« (22.5.5) ケヤキの剪定問題について、おゆみ野の森の専門家 佐々木さんより回答をいただきました。提言その1 | トップページ | (22.5.7) ケヤキ剪定問題 佐々木さんの提言 その3 »

(22.5.6) ケヤキ剪定問題  佐々木さんの提言 その2

2255_030
(筒切りにされた後、その場所が腐ってきている。このままではこのケヤキは枯死する

 私はおゆみ野夏の道ケヤキ剪定問題に悩んでいるが、やはり専門家の話は聞くものだと思う。佐々木さんは千葉大の園芸学部を卒業後、景観関連の会社に長い間勤務していたがこの4月に退職し、個人的な景観プランナーとして独立した。

 おゆみ野の森でも佐々木さんにはずいぶん教えてもらってきたが今回の「ケヤキ剪定問題」では専門家としての含蓄のある話を紹介してくれた。
昨日の問題点の指摘をまとめると以下のように整理される。

① 剪定方法としての「筒切り」は木に強烈なダメージを与え、回復が難しい。
② 樹木は根を伸ばすホルモンを葉で生産し、一方芽を伸ばすホルモンを根で生産する。
③ 「筒切り」を行うと、葉が極度になくなってしまうので、根を伸ばすことができなくなる。
④ この結果水分や無機塩類を供給できなくなり、病気に弱くなって枯死してしまう。


 おゆみ野夏の道のケヤキは最近元気がない。芽の出方が遅く、そして葉がすぐに散ってしまう。幹の表面は地衣類で覆われてまるで老人のようだ。
筒切りをした後、樹形を整えると称して、毎年せっかく出てきた枝を再び切り取っており、これでは樹勢を回復することもできない。

2255_012
2年前に筒切りにされ、その後毎年枝を切り落とされている夏の道のケヤキ

 今回は佐々木さんの提言の第2回目を掲載します。
以下佐々木さんの提言です

 日本の行政では道路など土木構造物や建築の規格を先に決め、その「空き地」に木を植えるという思想が底流にあります。
公園も下手をすると、住宅の間にある空き地です。
そのこと自体は仕方のない面があります。住宅の広さ、車の運行を優先しているからです。
本来は、そのスペースに合った木を植えれば、こうした問題は回避できます。
狭いところでも平気な木を探せばいいのです。千葉駅前のように、トラス構造を組んで、藤を這わすという手もあります。

 ケヤキはどうでしょう? 時に高さ20m、直径が1mかそこらに成長する木です。ところが、植える桝はわずかに1m~2m四方足らずです。
スタートから、そもそもスケールに合わない状態でプランが作られているのです。
同様に、巨樹になることでおなじみのクスノキも各地で街路樹にされ、歩道を根で破壊して問題になっています。土気のあすみが丘がひどかったように思います。

 街路樹にひそむ問題はただ一つ。「時間」を想定していないという点です。木は育つのです。育ったら(人との共存のために)剪定が必要になります。

 しかし、設計者はカタログをペラペラめくり、「高さ3m枝張りこれこれのケヤキがここに生えてたら素敵ね」と、インテリアを選ぶかのように絵を描きます。
施工業者はその通り施工し、生産者はカタログ通りにしか植木を作らず、行政は、その時間が止まった規格を維持するために予算を費やします。

 したがって、(巨木になってしまった後は)数値に合うためにはばっさり切るしかやりようがないわけです。
木が枯れようが知ったことではありません。また、同じ木を植えりゃいいのです。まず、絵があり、現実をそれに合わせるという手法を取ります。

2255_026
(春の道公園のケヤキ。ここでは頭をそろえる目的でばっさり筒切りが行われた

 住宅、道路などは必要なものです。従って、多少を質を落としてでも、造る必然性がありました。
必要は発明の母で日本の景観が崩壊したのは、この「必要さ」と「コスト」をすり合わせた結果、「材料の質」を下げればよい、という方程式を解いたために起こったといっても過言ではありません。。

 木はどうでしょう? 木の必要性は、「日陰ができる」「気温を下げる」「季節感を感じられる」「景観をよくする(ここポイント)」といった「機能」によって担保され、「空いている」土地に、人間が植えたわけです。

 さて、日本庭園を作る際に、いちいち個々の樹木の「機能」を分析して、「この木は景観をよくするので植えましょう」などと言っていたら、親方に即刻首にされます。庭とは、本来、旦那さんが持つものでした。従って、「庭に足を踏み入れたら心地よい」のが基本にして唯一の「機能」です。
従って、「よい感じ」の木を選び、「よい感じ」の庭を作るのが植木屋さんや造園家の仕事です。

 公園や街路樹はどうでしょうか? これは、国家行政が旦那さんになった庭園です。日比谷公園や神宮外苑は西洋式です。
明治神宮の森は鎮守の森の再現、上野公園や飛鳥山公園は桜の名所をアレンジした(現状にはいろいろ不満はありますが)日本屈指の名公園です。
樹木のスペースはゆったりとられ、今でも雄大な樹木が影を落とし、休日を過ごすにはもってこいです。

 さて、戦後民主主義が進歩するにつれ、全国民が等しく富を享受すべしという考え方が台頭しました。
所得倍増、日本改造、いずれもその延長線上にあるはずです。
その結果、都市部ではたくさんの緑地が住宅や工場として姿を消して行きました。

 じゃ、「代わりに庶民には公園を与えよう」と、一定の面積にはこれこれの規模の公園を作りなさいというかなり無理なな法律ができました。都市公園法です。
さて、ここでポイントですが、本来都市部であっても社寺仏閣や川沿い池の周りなどなどには緑が多いものです。
江戸時代に大火が繰り返しあったことへの反省からです。もちろん、屋敷にもたくさんの樹木がありました。

 ところが、相続税などの土地政策の失敗によって、地所はコマ切れとなり、用地のほとんどを建物が占め、しかもその比率が中途半端なゆえに、微妙に隙間がある(そのため、規制のない他国にあるような隙間のない街でもないグロテスクな街並みが成立しました。

 わざわざ、豊かな緑地を捨て去ったわけです。これを回復するためには、上記のように機械的に「一定面積当たりに公園」という強制力を働かせるよりほかなかったと思われます。

 結果どうなったか? 「法律に書いていあるので、作ればいいんでしょ?」という投げやりな公園行政が全国を覆い尽くしました。街路樹も同様です。
どこに行っても同じ遊具の公園、はこうしてできました。

2255_032
樹勢が弱まると表面に地衣類がはびこってくる

 反動で、個性的な公園や防災面を強化しましたという公園が昨今流行り、僕の住む市原市では、養老川の氾濫原だった駅前の土地にとても素晴らしいヨシの生い茂った湿地があったところに(野鳥がいっぱいいました)大変立派な防災公園ができました。

 さて、いっぽう県の管轄ですが、養老川では流れによどみを作ってヨシの生い茂った湿地を復元しています。

 ここでも時間概念が喪失しています。養老川の氾濫原は数千年維持されてきたものです。従って、復元したヨシ原がその状態に回復するには、たぶん、数十年はかかるわけです。下手したら数百年かかります。ヨシ原が惜しいのではありません。
そのことを分からずに、簡単に埋めて、また植えりゃいいや、という思想が非常に危険だと思うわけです。

 これは、公共事業で雇用・需要を維持するための一つの道具として公園・街路樹が位置づけられていることを意味します。
樹木・ヨシ原はどうでもよく、絵を描いて、そのとおり穴を掘り、また埋めるという無意味な事業を繰り返して、お金を循環させることが全てです

 彼ら(行政・業者)からすれば、なんでもいいから予算を消費し、もっともらしい使途の方便が立てばよいのです。
 (さらにつづく

|

« (22.5.5) ケヤキの剪定問題について、おゆみ野の森の専門家 佐々木さんより回答をいただきました。提言その1 | トップページ | (22.5.7) ケヤキ剪定問題 佐々木さんの提言 その3 »

ボランティア ケヤキ剪定問題」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« (22.5.5) ケヤキの剪定問題について、おゆみ野の森の専門家 佐々木さんより回答をいただきました。提言その1 | トップページ | (22.5.7) ケヤキ剪定問題 佐々木さんの提言 その3 »