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(21.9.6) ふるさとは近きにありて思ふもの 八王子市  

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 私の故郷は東京の郊外、八王子市である。かつては絹織物も町として知られ、町には機屋(はたや)が数多く存在し、私の父親も一時「しまかい」という絹織物を東北の呉服店に販売する卸と行商の中間のような仕事をしていた。

 江戸時代は八王子市は宿場町で、甲州街道沿いに多くの宿場が立ち並んでいたと思うが、私が物心ついた頃には目抜き通りには呉服店が立ち並んでいた。
もっぱら栄えていたのは甲州街道沿いで、一方八王子駅は甲州街道からかなり離れた場所で、現在とは違い駅周辺は閑散としていた。今から約50年前のことである。

 私はこの町を大学卒業以来離れ、その後この町に立ち寄ることが非常にまれになった。父母はこの町で暮らしていたのだが、正月に1回家族全員が集まる行事以外に立ち寄ることがなかったからだ。

 それが母親が腰椎の圧迫骨折をして寝込んでしまったことから、兄弟全員で母親の面倒を見ることになり、毎週1回2泊3日の予定で八王子の町を訪れるようになった。
頻繁に八王子に来るようになってから、不思議なもので昔の記憶がよみがえり始めた。

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 現在母親が住んでいる場所は暁町というのだが、この町を流れる浅川をはさんで八王子駅と反対側にある。
昔は浅川の北側は雑木林と農家しかない町の郊外だったが、その後町の乱開発が始まり、母の家もその一角にある(父親は10年以上前に他界した)。

 暁町そのものは道路整備が整わないままに家が立ち並んでしまったような場所だが、幸いに近くに小宮公園という都会の公園とは思われないような静かな公園があり、また北島三郎が住んでいる北島御殿というビバリーヒルズにあるような邸宅もある。

 母の看病の傍ら、小宮公園や浅川を走り回っているうちに、八王子の町が再びしっくり来るようになってきた。
やはり、ここが故郷か」という感じだ。

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 浅川は昔は機織で使用する染料が流れ込んでいたためいつも紺色ににごり、また下水道も整備されていなかったためどぶ川のような流れだった。
子供の頃、この浅川で水遊びをしたが、学校からは「不衛生なので、浅川で泳いではいけない」と注意されたものだ。
ちょうど中国や東南アジアの河川をイメージすれば当たる。

 この浅川が清流に変わっていたのには驚いた。母の家に行くためには浅川大橋を渡るのだが、ここから見た浅川は実に美しい。
流れは決して深くはないが、大きな鯉が悠然と泳いでいるのが分かる。
私はこの鯉を見るのが好きで、いつもしばらく鯉を眺めている。

 私の小さい頃この浅川のイメージアップのために金魚を放流したことがあった。川に金魚がいるのはなんとも不思議だったが、数年でこの金魚は絶滅した。当時の水質ではとても金魚が生息できるような環境でなかったからだろう。

 浅川といえば台風の後の浅川の流れはすごかった。普段は川幅3分の1程度の水量しかないのだが、台風の後は川幅いっぱいにあふれんばかりに濁流が流れていたのを覚えている。
台風が過ぎた後はこの浅川の濁流をあきもせず眺めていたものだ。

 母親の看病のおかげで、何か古い昔の記憶がやけによみがえってしまった。
室生犀星は「ふるさとは遠きにありて思ふもの」と歌ったが、私のような即物的な人間は近くにないと故郷は思わないらしい。

 

 

 

 

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個人生活 自分史」カテゴリの記事

コメント

懐かしいですね。
マスも大学卒業まで八王子で暮らしていました。浅川の近くには友人も多く、多摩御陵までよく走って行きました。
父母も兄弟もみんな若く元気でしたから、八王子の子安町の家は本当に懐かしいのですが、父母も兄も他界して、やむなく私が家を
取り壊しました。そのことが辛い。
八王子駅からは、富士山はもちろん、丹沢や奥多摩の大岳山(通称キューピー山)などが綺麗に見えて、子供の頃はいつかあの山の
向こうに言ってみたいと思っていました。
子供の頃は、そこかしこで機織りの音が聞こえ、さすが絹織物の街でしたね。
畑では、桑の実の”ドドメ”をよく野球帽のなかに一杯とって、帽子を赤く染めながらオヤツ替わりにしていました。
今でも、松任谷由美の『中央フリーウエイ』など聴くと、懐かしい思いで一杯になります。

(山崎)マッスルさんと私は故郷の記憶がよく似ています。私も長い間キューピー山に行ってみたいと思い、結果的には長谷川恒夫記念山岳レースで夜中に通ることになりました。
また桑の実は私の子供の頃のおやつでした。

投稿: マッスル | 2009年9月 7日 (月) 21時42分

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