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(22.8.1) 山岳遭難と救助依頼の是非  秩父山系ブドウ沢のヘリの事故

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(トシムネさん撮影 山崎編集)

 山で遭難したら、救助依頼をすべきなのだろうか? 
つくずくそう思ってしまった。

 この7月24日秩父山系ブドウ沢の1100m付近で沢登を行っていた東京都勤労者山岳連盟8人のパーティーのうち一人の女性(55歳)が滝つぼに転落し救助を求めた。
その救援に向かった防災ヘリが救援に失敗し谷底に墜落して救助隊員5人の命が失われた。

注)救助を求めた女性も死亡した。なおヘリの出動は連絡を受けた25日。

 この埼玉県の防災ヘリには7名の乗員がいたが、埼玉県防災航空隊員2名、秩父消防署特別救助隊員1名、それと機長および副機長が殉職し、降下をしていた2名の隊員は命が助かった。
死亡した5名は、機長を除くとほとんどが30台の若者であり、あまりにも早すぎる人生の終わり方で痛ましい。

 私が沢登りをしていたのは、私自身が30才台の頃だから、今から30年前の昔になる。
丹沢奥多摩、そして今回事故が起こった奥秩父の沢に入っていた。
私の場合、沢にはほとんど一人で入っていたし、当時は携帯電話はなかったので(今でも使用していない)、事故が起こればすべて自己責任で対処するより仕方がなかった。

 実際私も滝つぼに落ちたことがあるが、身体が一旦深くもぐり、かぶっていた黄色い帽子が水面に浮かんでおり、それがあたかも満月のように見えたのを覚えている。
異様な不思議な時間で、自分が滝つぼに落ちたことを認識するまでしばらく時間がかかった。その後我に返って慌てふためいて泳いだものだ。

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(トシムネさん撮影 山崎編集)

 沢登りはもともとかなり危険なスポーツであり、事故と隣り合わせにある。
まず、事故が起こらないように技能と体力を高めておくことが一番だが、もし事故が発生した場合、パーティーを組んでいるならばそのパーティーが滑落者を助けなければいけない。

 県警等に救助を依頼するのは最後の手段になるが、私自身は絶対に救助を依頼しないことにしていた。
もし不幸にして死亡することがあっても、それは沢登りと言う危険なスポーツに挑戦した結果だから、救助されるぐらいならば死んだほうがましだと思っていたからだ。

 沢は大変危険な場所である。日本の沢は一般的に深く、V字型に切れ込んでおり、100m程度の切れ込みはざらにある。
尾根筋と異なり、ヘリコプターが容易に近づける場所ではない。
無理して救助しようとするとヘリコプター自身が事故に会って、二重遭難になる可能性が高い。

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(トシムネさん撮影 山崎編集)

 まさに今回はそうした事例で、若い命が無駄に5名も失われてしまった。
今回このパーティーは県警に救助依頼をしたのだが、なぜ自分たちで救助をしなかったか不思議でならない。
沢に入っているのだから一番近い場所におり、ロープも持っていたはずだ。
パーティーを組んでいた東京都勤労者山岳連盟の他の7名は一体何をしていたのだろうか。

注)もしかしたら救助はしたが重症だったのでヘリを呼んだのかもしれないが、私だったら重症者を担いで下山する。

 今回のヘリの墜落原因はヘリが自ら起こす下降気流に巻き込まれたセットリング・ウイズ・パワーという現象だといわれているが、谷筋のような険しい環境では逃れるすべがなかったのだろう。

 中高年の登山ブームで救援依頼は激増していると聞く。最近登った南アルプス北岳の稜線で2回も救助ヘリに遭遇してしまった。
尾根筋の登山道ぐらいは骨折などしないで登ってほしいものだが、実際は事故が多発している。

 だが尾根筋はまだいい。ヘリが安全に救助できるからだ。一方谷筋のような場所はヘリもいつ二重遭難するか分からない。
このような場所で沢登をするなら、何度も言うように自己責任で対処し、他人の命まで犠牲にするようなまねはしてほしくないものだ。

 

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個人生活 登山」カテゴリの記事

コメント

はじめまして、私も登山は経験ありませんが、今回は二「三」重遭難で若い現場で働く救助隊員が亡くなり、
本当に「誰が悪いのだ!!」と叫びたい気持ちになり投稿します。
正に私も以前から中高年の登山遭難の度に「ある違和感」がありました。
当然、中高年登山者であれば経験体力はあり、特に初心者がいるパーティーのリーダーは、起こりうる危険は予想し、コースも含め熟考し、その方々が「救助」を求めるケースはそのベテランでも予期せぬ稀なトラブルが起きたと思っていました。
登山を趣味とする中高年は私のような週末にはお酒に溺れ、行き付けの飲み屋で飲みすぎ、時々酒飲みのルールを犯し、注意され、翌日の朝(昼)に反省する人間達とは違うと思っていました。
あの事件の後、色々なペイジを拝見しますと一寸、、違うケースが多いようです。登山のルールが守れない中高年、、自己体力の確認すら無く、商売で企画した誘いに乗り、遭難したら国が助けるのが当たり前のように考えている中高年登山者も多い印象を受けました。
長年の酒飲みの私は若い時のように新宿の「キヤッチバーやボッタクリバー」には引っかかりません。
入店するときの雰囲気で値段はわかりますし、疑問があれば店長やチーママにさりげなく「言質」を取ります。
酔いの程度が酷いのに新規に「客引き」と話、入山し、次の朝、金銭事故無く帰ればそれは「ボクは半分は運が良かった」と考えます。
不謹慎な例えになりましたが、私は若い将来の有る救助隊員の二重遭難が残念でなりません。
危険地域に立ち寄り、困ったら誰かが助けてくれるのが当たり前田のクラッカー「古い!」
と勘違いしているのではないだろうか?
その「場所」のルールすら守れない人間が「その場所の危険」に遭遇し、最良の方法で回避する能力など元々有してはいないのではないだろうか?


投稿: 中年 | 2010年8月18日 (水) 23時10分

まったくの同感です。今年の1月4日、ここ安達太良山でも遭難事故がありました。救助活動は必死の思いであります(私もそのときの現場責任者でした)。山登りは全て自己責任、昨年の穂高の救助へりの事故も同様に、救助隊員が亡くなる事故は胸が痛みます。救助を依頼した側は命をかけて償うべきだと考えております。もっとマスコミは貴方様のような意見を大きく取り上げるべきだと考えています。

投稿: 阿部 健 | 2010年8月18日 (水) 00時06分

今回の転落事故は沢登講習の中で起きたことと聞いております。そうであるなら技術向上を求めて参加した転落者を責めることはできないと思います。むしろ参加者を募集した企画者側に問題があるのではないでしょうか?講習に参加する前にザイルワークの知識や、滝壺に落ちた場合の対処の方法などなどしっかり教えているのでしょうか?特に泳げない人は滝壺に落ちた場合どのように対処したらよいのでしょうか?新人を募集しておきながら落ちる瞬間を確認していないため、救助が遅れたとしたら企画者側のミスといえます。
ダイビングなどでは潜る前にライセンスが必要ですが山は安易な気持ちで入る方が多いように思います。ハイキング程度でしたらそれでよいのですがより高いレベルを目指すのでしたらそれなりの体力と技量が必要となります。この事故をきっかけにしっかりした教育機関を作り本当の意味の山の楽しみ方を学びたいものです。

(山崎) 沢登講習との情報は知りませんでした。しかしこのブドウ沢を講習場所にするとはとても信じられない選択です。
通常は丹沢のやさしい谷で行うべきで、このような本格的な沢を講習場所にするとしたら、企画者は明らかに選択を間違えています(この谷は技量のそろった経験者が遡行するレベルの沢です)。

投稿: YS | 2010年8月 3日 (火) 03時40分

私は、山歩きはしませんが、過去に航空自衛隊の1000mを超える山頂の基地に数年勤務した経験が有ります。そこでは、山の天候の急変に何度も驚かせられました。突然1m先が見えなくなる霧、急激な気温の低下と落雷、突風などなど、 ついでに、マムシ、クマ等危険動物との遭遇。

今は、良く海に出ていますが、何時も疑問に思います。
同じく海の天候も急変します。午前に凪の海が午後には、波高3mの荒天に早変わり。
タダ大きく違う点は、海に出るには、国土交通省の船舶免許が必要で、取得には、気象、機関、航海法、人名救助等の勉強と試験に受かる事が必要です。
ここで、「自然を軽く見ない」、事を徹底的に教わります。
海で事故の場合は、海難審判という、裁判に掛けられます! 登山者には、過失での罰は?

今後、内需拡大の意味も含め、登山者にも、公的機関かNPO等での、資格化を義務付けし事故を防ぐ為の教育の徹底が必要ではと思います。


投稿: T | 2010年8月 3日 (火) 00時06分

まさに思っていたところを書いていただきました。

記事によると、転落事故が発生したのは7月24日の夕方。
パーティーのメンバーで助け上げ、1時間半にわたって蘇生をした、とあります。

そして救助要請を行ったのが翌25日の朝。
通報者がいつの時点までパーティーと一緒にいたのかは不明ですが、蘇生が必要な心停止の状態で、蘇生努力をやめて一晩経っているということはもう亡くなっている、ということです。

ご遺体を降ろす目的で救助要請をしたのではないかと疑っています。
そうであれば、このパーティーが5人の救助関係者を殺したも同然ですね。
簡単に救助を求めるのはいい加減にして欲しい。

投稿: | 2010年8月 2日 (月) 16時40分

私は、先日も黒部源流・奥の廊下へ沢登りに行ってきました。
今回の事故は痛ましいかぎりです。
最初の方が、どういう状況で遭難したのか、具体的に知りたいものです。
また3回目の日テレの方の遭難も、同じです。
同じ沢登りを愉しむものとして、どういう状況で遭難し、何が足りなかったのか?
どうすれば防げたのか?を、解明して公表することによって、少しでも遭難を防ぐ一助になると思います。

沢登りはギリギリまで確保しませんから危険が伴います。
大胆な言い方をすれば、それを愉しむのが沢登りかもしれません。
いつの場合でも、実力と相談で、安全登山を心がけて欲しいものです。

投稿: Kさん | 2010年8月 2日 (月) 09時04分

はじめまして
グーグルで秩父の事故のニュース記事検索をしてこちらを見つけました。

私は登山経験はありませんがブログ主様の意見に同感です。

秩父のニュース映像を見て何であのような危険な場所にへりが行かなければならなかったのか、おまけになくなったのは現場でいちばん仕事の出来た年代ではないかと思う30代40代の方たち。

かれらを山岳救助出来るレベルまでに育て上げるのがどれだけたいへんだったか。

今回の危険な場所においても救助が出来るような人材を5人もまた育てるのにどれだけの時間とお金がかかるのか。

何よりなくなった方たちには家族がいたはずでその家族の悲しみを思うと本当に痛ましすぎます。


投稿: syouji | 2010年8月 1日 (日) 16時18分

私は登山には全くの素人ですが、実は報道に触れるたびに違和感を持っていました。
私も、ほぼ同感です。
この事件の前にも、やはり救助ヘリが墜落した事故があったと記憶しています。
亡くなった方には誠にお気の毒なのですが、ご自分の趣味で行動しておられるわけです。
事故の原因には、必ずしもご本人のミスばかりがあるとは言いきれないとしても、そのような危険の要素も含めての趣味であるわけです。
携帯電話が当たり前になり、どこでも救助を呼べる時代ですが、訓練不足、準備の不足、認識の甘さが根底にあると感じますし、人様には迷惑をかけないぞとの自負(に見合う実力)がなければ無茶はして欲しくないと思います。

投稿: yokuya | 2010年8月 1日 (日) 07時34分

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