(21.5.22) 家族および弟との登山 登山NO 10
1981年 35才
尾瀬(燧ケ岳) 家族と 9月21日~23日
この年は実に多くの登山をしていた。タムさんとは冬山の訓練に出かけたり、南アルプスの北岳、間ノ岳、農鳥岳に登っている。
奥秩父には2回、会社の同僚と1回、それとワンゲル部出身の弟と登った。 秋には家族で尾瀬に行くことにした。長女が8才で小学校2年、、長男が6才で幼稚園生だった。
尾瀬に入ったのはこのときが初めてで、鳩待峠から尾瀬ヶ原にはいり,尾瀬の木道を尾瀬沼に向かって歩いた。かみさんはこの頃あまり調子がよくなく,歩いている間中眠りたがっていた(木道で寝ていた)。
尾瀬沼のほとりの山荘に泊まり,翌日は燧ケ岳(ひうちがたけ)2356mに登った。娘も息子も登山に慣れていたのでけなげに登ったが,登山客からは「こんな小さな子が良く登ること」といわれた。
子ども達は楽しげに登っていると思っていたが、後年息子から「何であんな苦しい思いをして登山をしているのか分からなかった」と述懐された。
この頃は写真にこっていて,6×7の大型カメラを持って写真をとりまくっていた。いまでも家で尾瀬の家族写真を飾っているが、とてもいい写真だ。
奥秩父(鶏頭山) 弟と 10月10日~11日 弟と登った鶏冠山(とさかやま)は、奥秩父の甲武信岳2475mの稜線上にある飛び切りタフな山だった。通常の登山道がなく、足跡が僅かに残っている程度で、岩肌が思いっきりゴツゴツした岩山だった。ほとんどがロッククライミングの続きで、熟練者以外の入山を禁止していた。
西沢渓谷の途中から,注意しないと分からないぐらいの目印が有り,そこから岸壁に取り付く。西沢渓谷の入口には「登山禁止」の立て札が立っており,ここが危険地帯だということが分かる。
鶏冠山のルートはわずかに踏みあとがあるだけで,基本は稜線をはずさずに登る必要があった。前に男性1名と女性3名のグループがいて,男性がリードしていたが、ロープで互いに確保しながら登っていた。
岩と岩の隙間が1m程度きれ落ちている場所を登らなければならなかった時は困惑した。
こちらの岩からから前の岸壁に「エイヤー」と飛び移って、それから岸壁を登るのだ。
とても荷物を背負ったままでは飛び移れなかったため空身になり、後でロープで荷物を引き上げた。背負っているのと違い、ロープで引き上げると非常な重さに感ずる。
くたびれきって頂上に着いたときは本心からほっとしたものだ。
「やれやれ、どうにか生きていられた」そんな感じだった。
翌日は国師岳,奥千丈岳経由で帰ったがかなりの距離があり、すっかりつかれきった弟は不機嫌になっていた。
その他に時間さえあれば毎週のように丹沢で沢登をしていた。なにかこの年は登山に取り付かれていたといえる。
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