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(21.10.29) 御園生さんのジャーニーラン  米沢街道

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 先日御園生(みそのうさんが主催するジャーニーラン、下野(しもつけ)街道130km日光市今市から会津若松市)に参加して、すっかりまたジャーニーランに目覚めてしまった。
ジャーニーランとは楽しみながら走り、特に順位にこだわらない競技で、制限時間が時速6km程度で設定されているので、いくらでも寄り道することができる。

 今回は11月の2日、3日をかけて米沢街道75kmを走るのだが、この道は会津若松市から山形県の米沢市まで通じている。
距離的にはまったく問題ないが、下野街道の場合のように旧街道が山道になっているとかなり苦戦するかもしれない。

 実は私は米沢市についてまったく知らず、山形県にあるのかも知らなかったが、最近NHKの天地人をたまたま見ていたら上杉景勝が会津から米沢に転封される場面が出てきた。

 これも正直に言うが今まで上杉家がなぜ会津120万石になったのかも、その後米沢30万石に減封され、その後幕末まで上杉藩が存在していたのかも知らなかった。
上杉謙信は越後の武将で、武田信玄と川中島で戦っていたはずだが・・・・、なぜそれが会津や米沢に移ったのだろうか???」

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 急に上杉家の歴史に目覚めてしまい、Wikipediaで調べてようやく以下のことがわかった。

① 1578年、上杉謙信が急死して後継者を指名していなかったため、ともに謙信の養子だった上杉景勝上杉景虎の間で、後継者争いが発生し国力を消耗するが、結果的には上杉景勝が勝利する。

② 1581年、そのお家騒動の間隙を織田信長につかれ、信長の北陸方面軍団長の柴田勝家に攻め込まれ、ほとんど滅亡の寸前まで追い込まれる。

③ 1582年、
織田信長が本能寺で急死したことにより、こんどは織田家内部の後継者争いが発生し、羽柴秀吉から柴田勝家を挟撃する同盟を申し込まれそれに応ずる。
このときの交渉者が
直江兼次石田三成だったため、その後上杉家は豊臣家に急接近する。

④ 1583年、
羽柴秀吉柴田勝家の賤ヶ岳の戦いで秀吉側に立って参戦し、秀吉の天敵で勝家の同盟者、佐々成政と戦う。

⑤ 1584年、
羽柴秀吉徳川家康の小牧長久手の戦いでも秀吉側に立って参戦し、このときも家康の同盟者佐々成政と対峙している。

⑥ 1590年、小田原合戦でも秀吉側の武将として北条氏を攻める。

⑦ 1595年、豊臣家の5大老の一人になり、豊臣政権内部での重鎮になる。

⑧ 1598年、秀吉の命令で越後から会津120万石に加増されて移封される。これは秀吉に信頼されていた上杉景勝いつ反逆するかわからない伊達政宗最上義光を牽制する意味があった。

⑨ 1600年、関が原の戦いでは西軍にたって徳川家康と対抗する。これは景勝の家老、直江兼次石田三成との盟約に従ったものだが、西軍が敗れたため家康に投降し、その結果会津120万石から米沢30万石に減封され、幕末まで藩は続く。
なお、上杉家が取り潰しにならなかったのは、
直江兼次の懸命な工作によったのだが、天地人でもその辺の事情を描いていた。


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そうか、上杉家は謙信のあと大変だったんだ。ほとんどお家が取り潰しに成る危機を何回も乗り越えてきたのか」ようやく流れがわかった。

 今回は会津120万石時代に、直江兼次の居城があった米沢に走っていくわけだ。
またあの東北地方の美しい山河と歴史の重みのある米沢街道を写真に収められると思うと、とても楽しみだ。

(今日のYou Tubeは四季の道の晩秋です)
http://www.youtube.com/watch?v=rFjkE9bbk-4

  

 

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