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(21.5.3) 愚痴の日

 今日は愚痴の日にすることにした。なにしろ連休で各地には人手が繰り出して楽しい休みが続いているのに、私の生活はまったく何の変哲もない。

 毎日、朝の清掃2時間、ブログの作成2時間、JOG2時間を繰り返して、その作業と作業の間は疲れて昼寝をしているだけだ。
日々平穏といえば平穏なのだけれど、なんとも退屈だ。

 私は年金生活者だから別に連休に動く必要はまったくないのだが、それでも他の人が旅行に行ったと聞くと、たまには1週間程度旅行がしたくなる。
定年退職者で時間が自由だから、旅行など決心ひとつだと思われるかもしれないが、実はそうはいかない。

 一番の悩みはブログの作成で、休むあいだのブログの溜め込みをしておかなくてはならない。私のブログは活動報告と、時事的な政治・経済問題の評論が主体だから、タイミングが必要で事前の溜め込みがとてもしにくい。

それなら、休んでしまえばいいのに」とかみさんから言われるが、私は気が小さいので休むと何か読者に悪いことをしたような気持ちになってしまう。
現在私のブログを検索してくれる方は、毎日250名~300名の間で、常時見てくださる方は約100名になっている。

 こうなると、自分としては何かミニコミ誌の編集長のような気持ちになって「このブログを継続するのが私の使命だ」なんて妙に肩に力が入ってしまう。
その結果「ブログの溜め込みができないなら、旅行は止めよう」なんてことになる。気の小ささはいかんともしようがない。

 一方、私がよく読んでいる「梅翁閑話」のブログ作者「梅翁さん」などは外国旅行を良くされるのだが、その間のブログはばっちりと用意されていて、ブログが途切れることがない。
大したものだと感心している。

 旅行ができない理由はもう一つあって「私がいない間に四季の道がゴミだらけになったらどうしよう」というのも悩みの種だ。
実際しばらく旅行をして帰ってきた後の清掃は大変で、45Lのゴミ袋にごみがあふれんばかりになり、肩に食い込んでくる。
これだから、俺が旅行することもできない、ブツブツ・・・

 そんなこんなで、外出することもままならない。
本当はこうした何もない平穏な日々を幸せというのだが、人間は安穏な日々が続くと飽きが来ると言うどうにもならない性質があって、愚痴ってしまうのだ。

亀ゴン、どうしよう。何とも人生がつまらなくなってきた
先生は何か突発的なことが起こると、頭に血が登って大騒ぎするのですから、何も無い方がいいんじゃないでしょうか

いあや、亀ゴン、まったく何も無くて同じパターンの生活も苦しいもんだよ
私なんかは一生ケージの中とベランダ暮らしで、食べ物と言えばキャベツばかりですが、だからと言って愚痴などいいませんよ。
先生は既に老人の年代なのですから、刺激など求めず、恬淡として生きるべきです


 うぅーん、亀ゴンに言われてしまったが、亀のように生きるのは難しい。

 

 

 

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コメント

次郎さん、余り自分を追い込まないで下さい。平凡な日々の中にも変化が在ってこそ、平凡な日々が生きて来ます。禅問答のような言い方ですが、読者の多くは時事講評もさることながら次郎さんの生き方、日々の感じ方にも関心が有るのでは無いでしょうか、偶のお出掛け旅日記等も期待したいと思います。

(山崎) ありがとうございます。私の悪い癖はすぐに追い込むことですので、そうしたことのないような生き方を模索したいと思っていました。とても参考になる意見です。

投稿: モヘジ | 2009年5月 3日 (日) 16時01分

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