(22.4.24) おゆみ野の森の船出
この4月18日の日曜日に、おゆみ野の森の春祭りが行われた。例年だと地区のクチコミ紙などに開催の情報等を載せて、大々的に行ってきたのだが今回はそうした宣伝活動を一切しなかった。
理由は従来と異なり、このおゆみ野の森の管理運営をすべて市民の手で行うことになったからである。
従来はUR都市機構とその子会社の新都市ライフに、人的にも、資材の提供でも、また資金援助についても相当部分を支援してもらっていた。
昨年の春祭りに約300名の人員を集められたのもそのバックアップのおかげで、第一今回は無料でフランクフルトソーセージやピザを振舞う金にも不自由している。
「市民の森になったんだ、身の丈にあったお祭りにしよう」
集まったのはこのおゆみ野の森を管理する常連のメンバーと何組かの家族連れで、総勢30名を少し上回る程度だった。
私も昨年やった「縄文式マラニック」をしないで済んで、ほっとしたりやや寂しさがあったりしたが、これが市民の森の実態なのだと思う。
こうした市民活動は意欲のある人があまり肩肘を張らずに楽しく行うのがコツで、一方決まりや規則でがんじがらめにして、「なんでお前は約束を守らない」なんて言い出すとすぐにその組織は崩壊してしまう。
もともとボランティアなのだから強制や指示命令や特別な思想で会を運営するのはご法度だ。
会議などを頻繁に行うのも最悪で、会議の主催者は自分の流れに人を引き込もうとしてそれを行うので、参加してても馬鹿馬鹿しくなる。
「自分ひとりでやってくれ」
私はもっぱらこの場所の草刈の責任を負っているのだが、草刈が楽しいからしているので、一方草刈について「この草は有用なので決して刈ってはいけない。ここは自然保護のメッカにする」なんていわれるとすっかり白けてしまう。
各人が楽しくこの場所に集まって、それぞれの趣向で畑を作ったり、菜の花を植えたり、ウサギの糞を見つけたりしていればいいので、ゆるい規則の連帯こそが一番だ。
幸いにこの会には個性豊かだがコモンセンスをわきまえた人が多く、シー・シェパードの闘士のような人がいないので助かる。
私は楽しく参加しているが、市民の森のように市民が一人一人の責任で管理運営するという試みは、これからの社会の一つの形態になる可能性が高い。
注)市町村に全面的におんぶする形態は資金的にも人的にも行き詰まりがあり、一方私のように定年退職者で時間的余裕がある人がますます増えボランティア要員は増えてくる。
さあ、そろそろ草木も伸びてきた。これからが本格的な草刈のシーズンだ。
なお、本件についてはこの森のインストラクターをして支えてくれていた斉藤さんが以下のブログで記載しています。
http://midorinochiba.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-bca9.html
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