(21.8.29) 母の看護
母親の看護を始めてから4週間たつ。母親は玄関の段差で転んで第2腰椎の圧迫骨折をしてしまい、全治6週間といわれていた。
当初は弟が面倒を見ていたのだが音を上げてしまい、妹を含めて兄弟3人で面倒を見ることにした。
私は木曜日から土曜日まで2泊3日の看護をすることにし、八王子の実家に毎週帰っている。
当初は歩くこともできず、トイレに抱えて連れて行っていたが、幸いにも私が看護を始めた1日前からトイレに自分で行けるまで回復した。
「よかった、下の世話はしないで済む」
私の仕事は食事作りと、買い物と、裏の草刈やごみ出し程度になり、夜は安眠できる。
この程度のことはいつもしているので、作業はいたって簡単だ。
ご飯などはレンジでチンして、インスタント味噌汁を作り、適当におかずを見繕えばいいのだから、ものの5分もあれば用意できる。
かみさんから見ると「おとうさんは何でも手抜きだから・・・」ということになるのだが、それ以外の食事の作り方は知らないのだから致し方ない。
しかしそうなると時間をもてあまし、暇でしょうがない。
買い物も草刈もすぐ終わってしまい後は待機をしながら寝ているだけなので身体がおかしくなってきた。
「こりゃまずい、何とかしないと腹に脂肪がたまってしまう」
先週からは近くの小宮公園でJOGを始めた。小宮公園は都市近郊の公園としては例外といっていいくらい深山にある国立公園に似ている。
下が湿地帯になっているため木道が整備されており、上り下りが適度にある尾瀬を小型化したような公園だ。すっかり気に入ってここの木道を走り回っている。
登りは少しきついが走った後は汗だくになって実に気持ちがよい。
幸い母親も来るたびに元気になり、食事の後片付けや入れ歯の歯磨きなども自分でできるようになってきた。
外に出ることはできないが家の中の作業であれば一人でできる。
「これなら、もう完全看護は必要なさそうだ」
弟と相談して看護のレベルを下げることにした。
しかし今回はこの程度で済んだが、これは介護生活の最初の一歩ということになるのだろう。骨折は癖になるから、母親はこうした骨折を繰り返して、最後は本当に歩けなくなるということを覚悟しなければならない。
そうしたとき「兄弟で母親を面倒見るのか、介護施設にあずけるべきなのか」というどこの家庭でも発生する難問に立ち向かわなければならなくなりそうだ。
いままで老人介護の問題を考えたことがなかっただけに、今回はいい経験をしたと思っている。
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