(22.5.11) 文学入門 「ボローニャ紀行」 井上ひさし
今回の読書会のテーマ本は井上ひさし氏の「ボローニャ紀行」だった。
井上氏が最近なくなられたので、井上氏を悼み氏の本を読んでみようということになったのだが、私はこの「ボローニャ紀行」なる本をまったく知らなかった。
私が読んだ井上氏の本は伊能忠敬を主人公にした「四千万歩の男」だけだったので、これが2冊目になる。
そもそもボローニャといわれてもほとんどの人が、この北イタリアにある人口40万人の地方都市を知らない。
私が知っているボローニャに関する唯一の知識は世界最古(11世紀)の大学がこのボローニャに開設されたということだけだった。
この大学のことは、羽仁五郎氏の「都市の論理」で、「開設された大学をユニバーシティと呼び、それは学生組合を意味した」のだとは知っていた。
しかし大学の開設はともかく、学生組合が歴史的に重要な出来事とは思えなかった。
注)羽仁五郎氏はこの学生組合を自治組織の先覚的な取り組みと評価し、「大学は学生が自治組織を作って管理すべき」と、70年代の学生運動に大きな影響を与えた。
井上氏のボローニャに対する入れ込みは半端ではなく、「30年間の机上の勉強でいまでは恋人より慕わしい存在となったボローニャ」に2003年12月初旬に始めて訪れたそうだ。
この本はその時の紀行文を元に加筆して完成された。
この本を読んでみると分かるが、井上氏はこのボローニャをほとんど地上の楽園として描いている。何が地上の楽園かというと以下のようなものだ。
① 世界最古の大学、ボローニャ大学の卒業生は目がくらむ。
カンタベリー大司教トーマス・ベケット、詩人ダンテ、同じくペトラルカ、風刺作家エラスムス、地動説のコペルニクスetc
② 第2次世界大戦のレジスタンスの都市で多くの犠牲を出しながらも、市民の力でドイツ軍とイタリア・ファシスト旅団を追い出した。
③ イタリアの小型精密機械はほとんどがボローニャ産であり、中小企業を基礎とした工業が発達している。
④ 文化による街の再生を集中的に行って、その手法が1970年代に「ボローニャ方式」として世界中に喧伝された。そしてEUは2000年にこの街を「ヨーロッパ文化都市」に指定した。
井上氏のボローニャに対する思慕はこの後も延々と続くのだが、いささか「あばたもえくぼ」の感がしないでもない。
いかに「あばたもえくぼ」かというと、井上氏はイタリアのミラノ空港に着いた途端に、スリ集団に鞄をすられその中に約300万円の現金、帰りの航空券、ボローニャに関する研究成果のノートがあったのだが、それを以下のように反省しているからだ。
「ナポリではアメリカの潜水艦が盗まれたことがある。・・・私は潜水艦を盗まれた船長よりまだ幸せかもしれないと思ったら、見る見る気がはれてその夜はぐっすりと眠れました」
有り金全部盗まれたイタリアに対する評価がこのようであるので、ボローニャに対する入れ込みはかなり割り引く必要がありそうだ。

実は(調べてみると)ボローニャは戦後のイタリア政治史においてかなり特殊な位置づけにあることが分かる。それはドイツ軍に対するレジスタンスを指導したのがイタリア共産党だったこともあり、戦後一貫して共産党の市政の元に有り、ここがイタリア左翼の牙城になっていたからである。
注)1999年に一時的に右派政党の市長が誕生したが、すぐに左派政党の市長に敗れてしまった。
一方イタリア政界は右派政党が握っていたため、政府とボローニャ市との間には常に緊張関係が有り、市は政府の支援を期待できなかった。
このためボローニャはかつての自由都市の伝統を復活させて、独自の政治を展開し、それが「ボローニャ方式」として、特に冷戦時代西ヨーロッパ社会主義陣営のショーウィンドウの役目を果たしていた。
注)東ベルリンがソビエト型社会主義のショーウィンドウだったのに対し、ボローニャは西ヨーロッパ型社会主義のショーウィンドウだった。
井上氏によれば、ボローニャ方式のポイントは戦後すぐに作成された以下の「4つの誓い」に現れているという。
① 復興のためには女性の力が必要である。・・・・(そのために)まず公共保育所を建てる。
② 街の中心部の歴史的建造物と郊外の緑は市の宝物であるので、この二つはあくまで保存し、維持する。
③ 「投機」を目的とした土地建物の売買は禁止する。
④ 職人工場については、業績が良くなっても増築せず、分社化して大工場はつくらせない。
このような努力をすることで、ボローニャは70年代にはイタリア有数の有数な裕福な都市になったのだという。
井上氏はこうしたボローニャの取り組みを「この日常を守る取り組み」として激賞する。
井上氏は演劇作家らしく、さらにこのボローニャの文化政策に注目する。
「車を追い出して、都心中心に41の劇場と50の映画館が存在し、古い家畜市場を老人と学生と幼児が終日過ごすことのできる施設に改造し、旧い証券取引所を図書館に改造し、女子修道院を女性問題研究センターにする。
さらに旧いタバコ工場を世界一の映像センターやフィルム改修センターにし、歴史的建造物は外観を修復保存しその内部を老人と学生の住まいとする・・・・・・・・・」
こうして「住民と大学と行政が力を合わせて、都心に潤いと厚みを取り戻そうとしており、そこから新しい価値が創造されていく」という。
このボローニャ紀行は「西ヨーロッパ型社会主義の成果」にかなり肩入れした報告で、井上氏の目から見た調査報告という色合いが強い。
確かにこの都市は文化都市としての性格を持ち評価されているが、一方で産業政策は中小企業優遇の、競争を排除したかつてのギルド的体質を持っている。
注)一般的にはギルドは歴史の進歩を遅らせた特権組合と評価されるが、ボローニャの例を見ても社会の安定化には大きな役割を果たすことがよく分かる。
従って経済成長期の日本や現在の中国のような花々しい発展は望むべくもないのだが、一方でそこそこの発展はしており、西ヨーロッパ型社会主義に好意的な人からは高く評価されてきたのも事実だ。
注)こうしたこともこの「ボローニャ紀行」を読んではじめて知った。
当のイタリアでは、しばらく前には政府が財政赤字から脱却のためにボローニャ方式を真似て成功したとの報告もあった。
しかし実際はリーマン・ショック後はイタリアもご他聞にもれず経済不況に悩んでおり、GDPに対する財政赤字の割合も増加している。
注)この紀行文が書かれたのは2004年のことなので、ヨーロッパがまだ好況を謳歌していた時期だった。
はたして「ボローニャ方式」というイタリア左翼の実験は成功したといえるのだろうか。井上氏は激賞しているが、私には知識が少なくて評価ができない。
今後イタリア経済を分析していく過程で、このボローニャ方式について再度確認していきたいと思っている。
なお、本件についてはこの読書会の主催者、河村義人さんの評論もありますので合わせて読んでみてください。
http://yamazakijirou1.cocolog-nifty.com/shiryou/2010/05/22518.html
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