(21.7.17) 文学入門 高田宏 「森のことば 木のことば」
(現在ロドリゴ巡礼日誌を掲載中ですが、15日に読書会がありましたのでその記事を掲載いたします)
今回の読書会のテーマ本は、この読書会の主催者河村義人さんが選んだ高田宏氏の「森のことば 木のことば」という本だった。
私はいつものように高田宏氏もこの本も知らなかったが、1978年に「言葉の海へ」と言う作品で大仏次郎賞および亀井勝一郎賞を受賞し、その後文筆業に専念するようになった人だと言う。
河村さんの説明によると河村さんと高田氏は文学的感性がとても似ており、好きな文学者がほとんど重なっていることから、今回高田宏氏の本を取り上げたのだと言う。
しかし読み始めの当初はかなり読みずらい本だった。
その理由は第1章「木のことば」で作者が作成した詩が出てくるのだが、なぜそのような詩が読まれるかの背景が分からなかったからである。
「木のことば」と題されたこの詩は氏が勤めていた女子大の学長を退任する時に学生達に贈った詩と反歌だが、氏の木や森に対する思い入れや思想を知らないものにとっては、単なる甘いメランコリックな詩にすぎない。
「つまらない詩を贈る人だ」というのが私の第一印象だった。
第2章の「生存運」は、木や草は生存競争をして最後に残っていくのではなく「生存運」があって残っていくのだ、という主張だが「生存競争」という概念よりも一般化するとはとても思われない主張で、「まあ、そういう見方もあってもいいのじゃないかな」程度の感度だった。
第3章「森の歌」では友人の合唱指導者のコンサートのために合唱曲を作ったのだが、そのための長詩が掲載されている。これもどう読んでも人に感動を与えるような詩ではない。
第4章「八ヶ岳山麓の森で」でようやく氏の生活スタイルが分かるのだが、この八ヶ岳山荘で歌った四季の俳句14句をソネ形式(集めると一つの詩になる形式)で掲載しているが、掲載して人に読ませるような詩とはとても思われなかった。
ここまで読んで「この本を読むのは時間の無駄ではないか」と思ったが、私はテーマ本は必ず最後まで読むことにしているので、読み続けることにした。
実はこの本は第8章「大きな木に会う」あたりから作者の真骨頂が現れる。
恵那山の中腹、標高約1300mの傾斜地で巨大なヒノキが見つかり、それを発見者の案内で見に行くという話である。この木は後に林野庁の「森の巨人たち・巨木100選」に氏が命名した「神坂大檜(みさかおおひ)」として登録されたという。
氏の巨木に対する愛情と情念がようやく読者に伝わってくる文章だ。
第9章「縄文杉の下で」はとてもいい。縄文杉を見るのは2~3時間ちょっと見るのではなく根元で一夜明かしながら見るのが一番で、案内者と酒を酌み交わしながら縄文杉の下で一夜をすごす話だ。
案内者は縄文杉にひかれて屋久島に移り住んだ山尾三省さんという人で、屋久杉を歌った「聖老人」という詩集がある。これを作者が一部引用しているが、屋久杉に対する愛情が素直に分かる、実にいい詩だ。
第10章「木の音・森の音」で記載された「大きな木にはふつうの木にない神性が宿る」という感性は確かに日本人一般に太古より残っている感性といえる。私自身も神社仏閣に残っている大木を見上げると、確かにこの木は他の木と異なった何かがあるに違いないと思うことがある。
氏は「木にも森にも自然の音があり、耳を澄ませばその音がはっきりと聞こえるが人工林では聞くことができない」という。確かにそのとおりで人工林では単調な音しか聞こえない。
私もよく登山をして一人でテント生活をしている時、森の音に耳を澄ましたものだ。
第12章「木を植えた人」は特にいい。フランス人、ジャン・ジオノが書いた「木を植えた人」の紹介がされているがプロバンスの荒れ果てた高地を一人で植林し続けたブフィエという人の話だ。
私自身最近この地方の山岳地帯を巡礼の旅で歩いているので知っているが、山頂はすべて放牧地となって草原であり、森は川の傾斜地にしか残っていない。アメリカのプレーリーと同じような景色がどこまでも続いている。
この原因は太古の昔から放牧のために森林を伐採し続けたからで、一方放牧を止めた後も草原のままに残されているからだと思う。ブフィエはこの荒れ果てた草原を自分ひとりで木の実をまいて森林に育て上げた人で、それを作者が暖かく見守ると言う話だ。
高田なおさんの「ノアの住む国」の話もいい。最終戦争で崩壊した地球を離れてたどり着いたのがこの星で、ここもまったく木一本ない不毛の地で、どんなに努力しても植物が成長できないのだという。
老人は次々に死んでいくのですが、そのときに老人の死体に地球からたまたま子供が持って来たどんぐりの木の実を握らせて埋葬します。
するとどんぐりはその老人を栄養分として初めて成長し始め、木になり、それを見たほかの老人達も埋葬される時に木の実を必ず手に握って埋葬してくれと言います。
こうしてこの不毛の地が緑豊かな豊穣の地に変わっていくという話です。
それ以外にも別子銅山の山を蘇らせた話も掲載されていて、このような営みをする人に対する共感が良く伝わってくる。
さらにアメリカで簡素な暮らしの中で心を養う精神文化の伝統を築いたヘンリー・デビッド・ソローの紹介があり、こうした森や木を愛した人の生活の紹介は実に的確と言える。
その中で紹介されているソローの詩や、若山牧水の短歌、タゴールの詩もいい。
私は考え込んでしまった。第三者の評価、詩の紹介をこれだけ適切におこなう高田宏氏が、なぜ自分の詩や俳句になると盲目になり、愚にもつかない作品を最初の数章を使用してわざわざ紹介するのだろうか。
しかしまあ、一冊の本には良いところもそうでないところもあるのが普通だ。
その中で良質な面を受け入れればいいのだから、この本は第8章から読み始めて、氏の木と森に対する優れた感性を学ぶのがいいと私は思う。
(重要)なお、高田宏氏の「木の言葉 森の言葉」について、レポーターの河村義人さんが詳細なレポートを作成しており、とても参考になるので、以下のURLをクリックして参照されることを薦めます。
http://yamazakijirou1.cocolog-nifty.com/shiryou/2009/07/21717-b71a.html
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