(22.8.23) 夏休み特集 NO15 失敗記 国連職員の巻き
私は若い頃、自分が勤めている金融機関の仕事がまったく自分に向いていないことに当惑していた。
できればもう少し身体を使ったフィールドワークのような仕事にあこがれた。
その一つに国連職員があり、当時は日本人の国連職員を増加させるのが一種の国策のようなところがあった。
私は勇んでこの国連職員に応募しようとしたが、学力が大学院卒でないとダメなことが分かり、已む無く大学院に入ろうと悪戦苦闘した。
結果的にはこうした努力はまったく実を結ばず、60歳までこの金融機関に勤めることになってしまった。 (19.4.2)失敗記 その4
私は若い頃、国連職員になりたかった。何回かトライしたが結局なれなかった。およそ20年前、40歳の頃の話である。
(国連職員の巻)
私も時代の子である。国連に対し尊敬と憧憬の念を持って育った。国連による世界平和や、国際語エスペラントの普及を心から願った一人である。最近になり、国連が地域紛争さえ解決できない現状や、国連職員の汚職体質を知ったが、それまでは純粋に国連を支持していた。
国連職員の募集は定期的に行われており、特に一時期は、日本人の国連職員が少ないため、積極的なリクルートもされていた。
しかし、条件が厳しい。英語かフランス語で実務ができ、修士課程以上の学歴を持ち、専門家として相応の社会的実績があることが、基本条件になっていた。
どれを見ても条件がクリアーできない。英語は学校英語で片言だし、修士の学歴はない。日本のサラリーマンだから、専門的知識より、社内遊泳術のほうが得意なくらいだ。
思い余って社会人入学を認めている大学院の入試を受けることにした。せめて修士号だけでもとろう。しかし学科試験を受けたのでは学力がばれるので、面接と小論文だけで入学を許可してくれる大学院を選んだ。
筑波大学大学院が、そうした条件を満たしていたので喜び勇んで応募した。
試験官から質問を受けた「どのような研究テーマを選ぶのか」
私はあわてて「国連職員のなるための資格として修士が必要なので、テーマは何でもいい」と答えた。
試験官は笑っていたが、すぐに「不合格通知」を送ってきた。正直すぎたと反省した。
正式な国連職員になるのは無理だとわかったので、各国連機関が独自に募集している、臨時職員に応募することにした。スペシャリストと言う。たまたまスイスのジュネーブにある国連の下部組織がスペシャリストの募集をしていた。
「パソコンの操作能力が高く、英語で日常会話ができること」が条件だった。
これなら何とかなりそうだ。3名以上の推薦者がいることになっていたので、部下に強引に頼んで立派な推薦状を作った。相当程度誇張もした。
「山崎次郎氏は英語に堪能で、業務を遂行するに足る十分な能力を要しております。またパソコンの操作については、スペシャリストとしての能力があります」
しばらくして、スイスから電話が来た。「前任者が不慮の事故にあったので、すぐに来てほしい。場所はソマリアでパソコン通信のスペシャリストが必要だが、貴方が条件に一番あっている」
ソマリアは世界でもっとも危険な紛争地帯だ。確かに私は国連職員になりたかったが、本音はスイスの湖畔でのんびりとつりをしたり、ヨーロッパで旅行をしたかっただけだ。
ソマリアだったら、銃弾の中でパソコンを操作しなければならない。
それに正直言えば、英語だってろくにできないし、パソコンの操作はワードとエクセルが扱える程度だ。
しかし、意欲満々の推薦状も書いてもらった手前、無下に断れない。 見栄がある。
一応、妻と相談してからと言って電話を切った。
「男は見栄がなくなったら、男じゃない」
かみさんに相談したら、「馬鹿じゃない」と言われた。すぐに見栄からさめた。
翌日、「現在の仕事が手が離せないので、今回の話は応じられない」と言って断ったときは、実にほっとした。
後で知ったのだが、臨時職員は国連の中でもっとも危険な場所に送られ、一方、国連の正規社員はスイスやパリやニューヨークのような安全な場所で勤務していた。臨時職員は使い捨てなのだ。もう少しでソマリアの原野で野垂れ死するところだった。
こうして、国連職員になる夢は潰えた。
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