(22.8.26) ロドリゴ 蝦夷地探訪記 その1
(日高本線の終着駅から襟裳岬を経由し、太平洋側を根室半島のノサップ岬まで歩くのが今回のコース)
主の僕(しもべ)ロドリゴがサンチャゴ巡礼に旅立ったのは昨年の6月のことでございましたが、このたびマラカの大主教サンチアーノ様より新たな使命が発せられ、蝦夷地のアイヌなる民族の動静を探り,あわせて布教活動の是非を探索する密命をおびたのでございます。
主の僕ロドリゴが喜び勇んで蝦夷地に出立したのは、ときあたかも芭蕉翁が奥の細道に出立した元禄3年8月8日のことでございます。
当初ロドリゴは大洗の港より北前船に乗り、蝦夷地松前藩の苫小牧の港に着き、そこからは松前藩後用立ての帆船で様似(さまに)の港まで行く予定でしたが、あいにくと北前船は予約が取れず、已む無くJRの飛脚便で様似の港まで行くことにしたのでございます。
様似はアイヌの言葉ではシャマニと称する港町で、倒木の多いところとの意味だと松前藩藩士亀権乃助殿が説明してくださりました。
またこの一帯から砂金が取れたことから近時、和人が多くこの地に進出しており和人の多い集落でございます。
亀権乃助殿は私ロドリゴが幕府の密偵であり、松前藩のこの太平洋に面した豊かな昆布、鮭、砂金の産地を幕府の天領として取り上げるための事前調査ではないかと疑っておられました。
このため行く先々で詳細な行動報告を亀権乃助殿にするようにとの強い沙汰があったのでございます。
(アポイの火祭りが行われていた)
ロドリゴが様似の港に着いた日は、アポイの火祭りと称するお祭りが開催されており、アイヌ・和人が相和して盆踊りなどをしておりましたので、私ロドリゴも故郷セビリアに伝わるフラメンコを披露して座興に加わったものでございます。
様似に到着したのは夜の9時ごろであり、千葉のおゆみ野の在を出立したのは朝の6時でしたのでおよそ15時間の旅でございました。
フラメンコを踊り疲れきってしまい、JRの無人駅である様似駅の一角にゴム製のマットをひいて明日の旅立ちのために眠ることにしたのでございます。
明日よりは毎日ほぼ30km程度の距離を歩き、寝る場所は野宿、約2週間かけて根室半島の納沙布岬(ノサップミサキ)まで行くのが今回の探索の目的でございます。
距離にしておおよそ400km程度と推定されますが詳しい旅程はまったく不明でございました。
(無人の様似駅の観光案内所の前にマットをひいてこの日は眠ることにした)
この地はその後近藤重蔵様が択捉(エトラフ)探検に通過した場所ではありますが、当時はそのようなことは一切知る由もなく、ただ思うことは明日よりの旅程で食料を確保する場所がありやなしやの一点でございました。
蝦夷地は江戸やおゆみ野とは異なり、一つの集落から次の集落まで約30km程度離れており、その間はコンビニと称する食料調達地が一切ないと聞かされていたからでございます。
「コンビニがもしなければ明日の食料をどのように調達したらよいだろうか」
様似の駅でそのことを思案していると胃がシクシクと痛み始めましたので、「ままよ、どうにかなるだろう」とようやく決心して眠りにつくことができたのでございます。
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