(21.7.23) [六通神社が再建された」 および「A君のお父さんからの手紙」
六通神社が倒壊したのは2007年9月の台風によってだから、それから早2年が経過したことになる。
六通神社がいつ創建されたのかは正確には不明だそうだが、江戸時代の新田開発に携わった農民が、それを記念して創建したというのが言い伝えになっている。
倒壊する前の六通神社は鬱蒼とした樹木が茂り、とても静かな雰囲気のいい神社だった。それだけに社殿が倒れてきた木の下敷きになって倒壊し、周りの大木も切り払われた時、とてもさびしい気持ちがしたものだ。
あれから2年、嬉しいことに六通神社が再建された。千葉日報によると「約40世帯の氏子と住民が協力、約6千万円をかけて再建した」のだそうだ。昨年11月に着工して、この7月19日に落成式を行なった。
私は落成式を見に行ったが、氏子で知り合いのSさんがとても嬉しそうにしていたのが印象的だ。
参道も整備され、狛犬も社殿を守っており、昔の面影が復活した。いつかまた鬱蒼とした森になり、静かな趣のある神社になってくれるだろう。
おゆみ野の住民の一人として喜びたいと思う。
(別件) 息子さんが暴行に会われたお父さんからの最後の手紙
(20.6.14にお子さんが暴行に会われたお父さんから継続的にこのブログでお父さんの気持ちを報告していただいておりましたが、本件をもって最終にいたしたいとのメールをいただきました。
最終稿をそのまま掲載いたします)
山崎さん、お帰りなさい。フランスからの無事の帰還、何よりです。巡礼日記を楽しみに拝読しています。巡礼者としての日々の心象スケッチを時に微笑み、時にはらはらと心配しながら読み進んでいます。残りの旅程のスケッチを楽しみにしています。
さて本日は、息子の治療が経過観察を終えたことをお知らせします。この5月には、事件で破折し接合した下顎前歯の1本がたこ焼きを食していた最中に欠け、接合のやり直しを行うトラブルがありました。
それでも、6月15日の診察で経過観察終了の判断が下りました。今後は、加療部分に不具合が生じた場合のみに病院に行くことになります。
また、この経過も踏まえ本事件に係わるほとんどの処置に区切りをつけました。
山崎さんはじめ、多くの方々のご支援により区切りを迎えることができました。実に多くの方々に出会い、支えていただいた1年でした。山崎さんのブログをお借りして心より、お礼申し上げます。ありがとうございました。
誠に勝手ながら、私の報告も今回で区切りといたします。息子の事件を通じて私自身が背負ってしまった違和感、それは簡単に消えるものではありません。
同様の事件が無くならない以上、被害者家族としての不満、不安に黙する気持にはなれません。被害者とその家族は、なぜこんな傷を受けねばならなかったのか。その怒りと、加害者もまた自分の姿であり得たこと。怒りだけでは同じ被害は無くならない事への苛立ち。加害者を思いやる気持ち。実に多様で複雑でやっかいなものを背負ってしまったことに気付きました。
同じような被害に遭われた方々の想いの傍らに居たい。この地域が同じ過ちを繰り返さないための取り組みを続けます。
但し、「Aの父親」として山崎さんのブログをお借りする事は、一先ず終わりといたします。何らかの形で、私も気持を整理する必要があると感じました。
最後に、重ねて山崎さんから賜ったご支援に心よりお礼申し上げ、筆を置きます。巡礼の旅の疲れを癒し、夏本番に備えてください。また、お会いすることを心待ちにしております。では、また。
Aの父親
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コメント
初めまして! 夫の転勤で現在某国で暮らしております。おゆみ野の自宅マンションはそのままにしてあります。
本帰国もそう遠くない状況となり、年一回は「里帰り」はしているものの、今のおゆみ野の姿が知りたく、
ブログを拝見させていただきました。
私どもが日本(おゆみ野)を離れたのは、2年半前でしたが、マンションを購入したのは平成7年でしたので
あの頃の街、そして子ども達の変貌に大きな衝撃をもっております。 開発が本格してからは年々物騒な話を
耳にはしていました。地価も下落し、住民の年齢層がグッと下がったようにも思えました。
現在子どもは中学生なので、帰国した際には有吉中に転校する事になりますが、正直複雑な思いがあります。
夫の勤務先は都内ですので、その事も含めて考えるとおゆみ野に戻らない可能性もあり得るかもしれません。
残念です。
来週一時帰国でおゆみ野に寄りますが、子ども一人で外出させない方が良さそうですね。
(山崎) 年に何回か暴力事件が発生しますが、通常の生活をしている場合には特に危険ということはありません。夜半遅くに中学生のたまり場になっている特定の公園に行くとか、これも夜遅く遊技場にいくとかしなければ、特に問題が発生することはないと思います。
どこの町でもある「危ないところには近づかない」という程度の注意が必要というレベルです。
ただし中学校問題はこのおゆみ野の最大の課題で、私も含めて「そうしたことが発生しない住環境」を作ろうと多くの人々が努力していますが、十分成果が上がっていないのは残念です。
こうしたことは住民が努力しないと成果が上がらないので、引き続き努力をしていくつもりです。
なお、地価については日本の人口が逓減していく中で、日本全体としては徐々に低下していくはずです。
その中で魅力ある街づくりをしているところは地価は上昇しますが、そうでない場所は大幅な地価低下に見舞われるはずです。
地価ひとつについても住民の努力が要るという時代になったようです。
投稿: カモメ夫人 | 2009年7月27日 (月) 21時25分