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(21.5.21) 文学入門  日本臨終図巻

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 今日(20日河村義人さんが主催する読書会が行なわれた。今回の発表者は私で、選んだ本は山田風太郎氏の「日本臨終図巻」だった。
この「日本臨終図巻という本に興味を持ったのは、これが臨終場面だけを集めた奇書だからである。

 本件についてはブログで何回か記載したが、おゆみ野の森ビッグ兄さんから山崎さん、最近の山崎さんのブログは暗すぎるよ」と言われてしまった。
一般的に死を扱う書物や、その本の書評はあまり好まれないらしい。

 私としては生きることと同様に死の事についても考えてみようといった程度の感覚だったが、ビック兄さんの提言をいれて、臨終に関する書評はこれを最後にすることにした。

 今日の読書会で、河村さんは以下のような書評を述べている。
古今東西の歴史的人物の死にまつわるゴシップ集。これが本書の第一印象である。・・・・・・・試しに、自分がよく知っている人物の項を読んでみる。そこには・・・紙幅の関係上評伝ほど詳しい記述は無理なので、自ずとその人物の略歴や特徴的なエピソードなどが語られることになる。

・・・・(読んでみて)読後にどんな印象が残っただろう。・・・大した印象は残っていない。・・・その理由はゴシップのあしらい方にあるのではないかと、気づいた

 たとえゴシップを扱っても、卓抜な警句や小話が挿入されていれば興味がわくが、そうしたものがないためこの本は印象に残らなかったと言う。

 一方私の本書の読み方は資料集である。約900人あまりの人物の臨終の様子について、資料として知りたかったのであり、インターネットの検索のような感じで読み進めた。

 参加者の一人が「ここに書かれていることと、違った内容の解釈がある」と指摘してくれたが、そのとおりでこのブログで若山牧水を取り上げた時もWikipedia等の検索と照らし合わせて、比較検討が必要だった。

 この本の最後の書評として、日本人の死生観について触れておくことにする。

 一般に日本人は無宗教だから死後の世界があるとは考えず、その先は無の世界と思っている。

 たとえば吉田松陰は死刑が宣告されると「彼縛らるる時、誠に気息荒く、切歯し口角泡を出すごとく、実に無念の顔色なりき」だった。
死ぬなんてとんでもないと言う気持ちだった。

 有島武郎波多野秋子と心中したのだが、遺書には「おそらく私たちの死体は腐乱して発見されるだろう」と淡白に書いている。
有島武郎内村鑑三の弟子だからキリスト者で自殺は禁止されているはずだが、死に方は日本的だ。

 三島由紀夫が切腹する時の時世の句は「散るをいとう 世にも人にも さきがけて 散るこそ花と 吹くそよ風」で「さきがけ」として死んで行くといっているだけで、死後の世界を夢見ているわけではない。

 織田信長が最後にまったといわれる幸若舞の『は「人間50年、化天のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり・・・」で単に「化天8000歳の天人が暮らす世界)」に比べると短かったといっているだけだ。

 林芙美子の葬儀委員長は川端康成だったが、その挨拶は「死は一切の罪悪を消滅させますから、・・故人を許してもらいたいと思います」で、同性の女性を傷つけて止まなかった芙美子の生前の所業の許しをこうている。
川端氏の認識も「死は一切の罪悪の消滅」だから死後は無になると言っているのと同じだ。

 松尾芭蕉の辞世の句は「旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る」だったが、「かねては草を枕にして死ぬ自分と覚悟していたのに、こんな立派なしとねの上で・・・死ぬるとは冥加につきる」と静かに他界した。

 この本を読むと日本人の死生観というものがよく分かり、生前にどのような行動や思想を持っていたとしても、そこに日本人独特の「死は無に帰す」という日本的宗教感情を強く感じることができた。


なお、河村義人さんの書評人の死を数多く眺めると言うことの全文は以下のURLをクリックしてください。
http://yamazakijirou1.cocolog-nifty.com/shiryou/2009/05/21521-14f7.html

 

 

 

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コメント

次郎さんのブログ山田風太郎「人間臨終図巻1」書評、今回でご臨終とのこと!。5回もの掲載は珍しいですね?。
「生き死に」に関心を持つ年頃なんですよ。私もそうです。この記事初回のころ、「うさ吉」で料理待ち中、文芸春秋編「見事な死」、「私の死亡記事」を読んでいました。「人間臨終図巻1~3」もネットで購入。読み方や読後感は河村さんとほぼ同じです。古今東西の著名な923人の臨終の様を、死亡年齢順に並べていった『人間臨終図巻』からは、著者の死生観が判りません。死生観や死についてのアフオリズム(警句)は、著「死言状」に記載されています。この本のあとがきに、「---けっこう私なりの人生観、死生観らしきものをしゃっべっているようで赤面する」とあります。
若山牧水についての記事は、私にはあれで良かったと思います。石川啄木も、金田一京助家(杉並)の食客になりながら、かってに質流しもしたらしい(春彦、秀穂談)し、野口英世は、偉人伝のイメージとは大変異なる性格であったらしいことは、新聞連載の「明治波濤歌」で衝撃を受けた覚えがあります。
山田風太郎の大衆娯楽小説類は読みません。エッセイ「死言状」、ノンフイクション「同日同刻」、日記「戦中派不戦日記」は手元にありますが、読了できるかわかりません?。
私の「生き死に」は、東京大学出版会「死生学1~5」に依って、考えたいと思います。
 『 臨終の人間「ああ、神も仏も無いものか?」 神仏「無い」
 また臨終の人間「いま神仏が無いといったのはだれだ?」
 答え無し。--暗い虚空に、ただぼうぼうと風の音。』(死言状から) 

投稿: G爺 | 2009年5月21日 (木) 21時45分

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