(21.5.5) 家族との登山 NO9
1980年 34才
奥秩父(国師岳から金峰山)8月2日~6日 この頃は私達家族は東京に転勤になって杉並の寮で暮らしていた。そして毎年夏場には家族登山をすることにしていた。
長女は7才、長男は5才だったが特に険しい山以外ならばどこの山にも登れたので今回は奥秩父に行くことにした。
いつものようにキャンプをすることにしていたが、あいにくの雨模様になったため、3日目、4日目は山子屋に泊まる事になった。
初日は西沢渓谷を遡り,不動小屋跡の前で一泊した。西沢渓谷はその後も何回も行ったがなめ滝が非常に美しい気持ちのいい渓谷だ。
ただしこの時は沢登りをしたのではなく、かつての木材運搬道沿いに奥秩父の国師岳2592mを目指した。
子供の足では早く歩けないので翌日は天狗尾根まで行きそこで2泊目をした。尾根筋のテントが張れる程度の空き地を見つけてそこにテントを張るのである。
当時の私の登山は疲れたり、夕方近くになればどこでもテントを張って寝ることにしていたので、この時もそうして尾根筋で宿泊した。
こうした場所は人っ子一人おらず、夜は熊やイノシシや狐や狸が徘徊する動物の世界になる。
そのため夜中の山中は一人だとかなり緊張し、ちょっとした物音で目が覚めてしまうのだが、家族登山のように人数が多いとそうした緊張感に襲われることはない。
子供達はいつものように安心して寝入っていた。
3日目は国師岳を経由して大池小屋に泊まった。ひどい雨でとてもキャンプを張る気持ちにならなかった。身体中濡れ鼠で靴も泥でぐちゃぐちゃだった。翌日この大池小屋に荷物をデポして金峰山2595mを往復することにした。
4日目の金峰山へは稜線伝いだったので,きつくはなく、この日は良く晴れて気持ちが良かったのを覚えている。
金峰山の頂上には約20m位の大岩があり、遠くからでも良く見えて目印になっている。息子と途中まで登ったが、頂上まで登るのには少し岩登りのテクニックが必要だった。
さすがに5才の息子に岩登りをさせるのは躊躇されたので、この大岩の途中で休んでいたら、丁度中学生の一団が登ってきた。
先生は外国人だったが流暢な日本語で「頂上に登ろうなんて思ってはいけません。とても危険です」と注意していた。
大池小屋(ここまで林道が延びている)に2泊して麓のバス停まで下りることにした。バス停まではおよそ15km程度ありそうだった。歩いて下山しようとすると山小屋のお兄さんが麓のバス停まで自動車で乗せて行ってくれた。
とても助かったので御礼をしようとしたが「麓に下りる用事が有ったのだから」と言ってこの純朴なお兄さんはお礼を受取らなかった。
その後バスで塩山まででて帰宅した。
今、年を取って当時を振り返ると、なぜあの頃はあんなに元気だったのかと不思議な気持ちがする。家族4人分のキャンプ道具と食糧をもっていくら歩いても平気だった。
人生にはその時にしかできない「時」と言うものがあるようだ。
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