、それゆえギリシャ政府の財務報告には記載しないで済むというのがミソで、これがギリシャ政府とゴールドマン・サックスの密約になっていたというのである。

注)他の南欧諸国の融資もすべてこのようなスワップ形式をとっているが、スワップはデリバティブの一種で財務報告の対象外になっているのが普通。

 
続いて10年4月に、SEC(証券取引委員会)が、「ゴールドマン・サックスがサブプライムローンをたっぷり含んだ証券化商品の販売で、その危険性を顧客に告知せずに販売した」との詐欺罪の告発を検察庁に行った。
ゴールドマン・サックスはこの商品が将来大幅に値下がりすることを知っていたという理由である。
 

注)実際は大手ヘッジファンドが証券化商品を組成し、それをゴールドマン・サックスのネームバリューで販売したのだが、このヘッジファンドはこの商品が将来値下がりするものとして先物予約で売り注文を出していた。

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 このあたりまではすでによく知られている事実だが、最近出版された副島(そえじま)隆彦氏の「新たなる金融危機に向かう世界」を読んで驚いた。
シティー・グループによるゴールドマン・サックス追い落とし作戦の第三幕があり、それがあの5月6日の理由が分からないニューヨーク株式の乱高下だったというのである。
この時ニューヨーク株式市場では7分間の間に約1000ドル低下し、その後約650ドルの急激な戻し相場になった。

 この理由として当初シティーバンクのトレーダーの誤発注だとの説明がされたが、その後訂正され、原因は複合的で明確な原因は不明とされている。

 この原因を副島氏は、ゴールドマン・サックス超高速プログラム取引100分の3秒で取引注文が出せるという)の裏をかくさらに超高速プログラム取引をシティーバンクが開発し、先物取引でゴールドマン・サックスが無限ループに陥るように仕組んだと言うのである。

 そして株価が約1000ドル程度低下したところでシティーが大口の購入を行い、ゴールドマン・サックスに多額の損失を与えたと言う。
うぅーん、うなってしまった」有りそうなことだが、証拠は見つけるのは不可能だろう。

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 このようにしてアメリカ経済は外国から資金を強奪する相手がなくなったため、国内で政府系企業(実質的に政府が支援している企業)が政府と組んで、自立している優良企業を追い落として収益確保に走っており、まさに共食いの状況になっている。

 しかしこれではアメリカ経済全体としては成長することができない。
成長を偽装するためにはアメリカ政府が国債を発行して中国や日本に買い取らせるか、それができない場合はドルを印刷して市中にばら撒くしか方法がなくなった(これで名目のGNPは増加する)。
しかしそのため、市場ではドルへの信頼が急低下してドル安になっている。
アメリカの成長は終わった。後は衰退しかない」市場はそう判断し始めた。

 私が何度も言っている様に、経済も永遠に成長することはない。それでも成長しようとすればアメリカが今まで行ってきたように、日本やヨーロッパから資金を強奪するしかない。
しかしそれも限界があり、最後は国内の共食いとなって、アメリカ全体としては成長が止まる

 ドル安になるのはアメリカが成長できなくなっているのに、それでも成長しようとFRBが不必要に資金を供給(ドル札を印刷している)して、インフレ政策をとっているからである。
日本で日銀に同じような政策を取らせても、インフレだけ亢進し名目GDPがあがるだけになるのだから無駄というものだ。

 経済成長には限界があるという認識が、先進国には今一番必要だと私は思っている。

注)人間でも二十歳を過ぎると身長が止まるが、それでも成長させようとして過食すればメタボになるだけだ。
先進国諸国はこのメタボを成長だと称している。

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(22.8.24) 夏休み特集 NO16 失敗記 数学者の巻き

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 私が数学ができなくなった高校生に、何とかして再び情熱を持って数学に取り組ませたいと考えたのは、私自身が高校生になってからまったく数学が理解できなくなったからである。

 当時はすっかり悲観して、「もう二度と数学なんかするものか」と思っていたが、その後社会人になってから再び数学のとりこになった。
もっとも計算問題を解くようなことではなく、数学の思想、数学史に興味が集中した。

 そして、「何と数学は奥深いのだ」と感嘆してしまった。そうした喜びを数学を諦めた高校生に教えてやりたいと思い、数学コンサルタントの取り組みを行おうと思っている。

 今回の記事は私がどのようにして再び数学に興味を持ったかの報告である。

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(19.4.3)失敗記 その5


信じられるだろうか。私は数学者になろうとしたのである。数学ができるからか。否、まったくできないからだ。

(数学者の巻)

 数学がわからなくなったのは、高校1年生の一学期からである。複雑な因数分解がまったくできなかった。以来数学は苦闘の連続だった。
 対数三角関数なんてほとんど理解できなかった。教師は大変丁寧に教えてくれていたのだけれど、何しろ基礎がまったくないのだから理解のしようがない。

 だから、高校3年生になって、数学の授業を受けなくて済んだときは、心底ほっとした。「これで数学とは永遠におさらばだ。数Ⅲなんて知るか

 しかし、正直言ってこの数学ができないことは、私の心の中に深いコンプレックスとして残ってしまった。本当は数学者になれる才能があったにもかかわらず、ちょっとした手違いで道を踏むはずしてしまったのではなかろうか。

 就職では、別に数学ができなくてもなんら問題はなく、数学のことはトンと忘れていた。ところが私が30歳になったある日、衝撃的な本を見つけてしまった。
 本の名前は「数学をつくった人びと」と言う。E・T・ベル著で、この本は1937年に発行され、その後、数学史上ではもっともよく読まれた名著だった。
 物語数学史で、数式は簡単なもの以外はまったく記載されていない。もっぱら数学者の生き様と情念を記載していた。私はこの本をむさぼるように読んだ。

 その結果、「数学界の王者はガウス」で、「貧困の天才はアーベル」で「天才と狂気の数学者はガロア」だ、というような知識でいっぱいになってしまった。アーベルの味わった貧困に涙し、20歳で決闘によって散っていったガロアに同情した。ガウスの誠実さには心を打たれた。

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 そして、信じられるだろうか。私は数学者になると決心したのである。情念だけで数学者になろうとしたのだからすごい。さっそく数学関係の本を買いあさった。
 ヒルベルトの「幾何学の基礎」やカントールの「超限集合論」のような、歴史的文献を集めて、本棚に飾った。棚が数学書でいっぱいになった。
うん、数学者らしくなった。本がないと学者らしくない

 しかし、こうした本は、何が書いてあるかさっぱり理解できなかった。これでは数学文献のコレクターだ。大学の数学の教科書で勉強しなおすことにした。
大学の数学ぐらいならわかるだろう
 昔、数学専攻の友達が、高木貞治の「解析概論」を持っていたのを思い出して、まねて勉強を始めた。しかしこれも最初の1ページを見ただけで、何が書いてあるのかさっぱり理解できなかった。

うぅーん、大学の数学もタフだ
仕方ないので、基礎から始めることにした。高校の数Ⅰ、数Ⅱ、数Ⅲを学びなおすことにしたのである。定評のあった矢野健太郎(ヤノケンと呼ばれていて高校生の間で評判が高かった)の参考書を買い込んで勉強を始めた。

 私は当時営業担当だったが、あいている時間はいつもヤノケンの参考書を解いていた。営業の途中でも参考書を忍ばせた。夢中になると降りる駅を間違えて、約束の時間を違えた。言い訳が大変だった。
ちょっと、考え事をしていて、降りる駅を間違えました。申し訳ありません
頭のええ人は、考えることがぎょうさんあって、大変でおますな」と思いっきり皮肉を言われた。

 こんなに努力した結果、3年目にようやく数Ⅲにたどり着いた。高校時代にすっぽかした、あの数Ⅲだ。ここで極限の概念をはじめて知ったが、何度読んでも極限が理解できなかった。覚えておられるだろか、∞ー∞のような、不定形の概念である。ここを突破できなければ、数Ⅲの微分積分に到達できない。

 しかし、当時の参考書はどんな人間にも極限の概念を理解させるようなレベルに達していなかった。ヤノケンの参考書でもそうだった。私は涙を飲んで数学者になる夢をあきらめた。
しょうがない、この会社に骨を埋めよう

 それから20年以上たったある日、定年後のことを考えた。
定年になって有り余る時間を過ごすのは大変だ。時間つぶしがないと生きていけない

 昔、数学の参考書を時間を忘れて読んでいたことを思い出した。今度は、大学受験の雄、馬場敬之(けいし)の参考書で勉強を始めた。彼が「どんな人間にも数学を理解させることができる」と豪語していたからだ。
パーでも大丈夫」といっているに等しい。
 私は彼の参考書を読んで初めて極限の概念を理解し、数Ⅲを理解した。
もしかしたら、数学者になれるかもしれない」再び舞い上がった。

 しかし、まあこの年だ。
数学者にはなれそうもないが、数学の愛好家ぐらいにはなれるかもしれない。希望を持って生きよう。

 

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(22.8.23) 夏休み特集 NO15 失敗記 国連職員の巻き

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 私は若い頃、自分が勤めている金融機関の仕事がまったく自分に向いていないことに当惑していた。
できればもう少し身体を使ったフィールドワークのような仕事にあこがれた。

 その一つに国連職員があり、当時は日本人の国連職員を増加させるのが一種の国策のようなところがあった。
私は勇んでこの国連職員に応募しようとしたが、学力が大学院卒でないとダメなことが分かり、已む無く大学院に入ろうと悪戦苦闘した。

 結果的にはこうした努力はまったく実を結ばず、60歳までこの金融機関に勤めることになってしまった。


22725_037 (19.4.2)失敗記 その4

 私は若い頃、国連職員になりたかった。何回かトライしたが結局なれなかった。およそ20年前、40歳の頃の話である。

(国連職員の巻)
 私も時代の子である。国連に対し尊敬と憧憬の念を持って育った。国連による世界平和や、国際語エスペラントの普及を心から願った一人である。最近になり、国連が地域紛争さえ解決できない現状や、国連職員の汚職体質を知ったが、それまでは純粋に国連を支持していた。

 国連職員の募集は定期的に行われており、特に一時期は、日本人の国連職員が少ないため、積極的なリクルートもされていた。

 しかし、条件が厳しい。英語かフランス語で実務ができ、修士課程以上の学歴を持ち、専門家として相応の社会的実績があることが、基本条件になっていた。

 どれを見ても条件がクリアーできない。英語は学校英語で片言だし、修士の学歴はない。日本のサラリーマンだから、専門的知識より、社内遊泳術のほうが得意なくらいだ。

 思い余って社会人入学を認めている大学院の入試を受けることにした。せめて修士号だけでもとろう。しかし学科試験を受けたのでは学力がばれるので、面接と小論文だけで入学を許可してくれる大学院を選んだ。
筑波大学大学院が、そうした条件を満たしていたので喜び勇んで応募した。

 試験官から質問を受けた「どのような研究テーマを選ぶのか
私はあわてて「国連職員のなるための資格として修士が必要なので、テーマは何でもいい」と答えた。

 試験官は笑っていたが、すぐに「不合格通知」を送ってきた。正直すぎたと反省した。

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 正式な国連職員になるのは無理だとわかったので、各国連機関が独自に募集している、臨時職員に応募することにした。スペシャリストと言う。たまたまスイスのジュネーブにある国連の下部組織がスペシャリストの募集をしていた。
パソコンの操作能力が高く、英語で日常会話ができること」が条件だった。

 これなら何とかなりそうだ。3名以上の推薦者がいることになっていたので、部下に強引に頼んで立派な推薦状を作った。相当程度誇張もした。
山崎次郎氏は英語に堪能で、業務を遂行するに足る十分な能力を要しております。またパソコンの操作については、スペシャリストとしての能力があります

 しばらくして、スイスから電話が来た。「前任者が不慮の事故にあったので、すぐに来てほしい。場所はソマリアでパソコン通信のスペシャリストが必要だが、貴方が条件に一番あっている

 ソマリアは世界でもっとも危険な紛争地帯だ。確かに私は国連職員になりたかったが、本音はスイスの湖畔でのんびりとつりをしたり、ヨーロッパで旅行をしたかっただけだ。
ソマリアだったら、銃弾の中でパソコンを操作しなければならない。

 それに正直言えば、英語だってろくにできないし、パソコンの操作はワードとエクセルが扱える程度だ。  

 しかし、意欲満々の推薦状も書いてもらった手前、無下に断れない。 見栄がある。
 一応、妻と相談してからと言って電話を切った。

男は見栄がなくなったら、男じゃない

 かみさんに相談したら、「馬鹿じゃない」と言われた。すぐに見栄からさめた。

 翌日、「現在の仕事が手が離せないので、今回の話は応じられない」と言って断ったときは、実にほっとした。

 後で知ったのだが、臨時職員は国連の中でもっとも危険な場所に送られ、一方、国連の正規社員はスイスやパリやニューヨークのような安全な場所で勤務していた。臨時職員は使い捨てなのだ。もう少しでソマリアの原野で野垂れ死するところだった。

 こうして、国連職員になる夢は潰えた。

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(22.8.22) 夏休み特集 NO14 失敗記 テニスの巻き

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 私は人生において何度も失敗してきたが、ほとんどの場合は自分自身が困るだけで他人に影響することは少なかった。
しかしこのテニスにおける失敗はちょっと他人に説明するのが躊躇されるような失敗だ。

 私はほとんどテニスができないのに、国体のテニスの線審をしたのである。
ワールドカップでサッカーを知らずにラインズマンをしているようなものだが、時にこうした間違いが発生するのだ。

22725_030 (19.3.26)失敗記  その1

 この年まで生きていると失敗した経験は山ほどある。特に私はやや軽率なところがあるから、普通の人なら絶対に失敗しそうもないことで失敗している。いくつかをご紹介しよう。

(テニスの巻)
 私は学生時代硬式テニスをしたことがなかった。テニスは軟式テニスのことだと思っていたくらいだ。会社に入って初めて硬式テニスと言うものがあることを知った。寮にテニスコートがあり、先輩が手ほどきしてくれたのである。場所は長野市で約35年も前のことである。

 私はしばしこの硬式テニスに夢中になり、何冊かの入門書を買い込み、毎朝出勤前に素振りなどをして、すっかりテニスマニアになってしまった。しかし基礎ができてないのは悲しいことで、バックスイングでまともにボールを捕らえることができない。

 ちょうどその頃長野市でローンテニスクラブ設立の機運が盛り上がった。音頭をとったのは信濃毎日新聞社に勤務するバリバリのテニス選手である。
当時テニスコートを持っている会社は少なく、私の勤務する会社にも参加の呼びかけが来た。技術のつたなさは、テニスコートをクラブに開放することで補われたのである。
私を含め数人が長野市ローンテニスクラブのメンバーになった。

 不幸は、その年長野県で国体が開催されたことにある。開催場所は松本市だったが、わがローンテニスクラブに審判団の派遣要請が来た。
信濃毎日新聞社に勤務している会長から、私の会社からも線審を出すように要望が来た。そのとき暇人は私一人だった。

線審なんて、ボールが入ったか入らないかを見るだけでたいしたことがあるまい。いいですよ」軽く引き受けた。
硬式テニスを始めて半年程度の人間が国体の線審をすることになってしまったのだ。

 行ってすぐに後悔した。旗を渡されたが、これが何を意味するのか知らなかったからである。この旗でアウトとセーフの判定をするのだが、私は恐る恐る主審に、アウトとセーフの旗の振り方の手ほどきを受けた。
この人、だいじょうぶ」と主審は疑ったが、試合が始まろうとしていたので、私は線審をそのまま務めることになった。

22725_027_2  当時は沢松和子が全盛時代で、世界ランキング入りをしていた。私が線審をしたのは女子ダブルスで、目の前に沢松和子がプレーをしていた。

 サーブを見て驚いた。ボールが早すぎてコートに入ったか入ってないか分からないのだ。
私が今まで知っていたテニスのは、お遊びテニスだっただから、ボールにハエがとまりそうだった。だからこの落差に愕然とした。と同時に頭に血がのぼり、真っ白になってしまった。

 旗の振り方はすっかり忘れてしまい、サーブのたびに旗を上げ下げしたものだから、沢松和子にギューと睨まれた。心臓はとうにパンクしてしまい、その後どうなったのか分からないくらいだ。

 さすがに主審が見かねて、私に確認しに来た。「どっちなんだ
私は「入ったか入ってないか分からない」と答えたので、主審はあきれ返った。第一セットが終了した段階で線審を代えてくれたときは心底ほっとした。もう少しで、国体のテニス競技をめちゃくちゃにするところだった。

  興奮が収まるまで、テニスコートの端で、いじけて呼吸を整えていたが
人間は能力を超えた要請を受けたときは、きっぱりと断るのが正しい態度だ」と心から反省した。

 実はこの私の経験と同じような経験をした国際審判がいた。シドニーオリンピック柔道決勝100k超級の主審をしたニュージーランド人である。
 ドイエの内股に対し。篠原内股すかしで対抗し、明らかに篠原が一本とっていたが、主審はドイエの内股を有効とした。

 私は断言するが、この主審はいままで内股すかしを見たことがなかったはずである。内股すかしのような高度な技は、柔道の本場以外ではついぞ見ることのできない技だ。
この人はニュージーランドで私の国体審判と同じような過程をたどって選らばれたに違いないずぶの素人だ。

 この時は、大いに篠原に同情したが、同時にニュージーランドから来た主審にも同情した。
人間は能力を超えた要請を受けたときは、きっぱりと断らなければいけないのだ

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(22.8.21) 夏休み特集 NO13 髪が生えてきた

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 私の最大の悩みの一つに頭がハゲていることがある。正確には頭頂部がハゲていてその回りには毛があり、ちょうど鉄腕アトムのお茶の水博士のような状態になっている。

 今でこそ諦めてしまったが、まだ現役の頃は実に涙ぐましい努力をして頭頂部の毛髪の再生に取り組んだ。
いわゆる育毛剤と言うものをふりかけてマッサージを行うのだが、当初は有効な育毛剤はまったく存在しなかった。

 そうした中で発売されたリアップは、始めて効果が確実と言われた育毛剤だったので喜び勇んで購入し、神に祈るような気持ちで振りかけたものだ。
確かにこのリアップはそれなりに効果があったが、やたらと振りかけていたら、ひどい副作用に悩まされるようになった。

 心臓が締め付けられるように痛むのである。それも普段の時はそうではないのだが、マラソンでスタートダッシュをすると、心臓が止まるかと思うほど痛むので、さすがにリアップは諦めた。
その後フラバサイトという育毛剤に変えてみたが、こちらは自律神経に障るらしく、夜つばが出なくなった。

 何度もトライしてはむなしく諦めなければならなくなり、現在はひどくハゲが進んでいる。
仕方がないので外に出る時は帽子をかぶり、家では手ぬぐいを頭に巻いている。こうしてはかない頭髪を少しでも見ないようにして暮らすようになって精神が安定してきた。

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(19.3.17)髪が生えてきた。

 信じられないことに髪が生えてきたのだ。理由は2つ考えられる。一つは新しい育毛剤に変えたことである。花王の「フラバサイト」と言う。私はこの育毛剤が効いているのだと思っているが、かみさんはこの説に反対する。

仕事のストレスがなくなったからよ。パパさんはストレスに弱いから」と言う。
絶対フラバサイトだ」「いやストレスだ」と議論が沸騰しそうになって、ふと考えた。
もしかみさんの説が正しいと、議論をすることがストレスになって、せっかく生えた髪が抜けてしまう
にこやかに微笑んで「いづれにしてもいいことだ」と言って議論を止めた。危ないとこだった。

 私は頭頂部が禿げている。弟は「ローマ法王みたいだ」と言って笑った。私も大いに笑って「ユダヤ教徒の帽子みたいだろう」と言ったが、家に帰って鏡を見てため息をついた。複雑なのだ。

 実は私に頭髪が急激になくなったのは大病をしたからである。真珠腫性中耳炎という。耳の内耳に真珠のような塊ができ、だんだん大きくなって脳を圧迫するようになる。ほっておくと命取りになるので手術により摘出する。36歳のときだった。

 よく昔の武将で30歳台で若死する人がいるが、その理由が分かった。昔は手術などなかったのでそこで死んでいたのだ。私も昔だったら36歳前後で死んでいたことになる。

 しかし、この手術によって私の頭髪は急激になくなってしまった。癌患者が制癌剤を投与されて頭髪が抜けるがそれと同じ症状になってしまったのだ。最初は命が助かったことを神に感謝していたが、36歳で禿は早すぎる。

 私の親戚筋の女性は、結婚の3条件を「ちびと、でぶと、はげはいやだ」と言う。
はげはいいだろう。第一かわいらしい」と反論したが、女性の本音に愕然とした。

これは大変だ。もしかみさんから離婚請求をされたとき、『いいでしょう、離婚します』ときっぱりいえない。再婚するとき『はげはいや』なんていわれて再婚もできない
36歳で独身はつらいので「ママさん、おれが悪かった。何でも直すからおれを捨てないでくれ」なんて言いそうだ。
これでは男が廃る。

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 以来、涙ぐましい努力をすることになった。 あらゆる育毛剤を試したが、実際は精神安定剤以上の効果はなかった。ふりかけてマッサージをするが、そのマッサージだけが本当の効果と言うのが実態だった。

 だから1999年に、大正製薬からリアップが発売されたときは狂喜した。なにせ男性用発毛剤で国内唯一の医薬品であり、アメリカではロゲインと言って、効果が実証されている。
発売時の人気はすさまじく、私も数件の薬屋をたずねてようやく手に入れた。

 これで「まあ、山崎さんはいつまでたっても、髪が黒々して素敵だわ」なんていわれると思って涙ぐんだほどだ。

 だが、しかし説明書を見て愕然とした。「効果が出るのに半年から1年はリアップを使い続けなければならない」と書いてある。
大正製薬の陰謀ではないか」と思ったが、私は説明書どおりリアップをつけ続けた。

 確かにつけているときは、抜け毛が少なくなって髪が多くなるが、5年目ごろから、ひどい胸痛に悩まされるようになった。走ると狭心症のように胸が痛む。今から2年前の話である。

 リアップの副作用が出たのである。大正製薬は決して言わないが、リアップには副作用がある。効果と副作用は裏腹の関係だ。私は当時使用していた薬品はリアップだけだったので、これを止めることで胸痛から回復することができた。頭髪より心臓のほうが大事だ。
その代わり頭髪はますます少なくなってしまった。

 それ以来すっかり頭髪のことはあきらめていたが、小学校にボランティアに行くことになって少し考えを改めた。
小学生から「はげのおじちゃん」なんていわれるのはつらい。
せめて「頭髪がやや薄毛の、初老の紳士」と言われたい。

 リアップは副作用に懲りていたので、他の何でもよかった。たまたま目についたのが、花王の「フラバサイト」である。
 しかし、これが私にはぴったりと合った。あと数ヶ月もすると頭頂部も隠れるかもしれない。そうしたら小学生に「黒髪のおじちゃん」と言わせよう。もしかしたら「黒髪のおにいちゃん」と言ってくれるかもしれない。

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(22.8.20) 夏休み特集 NO12 足が目になる

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(マッスルさん撮影、山崎編集)

 私の趣味の一つにマラソンがあるのだが、長谷川恒男記念CUPという奥多摩で行われている山岳レースで実に貴重な体験をした。
この競技は午後の1時にスタートして、夜を徹しして走り、24時間以内に戻ってくればいいのだが、競技が行われるのが10月10日前後のため、すぐに夜になる。

 夜は懐中電灯で照らしても山道の起伏は分からない。一生懸命見ようとしても無駄で、その時は足裏のセンサーを効かして地面の状態を知る。

 普段はこの足裏のセンサーのことをまったく忘れているが、実際に暗闇の中を走ったり歩いたりすると、実に有効なセンサーだと言うことを知る。
この記事は普段は隠れている人間の持つ能力に感動して書いたものだ。

 
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(マッスルさん撮影、山崎編集)

(19.3.16)足が目になる

 足が目になる信じられないかもしれないが本当の話である。私がそのことを実感したのは、日本山岳耐久レース、別名長谷川恒男CUPにおいてである。

 長谷川恒男氏は、世界の岸壁を冬季に1人で登坂した日本の誇るアルピニストだったが、惜しいことに91年10月、パキスタンのウルタルⅡ峰において、なだれに会い遭難した。43歳だった。

 日本山岳連盟は長谷川恒男氏の偉業を讃えるために、奥多摩の山塊を走るトレッキングレースを開催することにした。距離は73kmだが、山塊である。最高峰は三頭山(みとうさん)で約1500m。スタートは武蔵五日市で標高差は1100mある。

 山の73kmを、平地換算するとその2倍、約140km程度のレースに相当する。時期は長谷川氏が遭難した10月10日前後の土日に設定される。

 制限時間は24時間とこの種のレースとしては余裕がある。すべて歩いても完走できる時間だが、一日中歩いていなければならない。
 スタートが午後1時のため、すぐに暗くなる。いわば夜を徹して山中を走り回ると考えればよい。完走率は約半分だから、実際は非常に厳しいレースと言える。


 夜中の登山道は木立に阻まれて非常に暗い。特に曇りや雨の日は真っ暗と言ってよい。もちろん懐中電灯は持っているのだが、暗闇に吸い込まれてほとんど何も見えない。目で見ても足元しか見えない。木の根っこや凹凸は分からない。

 このような時は目で道を探してはいけない。足で探すのだ。ほとんど足の感触に頼ることになる。土の道か、石の道か、岩の道か、すべて足に聞く。根っこはあるか。滑りそうか。傾斜の度合いも、危険かそうでないかもすべて足に聞く。
すべての神経を足に集中すると、目から得る情報と同程度の情報を足から得ることができることを知る。

 足が目になるのだ。私はこのときまで足にこんな素晴らしいセンサーがあることを知らなかった、目が見えなくても登山道を把握できる。
足に聞け」私は念仏のようにこの言葉を唱える。

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(マッスルさん撮影、山崎編集)

 私はこのレースに3回出場したが、登山道が見えなくなると、足を目にかえた。そうすることによって完走することができたのだから、足のセンサーは馬鹿にならない。

 もっとも100%、目に変わるかというとそこまでは優秀でない。あるいは慣れていないと言うのだろうか、毎回アクシデントに見舞われている。

 1回目のときは三頭山の稜線で崖から落ちた。幸い5m程度落ちて木に引っかかったのだけど、天と地が逆になって身体が止まった。
このような状態になると、当初は自分がどんな立場になって居るのか分からない。どっちが上でどっちが下か分からないのだ。散々もがいて登山道に復帰したときは心底ほっとした。

 2回目のときは、小川にかかった梯子状の橋を踏み外した。梯子と梯子の間があいていたのだが、そこに足を突っ込んでもんどりうって倒れた。
痛さは気を失うほどで、タイツからは血がにじみ出ていた。このときはリタイアを覚悟したが、幸い10分程度倒れていたら、痛さが引いたので走ることができた。

 3回目のときは大雨で、あまり転んだため、体中が泥だらけになってしまった。この時は、足に聞いても滑って聞きようがなかった。
よくアメリカの海兵隊員が泥の中を匍匐(ほふく)前進する訓練をしているが、それと同じ状態になってしまった。雨の泥道は横滑りがしてとても走れるものではない。

 ただ、いづれのときも、夜は足を目にしていた。普段は気がつかない足のセンサーの能力は驚くほどだ。人間には隠れた能力が残されている。暗闇では足は目になるのだ。

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(22.8.19) 夏休み特集 NO11 なぜ「おゆみ野」というのだろう

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(マッスルさん撮影 山崎編集)

 私が住んでいるこの地区を「おゆみ野」と称している。当初私はこの地名がもともと有ったのだと思っていたが、UR都市機構が名前の公募をして決まったのだと知った。

 だから「おゆみ野」という地名は高々25年程度の歴史しかないのだが、一方「おゆみ」という地名は鎌倉時代に遡るらしい。
現在の千葉市埋蔵文化財調査センターの場所にかつて小弓城と言う城址があった。
この城をめぐって千葉の覇権争いがされたが、ここが下総上総を分ける要衝の地であったからだろう。

 私はこの千葉近在の歴史について調査をして、ブログに書きたいと思っているが、地方史の資料は細部が詳しいものの大きな歴史の流れを読みにくい。
何とかして歴史の流れの中に位置づけた、おゆみ野近在史を書き上げたいものだと思っている。

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(マッスルさん撮影 山崎編集)

(19.3.12)なぜ「おゆみ野」と言うのだろう

 この土地をなぜ「おゆみ野」と言うのか知りたくて「おゆみ野風土記」(おゆみ野の歴史を知る会編)を読んでみて頭を抱えてしまった。分からないのだ。

 最近のことなら分かる。この街が「おゆみ野」と正式に命名されたのは、19843のことである。それまで日本住宅公団はこの地を「千葉東南部地区」という、無機質な名前で呼んでいたが、入居開始にあたり、街の名前の公募を行った。

 その結果、この地の一部が昔から「おゆみ」といわれていたこと、および響きの良さや、親しみやすさ等を考慮して、「おゆみ」に「」をつけて「おゆみ野」と命名された(同書P28)。今から23年前のことになる。

(注)応募総数383通のうち、「おゆみ野」は7票だった。
 
  しかしこの風土記の「はしがき」をみてびっくりしてしまった。そこには1983にこの地を「
おゆみ野」と命名したと書いてある。こんな近い時代のことでもすでに2説ができている。しかも同じ本のなかに違った年号が書いてあるのだ。
これは大変だ。古い時代のことになるとどうなるか分からない
郷土史の漆黒の闇に足を踏み入れていく感じがした。

 最初、私はこの地一帯が、昔から「おゆみ」と言われていたと思っていた。「だからおゆみ野なのだろう

 しかしそれは正確ではなく、対象地10か町村のうちの2箇所(生実町、南生実町)だけの名前だと知った。さらに言えば、生実町、南生実町は飛び地の一部が、おゆみ野に含まれるが、ほとんどがおゆみ野の外の区域になっている。はっきり言ってしまえば関係ない。

 このおゆみ野の地に、開発以前からあった村落は、実際は有吉六通の2箇所だと知った。だから村落名をとるなら「有吉六通」になる。

うぅーん、おゆみおゆみ野は関係ないのだ
 念のため、場所を確認しようと地図を見た。生実町、南生実町は行政区域は中央区で、鎌取と蘇我の中間で、どちらかと言うと浜野よりの場所を示している。


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(マッスルさん撮影 山崎編集)

 だが「おゆみ」の地は確かに歴史上に登場する。

 「おゆみの地に有名な城が2つあった。「おゆみ」が歴史的な地名だと言われているのは、どうやらこの「おゆみ城址」から来ている。字が違う。「小弓」とも「生実」とも書く。 小弓城は現在の文化財センターの地に、一方生実城は生実池の近く、重俊院ちょうしゅんいん)の地にあった。前者は古く、後者は新しい。

 小弓城は歴史的にも重要な城で、ここをめぐって、鎌倉時代から何度も争いが起こっている。千葉の覇権をめぐる要衝の地である。ただし、お隣の地の歴史で、どう見ても「おゆみ野」の歴史ではない

 結論から言うと、「おゆみ」は歴史的地名だが、現在の「おゆみ野」の場所とは直接関係がない。あえて言えば、「おゆみ城」と言う有名な城が近くにあったので、借用しただけだと分かった。

「ワトソン君、おゆみをいくら調べてもおゆみ野とは無関係だね。どうしよう」
「ホームズ、おゆみ野の人には、事実は事実として伝えるしか仕方ないね。残念だが」

うぅーん、地名とはこんなものか。ひどく納得してしまった

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(22.8.18) 夏休み特集 NO10 走友会に入ってしまった

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(マッスルさん撮影、山崎編集)

 私が走友会に入った経緯を記述した記事がある。
現役の頃は会社の仲間と確かに競技に出てはいたが、走友会と言う形式ではなかった。なにかいつも二人で出ていたと言うような感じだ。

 私がちはら台走友会に参加したのは、たまたまおゆみ野の四季の道JOGしていたKさんに声をかけたからである。
Kさんは女性ランナーでとても素敵なプロポーションをしており、しかも早い。

 すっかり見とれて思わす声をかけたのだが、この時ちはら台走友会に勧誘された。
それまで走友会に入ったことがなかったので幾分躊躇したが、この走友会は強制的な練習の縛りがなく、自主的な練習を奨励しているので私の趣向にマッチし、しかも気持ちの良いランナーが多かった。
おかげでその後ちはら台走友会の末席を汚させてもらっており、駅伝もBチームで出場している。

 結果的にはとても良い選択だったと思っている。

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(マッスルさん撮影、山崎編集)

(19.3.11)走友会に入ってしまった

 思わぬことで走友会に入ってしまった。
 四季の道を清掃していたときである。ロングタイツでピシッと決めた女性ランナーを見た。手にはペットボトルを持っている。LSD(長距離走)をしていた。私は根がランナーだから、このような人を見るとつい声をかけてしまう。

 Kさんという。ちはら台に住んでおり、ちはら台走友会のメンバーだと自己紹介された。私もマラソンが趣味だと言ったところ
走友会に入りませんか」と誘われた。
実を言うと、過去に何回か走友会に勧誘された経験がある。そのたびに断ってきた。走友会のイメージが怖かったのだ。

 怖いお兄さんが竹刀を持って叫ぶ。
おまえ、それでも走ってるんか、ブタでもそのぐらい走るぞ
この年になって、ブタ呼ばわりはいやだ。せめてコブタと言ってほしい。

 しかし今回はうら若き乙女から誘われてしまった。乙女から誘われて断ったことはない。
かみさんは「鼻の下が長いのだ」と言う。
断じて違う。乙女の心を傷つけたくなかったのだ。
主よ、このロドリゴは主のほかに愛をささぐる事なきを、お信じください

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(マッスルさん撮影、山崎編集)

 ちはら台走友会の例会は、毎週土日の午後4時から1時間程度と決まっているらしい。創立は1993年と言うから足掛け14年の歴史がある。私がおゆみ野に越してきてからの年数と同じだ。

 ちはら台には実に美しい遊歩道が整備されている。かずさの道と言う。特に桜並木が美しく、花見の時期は人出でにぎわう。
 ちはら台走友会はこのかずさの道をホームグランドとしており、往復で約8kmのコースとなっている。道にゴミはほとんど落ちていない。定期的に清掃する人がいるらしい。この街を愛している人がいることがひしひしと伝わってくるような遊歩道だ。

 ちはら台走友会の会長さんはYさんと紹介された。一目でマラソンランナーと分かる精悍な身体つきをしている。とても若く見えるが実年齢は分からない。マラソンランナーは確実に実年齢より10歳は若く見えるためだ。身体にも顔にも脂肪がついていない。

 サブスリーランナーだと言う。フルマラソンを3時間以内で走ると言う意味だが、マラソンをしたことがない人は、この意味を理解できない。
実は3時間以内で走るためには血のにじむような努力をして、それでも素質のある選ばれたものだけが到達できるレベルなのだ。

 私は仕事にかけるエネルギーを、すべてこのマラソンに注ぎ込んだ時期があるが、それでも3時間18分が最高だった。

 次々に紹介されるランナーを見て、心底驚いてしまった。マラソンが命と言う感じがにじみ出ている。小学校5年の少女もいた。とても速いのだという。
小学生に負けるようでは、完全に引退を決心しよう。『駄目ですね・・・もう少し速く走れるとおもっていましたが・・・足がもつれてしまって・・・引退ですね』」円楽師匠の気持ちになってしまった。

 しかし幸いなことにこの会は、自分の実力に合わせて練習をすることになっており、陸上部の選手のような集団走はしていなかった。たまたま実力が同じくらいのFさんと併走したが、かずさの道のRUNは心が躍るほど楽しかった。

 ランナーは気持ちのよい人が多い。ストレスをRUNで発散しているので、気持ちが前向きで明るい。吉永小百合を彷彿とさせる方も居た。私は喜んでこの走友会に参加させてもらうことにした。

 だがしかし、昔みたいにマラソンにのめりこんだらどうしよう。『走ることと、寝ることだけがとりえ』と言われていた昔に戻ってしまう。

主よ、このロドリゴにせめてブログを書く時間と、主を讃える時間をお与えください

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(22.8.17) 夏休み特集 NO9 魔境

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(マッスルさん撮影、山崎編集)

 これは私が実際に経験した話である。私の趣味の一つにマラソンがあるが、最近のマラソンは色々なバリエーションがあり、超長距離走もその一つである。

 超長距離走とは、一般的に100kmを超えて長い距離を走るものだが、川の道というレースもそのうちの一つだった。
東京の荒川を遡り奥秩父の源流域まで走って、今度は信濃川を下って新潟まで走るレースで、5日間で一気に走りきる種目と2日半ずつ二回に分けて走る種目がある。

 私は後者の種目に参加し、荒川の河口にある葛西臨海公園から長野の小諸までの270km二日半のレースに参加した。
この種目の難所は夜半に越える奥秩父の三国山約2000M)の峠越えで、まったく月明かりだけの山道を越えなければならない。

 この時疲労と暗闇の恐ろしさがあいまって私は幻覚を見てしまった。

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(マッスルさん撮影、山崎編集)

(19.3.7)魔境


 この世には魔境という言葉がある。井沢元彦氏によれば「その宗教が邪教であろうとなかろうと、一定の条件の下に、『悟り』と錯覚するような現象『幻視・幻聴等』は起こりうる。それを魔境という」のだそうだ(逆説の日本史、6中世神風編)。

 実は私もその魔境を見てしまった。これはその報告である。

 私の趣味はマラソンだが、現在のマラソンはスピード系距離系に分かれる。スピード系については、テレビでよく放映されている東京マラソンのような、あくまでもスピードを狙った競技を指す。

 一方距離系はできるだけ長い距離を走ることを目的として、一般的には100km以上の競技を指す。
 私が魔境を見たのは「川の道270km」という競技で、荒川の河口、東京の葛西臨海公園から、長野県の小諸まで、二日半で駆け抜ける競技だった。こうした競技に参加する人は少なく、数十名のこじんまりしたレースである。物好きとしかいいようがない。5月だった。

 荒川に沿って遡り、更にその上流の中津川を遡ると、奥秩父の最高峰甲武信岳の近くの、三国山約2000m)の峠にさしかかる。競技は更に峠を降りて、千曲川に沿って小諸まで走るのだが、私が魔境を見てしまったのは、この三国山の峠越えの時である。

 その時は夜だった。すでに180km走ってきており、スタートから1日半が経っていた。途中4時間の休憩は取ったが、眠っていない。その状態で山越えに入ったことになる。5月の山は寒い。その時も氷点下に近かった。

 正直言うが、私は気丈ではない。かみさんからは「蚤の心臓」といわれている位だ。深夜の山道を1人で行くのは恐ろしかったので、やはり気の弱そうな走者と二人で山越えに入った。

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(マッスルさん撮影、山崎編集)

 私が幻聴に気づいたのは、中腹まで差し掛かった頃である。回りの小立や、横を流れている川面から、いっせいに笑い声が聞こえてきた。実に楽しげな笑い声で、ケタケタ笑っている。
こんな山奥でいったい誰が笑ってるんだろう
 あまりに不思議なので、止まってしばらく聞いていると、それが木立が風に揺れる音や、川のせせらぎの音だと分かった。しかし笑っているのだ。

 次に現れたのは幻覚だった。ありとあらゆるところから人が飛び出してきて踊りを踊り始めた。実ににぎやかな踊りで、幕末に発生した集団舞踏ええじゃないか、ええじゃないか」のイメージに似ていた。
いや、すごい。みんな踊っている

 実際に踊っている人のそばまで行くと、それは倒木だったり、岩だったり、道路標識だったりしたのだが、遠くで見ている限り、人の踊りなのだ
 相手が動いているように見えたのは、実際は自分がふらついていたからだが、意識としては相手が動いている。

人が大勢踊っていませんか」 と念のため、隣の走者聞いてみた。
実はやたらと人が見えるんだ」隣の走者はそう答えた。

  もう一つ不思議だったのは、こうした現象を不思議とも思わず、また恐れることもせず、恍惚として見とれてしまったことだ。
こんな世界があるんだ。すごい」 
 まさに魔境である。

 私は30年間の走歴がある。練習もそれなりにしている。それなのに、たった2日間眠ることなく走っただけで、精神に異常をきたしてしまった。
よくオウム真理教のような邪教集団が、修行と称して数日間眠らせずに、一心不乱に読経させるが、これは魔境を見させるためである。

 人はたやすく魔境を見るものだという井沢元彦氏の説を裏付けてしまった。しかも魔境は人を恍惚とさせる。神と一体になったと思うのも無理はない。オウム真理教の信者で今でも改心しない人がいるが、その理由が分かったような気がした。

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(22.8.16) 夏休み特集 NO8 千日回峰

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(マッスルさん撮影、山崎編集)

 当初この四季の道の清掃を始めるにあたって願をかけた。
たとえどのような状況にあっても毎日清掃をするという願である。
雨が降ろうが雪が降ろうが、台風が来ようがあたかも比叡山延暦寺で行われている千日回峰のイメージで休むことなく実施することにした。

 しかし春先の驟雨は冷たい。傘を持たずに清掃活動をしていたら体中冷えあがってしまった。
こんなことなら願などかけるんじゃなかった」愚痴をいいながら歩いていたら、金澤小学校の近所に住む篤信の女性が傘を貸してくれた。

 おかげで風邪を引かないで済んだが、以後は雨の日は無理をしないことにして、千日回峰は止めることにした。

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(マッスルさん撮影、山崎編集)

(19.3.3)千日回峰

 千日回峰(せんにちかいほう)とは比叡山延暦寺で行われている荒行で、7年間をかけて通算1000日間の業が行われる。歩く距離は当初は一日30kmだが、だんだんと増加され最後は1日84kmも歩くというからすさまじい。実際やってみると分かるが、84kmとなると一日中歩いているようになる。

 実は私もこの千日回峰に憧れ、1000日間このおゆみ野で「」に入ることにした。千日間一日も休まず、四季の道を清掃する「」を立てたのである。
もし我に、この願、違えることあらば、死を与えよ

 すっかり修験者の気持ちになって清掃活動をしていたが、ある驟雨の日、すんでのところでところで凍死しそうになった。この時は篤信の女性が傘を貸してくれたので、凍死だけは免れた。

 あまり無理な「」は本当に死んでしまいそうだと悟ったので、「」の内容を少し修正した。雨の日は清掃活動を休むことにしたのである。
もし我に、この願、違えることあらば、死を与えよ

 朝起きて、雨が降っていようものなら、実にほっとしたものだ。
主よ、主はこのロドリゴに安息日を与えたもうたのですか

 雨が一日中降っているときは問題がないのだが、大抵の場合は午後には雨が止んでしまうことが多い。日差しが照りだしたりすると、ほとんど精神の安定を欠いてしまう。
ぼくちゃん、今日はどうしょうか。雨は止んだけど、おなかは痛いし、熱もあるかもしれない
ほとんど小学生が学校に行く前の状態になってしまう。

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(マッスルさん撮影、山崎編集)

 だが、しかしロドリゴは60才だ。小学生と同じでは笑われてしまう。中学生程度の意志力はある。
こういうときは景気付けが必要だ。大好きな長山洋子の「じょんがら女節」をめいっぱい歌いながら清掃活動を始める。

雪は下から舞い上がり、赤い裳裾(もすそ)にまといつく  ジャンジャンジャン(これは口三味線)・・・・・・・
この歌を歌うと、精神はだんだんと高揚し、幸せな気分になって、ちょうど軍隊の行進のように意気揚々と歩くことができる。

 ある女性から「山崎さんは歩くときは、身体をピシッと立てて、実に姿勢がいいですね」と言われたが、何を隠そう、長山洋子と心で歩いていたのだ。

 しかし、こんなことがかみさんに知られたらことだ。
いい年こいて、スケベー」なんて言われてしまう。

久米の仙人でさえ、乙女の腿脛(ももはぎ)を見て神通力を失うのが世の常なので、この程度は許容範囲だ」なんて居直るのも大変だ。こればかりはかみさんに知られないようにしよう。

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(22.8.15) 夏休み特集 NO7 からすなぜ鳴くの

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(マッスルさん撮影、山崎編集)

 思えばカラスとの戦いはもう数年に及んでいる。何か武田信玄上杉謙信川中島の戦いのようだ。
カラスはとても利発な鳥で、食料を確保できる場所を一度見つけると集団でやってきてゴミ漁りをする。

 最近では少なくなってきたが、その当時はアパートのゴミステーションはふたがなく、ただ積み上げるだけだったからカラスの格好の餌場になってしまった。
特に私の家の前のアパートのゴミステーションが狙われた時は最悪で、玄関の前がゴミの山になった。

 思い余ってD2ゴミネットを買ってきて、家の前のアパートをはじめ近所のアパートのゴミステーションにネットをかぶせた。
幸いに家の前のアパートの住人はこのネットを使用してくれたので、ゴミの山になることは以後なくなったが、せっかくの私のプレゼントを使用しないアパートもあって、そちらは相変わらずカラスの餌食になっていた。

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(マッスルさん撮影、山崎編集)

(19.3.1)からすなぜ鳴くの

 「カラスなぜ鳴くの カラスは山に かわいい七つの子があるからよ」と歌われた「七つの子」は野口雨情作詞、本居長世作曲の名曲である。
この歌に歌われるカラスはいかにもかわいらしいが、実際のカラスはタフで頭がよく、そしてゴミステーションの荒らし屋だ。

 私が近所のゴミステーションを舞台に、カラスと死闘を繰り広げていたのは、2年前のことである。
この近くには古くから建てられたアパートが多く、そうしたアパートのゴミステーションは上部が開いたオープン型で、ネットは張られていなかった。

 カラスはそおした場所を目ざとく見つけ、仲間を呼び集めてゴミをあさっていたが、日を追って数が増えはじめた。朝の蝉噪はすさまじく、私はカラスの鳴き声で目が覚めるほどになった。

 当初はやや遠くのアパートのゴミステーションが狙われていたが、数が増えるに従って私の前のアパートもターゲットになってしまい、前の道一面にゴミが散乱し始めた。

これは大変だ。家の前が夢の島になってしまう

 私はカラスの鳴き声がすると、起きてゴミステーションに群がっているカラスを追い払うのだが、回収車が来るまでがんばるわけには行かない。
 カラスは頭がいい。サラリーマンの習性を知っている。

カラスの親「もう少ししたら、あのおっさんがエサアサリに出かけるから待ってようね
カラスの子「うん、そうしたら腹いっぱい食べるんだ

 カラスは私が会社に行った隙を狙って、悠然とゴミをあさり、帰宅するとカラスに散らかされたゴミの清掃が日課になってしまった。

 いくらなんでもこれでは身が持たない。私は思い余ってD2に行って、カラス対策用のネットを購入し、カラスが群がっていた4箇所のゴミステーションにネットを張った。そして張り紙をした。

カラスがゴミを漁っているので、ネットを設置しました。ゴミはネットをかけて出すようにお願いいたします

 幸いにも、私の目の前のアパートともう1箇所はこのネットを利用してくれ、それ以来カラスの襲撃からは免れるようになった。住民も悩んでいたのだ。

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(マッスルさん撮影、山崎編集)

 ところが信じられないことに、他の2箇所のアパートではネットの上にゴミ袋を重ねて出し、相変わらずカラスの被害は減らない。
唯一の行幸はそこが私の通勤路を外れていたことだ。

ここは、私の通勤路じゃないから、知らん」と一旦は居直ったが、それでは少し心が狭すぎると反省し、1週間に1度はゴミステーションの清掃をしはじめた。

 ある日、そのゴミステーションの住人から声をかけられた。アパートの経営者に雇われた清掃員と思ったらしい。
ネットをようやく設置してくれたのはいいけど、ここにはその筋の人がいてどうしてもルールを守らない。ちゃんと言ってってほしいのだが
はあ、そうですか。ですが・・・・・

 私は、この近くの住人で、ネットも私が張ったのだと説明したら、その人は目を丸くして驚いていた。
この人、なに、どうしてそこまでするの」という感じがありありと見えた。理由を説明するのも大変だ。

 私はその後もゴミステーションのゴミが荒らされていたら、清掃をしているが、どうしても会社から雇われた清掃員と間違えられてしまう。

あんたもっとちゃんときれいに掃除しなさい」と言われたら、なんて答えようか。

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(22.8.14) 夏休み特集 NO6 マムシが怖い

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(トシムネさん撮影、山崎編集)

 私の住んでいる近所に、都川源流調節池がある。ここには周囲に昔ながらの雑木林が残されており、一時期不法投棄されたゴミで溢れかえっていた。

 この雑木林からゴミを一掃しようとして志が立ち上がったのだが、私もその一員だった。しかしこの場所は普段人が入らない場所だったため、蛇や毒虫の巣になっており、特に私はマムシに遭遇するのではないかと恐れたものだ。

 しかし幸いにここにはヤマカガシ程度の蛇しかいなかったようだが、私の恐れが「マムシが怖い」という記事を書かせた。

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(トシムネさん撮影、山崎編集)

(19.2.24)マムシが怖い

 私はヘビが大の苦手である。昔、草むらで青大将を踏んづけたときは、飛び上がらんばかりに驚いた。逃げ出そうとしたのだが、手と足のバランスが崩れ、まともに走れなかったことを覚えている。

 通常ヘビは暖かくならないと出てこないが、昨今の陽気で目覚めが早そうだ。そのことが私を不安に陥れている。

 実は、私が現在整備中の都川調整池の里山は、いかにもヘビが生息していそうな場所である。この里山には一部に路上生活者がテントを張って生活していた跡があるものの、それ以外の場所はたえて人が入った形跡がない。住宅地の真ん中に人跡未踏の地があるなどとは信じがたいが、現状は私が唯一の進入者になっている。

 ここおゆみ野には昔からマムシがいたらしい。私が越してきた13年ほど前は、泉谷公園にマムシに注意」という看板が設置してあった。
実際私自身も農業試験場近くの道路で草むらに逃げ込むマムシを見ている。

 最近はマムシの話は聞かないが、私はここ都川調整池に逃げ込んだのではないかと思っている。何しろこの場所に踏み入れる人は極度に少ない。小谷小学校の近くに住んでいる人から、しばらく前まで狸がいたという話を聞いた。いわゆる動物や爬虫類の結界になっている。

 だから、暖かくなる前に、ここ都川調整池の里山の整備をすまそうとしているのは、ひとえにマムシを恐れているからに他ならない。春めいてきたら危ない

 もっともマムシの立場になってみれば、せっかく手に入れた安住の土地を、里山開発に血迷ったおっさんに追い出されることになるわけで、座して死を待つわけにはいかない。逆襲の機会を虎視眈々と狙っているはずだ。

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(トシムネさん撮影、山崎編集)

マムシの酋長わが一族はここおゆみ野の森に広く生息していたが、いまや追い詰められ、都川遊水池のみが最後の生息地となった。然るに血迷ったおっさんが、ここの里山まで入り込み、我らの生存を危うくしている。いかがすべきか
マムシの若者私に、一族を代表し、血迷ったおっさんの鎌首に食らいつき、止めを刺す任務をお与えください
マムシの酋長若者よ、良くぞ申した。お前にわが一族の栄光あるを授けよう
なんてことになっているはずだ。

 マムシの毒性については、諸説があって本当のところどの程度か分からない。毎年3000人近くの人がマムシにかまれているが、死ぬ人は10名程度で、それも老人や子供が大半だと聞く。

 毒は猛毒だが、注入量ははそれほど多くないので、危険でないという人もいる。何回かまれても平気だという人もいるが、おそらく耐性ができているのだろう。

 しかし私の場合は、ママさんから「蚤の心臓」といわれているほどだから、精神的パニックになりそれで死んでしまいそうだ。

おゆみ野都川調整池の里山で下草刈りをしていた、山崎次郎さん(60歳)は、マムシに右手の親指をかまれ、ショック死した。専門家の話によるとこの程度の毒では通常致死量にならないが、本人が致死量になったと思い、勝手にショック死したものだという。マムシに罪がないというのが、専門家の一致した見解になっている

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(22.8.13) 夏休み特集 NO5 チンパンジーから電話があった

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(トシムネさん撮影、山崎編集)

 この記事は昨日と同じくNHKのプラネットアースを見て、それに反応して書いた記事である。
プラネットアースは映像のすばらしさでそれまでの自然物の映像を圧倒しているが、今回のチンパンジーの扱いについては是認しかねた。

 この映像の中でチンパンジーが共食いを行うのだが、それをナレーターが「身の毛もよだつような光景が繰り広げられました」と言ったのである。
これは人類史をまったく無視したひどい説明で、人間も長い間部族が異なれば共食いをしていたし、近くは太平洋戦争の南の島々で、飢えた日本兵が死亡した日本兵の肉を食べていた。

 人間は高尚だから共食いはしないとの前提でナレーションはできていたがまったくの事実誤認で、チンパンジーに対し私がNHKに代わって「訂正」を行ったものである。

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 NHKの国際共同制作番組「プラネットアース」は実にいい番組だ。NHKの技術水準の高さがひしひしと伝わってくる。数年間を掛けて撮影しただけにどの画面も出色のできばえになっている。

 プラネットアース第9集「ジャングル 緑の魔境」も素晴らしく、私は感心して見入ってしまった。特にチンパンジーの集団が、自分たちのテリトリーに入ってきた他のチンパンジーの集団を襲う場面は、映画猿の惑星」もかなわないほど迫力があった。
 最後のシーンは取り残された子供のチンパンジーを、襲った側のチンパンジーがみんなで分けて食べているシーンだった。

 このときのナレーションは「闘いの後、身の毛のよだつような光景が繰り広げられましたから始まり「縄張りを守り、食べ物を確保するために命がけで戦うことは理解できるのですが、なぜ食べることまでするのでしょうか」となっていた。

 実はこのナレーションを私は何気なく聞いていたのだが、友達のチンパンジーが私に電話をかけてきて、「このナレーションはあまりにチンパンジーの猿権を無視した、聞き捨てならない言葉だ」と抗議をしてきた。

 彼は次のように言った。
これでは、チンパンジーだけが共食いをしているように聞こえる。では人類は共食いしたことはないのか。人類の誇る”フリー百科事典、ウィキペディア”を見てみろ」というので、私はすぐにウィキペディアを見て見た。

 彼は続けて言った。
「”カニバリズムは人類の共食いの歴史をあらわす言葉で、明確に人類が共食いしてきた事実が書いてある。

 第二次世界大戦中南方戦線に取り残された日本軍は、食料がなくなり死体を食べていた。ニューギニアでは日本の第18軍が友軍兵の屍肉を食することを罰するという布告を出さなければならないほど、共食いが行われていたではないか。戦後、人類の中ではまれに正直だった奥崎健三がゆきゆきて、神軍のなかで、そのことを追及していたのを、君は知らないのか
」というので、私も確かにそのドキュメンタリーを見たと答えた。

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(トシムネさん撮影、山崎編集)

 ほかの例を出そうと彼は続けて言った。
1972年にアンデス山脈に飛行機が不時着し、45名の乗員乗客のうち17名が死亡したが、残った人たちは死んだ人の屍肉を食べることによって生き延びた。これは後に映画化されて多くの人が知ることになり、ローマ法王はこの共食いはやむおえないこととして特赦を与えたではないか。
 ローマ法王といえば、人類の中では、高崎山のボスざると同じくらい著名人のはずだ

 私は、ローマ法王のほうが高崎山のボスざるより著名ではないかと思ったが、黙って聞き続けた。

飢饉のたびに人類が共食いしてきたことは、研究者の間では公知の事実だ。考古学では、人骨が出てきて、その大腿部が割られ、中の髄質が食べられている場合は、共食いの証拠とされているのではないか

 「だから」といつもは物静かな彼が絶叫した。

このナレーションは次のように変えられなければならない。”人類と同じようにチンパンジーにも共食いの風習がある。人類の場合は、戦争や飢饉の場合に頻繁に発生するが、平和を愛するチンパンジーは、自分のテリトリーを守る闘いの場合だけまれに発生する。チンパンジーにとって、この人類の行いは「身の毛のよだつ」ような行為だが、毛のない人類は「身の毛をよだたせる」こともできない”」

 少し、チンパンジーに偏り過ぎた意見に聞こえたが、彼の怒りも理解できたので、私は「NHKに伝えておくから」と言って彼をなだめなければならなかった。

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(22.8.12) 夏休み特集 NO4 はじめての評論 白熊

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(トシムネさん撮影 山崎編集)

 私がはじめて書いたブログでの評論が、この「白熊がかわいそうだ」だった。
この記事は当時放映されてたNHKのプラネットアースで、地球温暖化の影響を受けた北極で氷が溶けてしまい、白熊が氷を伝わって行うアザラシ猟が難しくなっている実情を映し出していた。

 私は非常に衝撃を受けてこの記事を作成した。

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(トシムネさん撮影 山崎編集)

(19.2.19)白熊がかわいそうだ

 今年の気候は特に変だ。四季の道の梅の花は咲き誇り、家のチューリップは芽がもう出ている。通常、1月末から2月初めは厳冬期で、私はこの時期を越すと、「今年も生きられそうだ」と思ったものだが、今年は厳冬期というようなものがなかった。
暖かくていいですね」と挨拶を交わしていたが、本当は喜んでばかりはいられない。

 特にそのことを感じたのはNHKの「プランネットアース第8集 極地・氷の世界」を見たときで、白熊(北極熊)が絶滅するかもしれないと報道されていた。

 私はこのときまで白熊の生態を知らなかったが、秋から春にかけての北極海が凍りに覆われている時期が、白熊の狩の時期で、氷の上でアザラシ猟をしてるのだという。

 一方夏場はまったく食事は取らず、蓄えた脂肪で夏場を乗り切る。
 ところが近時、暖冬化の影響で、氷の張る期間が短くなり、白熊が狩ができる期間がだんだん短くなってきた。
そして飢えた白熊が増えてきたのだという

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(トシムネさん撮影 山崎編集)

 番組に登場した白熊は特にかわいそうだった。解けた氷の海を100kmも泳いで、ようやく陸地にたどり着いたが、食料となるアザラシはいない。
白熊の3倍はあるセイウチはいるのだけれど、鋭い牙を持っている。

 この白熊は空腹に耐えかねて本来は襲うことのないセイウチを襲い、返り討ちにあって後ろ足を刺されてしまった。
砂浜で瀕死の重傷で横たわっていた姿は痛々しかった。
ナレーターもこの白熊の死を示唆していた。

 私は子供の頃から特に熊が好きなので、この番組にはひどくショックを受けた。地球の温暖化はある動物種の死滅をまねく段階にきている。
京都議定書で温暖化対策を実施することになったが、アメリカが批准せず、中国やインドは対象国から外れている。

 アメリカは「地球温暖化と二酸化炭素の排出量との因果関係は証明されていないとうそぶいていたが、ハリケーン・カトリーナにひどいしっぺ返しを受けた。
中国も「温暖化対策は先進国の役目」と居直っているうちに、黄河の水が干しあがり、黄砂に北京は覆われ、農業はひどい打撃を受けている。

 かつての国際的対立は東西陣営の対立だったが、現在は地球を守る側と壊す側の対立に代わっている
日本は明らかに地球を守る側にあるが、それでも自動車の排気ガスの増大や森林破壊が進んでいて、京都議定書の目標達成が困難視されている。

 白熊のために私には何ができるのかと考えてみた。自動車を廃棄処分にしてもいいのだが、これは家族の説得が難しい。
白熊のために自動車の使用は止めようと言っても
お父さんはいつも短絡的に興奮する」といわれそうだ。

 今できるのは、おゆみ野の周りの森林破壊を食い止めることで、里山の再生活動が唯一の対応策のようだ。少しでも白熊のためにがんばろうと「プラネットアース」をみてしみじみと感じた。

注)その後私は本当に自動車の使用をやめてしまった。

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(22.8.11) 夏休み特集 NO3 私が清掃活動を始めた理由

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(トシムネさん撮影、山崎編集)

 何事にも先達はいるものだ。私が四季の道の清掃活動を始めようと決心したのは、皇居の回りでいつも清掃活動をしていたNさんを見ていたからだ。

 Nさんは私より若干若い女性だったが竹橋周辺の公園や遊歩道の清掃に命をかけていた。これは言葉どおり本当で、遊歩道だけでなく自動車道路の側溝に落ちているゴミまで清掃するので、いつ自動車に轢かれてもおかしくない状況だった。

 Nさんはそうして自転車の前と後ろに目一杯のゴミを回収して自宅のある神田に雄姿をみせながら帰っていったものだ。

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(トシムネさん撮影、山崎編集)

(19.2.9)友よ

 何事にも先達はいる。私の清掃活動の先達は、皇居の竹橋周辺、毎日新聞社の前の外苑周回道路を清掃しているNさんだ。年齢は私より若干若い。主婦である。
 「神田で小さな喫茶店を経営している」と言っていたが場所は知らない。

 この皇居の外苑には約5kmの周回道路があり、ジョギングのメッカになっている。かつて谷川真理が練習コースにしていた。私の現役時代のJOGの練習コースもここだったので、そこでNさんにあった。

 自転車の前後左右にゴミ袋を3つも4つも吊り下げているので、いやがうえにも目に付く。
清掃をされているのですかと聞いてみた。
そうなの、ここはゴミがおおくて。皇居の周りがこうじゃ、日本の恥じゃない」と言う。

 ここ竹橋付近には路上生活者が多い。さすがにダンボールで家を作ることはないが、ベンチの上に新聞紙やダンボールを引き、上にも掛けて寝ている。清掃はしないから、朝になると新聞紙やダンボールがあちこちに散乱する。それをNさんが片付けていた。

 Nさんは実にタフだ。ある時新聞用チラシが竹橋前の自動車道路に散乱し、それが風に吹き寄せられ、約100Mに亘って側溝にたまっていた。竹橋周辺は交通量が多い

 JOGをしているとき清掃中のNさんに会ったので
いくらなんでもこれを集めるのは無理でしょう。自動車に引かれてしまいそうだ」と声をかけた。私はそのまま外苑を1周し、再び竹橋まで戻ってくると、信じられないことにNさんはすべてのチラシを回収してしまっていた。
ちょっと危険だったけど、やったわ」と笑っている。
先鋭的なロッククライマーのように危険に立ち向かう。

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(トシムネさん撮影、山崎編集)

 ある日、犬と落ちていた紐の取り合いをしているのには笑ってしまった。一方の端を犬がくわえて「ううー」なんてうなっている。
他方の端をNさんが持って、強引に引っ張るのだが、犬は「紐が命」と言うような感じで離さない。皇居の前で犬と紐の取り合いをするような人はめったにいない。5分間程度見ていたが、JOGの途中だったので結末を見ることができなかったが、Nさんの勝利は間違いない。。

 竹橋の近くの気象庁の前の公園には5Mはある立派な銅像が皇居に向かって立っている。しかしこの人物が誰で、何をした人なのかを記した碑文がない。Nさん
こんな立派な像に、碑文がないなんて、第一、観光客が困るじゃない」と言って役所に碑文を作るように申し入れをした。役所は
ちょっと、難しい人なので作るわけにはいかない」と冷たく回答した。

 実は、この像は和気清麻呂(わけのきよまろ)の像である。戦後教育で意図的に抹殺された人物で、戦前では知らない人がいないほど有名人だった。左翼からは蛇蝎のごとく嫌われている。

 Nさんがすごいのは、それならと自分で碑文を作ってしまったことで、広辞苑等を引き、画用紙に碑文を書いて、座部に貼り付けた。

和気清麻呂。奈良時代の廷臣。道鏡が宇佐八幡の神官と結託して皇位を望んだとき、勅使として宇佐八幡の神託を受け、これを阻止。ために称徳女帝と道鏡の怒りを買い、名を穢麻呂(きたなまろ)とされて大隈に流されたが、後に名誉を回復した

 かつて幕末に、静岡県清水市の沖合で、幕府軍と官軍の海戦があり、幕府軍の死体が浜に多く打ち上げられたことがある。このとき官軍は幕府軍の死者の埋葬を禁じたが、清水の次郎長が官軍の命令を無視して死体を手厚く葬った。
おんなじ人間じゃねえか」と言うのが次郎長の立場だった。

 Nさんの立場もそれに似ている。
右も左もないわ。同じ人間よ

「姉さん、江戸っ子だってね」
神田の生まれよ

私はこういう人が大好きだ。

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(22.8.10) 夏休み特集 NO2 ペンキ屋さん

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(トシムネさん撮影 山崎編集 北岳)

 私の清掃活動の一環として、落書き消しがある。道路の壁面や街路灯、その他公共的な場所の落書きを消していたが、この落書きには季節性があり、学業が終わりに近づく季節になると、急に増加する傾向がある。

 この記事は中学生が卒業期をむかえ、再び落書きが増加したために落書き防止月間の戦闘態勢モードに入ったときに記載した記事である。
落書きは剥離剤で落とすより上塗りし、素人は水生ペンキを使用するのがベターなことを悟った記事になっている

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(トシムネさん撮影 山崎編集 北岳)


(19.1.31) 再びの


Photo_23 再び街路灯にペンキの落書き始まった。2年ほど前にも街路灯や階段の壁やトンネルの壁にペンキで落書きされたため消しまわったことがあったが、今回は夏の道に隣接する千葉南警察署近くの公園の街路灯が被害にあっていた。

 こうした場合すぐに消してしまうのが最善で、そのままにしておくと鳥のインフルエンザと同じで、落書きはだんだんエスカレートしていくことが多い。そうなると消しまわる労力も大変だが、塗料の価格も馬鹿にならないので経済的にも負担になる。

 消し方は当初剥離剤を使用したが、これは本体のペンキまで落としてしまい使用に耐えなかった。
一番いいのは同じ色のペンキを上から塗って落書きを消すことだが、実際に行ってみると同じ色のペンキなどはないことが分かる。
したがってできるだけ同系統の色のペンキで消すことになるが、地の色より濃い色のほうが目立たない仕上がりになる。

 ペンキは油性と水生があるが、油性は扱い方が難しいので素人は水生ペンキを使用したほうがよい。ただし水生は水分が蒸発することによって色素を固定するので、湿度の高いときは使用が難しい。

 以前、雨が降っているときにトンネルの内壁の落書きを消したことがあったが、湿度100%だったため、塗料がすべて下にたれて翌日見たら落書きがそのまま露出していた苦い経験がある。

 ペンキの落書きはするほうはスプレーで簡単にできるが、消す方は元の色との調整や、消す範囲の決定等でとても神経を使う。犯人を特定することはほとんどできないため、粘り強く消しまわるより方法はない。

 だから見つけたら小さいうちに直ちに消して拡大を防ぐのが最善の方法なのだ。

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(22.8.9) 夏休み特集 NO1 なぜブログを作ったか。

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(マッスルさん撮影、山崎編集 北岳)

 これからしばらくの間は、夏休み特集で過去に私が作成したブログをリメイクして掲載します。

 私がブログを書き始めたのは2006年11月ですので、それ以降のブログのうちエポックになったと思われるブログを、順次掲載することにします。
なお、掲載に当たって一部言葉使いや内容を修正しますが、もともとの記事についてはそのままにしておきます。

 最初の記事は、なぜこのブログを立ち上げることになったのかの経緯を説明しています。

なぜブログを始めたか(18年11月)

  本当のことを言えば、私がブログを作成するとは思わなかった。60歳の定年を向かえ、近くの小学校のスクールボランティアを始めたのがブログを作成する羽目になってしまった。

 当初は草刈のような清掃作業をすることにしていたのが、前の会社でコンピュータ関連の仕事をしていたことがわかり、校長先生からホームページ作成の手伝いをしてほしいといわれた。

 しかし、残念なことに私はホームページを作成した経験がない。
近くのカルチャーセンターでホームページ作成方法を教えてもらおうとしたところ、そこの先生から「ホームページとは古いですね。今はブログの時代ですよ」といわれてしまった。
そこでブログ関連の書物を買い込み、このブログを立ち上げてみた。

 またブログを作成してから分かったのだが、ブログは基本的に日記なので、記事は日記風に書くのがよいことが分かった。たまたま私はスクールボランティアのほかに、私が住んでる街の遊歩道四季の道)の清掃もしているので、このブログもそうした行動の一日を伝えて生きたいと思う。

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(マッスルさん撮影 山崎編集)

(19.6.20追加)

 現在までのところ、休まずにブログの掲載が続いている。当初はボランティア中心のブログだったが、毎日ボランティアのことを書くわけにはいかず、今では17項目のカテゴリーができてしまった。

 毎日書くと言う上で一番つらいのは旅行に行く場合である。実は4月に子供の結婚式のために、バリ島に行ったが、その間のブログをどうするかが課題だった。
仕方がないので、私が昔書いたシナリオを分割して掲載することによってしのいだが、今後も同じような方法を駆使して、つなぎのブログを作成することになりそうだ。

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(22.8.8) ランナーズの一歳きざみランキング 154位

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 ランナーズフルマラソン一歳きざみランキングというのをご存知だろうか。
雑誌ランナーズに毎年1回掲載されるランキングで、年齢別・男女別にその年に行われたフルマラソンの100位までの名前が記録順に掲載される。

注)ランナーズが指定するその年の公認レースで出した記録を、早い順に並べてくれる。

 しかし残念なことに私のように、100位以下の人の順位は分からなかった。
一体自分はどの程度なのだろうか」とても知りたくなった。
調べてみると100位以下の人にも有料500円)で順位表を出してくれるという。

 先日ランネットを通して依頼してみたらその順位表が送付されてきた。
今年の3月に佐倉健康マラソンで出した、3時間53分27秒が私の最高タイムで、これが63歳の男性、837人中154位だと分かった。
そうか、154位か、もう少しで100番は可能だ」嬉しくなった。

 私の今年の目標はつくばマラソン3時間40分で走って、目標の100番に入ることである。
思えば私が早く走れなくなってから10年近くたっている。歩幅が小さくなり女性がよくやっているチョコチョコ走りになって、ほとんどが4時間前後の記録になってしまった。
その中では佐倉の3時間53分は立派な方だ。

 今年はかなり真面目にトレーニングを再開し、家の近くの一周1100mの周回コースで1km5分(このスピードで最後まで走ると3時間半のタイムになるで走れるようにがんばっている。
もっとも夏場のスピードトレーニングは身体を壊すので、今は長い距離をゆっくり走っているだけだ。
秋口になって気温が下がれば、再びスピードトレーニングを再開しよう」気合が入った。

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 最近は東京マラソンの影響で、マラソンブームに火がついてしまい、人気のある大会のエントリーがとても難しい。
私がでるつくばマラソンのエントリーも1日で一杯になってしまうし、長谷川恒雄記念カップは気がついたときは締め切られていた。
仕方がないので最近は自分でレースを計画して一人で走っているが、さすがに一歳きざみランキングに掲載してもらうためには陸連公認コースでの記録が必要になる。

 若い人が一歳きざみランキングで100番以内になるのは大変なのだが、年齢が高くなるにしたがって100番以内に入ることが容易になる。
理由は走る人が少なくなるからで、さすがに60歳を越えて走るには体調維持が大事で、それに失敗してフルマラソンの世界から引退していく人が多い。

 だから毎年走ってさえいれば、そのうち100人も走る人がいなくなって必然的に100位以内の順位になる。
この歳でフルマラソンを走る人は10人しかいないよ」そんな歳まで走れればしめたものだ。何とも迂遠な話だが、実に楽しみだ。

 

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(22.8.7) 佐々木さんの「樹木の思弁哲学」

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 先日、「木はなぜ死ぬのだろうか」(リンクがはられています)という記事を掲載し、あまりに乱暴な筒切りという強剪定四季の道でなされており、それが木を枯渇させているとの指摘を行いました。

 今回はその記事に対し樹木の専門家で、造園関係のコンサルタントをしている佐々木さんから、木が死ぬことへの「樹木の思弁哲学」の記事を寄せてもらいました。
私が提起したケヤキの木が無下に死に追いやられていると言う指摘に対する回答ではありませんが、興味のある記事です。

 私自身は非常に即物的な人間で、こうした思弁は不得意なので参考になりました。
なお、注)は私が追加したものです。

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『Re:木はなぜ死ぬのだろうか?』 佐々木コンサル

木はなぜ死ぬか?」
とても哲学的な問いです。死ぬのは一体誰か?
という問題に突き当たります。

死ぬ」が何か、まず定義すると、「個体が機能を停止して、代謝をやめること」といったところでしょうか。
死ぬ」は細胞分裂するバクテリア時代には夢にも見なかった機能です。

この、「個体」が曲者です。

 山崎さんのおっしゃった「木は理論上死なない」は、じつはちょっと大げさなのですが、樹木はクローン技術を自然と持っているので、その点も踏まえると実に本質を捉えた言葉です。
樹木も含め、植物は挿し木で簡単に増やすことができます。
遺伝子の上では同じものがコピーされるわけですから、個体は容易に死にません。

注)私は本当に外的な条件が最適であれば木は死なないのではないか、あるいは非常に長い間生きられると思っています。

 われわれ人間のように、ちいさくてこちょこちょした生き物は(それでも十分に大きい部類に入るのですが)とにかく、短い一生に子孫を確実に残すことにあくせくします。
草花や昆虫に至っては1年で、ショウジョウバエはもっと短い数ヶ月で産卵やら種まきやらをしてあっさり死にます。
個体」は役割を果たしたので、もうじゅうぶんなわけです。

 さて、樹木もやはり種を撒きます。しかも膨大な量を。
ところが、ほとんどの種は動物に食べられ、運よく発芽してもやれ光が強い弱い、水分が足らないといっては簡単に死にます。
最終的に一個体生き残ればめっけものです。
樹木は実に、ギャンブルのような繁殖をしているのです。

 ギャンブルに負けないよういろいろと保険をかけています。
木が倒れてもひこばえを出して生き残ろうとしたり、株分かれしたり、といったクローン技術を駆使することがひとつ、もうひとつが、寿命を長くすることです。
長期間にわたって、たくさん種をまけばまくほど、勝てる確率が増えるからです。
役割を果たすまでの時間が動物よりも長いと言えます。

 しかし、寿命が長いだけでは十分ではありません。
森という仕組みも重要です
本来、木の多くは森で互いに寄り添って生活しています。
風をさえぎり、土を一緒に抱えて水分を共有したり、一緒に影を作って幼い苗を庇護したりする隣の木がいるとより、生き残りやすくなります。
樹木は森という複雑な社会を作る生き物なのです。

 実は、セコイアの巨木や縄文杉があれほど長生きなのは、ある範囲で、気象条件、地質、土壌の菌や苔、大小の動物が奇跡的に組み合わさった結果でもあります。
特に、根と共生する菌類は木の栄養吸収に非常に大切な役割を果たしていると言われていますが、全容はいまだに分かりません。複雑すぎるのです。
木は「個体」として生き、同時に「」全体としても生きています。
そして、森全体は、個体よりもさらに死ににくいようになっています。

 木を植えるということは、そのぬくぬくとした森から木を一本連れ出して、都市の中に置くという行為です。
植えることを恐れることではないですが、少しでも森が全体で生きているバランスを知って植える時に生かすことが大事です。

注)佐々木さんの指摘は木は森と共にあり、それを切り離して四季の道のような人工的な環境に移設して育てるのには、本質的に無理があるとの指摘です。
そうした人工的環境では、人間の住環境と共存させるため、大きくなった木は強剪定のような無理な措置を取ることになり、結果的に樹木の寿命を早めてしまう。
だから当初から大きなケヤキのような樹木は植えるべきでないとの指摘だと解釈しました。

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(22.8.6) 民主党政権のレームダック 菅総理の落日

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 こんなにも早く政権がレームダックになっていいものだろうか。
この6月8日に菅内閣が発足してから早2ヶ月で、すでに末期症状に陥り、9月の代表選を乗り切れるかどうかの瀬戸際に立たされている。

 すべては参議院選挙の敗北が原因だが、参議院過半数割れを起こし、衆議院では再可決が可能な3分の2を下回ってしまった。
このため法案国会の承認人事は野党に主導権を握られ、衆院が優先権がある予算も法案がらみの案件は何一つ決めることができなくなっている

 管首相としては個別案件ごとの部分連合を模索しているが、たとえば公務員制度改革などでみんなの党と組めば、国民新党がそっぽを向きそうだから、実際は時間と労力だけかかって何一つ決められないと言うのが実情だろう。

 参議院選挙で民主党が大敗した最大の原因は、菅総理が争点として掲げた消費税の増税であることは確かだ。
民主党のマニフェストでは消費税は増税せず、埋蔵金等でこども手当て等を捻出することになっていたから、これは公約違反であり特に無党派層が民主党からみんなの党に流れてしまった。

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 現在の選挙では固定的な支持層だけでは過半数を取れないので、常時30%程度はいる無党派層をどの政党が取り込めるかによって選挙の帰趨が決まる。
しかもこの無党派層はその時のムードによって動く傾向が強く、「抵抗勢力を排除しよう」といえば小泉首相を支持し、「自民党は賞味期限が切れた」といえば鳩山政権を発足させる原動力になった。

 今回の菅首相の「消費税を上げよう」はまったくベクトルが逆をむいており、無党派層の心を捉えるものではなく、徹底的な公務員制度改革と無駄の排除(これはもともとは民主党の公約でもあった)を主張したみんなの党に票は流れてしまった。

 私は正直な菅首相を個人的には好きだが、残念ながら選挙を勝ち抜くマキャベリストとしての能力は小沢氏に2歩も3歩も劣ると思っている。
小沢氏は選挙で勝ち抜くために消費税を封印したが、政治とは数であることを知悉している小沢氏らしい戦略だった。

選挙で勝てば後は何でもできる。だから選挙のスローガンは選挙民を喜ばすことだけを言え小沢マキャベリの本心だ。
菅総理は選挙で勝つために最低限「消費税の増税」には触れるべきでなかった。
消費税の増税を言えば必ず選挙で負けることは歴史的に明確で、選挙で負けたら後は何も決められなくなるからである。

注) 97年当時の橋本内閣が消費税を5%にアップしたが、その後の選挙に破れ首相を退陣したし、近くは麻生首相が増税論議を前面に打ち出して民主党に大敗した

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 だから消費税を上げたかったならば「消費税を上げない」と公約し、過半数を確保した後に、「もろもろの事情により公約が守れなくなった」といって消費税を引き上げる以外に手はない。
まさにマキャベリ的手段だが、それが政治というものだ。

注)これを政治のパラドックスという。国民が嫌がる消費税アップのような政策を実施する場合は、その政策を実施しないといって政権をとり、あとは数の力で押し切る。
もし正直に消費税アップを行うと公約すれば選挙で大敗するので、菅首相の例を見ても分かるように、何も実施できない。


 9月の民主党の代表選で菅首相が勝とうが負けようが、参議院で過半数割れをしている実態は何も変わらない。
参議院で安定多数を得るには自民党との大連立か公明党との連立以外に選択肢はない。
他の少数政党では過半数に届かないが、一方自民党も公明党も連立には消極的だ。。

 もちろん連立が成立すれば政権は安定するが、そのような寝技が可能なのは再びマキャベリスト小沢氏以外にはいない。
菅首相は民主党小沢派を排除して参議院選挙に臨み大敗した。
菅首相が生き残る道は小沢氏の軍門に下り、小沢氏の豪腕で連立を組むより他に手はなく、それ以外に政権を維持する方法はない。

小沢さん、俺が悪かった。助けてくれ」これだけだ。
政治は常にマキャベリズムによって、動いていく。

 

 

 

 

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(22.8.5) こりゃ大変だ。 最高齢者はどこに消えたのか? 年金不正受給者の怪

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 東京都
男女最高齢者男性は既に死亡しており、女性は失踪して行方知れずになっていることが判明した。

 男性は加藤宗現さん111歳で、加藤さんは約30年前に死亡しており白骨死体で発見された。
一方女性は古谷ふささん113歳で、長女79歳と杉並区で暮らしていることになっていたが住民登録のある杉並区には住んでおらず、他の兄弟とも暮らしていないことが判明した。

 毎日新聞の調査によると、100歳を超えて、所在確認ができない高齢者は18名おり、より詳細な調査をすればさらに不明者は増加しそうだと言う。
どうやら長寿大国日本は上げ底数字があり、すでに死亡している長寿者がかなりいそうだ。

注)09年現在100歳以上の高齢者は4万399人(男5447人、女3万4952人)。なおNHKの調査では100歳以上の所在不明者は30名になっている。

 すでに死亡したにも関わらず生存していることにするのには経済的な理由がある。
加藤宗現さんの場合が典型的にそれで、年金の不正受給をするためである。

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 家族の収入のうち年金部分が大きい場合は、本人の死亡は子供にとっては大問題になる(夫婦の場合は遺族年金が受けられるので問題がない)。
なんとか本人を生存させていることにしたいが、病院等に入って病死が確認された場合は「死亡診断書」を医師が記載するので、死亡を隠すのはかなり難しい。

 一方自宅でひっそりと死亡した場合は、今回の加藤さんの例のように、そのままミイラ化させておけば、書類上は生存しているので、年金が支払われ子供や孫の生活費として利用できる。

注)なぜ加藤さんを火葬できなかったかの理由は、火葬するためには死亡届がいるため。死亡診断書を添付して市町村に死亡届を出すと、戸籍を抹消して火埋葬許可書を出してくれる。この許可書がないと火葬できない。

 さすがに厚生労働省もこうした事例を放って置くわけには行かないので、長妻厚労相が「110歳以上の年金受給者全員に本人に面接して所在を確認するよう」指示をだした。
それでなくても年金財政は厳しいのだから当然の措置だろう。

 現在、地方自治体が本人が生存している確認に使用するのは、介護保険の利用状況と医療機関の受診記録である。
この両者か一方があれば、本人の生存は確認できる。

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 一方、介護保険も利用せず、医療機関の受診記録もないのに年金だけ受領しているのはかなり怪しい。
100歳を越える高齢者で、老人介護も必要とせず、医者にもかからないような老人は通常はいない。

 この年金の不正受給の他に、本人確認ができない例として古谷さんのように何らかの理由で本人が失踪してしまった場合がある。
こうした人は地下鉄やJRの通路や河原等で寝泊りしながら、最後は住所不定・無職のまま行き倒れてしまうから、家族が死亡届を出すことができない。

注)その後の調査で古谷さんの場合も扶助料(遺族年金に当たる)が数千万円支払われていることが分かった。この場合も年金の不正需給の可能性が高まった。

 人間は最高120歳程度まで生きられるといわれるが、どうやら110歳を越えて生きることは不可能で、生きているとしたら年金需給か失踪のために生き続けているようだ。

 当初は例外的な問題だと思っていたが、調査が進むにつれて次々と年金の不正受給や本人の所在が不明な案件が増えており、年金制度そのものと、日本の人口統計に対する不審が発生している。

注)韓国の公共テレビは日本の人口統計はイカサマだと放送していた。

 どうやらこれは厚生労働省あげての政治問題に発展しそうだ。

 

 

 

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(22.8.4) 千葉市財政健全化プランの是非 財政は健全化できるか?

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(マッスルさん撮影、山崎編集)

 千葉市では出前口座と言うものを実施しており、このたび市民ネット福谷さんが声をかけて鎌取コミュニティーセンターで「千葉市財政健全化プラン」の講義を財政課の岸本さんから受けた。

 千葉市の財政が危機的状況にあることは前から知ってはいたものの、通常の生活をしている限りそうした危機意識はない。
いつものようにゴミの清掃車は時間通り来るし、四季の道の草刈も定期的に行われている。
道路も必要に応じて補修されており、下水道の整備も進んでいる。

 私が唯一市の財政が厳しいと実感するのは公園のベンチで、ベンチが朽ち果てているが補修がされていない。已む無く私がペンキを塗って何とか持たせようとしているが、その時は「市の財政は厳しいんだな」としみじみ思う。

 なぜ市の財政が危機的なのに、市民がそれを実感しないかと言えば、市が市債を発行したり、貯金基金と言う)の取り崩しをして、つじつまを合わせているからで、これは国の予算の半分以上が国債発行でまかなわれているのとまったく同じだ。

 しかしこの市債発行による資金調達については財政健全化法による縛りが平成19年からかかることになった。この法律が施行された趣旨は夕張市のように破産してしまう地方公共団体が急に出ては困るので、事前に破産しそうな地方公共団体をチェックしようと言うもので、4つの指標のうち一つでも抵触すると、財政健全化(が必要な)団体に指定され、健全化プランの策定が必要になる。

注)千葉市は財政健全化団体に指定されているわけではないが、その可能性が高いため自主的に健全化プランを策定している。

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(マッスルさん撮影、山崎編集)

 千葉市は市債の発行を国と同様おおらかに実施してきたため、4つの指標のうち、実質公債費比率借金返済額が収入の何%にあたるか示す指数。これが25%を越えると財政健全化団体に指定される)、および将来負担比率(将来的に負担する可能性のある借金の総額が収入の何%にあたるか示す指標。これが400%を越えると財政健全化団体に指定される)が健全化指標に抵触しそうになってきたからである。

注)実質公債比率は20年度20.1%で17政令指定都市の中で16番目に悪い数字。将来負担比率は309.6%で同じく政令指定都市の中で17番目に悪い数字。はっきり言えば政令指定都市の中では最悪な財政状況

 日本では国レベルでも地方公共団体レベルでも、かつてはおおらかに借金ができたが、それは金融緩和策による金余り現象で金融機関から見ると他に適切な融資先がなかったからである。
まず市町村が倒産することはないだろう」そう思われていた。

 しかしながら夕張市のように人口が激減して税収も激減している市町村は、さすがに金融機関も市債等の引受に躊躇するようになり、そうした市町村から倒産が始まっている。

 千葉市は前市長のころから財政健全化プランを策定して、市債の発行にストップをかけてきたが、本気になって千葉市の財政を健全化しようとしたのは現市長の熊谷氏がはじめてである。

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(マッスルさん撮影、山崎編集)

 熊谷市長がリーダーシップをとって、平成22年から25年までの「千葉市財政健全化プラン」を策定した。
今回その内容を財政課の岸本さんから説明を受けたが、正直な感想は「熊谷市長が本気で取り組んでいるのは分かるが、達成は難しそうだ」と言うものだ。

 私が何より難しそうだと感じたのは、市税徴収率20年度、92%)や国民保険料徴収率(20年度、71%)、住宅使用料徴収率(20年度77%)等がとても低く、引き上げの努力はしているものの、なかなか上昇していないことにある。
なんで、こんなに徴収率が低いのですか?」質問してみた。
私にもよく分からないのです」岸本さんの返事だ。

 千葉市は本来入ってくるべき収入が一種の脱税行為で十分入ってこず、一方支出は確実に支出されるため、不足分は必然的に公債発行基金の取り崩しで対処せざる得ない。

 私は日本政府や地方自治体ほど国民に優しい組織は世界広しといえどないのではないかと思っている。
国民や市民の要求を目一杯に聞いており、一方で税金はあげられず脱税行為は横行し、仕方なしに借金をしてでもその要望を聞いてきた。
今までは金融機関からいくらでも借金を重ねることができたが、しかしそれも終わりだ。
地方公共団体については財政健全化法の縛りができたからである。

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(マッスルさん撮影、山崎編集)

 今、千葉市にとって必要なことは、市税国民健康保険保育料等当然徴収するべきものは公権力を使用して徴収し、一方扶助費高齢者福祉、生活保護対策)は収入の範囲内に抑えるようにして、借金をしてでも実施するような安易な社会福祉対策をやめることにある。

 熊谷市長の「千葉市財政健全化プラン」は相応に意慾的だが、「社会福祉を削っているわけではない」と言っているように微温的であり、本当の厳しさが足らない。
自治体も会社もつぶれてしまえば根本的なリストラが必要になるのだから、その前にそうならないような対応が必要なのはどこも同じだ。
千葉市は倒産前夜にある。市民へのサービスは相応に削る」そうはっきり言って実施すべきで、そうでなければ財政健全化プランの達成は難しいだろう。

注)JALが倒産した後を見ても分かるように従業員の首切り、賃金カット、福祉政策の見直し、設備投資のカット等が再生のための条件になる。

 

 

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(22.8.3) 日本テレビ報道局の無謀な取材 奥秩父滝川(ブドウ沢)の三重遭難

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(トシムネさん撮影、山崎編集 なおこの写真は北岳の大樺沢です)

 防災ヘリの墜落でなくなられた5名の方には心から気の毒に思ったが、今度の日本テレビ報道局記者カメラマン滝川(この上流にブドウ沢がある)での死亡(溺死)には同情の余地はない。

 ほとんど死亡するのが当然の状況で死亡している。
時間的経緯を追っていくと、7月31日朝6時半ごろから取材のため入山を開始したが、メンバーはA記者(30歳)、Bカメラマン(43歳)、山岳ガイドCさん(33歳)の3名だった。

 この取材は、ヘリの墜落現場まで行って地上からの映像を撮ることを目的とし、ブドウ沢まで沢を遡行する予定だった。
しかし山岳ガイドのCさんによると、A記者は沢登りを行う装備がまったくなされてなかった。
防寒着を持っておらず、ヘルメットも沢登り用の靴もなかったため、CさんA記者にヘルメットと靴を貸したのだという。

 一方日本テレビによれば、今回の取材は以下の条件で許可したと言う。
① 山岳ガイドを必ずつけること
② 取材日数は1日
③ 十分な装備を用意すること


注)登山経験、特に沢登りの経験がない人は、十分な装備と言っても何を用意したらいいのか分からない。許可した方も聞いた方もどうすればいいか分からなかったのが実情だろう。

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(トシムネさん撮影、山崎編集 なおこの写真は北岳の大樺沢です)

 今回派遣された二人のうちA記者は明らかに登山経験が不足しており(経験は簡単な山登り程度だったと思われる)、一方Bカメラマンはアラスカやチベット等の山岳取材の経験者で、防寒着等の用意はしていたが、山岳ガイドのCさんの話だと「二人とも足取りがおぼつかなかった」と言う。

注)過去にどのような経歴があっても日常的に身体を鍛えていなければ、沢を歩いたり滝を登ったりすることはうまくできない。

 ガイドのCさんはこうした状況を見て、二人が沢に入るのは無謀と判断したが、無下に断ることができないため、滝川に下りて、その水の冷たさ(10度C程度)を実感させ、「雲行きが怪しいので、撤退しましょう」と提案したと言う。

注)実際その日の夜半から激しい雨が降った。

 記者とカメラマンはこの段階ではCさんの指示に従い、一旦登山口まで引き返したが、問題はこの後に起こった。
取材に来たものの河原に下りただけで終わってしまったため、カメラマンのBさんが、「尾根筋から墜落したヘリの映像を取れる場所を見つけてくる」と10時ごろから記者とカメラマンだけで再度山に入ったという

注)この取材の実質的なリーダーはBカメラマンだった。

 登山経験の少ない人にはこの行動の意味が分からない。
通常尾根筋は道が明確に存在し、危険な箇所はほとんどない。しかもここはせいぜい1000Mを越す程度の山並みだから、3000M級の山道を歩くのとは違う。

 一方沢筋が幾層にも現れ、水に浸かりながら岸壁を渡るヘツリというような場所や、水が深いトロと言われる遊泳して対岸に渡る場所がしばしば現れる。
水温が10度程度だと、よほど防水のしっかりした衣類を着ていても身体から体温が奪われ、2時間程度低体温症になって身体が動かなくなることがある。

 ガイドのCさんが「尾根筋ならば二人で行ってもまったく問題ない」と判断し日本テレビの2名の行動を許した理由はそこにあるのだが、実際は記者とカメラマンは沢に入っていた。
死亡した場所が滝川なのだから、尾根にいたはずがない。

 BさんはガイドのCさんが危険を感知して沢に入るのを躊躇したため、あえて嘘をついて沢に入ったものと思われる。どうしても報道の映像がほしかったのだろう。

 しかしこの時に最大のミスをしている。
① ロープを持っていかなかったこと(尾根筋ではまったく必要がないが沢では下降時に絶対必要
② A記者の服装が軽登山の服装だったこと
(沢の水温に耐えられない


Cimg1618_2  (トシムネさん撮影、山崎編集 なおこの写真は北岳の大樺沢です)

 沢登りでは撤退(下降)する時が一番問題になる。通常登るのは体力と気力さえあれば可能なのだが、撤退するために滝を下りる時は必ずロープがいる
足下が見えないので、よほどのベテランでもフリーで降りることは危険だ。

 今回二人は沢に入って滝川を遡りブドウ沢に入ろうとしたが、たちまちのうちに身体が冷え、撤退に迫られたはずだ。なにしろA記者は防寒着を持っておらず、沢登りがはじめてだったはずだからだ。

注)沢登りの経験者だったらヘルメットや沢登り用の靴を持っていないことなどありえない。

 しかしこの時になってロープがないことが致命的な失敗になった。登った滝や急角度の傾斜を経験不足のA記者は降りることができなくなって、滑って深みに落ち込み川に流されたと推定される。

注)A記者の頭部には複数の傷があった。一方Bカメラマンには外傷がなかった。

 
BカメラマンA記者を救おうとしたが、一緒におぼれてしまい体力の限界が来て二人とも溺死したものと思われる。
この日の夕刻には雨が降っており、二人はさらに川に流されたようだ。

 今回の事故については同情する余地はない
あえて嘘をつき、軽装備でかつ未経験の若者を連れて沢に入り、撤退用のロープももって行かなかったのだから、遭難するのが当然だ。

 日本テレビはこのような無謀きわまる取材を許可したこと、特に登山経験がほとんどない若者に軽装備で沢登りをさせたことについて、十分な検証をする必要がある。




 

 




 

 

 

 

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(22.8.2) なぜ幼児は死ななければならなかったのか? 桜子ちゃんと楓ちゃんの餓死

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(マッスルさん撮影、山崎編集)

 こうした事件が起こるたびに私は涙が流れて止まらない。ブログを書くのもつらいほどだ。
この7月30日に、大阪市西区のマンションの一室で、桜子ちゃん3歳と楓ちゃん1歳の幼児が、裸のまま腐乱死体で発見された。

 母親の下村早苗容疑者23歳は、これまでも日常的に育児放棄を繰り返し、6月に長期間外泊をしたことにより、二人の幼児が餓死したものと推定されている。

 下村容疑者の育児放棄は非常に問題がある。
しかしそれ以上に問題なのは大阪市こども相談センターの対応で、近所の住人から3回にわたって「子供の泣き声が常時していて、幼児虐待ではないか」との通報を児童虐待ホットラインに寄せられていたにもかかわらず幼児の命を救えなかったことだ。

 相談センターの担当者は計5回このマンションに訪問しているが、呼び鈴を押して所在を確認したものの応答がないので、「不在票」を置いて帰ったという。

 通報は3月30日、4月8日、5月18日になされているから、この時点までは幼児は生きていたことは確かだ。
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(マッスルさん撮影、山崎編集)

 今回の事件ではたとえ呼び鈴を押したとしても3歳と1歳の幼児がそれに適格に対応できたかどうか怪しい。
相談センターの説明では「この部屋は住民登録がされておらず(だから誰が住んでいるか分からず)、こどもの存在が確認できなかったため、調査は困難だった」と弁明している。

 しかしこの弁明はひどい自己弁護に聞こえる。
通報ではこどもの泣き声がして「ママー、ママー」と叫んでいたとされているのだから、子供がいることは確かで、住民登録の有無がこどもの存在を確認する唯一の手段だとは思われない。

 これでは「児童虐待ホットライン」でいくら住民が通報しても何の役に立たず、ホットラインはたんなる行政のありばい作りの手段に過ぎないといえよう。
この事件だけで、大阪市こども相談センターが自己保身のためだけの組織だと言うのは言いすぎだとしても、このように何回も通報があったのに幼児の生命を救えなかったことは確かだ。

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(マッスルさん撮影、山崎編集)

 今回は異臭がするという通報を受けて警察と消防がベランダから室内に入り、幼児の遺体を発見した。
もっと事前に相談センターが警察に通報し、幼児の生命が危険にさらされている可能性を示唆したら、警察官がまだ生命が残っている幼児を発見できた可能性が高い。

 虐待されたり、育児放棄された幼児は自ら生命を救う手段を持たない。
そのために「児童虐待ホットライン」があるのに、今回はまったく役立たなかった。

 桜子ちゃん楓ちゃんの死亡は、こうした行政サイドの組織が、単なる張子の虎だったと言う意味で責任がある。
ホットラインを機能させなかった大阪市こども相談センターは自らの責任を自覚して仕事を検証すべきで、そうでなければ第2、第3の桜子ちゃん楓ちゃんが現れることは確かだ。

 助けられる命を無下に行政の怠慢で死に追いやってしまったのは無作為の犯罪と言われても仕方がない。
とても胸が痛く悲しい事件で、日本人の一人として桜子ちゃん楓ちゃんに何と言って謝ったらいいか言葉を失う。


 

 

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(22.8.1) 山岳遭難と救助依頼の是非  秩父山系ブドウ沢のヘリの事故

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(トシムネさん撮影 山崎編集)

 山で遭難したら、救助依頼をすべきなのだろうか? 
つくずくそう思ってしまった。

 この7月24日秩父山系ブドウ沢の1100m付近で沢登を行っていた東京都勤労者山岳連盟8人のパーティーのうち一人の女性(55歳)が滝つぼに転落し救助を求めた。
その救援に向かった防災ヘリが救援に失敗し谷底に墜落して救助隊員5人の命が失われた。

注)救助を求めた女性も死亡した。なおヘリの出動は連絡を受けた25日。

 この埼玉県の防災ヘリには7名の乗員がいたが、埼玉県防災航空隊員2名、秩父消防署特別救助隊員1名、それと機長および副機長が殉職し、降下をしていた2名の隊員は命が助かった。
死亡した5名は、機長を除くとほとんどが30台の若者であり、あまりにも早すぎる人生の終わり方で痛ましい。

 私が沢登りをしていたのは、私自身が30才台の頃だから、今から30年前の昔になる。
丹沢奥多摩、そして今回事故が起こった奥秩父の沢に入っていた。
私の場合、沢にはほとんど一人で入っていたし、当時は携帯電話はなかったので(今でも使用していない)、事故が起こればすべて自己責任で対処するより仕方がなかった。

 実際私も滝つぼに落ちたことがあるが、身体が一旦深くもぐり、かぶっていた黄色い帽子が水面に浮かんでおり、それがあたかも満月のように見えたのを覚えている。
異様な不思議な時間で、自分が滝つぼに落ちたことを認識するまでしばらく時間がかかった。その後我に返って慌てふためいて泳いだものだ。

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(トシムネさん撮影 山崎編集)

 沢登りはもともとかなり危険なスポーツであり、事故と隣り合わせにある。
まず、事故が起こらないように技能と体力を高めておくことが一番だが、もし事故が発生した場合、パーティーを組んでいるならばそのパーティーが滑落者を助けなければいけない。

 県警等に救助を依頼するのは最後の手段になるが、私自身は絶対に救助を依頼しないことにしていた。
もし不幸にして死亡することがあっても、それは沢登りと言う危険なスポーツに挑戦した結果だから、救助されるぐらいならば死んだほうがましだと思っていたからだ。

 沢は大変危険な場所である。日本の沢は一般的に深く、V字型に切れ込んでおり、100m程度の切れ込みはざらにある。
尾根筋と異なり、ヘリコプターが容易に近づける場所ではない。
無理して救助しようとするとヘリコプター自身が事故に会って、二重遭難になる可能性が高い。

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(トシムネさん撮影 山崎編集)

 まさに今回はそうした事例で、若い命が無駄に5名も失われてしまった。
今回このパーティーは県警に救助依頼をしたのだが、なぜ自分たちで救助をしなかったか不思議でならない。
沢に入っているのだから一番近い場所におり、ロープも持っていたはずだ。
パーティーを組んでいた東京都勤労者山岳連盟の他の7名は一体何をしていたのだろうか。

注)もしかしたら救助はしたが重症だったのでヘリを呼んだのかもしれないが、私だったら重症者を担いで下山する。

 今回のヘリの墜落原因はヘリが自ら起こす下降気流に巻き込まれたセットリング・ウイズ・パワーという現象だといわれているが、谷筋のような険しい環境では逃れるすべがなかったのだろう。

 中高年の登山ブームで救援依頼は激増していると聞く。最近登った南アルプス北岳の稜線で2回も救助ヘリに遭遇してしまった。
尾根筋の登山道ぐらいは骨折などしないで登ってほしいものだが、実際は事故が多発している。

 だが尾根筋はまだいい。ヘリが安全に救助できるからだ。一方谷筋のような場所はヘリもいつ二重遭難するか分からない。
このような場所で沢登をするなら、何度も言うように自己責任で対処し、他人の命まで犠牲にするようなまねはしてほしくないものだ。

 

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