(22.1.6) 経済成長神話の崩壊
経済成長神話が日本で始まったのはいわゆる昭和60年代の高度成長期以降で、その頃から聞きなれないGNP(現在はGDP)と言う言葉がマスコミに登場した。
当初は何のことかさっぱり分からなかったが、そのうちに日本のGNPがイギリスを抜き、ドイツを抜きついに世界第2位になったということに日本全体が狂喜したものだ。
ちょうど現在の中国がこの10年度中に日本のGDPを凌駕して、世界第2位の経済大国になることを中国人民が何か誇りを持って待っている気分とおなじである。
今思えば日本の経済成長の期間は約30年間程度で、1990年前後のバブル崩壊以降成長は止まった。
その後も懸命な財政・金融政策を実施してきたが、1~2%の経済成長がせいぜいで、09年は先進国中で最悪のマイナス成長になってしまった。
注)一般に90年代を失われた10年、そして21世紀に入ってからの10年を輸出主導の実感なき成長期という。
ただしリチャード・クー氏はこの間の日本政府の財政金融政策は正しい措置で、日本は深刻な恐慌から免れることができたと評価している。
この間の日本の経験は何をやってもうまくいかないというもので、財政支出は天井知らずで、GDPに対する財政赤字は先進国中最悪になっている。
10年度の国家予算は散々で、税収より国債発行額が多いのだから、通常の企業であれば倒産してもおかしくない。
注)日本の財政赤字の累計額はGNPの約2倍で、他国が1倍以内であることから見て突出している。日本国債の格付はイタリア並みに低い。
国債発行額のかなりの部分が公共投資に向けられたが、すべてといっていいほど不要な投資であった。
たとえば地方空港などは軒並み赤字で、飛行機の飛ばない飛行場さえできつつある。
「飛行機などどうでもいいんだ。公共工事で土建会社に仕事があればいいんだ」これが公共投資の実態だった。
注)私の住んでいる千葉市では乗客予想を目いっぱいでっち上げたモノレールが建設され、市の財政逼迫の元凶になっている。
こうして日本では約20年間に渡って次世代にほとんど何も生まない公共工事ばかりを行い、ただ水をためて水鳥の休憩所になるだけのダムや、熊や鹿が遊ぶ高速道路ばかりになってしまった。
たしかに飛行場やダムや道路を作れば、工事会社には工事代金が入り、従業員は給与をもらえるが、作られたものは無駄なものばかりだから、道路を掘ってそれを埋めては賃金を支払っているのとなんら変わりが無い。
注)実際は作られた飛行場等は管理費が膨大にかかるので、道路を掘って埋めているほうが経済的ともいえる。
日本は1990年を境に実際は成長が止まった社会になったのだが、それを無理やり成長させようとしたため財政赤字は膨大なものになってしまった。
現在、政府は毎年名目で3%、実質で2%の経済成長を目指すといっているが、どうしてそのようなことが可能なのか信じられない。
日本の人口構成は毎年老人人口の割合が増え、しかも全体の人口は微減に転じている。
老人は消費拡大に消極的だし、第一毎年3%づつ食料や衣料を増やすなんてことはできるはずがない。
そんなことをすれば身体はメタボになり、たんすは衣類であふれかえってしまう。
マータイさんが「もったいない」と言う言葉を日本人に思い起こさせてくれたおかげで、耐用年数が来るまで自動車もテレビも洗濯機もパソコンも使用するようになった。
だから国内消費は減少こそすれ拡大するようなことはありえない。
注)09年度の百貨店の売上げは24年前と同じになり、輸入高級ブランド品の売上げは21年前と同じになった。新築住宅着工件数は45年前の水準だ。
GDPのもう一つの構成要素は純輸出(輸出-輸入)だから、輸出振興を行えば確かにGDPは増加するが、今後は円高が傾向的に進みそうなので、日本で生産するより中国やインドやブラジルに工場を建てて現地生産するほうが効果的だ。
注)アメリカはドルの価値を下げて輸出産業の保護に乗り出し、中国は自国通貨をドルに連動させているので、円はドルに対しても元に対しても円高になる。
残りは政府支出だけで、実際ここ20年余りの日本政府の政策はそれだったのだが、無制限な国債発行にも限度があり、租税より借金が多い状況をいつまでも続けられない。
はっきりいえることは成長が止まった経済を無理やり政府支出の拡大や低金利政策で資金供給しても無駄だと言うことだ。
成長に限界があることを最初に発表したのはローマクラブで、「現在のままで人口増加や環境破壊が続けば、資源の枯渇や環境の悪化によって100年以内に人類の成長は限界に達する」と1972年に言っている。
このローマクラブの指摘は悲観的過ぎると長らく思われていたが、1990年以降の日本や、現在の他の先進国の状況はローマクラブの見通しが正しかった事を示している。
成長を遂げた人間の身長がそれ以上伸びないように、経済も成長期間が終われば停滞する。それを無理やり成長路線に乗せようとすると人間が肥満になるのと同じように、無駄な公共工事を行って、経済の活力をより一層低下させるだけだ。
GDPは成長し、停滞し、そして減少していくのが当たり前であり、成長こそ善だと考える神話が日本人の精神を不安定にしている。
かつてトインビーは「歴史の研究」で文明は生まれ成長し、爛熟期をむかえてやがて衰亡し、死滅すると説明した。
GDPが停滞し、そして減少していくのが善だとの認識が今ほど必要なときはない。
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