(22.8.7) 佐々木さんの「樹木の思弁哲学」
先日、「木はなぜ死ぬのだろうか」(リンクがはられています)という記事を掲載し、あまりに乱暴な筒切りという強剪定が四季の道でなされており、それが木を枯渇させているとの指摘を行いました。
今回はその記事に対し樹木の専門家で、造園関係のコンサルタントをしている佐々木さんから、木が死ぬことへの「樹木の思弁哲学」の記事を寄せてもらいました。
私が提起したケヤキの木が無下に死に追いやられていると言う指摘に対する回答ではありませんが、興味のある記事です。
私自身は非常に即物的な人間で、こうした思弁は不得意なので参考になりました。
なお、注)は私が追加したものです。
『Re:木はなぜ死ぬのだろうか?』 佐々木コンサル
「木はなぜ死ぬか?」
とても哲学的な問いです。死ぬのは一体誰か?
という問題に突き当たります。
「死ぬ」が何か、まず定義すると、「個体が機能を停止して、代謝をやめること」といったところでしょうか。
「死ぬ」は細胞分裂するバクテリア時代には夢にも見なかった機能です。
この、「個体」が曲者です。
山崎さんのおっしゃった「木は理論上死なない」は、じつはちょっと大げさなのですが、樹木はクローン技術を自然と持っているので、その点も踏まえると実に本質を捉えた言葉です。
樹木も含め、植物は挿し木で簡単に増やすことができます。
遺伝子の上では同じものがコピーされるわけですから、個体は容易に死にません。
注)私は本当に外的な条件が最適であれば木は死なないのではないか、あるいは非常に長い間生きられると思っています。
われわれ人間のように、ちいさくてこちょこちょした生き物は(それでも十分に大きい部類に入るのですが)とにかく、短い一生に子孫を確実に残すことにあくせくします。
草花や昆虫に至っては1年で、ショウジョウバエはもっと短い数ヶ月で産卵やら種まきやらをしてあっさり死にます。
「個体」は役割を果たしたので、もうじゅうぶんなわけです。
さて、樹木もやはり種を撒きます。しかも膨大な量を。
ところが、ほとんどの種は動物に食べられ、運よく発芽してもやれ光が強い弱い、水分が足らないといっては簡単に死にます。
最終的に一個体生き残ればめっけものです。
樹木は実に、ギャンブルのような繁殖をしているのです。
ギャンブルに負けないよういろいろと保険をかけています。
木が倒れてもひこばえを出して生き残ろうとしたり、株分かれしたり、といったクローン技術を駆使することがひとつ、もうひとつが、寿命を長くすることです。
長期間にわたって、たくさん種をまけばまくほど、勝てる確率が増えるからです。
役割を果たすまでの時間が動物よりも長いと言えます。
しかし、寿命が長いだけでは十分ではありません。
森という仕組みも重要です。
本来、木の多くは森で互いに寄り添って生活しています。
風をさえぎり、土を一緒に抱えて水分を共有したり、一緒に影を作って幼い苗を庇護したりする隣の木がいるとより、生き残りやすくなります。
樹木は森という複雑な社会を作る生き物なのです。
実は、セコイアの巨木や縄文杉があれほど長生きなのは、ある範囲で、気象条件、地質、土壌の菌や苔、大小の動物が奇跡的に組み合わさった結果でもあります。
特に、根と共生する菌類は木の栄養吸収に非常に大切な役割を果たしていると言われていますが、全容はいまだに分かりません。複雑すぎるのです。
木は「個体」として生き、同時に「森」全体としても生きています。
そして、森全体は、個体よりもさらに死ににくいようになっています。
木を植えるということは、そのぬくぬくとした森から木を一本連れ出して、都市の中に置くという行為です。
植えることを恐れることではないですが、少しでも森が全体で生きているバランスを知って植える時に生かすことが大事です。
注)佐々木さんの指摘は木は森と共にあり、それを切り離して四季の道のような人工的な環境に移設して育てるのには、本質的に無理があるとの指摘です。
そうした人工的環境では、人間の住環境と共存させるため、大きくなった木は強剪定のような無理な措置を取ることになり、結果的に樹木の寿命を早めてしまう。
だから当初から大きなケヤキのような樹木は植えるべきでないとの指摘だと解釈しました。
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コメント
どうも毎度補足をしていただいて恐縮です…
最後まとめていただいた通り、やはりケヤキのような雄大な木を植えるときは十分なスペースを確保したいものです。
一方で、盆栽や庭木の仕立てのような優れた技術もあるわけですから、きちんと予算をかけて手入れして欲しいものです。
(それが大変なのですが)
木を永遠に生かすためには、巨大な無菌空間を作るのが手っ取り早いですが、ゆめまた夢…
それほど、木は常に腐朽菌の攻撃にさらされています。
けっきょく、自然の力を無理なく引き出すのがいちばんいいのだと思います。
投稿: ささき | 2010年8月 7日 (土) 19時46分