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(21.9.16) 文学入門 「車輪の下」 ヘルマン・ヘッセ

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 今回の河村義人さんの読書会の課題図書はヘルマン・ヘッセの「車輪の下」である。この小説は若い時代に読んだことがあるはずだが、まったく記憶に残っていなかった。初めて読むような感覚だ。

注)河村義人さんとこの本のチューターのA.Tさんの感想文は以下のURLで見ることができます。
http://yamazakijirou1.cocolog-nifty.com/shiryou/2009/09/post-2858.html

車輪の下」とは「車輪の下に轢かれるような惨めな生活をしないように努力せよ」と言う意味で、そう言われ続けてきた少年時代に対する反逆の小説である。
ヘッセはこの小説に書いてあるように1891年14歳のときにマウルブロン神学校に入学し1年間在学したのだが、神経衰弱をわずらい退学している。

 私は19世紀後半のドイツの片田舎に住む多感で優秀な少年がどのような人生をたどるのかまったく知らなかったが、この小説を読んではじめてその実態を知った。

 当時、貴族やブルジョアジーでない商工業者の子弟がたどるもっとも賞賛される人生は、ヘッセがたどったように神学校に入学し、そこを優秀な成績で卒業した後はチュービンゲン大学に進み、その後牧師になるか、地方の公務員になるか、教職につくことだったようだ。
そしてこのコースに乗れば学費は政府が見てくれていたようだ。

 日本でも明治期の子弟がたどった道が、牧師を除けば同じようなものだったことに符合する(日本の場合は軍人という道もあった)。

 この神学校に入るためにはラテン語ギリシャ語が必須だったが、これも明治期の日本が漢文や外国語が必須だったことと同じだ。

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 しかしヘッセはこのマウルブロンの神学校にまったくなじめなかった。神学校だけでなくすべての世俗的価値観が我慢ならなかったらしい。
この小説の書き出しがすさまじい。
最初に自分の父親を紹介するのだが、このような辛辣な書き出しは他に比較するものがないくらいだ。

ヨーゼフ・ギーベンラート氏は、・・・すぐれた点も変わったところも、別にもっていなかった。・・・・彼の内的生活は俗人のそれだった。・・・せいぜい因襲的な粗野な家庭心とか、息子自慢とか、貧乏人に対するむら気な喜捨心とかが、その身上だった。彼の精神的な能力と言えば、生まれついた、融通の利かないずるさと計算の才を出なかった。・・・・
このような父親に対する容赦のない罵詈雑言が延々と続くのだから驚いてしまう。

 ヘッセ神学校に入学したときの描写もすさまじい。
祈祷室で厳かな入学式が行われた。・・・父親たちは・・・殊勝な心根と、美しい希望とに、彼らの胸はふくれていた。そしてきょう自分の子どもを金銭の利益とひきかえに国に売ったのだなどと、考えるものはひとりもいなかった」ひどい皮肉だ。

 ヘッセは自分が天才であることを知っていたので、神学校のような「利発な子供を、社会の中間管理層予備軍に教育する組織」が我慢ならなかったようだ。

先生たちが最も恐れるのは、・・・早熟な少年に現れる異常な現象である。・・・天才と教師とのあいだには、昔から動かしがたい深いみぞがある。・・・教授たちにとっては、天才というものは教授を尊敬せず、14の年にタバコをすいはじめ、15で恋をし、16で酒房に行き、禁制の本を読み、大胆な作文を書き、先生たちをときおり嘲笑的に見つめ、日誌の中で扇動者と監禁候補者をつとめる不逞の輩である

 ヘッセはこの神学校にいたたまれず、結局は退学するのだが、確かに詩作にふける多感な少年にとっては過酷な環境だったろう。小説では退学したあと職人になり、友達との宴会の後自殺するように川にはまって死ぬことになっている。

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 しかし実際のヘッセ1962年85歳まで生きて永眠しており、それまでにゲーテ賞ノーベル文学賞を贈られているのだから、晩年は満足していたのではないだろうか。
見ろ、オレの生き方のほうが正しかったではないか

 この小説のテーマ「天才と世俗の対立」ではヘッセは当然のこととして天才側の擁護者だが、私の感想はいささか公平に欠けると思っている。
実際の世の中は多くの平凡人と一握りの天才から成っていて、平凡人だけだと因襲的な進歩が止まった世界になるし、天才だけだと混乱と騒がしさだけの世界になる。

 だから社会は凡人と天才がちょうどいいような配合で成り立っていることが重要であり、一方だけが生存権を主張するようなものでもない。
ヘッセの父親も神学校の校長も、凡人としては立派な人々だ。
親が子供の出世を願うのも、校長が生徒に安定した確実な生活をしてもらいたいと思うのも当然だ。

 この小説は「天才はこのように考える」と言う意味でとても参考になったが、凡人に対する罵詈雑言はやはり言いすぎだと言うのが私の感想だ。

 なお、私はこのような自叙伝的な小説がことのほか好きだ。社会科学や歴史の本を見ていては分からない、生きた人間の「私はこう生きた」という証言がそこにはある。

 すべてが事実ではないにしても、そこに語られる精神のありようはまったく真実だし、またその時代に生きた人でなくては語ることのできない事実もある。
この本で19世紀後半のドイツの精神史を知っただけでも非常な収穫だったと思っている。

 

 

 

 

 

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