(21.7.31) ロドリゴ巡礼日誌 その14
ジャポンを発ってからはや2週間が経とうとしていました。巡礼の道にもなれ、またジットと称する巡礼宿の泊まり方も分かり、またどの程度の町や村であれば食料品店があるかも分かってきておりました。
毎日朝6時半頃に出発し、毎日30kmから25km歩くことを日課にして、ただただ歩き続けていたのでございます。
前日のD2号線にこり、今日は巡礼道を歩くつもりでしたが、たちまちのうちに道が分からなくなり、やむなくセレ川に沿ったD41号線という国道を歩くことにしたのでございます。
しかし幸いなことにこのD41号線は交通量が非常に少なくD2号線とはまったく違って、とても歩きやすい道路でございました。
特に周りの景色が素晴らしく、セレ川が削り取った断崖が100m程度の高さで延々と両岸に聳え立っていたのでございます。
「ここは上高地といってもいいけど、周りが断崖絶壁だからちょっとしたグランドキャニオンだな」互いにうなずきあったものでした。
家は昔ながらの農家と、都市住民の別荘地が点在し、セレ川に沿ってキャンプ場やカヌーの訓練所があり、一大避暑地の趣がありました。そうした意味では、上高地とグランドキャニオンと軽井沢をたして3で割ったような場所だったのでございます。
こうしてこの平坦な道を気持ちよく歩いていたのですが、他に問題が起こらなくなると再びムッシュ タムと食事のことで、ささいな精神的葛藤が始まってしまいました。
この日はフランス国に来て初めて雨が降り、それもところによったら豪雨というような降り方でしたが、昼食時間になったので食事をしようと提案した時でございます。
「私はパンしかない」とムッシュ タムが言い出しました。
「パンがあれば十分ではないですか」
「いや、パンしかない」
ムッシュ タムが言いたいことはこうでした。
「りんご、バナナ、野菜、それにコーヒーがなく、パンだけでは食事とはいえない」
ムッシュ タムは普段は申し分ない紳士ですが、食糧が不足してくると精神的に不安定になるようで、この状況にひどい焦燥感に駆られているようでした。
幸いにしばらく行くと小さな村がありここに食料品店があったので果物やハムを仕入れることができたのでございます。
ムッシュ タムはとても満足したようでしたが、たまたま雨が本降りになったこともあり、雨宿りをかねて廃屋の農家の納屋で食事をしようと私が提案した時でございます。
ムッシュ タムは「フランス国まで来て、農家の廃屋の軒先でパンなどかじるのはいやだ」と申すのでございます。
十分な食糧が入手できたのだから(これは非常用として)、こんどは落ち着いてレストランで食事をしたいと言うのでざいました。
私のようにパンとバターと水さえあれば十分な者から見れば、わざわざレストランで食事をする理由は理解できないのですが、ムッシュ タムにとっては食事は文化ですので廃屋などとんでもないということのようでした。
仕方なくここから約5km先にあるホテルで食事をすることにいたしました。
それから1時間余り雨のD41号線を私は時速4kmで口もきかずに歩き、ムッシュ タムは時速3kmでこれもかってに歩いていたのでございます。
「まったく、何処で何食べても、食事なんかどうでもいいじゃないか・・・・・・」
しかしようやくたどり着いたホテルも食事時間が決まっており、我らが着いた時間には食事は終わっておりました。
やむなくムッシュ タムは買い込んだ非常食をこのホテルの前で食べることになったのですが、非常食がまたなくなるとアフリカの難民のように悩んでおりました。
それでもそこから1時間余りで宿泊地カブレレという小さな村に到着したのでございます。この村のインフォーメーションでジットの場所を聞き、私はいつものように洗濯とシャワーを浴びた後、この街の一軒の食料品店で夕食の食材を購入してジットで夕食を済ませたのでございます。
一方ムッシュ タムはいつものように村を歩き回り、インフォーメーションのパンフレットをじっくり読み、食料品店でりんごやバナナやハムといった非常食を購入し、かつレストランでゆったりと食事をしてジットにもどって参りました。
ムッシュ タムはレストランで食事ができたことから、精神的に安定感を取り戻したようで、「サラダたっぷりの食事を○○€でして来た」とひどく上機嫌になっておりました。
こうして十分な非常食がなくなるたびに落ち込んでしまうムッシュ タムと、パンが少しでもあれば平気な私との食事に対する認識相違はどうしても埋めることができないのでございました。
これがサンチャゴ巡礼フランス道の14日目の報告でございます。
写真を掲載いたします。
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コメント
「ロドリゴ巡礼日誌」、ますますおもしろくなりました!。順礼路を辿って謎解き(地名)の楽しみができましたから。地名が出たのは、ル・ピュイ、美しき村々(サン・コム・ドルト、エスタン、コンク)、そしてフイジャックぐらいですもの?。美しき村々の建造物風景は、絵心ある人にはたまらんでしょう!。フイジャックであのエジプト ロゼッタストーンを解読したシャンポリオンの博物館は行きましたか?。
順礼日誌 その13が難しい。国道D2?。地方道D13では?。順礼路GR65をD19と交互に歩いてカジャルク(Cajarc)に向かったものとばかり思いましたが、写真集で該当するところがありません。探しましたら、D41セレ川(Le Cele)沿いのエスパーニャック サン チュラリー(Espagnac Sainte Eulalie)に宿泊したことが分かりました。
この村にも、建造物や遺跡に見所があったようですね?。要塞・修道院?にも戦物語が?略。次に川沿いに下って、Chapelle de Roc Taoucat(日誌 その14の写真3枚目)も見つけました。そしてカブルレ(Cabrerets)、ここで宿泊ですね。明日はロット川(Le Lot)合流地点(Condoche)に出て右折し、ロット川沿いにカオール(Cahors)に向かうのでしょうかね?。このコースでは、順礼手帳にスタンプを押印して貰えるんでしょうか?。それから飲料水はどうしているのかしら?。また続きを楽しみにしています。
(山崎) GR65はフィジャックを過ぎてしばらくすると川の道と山の道に分かれます。山の道の方が本道ですが、今回は川の道を選択しました。こちらの方が楽ではないかと思ったからです。
ブログにはそうした内容を明確に記載してないので、わかりずらかったのだと思います。
地名等については通常の日本人は始めて聞く名前ばかりですので、それを書き込むとブログが混乱するので(ロシア文学を読んで個人名が色々あって分からなくなるような感じ)、正確な場所は別途資料集としてまとめるつもりです。
なお、シャンポリオンの博物館にはムッシュ タムは行っていますが、私はすぐに寝てしまうので行っていません。
国道名については記憶に頼って書いていますので、資料で再確認します(現状はまだ資料が入手できていません)。
投稿: G爺 | 2009年7月31日 (金) 19時22分