(21.7.20) トムラウシは魔性の山
(一番奥のとんがった山がトムラウシ山)
*現在ロドリゴ巡礼日誌を掲載中ですが、本件を先に掲載します。
大雪山系で、私と同年齢の60歳代の人を中心とする10名に及ぶ大量遭難死亡事故については、驚きと共にそうしたことがあって不思議がないという気持ちを強くした。
実は私自身も今回遭難者9名を出したトムラウシ山(他の1名の遭難者は美瑛岳)で同様の経験をしているからである。
私が同僚のタムさんと大雪山系の縦走をしたのは2000年の夏だから気象条件的にはまったく同じ頃といえる。
今回8名の遭難者を出したパーティーとはちょうど反対のルートをたどって美瑛岳からトムラウシ山の稜線南沼キャンプ指定地でキャンプを張った。
南沼はとても水のきれいな直径70~80m程度の沼で、二人で沼に入って身体を洗ったり泳いだものである。
その日は快晴でこうして沼で泳ぐことができたのに、翌日の早朝から天候は大荒れになってしまった。横殴りの雨がテントに吹きつけ、雨で視界がさえぎられわれわれ二人は風の音がするたびにテントを押さえなければならなかったほどだ。
とても歩けるような状態でなく、今回の遭難者の話しにあるような、気温10度程度、風速20m以上、体感温度マイナス5度以下という状況だった。
「こりゃ、動くのは無理だ。ここで天候の回復を待とう」
私たちは動くことを断念し、ここに逗留することにしたのだが翌日も暴風雨は収まらず、2日間テントの中で寝ていた。さすがに3日目になるとあせってきた。
「これ以上いても、天候は回復しない。思い切って動こう」
暴風雨のなかでテントをたたみ、タムさんは時間の関係でトムラウシ山からトムラウシ温泉に下山し、私は大雪山系の主峰旭岳にむかって縦走を開始した。
ちょうど今回遭難した8名と反対方向に動き始めたことになる。
このとき私は大変不思議な経験をしている。暴風雨が荒れ狂っていたのはトムラウシ周辺だけであり、トムラウシを離れるに従って信じられないほど風雨が収まったのである。
トムラウシ山を見上げるとそこだけが雲がかかり、雲が恐ろしいスピードで流れていた。
「なんだ、荒れていたのはトムラウシだけか・・・・」
今回遭難者が泊まっていたヒサゴ沼分岐あたりまで来ると、風はかなり弱まっていたのを覚えている。
今回の集団登山の遭難者18名(うち8名死亡)はトムラウシから2時間程度の距離にあるヒサゴ沼避難小屋からトムラウシに向かって出発したのだが、客観的には無謀だったとしかいいようがない。
ヒサゴ沼周辺の気象条件より、トムラウシ山周辺の気象条件は比較にならないほど厳しく、嵐に向かって進んで行ったようなものだ。
アイヌ語で「花の多い山」という意味のトムラウシは、一方で魔性の山といってよく、一旦荒れ始めると手がつけられない。
私たちはまったく動くことができず停滞し、2日間寝ていたため体力的には温存されていたが、私はトムラウシの下降路のロックガーデンでは岩にへばりつきながら歩いていた。
そうしないと身体が飛ばされそうだったからだが、持っていたマットがリュックから外れて1秒程度の間に30m程度飛ばされたのには驚いた。
しかしトムラウシ山を離れるに従って風も雨も穏やかになる。今回の遭難者は私とは反対にその魔性の山が牙を剥いているトムラウシに向かって行動したのだから遭難するのは当然だ。
実際はヒサゴ沼からの避難路は化雲岳から天人峡温泉に降りるルートか、トムラウシ山を経由してトムラウシ温泉に降りるルートしかない。どちらも同じくらいの時間がかかるが、今回のパーティーはおそらくトムラウシ温泉に宿の手配がしてあったために無理をしたのだと思う。
トムラウシ山は魔性の山だ。普段はとてもおとなしいが一旦牙を剥くと手がつけられない。それもトムラウシに近づけば近づくほど牙を剥く。
そうしたことを今回のツアーを企画したガイドが知らなかったか、知っていても計画上無理をしたのか分からないが、いずれにしてもトムラウシ山を侮ったことだけは確かだ。
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コメント
私もこの山で危険な領域に踏み込みつつあったとブログを読み気付きました。
2002年7月8日は雨でした。トムラウシ温泉よりスタート。登山口の駐車場には数台の車です。
当時は沢沿いのコースで10回程渡河します。増水により飛び石は水の中でくるぶし位の深さでした。
流れも速くダブルストックのおかげで沢に落ちるのは免れました。
レインウエアの防水の劣化で雨がしみてきて体は冷えてきました。
こまどり沢入り口では水が滝のように流れ落ちています。ここで登るのを断念してUターンです。
風の事は当時全く気にしていませんでした。この2,3日後50代の女性が2人疲労凍死されています。
生死を分ける分岐点がこまどり沢入り口であったと思います。
(山崎)貴重な体験談、ありがとうございました。
投稿: jizan | 2009年7月22日 (水) 20時05分
トムラウシの遭難は痛ましい結果となりましたね!。
次郎さんとタムさんの山日誌を読み直し、山の厳しさを再認識しました。
タムさんは、「---都会の生活に慣れてしまうと人は野生味を失い、自然のすごさを忘れがちになるが、いったん荒れたら、自然は厳しい。人が生きるのにまず必要なのは、食物と水と濡れに強い防寒衣であることをあらためて実感した。」 そう思いますね。
私がトムラウシを知ったのは、深田「百名山」よりも春日俊吉「山岳遭難記1~6巻」(朋文堂)で遭難記録が先でしたね。爾来、この連峰の遭難は連綿と続いています。
福谷さんのブログで次郎さんの横顔拝見。そうめん流し、いい位置にいましたね!。
(山崎)最近G翁さんのコメントがないので、どうしているか心配していました。元気そうなので何よりです。
投稿: G爺 | 2009年7月20日 (月) 20時18分
■大雪山系遭難:「寒さ、想像超えていた」 ツアー社長会見―ドラッカーが救ってくれた苦い経験のあるトムラウシ山
こんにちは。今回の遭難10人もの人たちが、凍死です。北海道は、真夏でも、特に海や山は、本州では考えられないほど寒くなる場合があります。寒さ対策が肝要です。私も、昔のこの近辺で道に迷ったことがあります。そのときに、経営学の大家ドラッカーの著書に書かれてあることを思い出し、機転を利かせて、危機を脱することができました。それ以来、ドラッカーの著書をかなり読むようになりました。大事なことは、企業経営でも、登山パーティーでもビジョン(方向性)を持つということだとを身をもって知ることができました。ここに、書いていると長くなってしまいますので。詳細は是非、私のブログをご覧になってください。
(山崎) 拝見いたします。http://yutakarlson.blogspot.com/2009/07/blog-post_19.html
投稿: yutakarlson | 2009年7月20日 (月) 10時27分