(22.8.19) 夏休み特集 NO11 なぜ「おゆみ野」というのだろう

(マッスルさん撮影 山崎編集)
私が住んでいるこの地区を「おゆみ野」と称している。当初私はこの地名がもともと有ったのだと思っていたが、UR都市機構が名前の公募をして決まったのだと知った。
だから「おゆみ野」という地名は高々25年程度の歴史しかないのだが、一方「おゆみ」という地名は鎌倉時代に遡るらしい。
現在の千葉市埋蔵文化財調査センターの場所にかつて小弓城と言う城址があった。
この城をめぐって千葉の覇権争いがされたが、ここが下総と上総を分ける要衝の地であったからだろう。
私はこの千葉近在の歴史について調査をして、ブログに書きたいと思っているが、地方史の資料は細部が詳しいものの大きな歴史の流れを読みにくい。
何とかして歴史の流れの中に位置づけた、おゆみ野近在史を書き上げたいものだと思っている。

(マッスルさん撮影 山崎編集)
(19.3.12)なぜ「おゆみ野」と言うのだろう
この土地をなぜ「おゆみ野」と言うのか知りたくて「おゆみ野風土記」(おゆみ野の歴史を知る会編)を読んでみて頭を抱えてしまった。分からないのだ。
最近のことなら分かる。この街が「おゆみ野」と正式に命名されたのは、1984年3月のことである。それまで日本住宅公団はこの地を「千葉東南部地区」という、無機質な名前で呼んでいたが、入居開始にあたり、街の名前の公募を行った。
その結果、この地の一部が昔から「おゆみ」といわれていたこと、および響きの良さや、親しみやすさ等を考慮して、「おゆみ」に「野」をつけて「おゆみ野」と命名された(同書P28)。今から23年前のことになる。
(注)応募総数383通のうち、「おゆみ野」は7票だった。
しかしこの風土記の「はしがき」をみてびっくりしてしまった。そこには1983年にこの地を「おゆみ野」と命名したと書いてある。こんな近い時代のことでもすでに2説ができている。しかも同じ本のなかに違った年号が書いてあるのだ。
「これは大変だ。古い時代のことになるとどうなるか分からない」
郷土史の漆黒の闇に足を踏み入れていく感じがした。
最初、私はこの地一帯が、昔から「おゆみ」と言われていたと思っていた。「だからおゆみ野なのだろう」
しかしそれは正確ではなく、対象地10か町村のうちの2箇所(生実町、南生実町)だけの名前だと知った。さらに言えば、生実町、南生実町は飛び地の一部が、おゆみ野に含まれるが、ほとんどがおゆみ野の外の区域になっている。はっきり言ってしまえば関係ない。
このおゆみ野の地に、開発以前からあった村落は、実際は有吉と六通の2箇所だと知った。だから村落名をとるなら「有吉六通」になる。
「うぅーん、おゆみとおゆみ野は関係ないのだ」
念のため、場所を確認しようと地図を見た。生実町、南生実町は行政区域は中央区で、鎌取と蘇我の中間で、どちらかと言うと浜野よりの場所を示している。
(マッスルさん撮影 山崎編集)
だが「おゆみ」の地は確かに歴史上に登場する。
「おゆみ」の地に有名な城が2つあった。「おゆみ」が歴史的な地名だと言われているのは、どうやらこの「おゆみ城址」から来ている。字が違う。「小弓」とも「生実」とも書く。 小弓城は現在の文化財センターの地に、一方生実城は生実池の近く、重俊院(ちょうしゅんいん)の地にあった。前者は古く、後者は新しい。
小弓城は歴史的にも重要な城で、ここをめぐって、鎌倉時代から何度も争いが起こっている。千葉の覇権をめぐる要衝の地である。ただし、お隣の地の歴史で、どう見ても「おゆみ野」の歴史ではない
結論から言うと、「おゆみ」は歴史的地名だが、現在の「おゆみ野」の場所とは直接関係がない。あえて言えば、「おゆみ城」と言う有名な城が近くにあったので、借用しただけだと分かった。
「ワトソン君、おゆみをいくら調べてもおゆみ野とは無関係だね。どうしよう」
「ホームズ、おゆみ野の人には、事実は事実として伝えるしか仕方ないね。残念だが」
「うぅーん、地名とはこんなものか。ひどく納得してしまった」
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