(21.5.24) 家族との登山 登山NO 11
1982年 36才
志賀高原 家族と 5月の連休
この年は私にとって最悪の年だった。
急激に右の耳の中耳炎が悪化して、どうにもならない状況になってしまった。
近くの診療所で見てもらったが埒があかなく、仕方がないので順天堂大学病院で見てもらうことにした。
検査の結果、真珠性中耳炎ということが分かって手術をすることになったが、手術日がなかなか決まらずイライラしたものだ。
ほぼ1ヶ月間にわたって順天堂大学病院に入院していた。
志賀高原には、中耳炎が悪化する前の5月の連休に家族で出かけていった。
ここには会社の寮があって、格安の値段で泊まれたのだが、この時は資金計画を完全に失敗してしまった。
娘が9才、息子が7才で、息子もJRの運賃がかかるようになっていたのを完全に忘れていた。
「まずい、金が足りない」
志賀高原の寮ではスキー道具一式を貸してくれるのだが、息子の電車賃を払うと、スキーを借りるためのお金がなくなってしまった。
仕方なく無料のそりに乗って遊ぶことになったが、せっかくの春山スキーをしそこなったのは残念だ。
もっとも娘と息子はそりに乗ってはしゃいでいたのだから、そり遊びを十分楽しんでいたようだ。 志賀高原には笠が岳という2000m程度のずんぐりむっくりした山があり、どこからでも眺めることができる。
5月の連休の時期は山肌に残雪が残っており、残雪をたどれば直登ができる。
子どもには少し無理そうだったので、一人で登ることにした。
こうした時期の登山はとっても楽で、どんな急斜面でも手と足を雪に深く差し込んで楽々と登ることができた。
笠が岳からの眺望は実に見事でうっとりしたのを覚えている。
もっともこの時期は中耳炎が悪化していた時期で、体調は常に不安定で、「もしかしたら自分は40歳まで生きられないのではなかろうか、これが最後の家族旅行になるのではなかろうか」と言う気持ちに襲われていた。
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