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(22.5.25) 文学入門 中島敦 「山月記」

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 次回の読書会のテーマ本は中島敦の「山月記」である。この本をテーマ本に選んだのはTさんだが、Tさんはいつも古典中の古典というような本を選んでくれる。前回はヘルマン・ヘッセの「車輪の下」だった。

 私は過去(たぶん高校時代)に中島敦の小説を読んだはずなのだが、まったく記憶に残っていなかった。おそらく読もうとしたが漢字が難しく、また漢文の素養がなかったので読めなかったのではないかと思う。

 中島敦は明治の晩年に生まれ、戦時下の昭和17年、喘息の発作で33歳の若さで死去している。
この山月記が文学界に掲載されたのがこの昭和17年で、中島敦の他の作品が世間に知れ渡るようになったのは死後のことである。

 中島敦の中国古典文学に対する素養は群を抜いており、それは父方の一族が漢学者で儒者だったことから来ているようだ。
山月記はほとんど漢文読み下し文のような短編小説で、語句や引用について丁寧な解説がないととても読めるような代物ではない。
幸いにこの新潮社の文庫本は本文と同じくらいの解説がついているのでとても読みやすい。

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山月記」のストーリーは中国の古典、唐代の「人虎伝」に素材を仰いで、それを中島敦の世界に投影した作品である。
ほとんど中島敦本人の人生そのものと言っていい。

 主人公李徴は唐の玄宗皇帝の時代に科挙の試験に優秀な成績で進士となり、江南で地方官を勤めていたが、自分は詩作によって死後百年に名声を残そうと、官吏をやめ山にこもって詩作にふけった。

 しかし李徴が作った詩は世の中で認められず、たちまちのうちに貧窮しふたたび節を曲げて官吏の下っ端になったが、そのときは同僚ははるか高官に上り詰めていた。

 李徴は自分の地位が極度に低く、一方それによって立とうとした詩才がまったくないことに悲観して精神的に追い詰められていった。
あるとき汝水のほとりで宿を取ったとき発狂し、そこを飛び出し二度と世間に戻ってこなかった。ようとして行方が分からなくなったが、李徴は山野に分け入り虎になっていた。

 それから1年後、李徴と同時期に進士に合格し、唯一仲のよかった監察官のがこの地にやってきて、山越えをしようとしていた。地方官の一人が「この山には人食い虎がいるので夜間の山越えをしないように」と止めたが、袁は人数が多かったこともあり、あえて山越えをすることにした。

 はたして袁は人食い虎に襲われたが、なぜか虎は直前で襲うことをやめた。そして叢にかくれたまま「あぶないところだった」とつぶやいている。
はその声の主が、かつての同僚李徴であることを認めた。

 叢をへだてて袁と李徴は旧友を暖める。李徴によれば虎になってからもときどき人間の心に戻るのだが、段々とその時間が短くなってきておりそのうちに完全に虎になってしまいそうだという。
しかし虎になっても今だ人生をかけて作った詩の数十篇は諳んじている。自分が存在していた証として「これを後世に伝えてもらえないか」と李徴は袁に懇願する。

 袁は快くその申し出を受ける。
李徴は長短およそ30編の詩を朗々と歌い上げたが、袁はその詩を部下に書き留めさせた。袁は李徴の詩が間違いなく第一級の詩で、格調が高く作者の非凡さをうかがわさせたが、しかし「このままでは、第一流の作品となるのには、何処かかけるところがあるのではないか」と思ってしまう。

 李徴は妻子の生活をにたのみ、そして最後にこの道を二度と通らないように袁に言う。もうその時は完全に虎になってしまっているはずだからだ。

 最後に分かれてからしばらくたって振り返ってほしいという。そのとき自分の虎になった姿を見せるが、それはが再び私に会いにこの場所に戻ってくるのをやめさせる為だという。

虎は、既に白く光を失った月を仰いで、二声三声咆哮したかと思うと、又、元の叢に躍り入って、再びその姿を見なかった」とこの短編小説は終わっている。

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 やはりこの短編小説の虎は中島敦そのものだと思う。喘息の持病のため朝日新聞社に入社できず、横浜高女で教鞭をとったがそこも止め、南洋庁で編集書記をしていたが身体を壊し、結局小説家として世に出ようとしたが、この山月記を世に問うたのが、鬼籍に入る33歳の時だ。

 死後中島敦の代表作の一つ、「李陵」を文学界に掲載し、世間に中嶋敦を認めさせたのは、唯一の友人といってもよかった日本百名山の著者深田久弥だが、中島敦が李徴で、深田久弥が袁だとすれば、小説と実際の人生が完全に符合する。

 私はこの山月記も、またこの新潮文庫に一緒に納められている名人伝、弟子、李陵も傑作だと思うが、中島敦自身は自分の才能を完全には信じていなかったようだ。
に「このままでは、第一流の作品となるのには、何処かかけるところがあるのではないか」と言わしめたのがそれで、中島敦ほどの才能の人でさえ、完全には自身の才能を信じることができなかった。

 中島敦の短編は実にいい。この漢文調の硬質のリズムは特に好きだ。私は高校を卒業してからは漢文にいそしむことはたえてなかったが、中国古典の世界も捨てたものでないとつくづく思ってしまった。


 なお、本件については読書会の主催者、河村義人さんと「名月記」のレポーター、M.Tさんが詳細な感想文を書いていますので是非参照してください。
http://yamazakijirou1.cocolog-nifty.com/shiryou/2010/06/22616.html

 

 

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