« (22.6.2) 世界の工場の終わりの始まり 中国ホンダ部品工場のスト | トップページ | (22.6.4) 人を恋うる歌 与謝野鉄幹 »

(22.6.3) 鳩山藩 お家騒動始末記  由紀丞様押込め

2262_006

 「主君押込め」と言う言葉をご存知だろうか。Wikipediaによると「特に江戸時代の幕藩体制において、行跡が悪いとされる藩主を、家老らの合議による決定により、強制的に監禁する行為を指す」言葉だと言う。

 手順は決まっていてこれもWikipedia によれば以下のような推移をたどる。

① 藩主の行跡が悪い場合、家老らによって行いを改めるよう、諫言が行われる。

②諫言が何度か行われ、それでも藩主の行いが改まらない場合、家老ら重臣が集まって協議が行われる。そこで押込もやむを得ずとの結論に至った場合、押込めが実行される。

③ 家老一同が藩主の前に並び「
お身持ち良ろしからず、暫くお慎みあるべし」と藩主に告げ、家臣が藩主の刀を取り上げ座敷牢のような所へ強制的に監禁してしまう。

④藩主は数ヶ月に渡り監禁され、その間、家老ら重臣と面談を繰り返す。家老ら重臣により、藩主が十分に改心して今後の行いも改まるであろうと判断された場合、藩主は「
誓約書」を書いて、元の地位に復帰する。

⑤監禁の後も、藩主に改悛の情が見えず、再び悪行や暴政を行う可能性が高いと判断された場合は、藩主は強制的に隠居させられ、藩主隠居の旨幕府に届け出嫡子や
兄弟の妥当な人物が藩主となる。


 今回の鳩山総理の辞任劇はまさにこの押込めだった。

2262_010

鳩山藩 お家騒動始末記

 鳩山藩藩主、鳩山由紀丞(ゆきのじょう)民主(たみも様が、座敷牢に押込められましたのは、6月としては珍しく一点の雲なく晴れ渡った2日のことでございました。

 由紀丞様のご評判と言えば、それはそれはご立派なご政道をなされ、民百姓のために「わらべ手当て」なるものを振舞われたほか、郵貯と称する悪徳商人からその実権をめしあげられ、亀井勘定奉行様ご配下で、熊や狐のために道路普請をおこなう等、ご立派な仁政と褒め称えられておりました。

 また、由紀丞様は民百姓から年貢をとることを潔しとせず、もっぱらご母堂のタイヤ院様から多額の埋蔵金を受け取られ、これをご政道に使用するなど、歴代藩主としては敬母の情一番と噂されておりました。

 しかし由紀丞様が志半ばで無念の押込めを余儀なくされた直接のきっかけは、日本国の地図を勝手に変えたとの咎(とが)でございます。
辺野古と称される辺鄙な場所は、琉球王国名護にあるのでございますが、由紀丞様は、この地は「国外・県外」にあると言い出したのでございます。

2262_011

 ご承知のとおり、日本国の地図の命名の大権は将軍様じきじきのご沙汰であり、藩主と言えども勝手にこの掟を破ることはできません。
将軍オバマ様は辺野古はグアムの近くではないと、再三にわたり由紀丞様を諭されたのでございますが、なぜか由紀丞様はその言葉に耳を貸さず、最後は辺野古は徳之島にあると言い出したのでございます。

Plc1006021901028s41_2    なぜに由紀丞様がこれほどまでに辺野古の地図の位置にこだわったかの理由は、ご幼少のみぎり、昌平坂学問所において、林大学頭様から「辺野古はいづれにありや」と問われたときに「グアム」とお答えあそばされたからでございます。
大学頭様はあきれて「お前は児戯にも劣る」と申されましたので、さらに「徳之島に近し」お答えあそばされました。
再び大学頭様が「猿に等し」と申され、満座において恥をおかき遊ばされたのでございます。

 この日より由紀丞様は藩主になった折は「辺野古を何とかグアムか徳之島に作ってしまわなければ、生き恥をかいたまま生き延びることになる」と強く強く決心なされました。

 しかし、地図の命名の大権は何度も申しますように将軍様直轄のご沙汰でございます。
さすがに国家老小沢様がこれを聞きとがめ、「将軍家をないがしろにし、また熊や狐のための仁政はいかがなものか。このままでは将軍家よりきついご沙汰が出るのは、必定。どうか辺野古は琉球王国に所在すると言明していただきたい」とお諫さめいたしました。

 しかし由紀丞様はその凛々しい大きな目をさらに大きくし、エレベタールと称される昇降機に乗りながら親指をたて、「将軍家何するものぞ、熊と狐が我を支持している」と言い放ったのでございます。

 この言葉は運悪く将軍家にも聞こえてしまい、ご老中間でご評議にかけられ、お家断絶は必定との噂が江戸表より伝わってまいりました。
ことここにいたっては「由紀丞様、押込め已む無し」とご家老はじめ、主だった重臣が評議いたし、決定いたしたのでございます。

 しかし当初、由紀丞様は「謹慎蟄居する理由がわからぬ、今後とも藩政を担っていく」と頑として首を縦に振らなかったのでございますが、国家老小沢様が「私も隠居するので殿もご隠居あそばされるように」と強くお諌め申しあげたため、しぶしぶご隠居の沙汰をご了承なされたのでございます。

 由紀丞様は琉球王国の民百姓からは「二枚舌」などと、言われなき誹謗を受けておりましたが熊や狐からは自分たちのために道路を作ろうとした名君とあがめられておりました。
若くしてご無念の押込めを受け入れられ、ご隠居して作られた辞世の句が残っております。

にごり世に わがさきがけと 正せども 辺野古の海に 鳩はちるらん


 

 

 

 

 

 

|

« (22.6.2) 世界の工場の終わりの始まり 中国ホンダ部品工場のスト | トップページ | (22.6.4) 人を恋うる歌 与謝野鉄幹 »

評論 日本の政治・経済」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。