(22.4.20) 始めての経験 蕎麦打ち
人間長く生きていると思わぬ経験をするものだ。今回は始めて蕎麦打ちなるものをして、自分で打った蕎麦を食べると言う稀有な経験をした。
実は私の息子の嫁さんはオーストラリア人で一緒に日本に住んでいるのだが、最近子供を生んだ。
私にとっては初孫になるのだが、この初孫の世話をしにオーストラリアのタスマニアから嫁さんのお母さんがやってきた。
タスマニア島はオーストラリアの南極に近い側にあって、日本の北海道と大きさも気候もよく似ている。
人口は約50万人だそうだから、北海道の人口約550万人に比較すると約11分の1の人口密度だ。
北海道を思いっきり寂しくした所と思えば大体当たる。
嫁さんのお母さんは約1ヶ月間滞在し、20日に日本を去ることになった。
だから今日(19日)は嫁さんのお母さんのお別れパーティーをすることにしたのだが、それが蕎麦打ちである。
この企画は息子の嫁さんがして「最も日本的な経験こそがお別れパーティーに相応しい」と考えたのだそうだ。
私とかみさんで息子たちが住んでいる成田にいそいそと出かけた。
嫁さんのお母さんは72歳だそうだが、とても元気がよく歩き方などは若者のそれだ。
歌を歌い、畑仕事をし、食事も衣類もほとんど自分で作ってしまうのだから元気なはずだ。我が家に来たときもピアノを弾きながら上手な歌を披露してくれた。
今回の蕎麦打ちは近くの蕎麦やさんに頼んで講習会を開いてもらった。
ここの主人はしばらく前まではサラリーマンをしていたらしく、意を決して蕎麦屋さんになったほど蕎麦が好きらしい。
我々のためにそばに関する英語を事前に勉強していて、ご主人もはじめての外国人に対する講習に意欲満々という感じだった。
そば粉の練り方を教わり、次にそれを縦90cm、横45cmに引き伸ばし、それをたたんで蕎麦包丁で切るのだが、この切り方が難しい。
どうしても太く切ってしまい私などはうどんのような太さにしてしまったが、嫁さんのお母さんやかみさんは実に上手に切っていた。
このあたりは経験の差が如実に表れる。
できた蕎麦を熱湯で1分弱熱し、それを水につけて、さらに氷水につけると引き締まった実においしい蕎麦が出来上がる。
私も自分で打った蕎麦を食べたのははじめての経験なので感動した。
「そうか、自分で作るとこんなにおいしいものなのか」
嫁さんのお母さんも実に楽しげに蕎麦打ちをしていたが、感想は「パンの作り方に似ている」とのことだった。蕎麦粉を練るところがまったく同じだとのことだ。
嫁さんのお母さんとは20日にはお別れだが、私とかみさんに是非タスマニアにきてほしいと誘われた。
やはり一度は息子の嫁さんの里を見てくる必要がありそうだ。
「来年には行きましょう」と約束してしまった。
日本人は相手の気持ちを慮って適当に約束するのだが、外国人はその約束を素直に信用するから、守らないと信用を失う。
「よし、来年はタスマニアの森を走り回ることにしよう」すっかりその気になってきた。
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