(22.6.23) 大相撲はどうしたら再生できるだろうか
大相撲の野球賭博問題の報道を見るたびに、大相撲はこのままの状態で生き延びることが難しいのではないかと思う。
武蔵川理事長は「現時点では名古屋場所の開催を見送らざるえない可能性がある」と言っていたが、「名古屋場所だけか?」と思わず聞いてしまいそうだ。
私たちは普段、大相撲が国技だと思っているが、そうなったのは明治時代からで江戸時代の大相撲は河原者の世界だった。
そのことについては以前ブログで以下のように記したことがある。
『大相撲は日本の国技と言われて久しく太古から連綿と続いてきて、今後も未来永劫に続くと思われているがそれは誤解だ。
大相撲が本当に国技になったのはここ100年ぐらいの間であり、それまではかなり怪しげな技芸だった。
江戸時代から江戸と大阪等で相撲は行なわれていたが、力士はほとんど給与はもらえず、一部の人気力士以外は男を売っていたほどである。いわゆる河原者の世界だと思えばいい。
そのため明治の初期に東京府は「裸体禁止令」を出して東京相撲を禁止しようとしたほどだ。
これを救ったのは明治天皇で1884年に伊藤博文の進言もあり展覧相撲を開催して社会的に相撲を公認した。
さらに大相撲が本当の意味で国技となったのは1925年に当時摂政宮だった昭和天皇が摂政宮賜杯(後に天皇杯)賜った時からで、相撲をこよなく愛された昭和天皇がいなかったら、相撲が国技になることはなかっただろう。
だから大相撲は伝統の上に胡坐(あぐら)をかいていられるほど、過去から連綿と続いてきたわけではない。』
大相撲が名実共に国技になったのは昭和天皇が心から大相撲を愛されたからである。
相撲記者が「どの力士を陛下はひいきにしておられるのですか」との質問に、「どの力士をひいきにしていることが分かれば、他の力士がかわいそうなので言えない」と答えられておられたが、大相撲を何より好まれたことがその話しぶりから伝わってきた。
1989年、昭和天皇が崩御され昭和が終わったが、その後は若貴時代を最後のピークとして大相撲は衰退を始めた。
朝青龍のサッカーや暴行問題、時津風部屋での新弟子への暴行致死問題、麻薬問題等立て続けに不祥事が発生し、今回の野球賭博問題で完全にデッドロックに乗り上げた。
相撲界の問題は色々あるが、一番の問題は相撲協会の役員13名のうち10名が関取出身で外部の監視がほとんど効かない事にある。
すべてを相撲社会のしきたりで判断してきたが、このことが社会の通念と乖離してしまった。
注)外部の組織として横綱審議委員会があるが、これは横綱昇進の可否を主として審議する機関である。
なお、相撲協会の外部理事が導入されたのは08年9月で、時津風部屋力士暴行致死事件を受けて文部科学省の要請で急遽設けたもの。
暴力団との関係は以前から続いており、そのことが暴力団が主催する野球賭博につながっている。
また外部から見えない閉ざされた部屋制度は、親方や兄弟子による指導と暴行の区別をつけづらくしている。
大相撲はどうしたら再生できるだろうか。
相撲協会の理事は全員外部の役員として、親方等を役員から排除するのが改革の第一歩だろう。
幸い現在有識者会議が組織されて野球賭博の実態究明を行っているが、この組織を理事会に格上げすればいい。
戦後の日本の改革はGHQが行ったが、イメージはそれに近い。親方に従来のしきたりを改革させることは100年河清をまつようなものだ。
今回の野球賭博については関係者をきっちり処分し、その上で再生を図るしか手はない。
あまりに処分者が多い場合は名古屋場所は謹慎の意味で取りやめも致し方ない。
相撲社会は日本の最も遅れた社会構造をそのまま維持してきた特殊な社会だ。
野球賭博を機会にその古いしきたりをすべて切り捨て、時代に即応する時期が来たようだ。
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