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(21.4.30) 人間臨終図巻 若山牧水 享年43

Kc3a00181749913543_2  若山牧水は明治から大正にかけての歌人であるが、「日々旅にして旅をすみか」とした松尾芭蕉や、「願わくば花の下にて春死なん」と歌った西行のような人だと「人間臨終図巻」を読むまでは思っていた。

 特に牧水の代表的な歌「幾山河 こえさりゆかば寂しさの はてなむ国ぞ きょうも旅ゆく」などは、どうみても自然と旅を愛し、漂白の思いを胸に抱いている歌人のように見えるが、山田風太郎氏(人間臨終図巻の作者の説明は違う。

牧水は晩年、詩の雑誌を出して大赤字を作り、それにもかかわらず沼津に家を新築したりしたので、その借金のために日本じゅうを揮毫(きごう)して歩かなければならなかった

 詩の雑誌とは1926年(死の2年前)に創刊した「詩歌時代」のことで、「揮毫」とは「歌を作ることや指導することで見返りにカンパを募ること」である。

 牧水は全国をまたにかけて借金返済のための資金集めをしていたわけで、それが「幾山河こえさりゆかば」の現実であり、「はてなむくに」だろうが無かろうが資金提供をしてくれるところにはいかざるを得なかったようだ。

 そして大岡信の「若山牧水」によれば「牧水の晩年は、こういうやむを得ざる重荷のために多くの時間を割かねばならず、ただでさえ積年の酒のために痛めつけられていた肉体は、急速に弱っていった。・・・・(そして)ついに肝硬変を起こし、これが死の直接の原因」となったと言う。

 実際、牧水の酒量は半端ではなく一日一升は飲んでおり、死の2年前に自身が記した紀行文では以下のような具合だった。

今度の九州旅行は、要するに大酒ぐらいの私としての最後であった。とにかく思いおくことなく飲んできた。揮毫をしながら、大きな器を傾けつつ飲んだ。・・・・一日平均二升五合に見積もり、この旅の間(五十日)に一人して約一石三斗を飲んできた」と言っているくらいだ。

 これだけ飲めば肝硬変にならないほうがおかしい。牧水は歌っている
「白玉の 歯にしみとほる秋の夜の 酒は静かに 飲むべかりけり」
「それほどに うまきかと人のとひたらば なんと答へむ この酒の味


 私のように酒を一滴も飲まず、体質的に酒を受け付けない人間には「なんと答へむ この酒の味」といわれても何とも言いようが無いが、酒豪とはそうしたものなのだろう。

 山田風太郎氏によれば、死の直前、牧水は「肝臓のみならず、酒に起因する胃炎、腸炎、口内炎、つまりすべての粘膜の急激な荒廃が彼を襲い、死の3日前になると蜘蛛がいっぱいいて、いやだな』とつぶやいていた」そうだ。
蜘蛛がいっぱい」とはアルコール中毒患者が必ず見る幻覚症状のことである。

 牧水が死亡した季節は夏の暑い盛りだったが、遺体から数日立っても死臭が出ず、検視した医者が「牧水は生きたままアルコール漬けになった」と驚いたという。

人間臨終図巻」を読み、牧水借金アルコール中毒の中で肝臓と粘膜がはれ上がって43歳で死亡したのを知ったが、そうした事実を知らずに牧水の歌だけを鑑賞すると、何と幸せな人生を送った人だと思ってしまうだろう。

 

 

 

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(21.4.29) 人間はどこまで動物か

Crm0904272314027p31  大阪府西淀川区の小学校4年生松本聖香(せいか)ちゃんが内縁の夫から虐待を受け殺された事件を見るにつけ、心を突き刺すような痛みと共に「人間もしょせんは動物なんだ」という気持ちに襲われる。

 事件そのものは、内縁の夫の小林康浩容疑者(38)が、内縁の妻美奈容疑者(34)の子ども、聖香ちゃん(9)に食事をほとんど与えず、かつ躾と称して長期間ベランダに放置し衰弱死させたもので、死体の処理に困って墓地に埋めたと言うものだ。

 こうした内縁の夫が、内縁の妻の子どもを虐待する(正式に結婚している場合もある)ケースがしばしば起こり、そのたびに世間に衝撃を与えるが、これは人間の本性、いわゆる本能に基づく行為ではないかと私は思っている。

 よく知られているケースとしてライオンの子殺しがあり、新たに王者になった雄ライオンは、敗れた雄ライオンの子どもを幼児であれば全てかみ殺し、生育した子どもの雄ライオンは群れから追い出される。

 なぜそうするかというと、雌ライオン子育ての間(約18ヶ月)は発情しないため、新たに王になっても自分の子どもを残せないからで、自分の子孫を残すための本能的な行為だそうだ。

 以前見たNHKの「ライオンの王者の交代劇」を扱った番組では、幼子を抱えた雌ライオンが山の崖のようなところに子どもと一緒に隠れ住んでいた。

 新たな雄ライオンが幼児を殺すのを防ぐためだが、こうした場所はほとんど餌が無く、結果的に子どもは飢え死にし、子どものいなくなった母親のライオンは生きるために、新たな雄ライオンのグループに戻っていった。

 人間の脳の構造も本能という部分があり、それを新皮質と言われる理性と言うもので覆っているだけに過ぎない。
通常は理性で制御し、子殺しなどは発生しないのだが、新皮質の発達が悪いか、あるいは本能が強すぎる場合は、ライオンの子殺しと同じような行為が発生してしまう。

 聖香ちゃんの場合はまさにそれで、小林容疑者の映像をテレビで見たが、精悍な雄ライオンそのもののような風貌をしていた。
そして美奈容疑者小林容疑者と会うまでは、聖香ちゃんを愛していたのは確かで、聖香ちゃんが幼稚園を卒業する時の母子のほほえましい映像がテレビに流れていた。

 だから私たち人間は「理性的な存在だ」などと余り威張らないで、「本能を残しているのだ」と素直に認めて、こうした事件が発生しないように対応をとる必要がある。

 躾と称する虐待には子どもはほとんど抵抗する手段がなく、結果として死亡するより仕方のない運命にあり、救う手段は第三者が強制的にでも手を差し伸べるしかない。

 具体的には、妻の子どもが夫の実子でない場合、以下のような条件がある場合は人間においてもライオンの子殺しが発生する確率が高いので、社会全体(学校、近所、行政)で注意をおこたらないことが必要だ。


① 内縁、あるいは正式に結婚した場合も、夫が理性的でなく(話してみれば分かる)、かつ動物的(むきむきの筋肉マンで若い)な場合

② 親戚縁者等が近くにおらず、子どもに逃げ場が無い場合

③ 一般的に家計が貧しく、夫に社会的地位がない場合

④ 学校をしばしば休むか、身体にあざがある場合

 

 

 

 

 

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(21.4.28) 春眠暁を覚えず 諸所に容疑者逃亡す

Caky3ss3casc0te4caj0b988ca98h903c_2   春だからだろうか、東西の二つの警察署から警察官が居眠りをしてる間に容疑者が逃亡してしまった。警察はこの大失態にあわてて大捜査網を引いたが、一方は容疑者が出頭して何とか格好がつき、一方は27日現在、まんまと逃亡している。

 西の事件兵庫県西宮署で、窃盗容疑者の米沢隆美容疑者(32)巡査部長見習いの巡査2名で2階の取調室で取調べをしていた。
私は取調べを受けた経験が無いので知らないが、通常取調べを行なう場合は、部屋に鍵をかけ、かつ手錠をして逃亡を防ぐ体制をとるのだと言う。

 このときは調書の任意性の確保のために、鍵は閉めず手錠もせず、腰縄を椅子にくくりつけていただけだった。そして巡査部長が出来上がった調書をコピーしに行った隙に、見習いの巡査19歳(09年1月に警察学校を卒業して、西宮署で実習していたのだと言う)がすばやく居眠りをしたので、その隙に米沢隆美容疑者が逃亡してしまったのだそうだ。

 この巡査はまだ学生気分が抜けきらず、上司がいなくなったのをみて居眠りを始めたのだが、教室取調室が同じだと思ったのは失敗だった。。
幸いに容疑者はその後弁護士に付き添われて出頭してきたので、なんとなく格好はついたが、世の中があきれてしまったのは致し方ない。

 一方東の事件はかなり深刻で、茨城県水戸署で発生した。
この時は窃盗未遂事件で2階取調室で取調べを受けていた柘植直人容疑者(24)が、取調官に睡眠薬を一服持って、取調官が寝込んでしまった間に、2階窓から飛び降りて逃亡してしまった。

 問題は柘植容疑者がどのようにして睡眠薬を入手したかにある。睡眠薬はトリアゾラムという種類で、製品名をハルシオンといい、短時間で強く効く錠剤タイプだという。

 このハルシオンは水には溶けにくいがお湯にはすぐ解けるそうで、出されたお茶取調官が持ってきた)に、隙を見てハルシオンを投入したらしい。

 こうした手口を見ると柘植容疑者睡眠薬の扱いに相当長けており、自身が使用していたか、あるいは犯罪に使用していたのだろう。
入手したハルシオンは雑居房の同居者(睡眠薬を常時使用する必要があったというから入手したらしく、この同居者は飲むふりだけして、錠剤を柘植容疑者に渡したらしい。

 柘植容疑者はこの取調室の格子の一つをはずし、約6mの高さから、腰紐を伝わってまんまと逃げおおせてしまった。
この時は取調室の鍵はかけられていたらしいが、手錠はされてなく、腰紐がつけられていたようだ。

 それにしても不思議なのは取調室の窓枠が素手で簡単にはずせられたことである。よく映画で見る独房からの逃亡の場合は、鉄格子をヤスリで切って逃げるのだが、どうやら水戸署の格子は簡単にはずせるようだ。

 柘植容疑者は警察を逃げた後、水戸駅からタクシーに乗り、仲間のところで仲間にタクシー代と逃亡費用2万円を調達した後、さらに他の仲間の自動車でひたちなか市まで逃亡し、その後足取りがつかめなくなっている。

 どうみてもこの柘植容疑者は犯罪のプロで、仲間のネットワークがしっかりと築かれており、睡眠薬の取り扱いもうまく、取調室の弱点まで知悉して、まんまと警察官に睡眠薬まで盛ってしまった。

 なにかアルセーヌ・ルパンのような犯罪者のイメージで、もし逃亡が成功してしまったら、犯罪史上特筆に値する逃亡事件として語り継がれそうだ。

 水戸署の場合にはいくつかの問題点がある。

① 睡眠薬を簡単に牢屋のなかで入手できてしまうこと
② 取調官が取り調べ中に、睡眠薬を簡単に盛られてしまうこと
③ 窓格子が簡単にはずされてしまうこと
④ 二階から飛び降りたところを誰も見ていないこと
 

 水戸署としては一世一代の不祥事だから、どうしたらこのような世紀の失敗が発生したのか、頭を冷やして分析し、対応策を検討すべきだろう。

(21.5.21)追加 サンケイニュースに以下の記事が掲載された。

県警の発表や起訴状によると、柘植被告は昨年9月18日、水戸市住吉町で車上荒らしを試みたが、車の持ち主に見つかり自分の車を置いて逃走。その車内に柘植被告の革製のセカンドバッグが残されていた。

 その後、窃盗未遂容疑で逮捕された柘植被告。4月24日の取り調べで、取調官から証拠品として示されたのが、置き忘れたセカンドバッグ。そのとき、柘植被告はバッグ内側のサイドポケットに、昨年9月に知人から譲り受けた睡眠薬10数錠がそのまま入っていることに気づく。柘植被告は取調官の目を盗み、ポケットや机の引き出しにその薬を隠した。

 取り調べの机の上にはお茶が入った2つのコップがあった。柘植被告はすきをうかがい、睡眠薬数錠を取調官のコップの中に入れた。「一気飲みしませんか」。柘植被告がこう持ちかけると、取調官は「申し出を受けることでコミュニケーションをとれる」と思い、睡眠薬入りのお茶を飲み干した。

 調査結果を発表した宮下昌史刑事総務課長は、捜査員が事件の証拠品を調べる際にバッグ内の睡眠薬を見逃したとして、「それが今回の逃走事案につながった」と捜査ミスを認めた。

注)当初は雑居房の同居者から睡眠薬を入手したと伝えられていたが、最終的には自分が持っていたということに訂正された。


 

 

 

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(21.4.27) 中国の知的財産権強奪計画  レッド・クリフの戦い

100pxnational_emblem_of_the_people2  さすが中国だと感心してしまった。中国が国家的戦略として各国の知的財産権合法的に強奪する計画を立て、この5月1日に各国に通達するのだと言う。

 いわゆる「強制認証制度」と言うのだが、中国政府が認証しない限り、中国への製品の輸出も中国での生産・販売もまかりならないという、恐るべき制度だ。
認証してもらいたければ、全ての情報を公開しろ

 制度そのものは07年8月WTOで定めたものだが、これは医療用器具のような生命にかかわる製品が対象になるものと想定されていた。
しかし中国はこの制度を利用して、IT製品にまで認証制度を拡大し、世界の知的財産権を無料で強奪することを考え付いたのだからすごい。

かつて中国は西欧や日本の植民地主義者から土地や人民を収奪された。今度は中国が強奪する番だ。我々には富を取り返す権利がある

 対象になる知的財産権13種類で、ファイアウォールソフト、ICカードの暗号ソフト、迷惑メール撃退ソフトと言った最先端ソフトのソースコードで、それを当局に公開して、当局の審査を受けろと言う。

 実はソフトの世界ではソースコードを公開するかしないかは、経営の最重要決定事項になっている。
私たちが通常使用しているパソコンのOSの世界では、Windowsはソースコードを非公開することによって莫大な利益を上げることができたし、一方Linuxはソースコードを公開することによって、世界中のプログラマーがLinuxを修正することを可能にした。

 現在の電子機器はほとんどが高度なソフトによって制御されており、たとえば日立製作所が開発した非接触ICカードフェリカのソースコードは企業の最高機密になっている。

 こうしたICカードに内包されている暗号ソフトは世界各国の企業や研究所がしのぎを削って開発をしているソフトと言え、この世界では「暗号化ソフトを制するものが世界を制する」ともで言われている。

 そのソフトを中国は無償で公開しろと言う。驚いたのはアメリカや西欧や日本で、いわば知的財産権が国家戦略の要と認識している国家群である。
とんでもない。そんなことをすれば中国当局はすぐさまソースコードを解読し、その情報を中国の企業に提供する。そうなれば中国が世界の最先端の知的所有権国家になってしまう

 実際中国の知的財産権強奪はすさまじく、たとえばドイツのシーメンスから高速鉄道の技術を導入したが、それにほんの少しだけ手を加えた後「中国が完全に知的財産権を保持している」と言いだした。
こうしてシーメンスは高速鉄道の技術を無料でふんだくられようとしている

 だが、中国とすれば今が最高のチャンスだと思っている。「世界の景気が後退し、唯一経済成長が見込まれるのは中国だけだ。中国で商売をしたければ、情報公開するのが当然ではないか」

 特に暗号化ソフトが重要なのは、中身が分かれば世界各国のファイアウォールを破ることができ、世界の軍事・経済情報を中国がすべてつかむことが可能になるからだ。
中国が覇権国家になれるか否かは、この知的財産権強奪計画の成否にかかっている
さすが中国は戦国の昔から兵法にたけている。

 日本企業としては痛し痒しだ。対象13品目の総売上高は約1兆円と見積もられており、中国が最後のアンカーと思っている企業も多い。

 中国と先進各国とのこの闘いはWTO等を舞台に繰り広げられるはずだが、唯一の経済成長先が中国と思われているだけに、企業によってはソースコードを公開して中国政府に取り入ることもあり得る。

 はたして中国が仕掛けてきたレッド・クリフ(赤壁の戦い)を米・西欧・日本の連合軍は打ち破ることができるだろうか。

(21.4.30追加)

 中国政府は29日、強制認証制度の実施を1年間延期して、22.5.1からの実施にするとの声明を出した。とりあえず第一回目の戦いは連合軍の勝利に終わった。

 

 

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(21.4.26) 日本の金融危機の現状

Images7  日本の金融機関の決算3月が多いので、現状では見込みの段階ではあるが、それでも明らかな特徴が出ている。

 基本的に赤字なのはアメリカの金融機関と同じだが、赤字の内容が日本型とアメリカ型に分かれている。
明確にアメリカ型なのは野村HD農林中金で、一方日本型三菱UFJFG三井住友FGであり、ちょうど中間に位置するのがみずほFGという具合だ。

 アメリカ型の特色は市場部門のウェイトが高く、そのため証券化商品を多く保有したためにその評価損が大きく、経営をひどく圧迫してしまった金融機関である。

 一方日本型市場部門のウェイトが小さく、いわゆるサブプライムローンの残高は少ないが、株式の持合で多くの株式残高があったために、この株価暴落で減損処理に追い込まれ、また融資の不良資産が増大した金融機関である。
サブプライム関連の損失が少ないだけ、経営は相対的に安定しており、三菱UFJFG三井住友FGがこれに当たる。

 みずほFG
は自ら投資銀行になろうとして、ロンドンに子会社を設立したが完全に戦略が裏目に出てしまい、メガバンク3行の中で、最も収益を圧迫してしまった。中間型といえる。

 それは3月期決算の内容を比較してみれば一目瞭然で、野村HD▲7094億円農林中金(▲6100億円)、三菱UFJHG▲2600億円)、三井住友FG(▲3900億円)、みずほFG(▲5800億円)と言った具合になっている。

 もっともどの金融機関も資本増強を図らなければBIS規制に抵触しそうになって、懸命な自己資本の増強に走り出した。

 特に野村HD農林中金は資本の増強をはからないと、経営そのものが成り立たないところまで追い込まれ、野村HD約1兆3000億円(野村HDは投資銀行として資本増強を図ったが、結果的には減損処理等に使用することになった農林中金は1兆9000億円の資本増強を図った。
他に三菱UFJFG1兆円これはモルガンスタンレーへの出資90億ドルの資金調達のため)、三井住友FG 8000億、みずほFG 3000億と言った具合である。

 農林中金は自ら証券化商品を組成することは無いが、世界最大規模の機関投資家として、いわゆるサブプライム関連商品を多く保有していたため、減損処理や引当金の積み増しに追い込まれたのである。

 一方野村HDは自ら組成した証券化商品の評価損や、購入した証券化商品の価格暴落により、市場部門だけで▲5746億円前年▲2261億円)の損失を出してしまった。
またリーマンの買収費用も経営に重たくのしかかっている。
市場部門の損失は野村の損失の約8割にあたり、これはアメリカのシティグループバンカメとまったく同じ構図と言える。

 以上の結果から日本の金融機関の将来がある程度推定できる。
日本経済が回復基調に乗れば、最も早く苦境から立ち直りそうなのは、日本型の三菱UFJFG三井住友FGで、一方アメリカ型の野村HD農林中金は証券化商品のウェイトが高いため、アメリカの金融機関と同様に長い間苦しむか、場合によったら公的資金の導入が必要になるかも知れない。

 みずほFGは両者の中間だから、日本経済がすばやく立ち直れば経営は回復するが、そうでない場合はかなり苦しい経営を強いられそうだ。

 リーマン・ブラザーズが倒産したときに、与謝野大臣は「蜂に刺されたようなものだ」との認識だったが、それは日本型の金融機関の場合で(ただしスズメバチだったが)、アメリカ型の金融機関は経営の根幹を揺るがすような影響があったことが分かる。

 

 

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(21.4.25) 米金融大手6社は上げ底景気 持続する金融危機

Images8  この22日までに米銀大手6社の09年1月~3月までの第一四半期決算数字が発表された。
これによると一社を除いて大幅な黒字転換であり、前期が6社中5社が赤字だったのとは正反対の好決算になった。

 バンカメルイス最高経営責任者(CEO)は、「歓迎すべき決算内容だ」とはしゃいだが、市場は正反対の反応を示し、バンカメの株価は24%安8.02ドルまで下落し、金融株を中心に全面安になってしまった。

 金融機関の決算が黒字転換したのだから、本来なら金融危機の収束を宣言してよさそうなものだが、市場がまったく評価しなかったのには理由があり、それは決算内容が上げ底だったからである。
上げ底とはあの観光地の土産によくある上げ底のことである。

 実はアメリカ政府はこの第一四半期から時価会計基準の大幅緩和を認めることにした。
かつて失われた90年代に「日本の金融機関が駄目なのは時価会計を採用していないからで、時価会計こそは国際標準だ」と言っていたのだが、今では掌を返したように「日本の会計基準のほうが正しかった」と言っているみたいだ。

 なにしろ緩和策がすさまじい。「金融市場で取引が成立しにくくなった証券化商品については、満期まで保有することを前提に、長期的な価格で算出してよい」と言うのだ。

 簡単に言えば「取得原価でもなんでもいいから高く評価しろ」と言っているわけで、これではかつての日本の会計基準にそっくりだから笑ってしまう。
おかげでそれまでほとんどゼロと評価されていた証券化商品がたちまち通常商品としてよみがえってしまった。

 たとえばシティグループ証券化商品に起因する損失が前期比8割減の22億ドルになったが、実際は何も改善されていないので従来方式だと約110億ドル22÷0.2=110の損失だったことが分かる。
上げ底は実に88億ドルだから、これで決算が黒字にならないほうがおかしい。

 シティ第一四半期純利益は16億ドルのプラスと発表されたが、従来どおりの会計基準を適用すると、▲72億ドル『16-(110-22)=72』で、前期の▲83億ドルとほとんど同じであることが分かる。
実際は何も変っていないのだ

 他の金融機関も従来方式で評価すると、証券化商品は100億ドル前後の損失だったから、経営内容の良いJPモルガン以外はやはり赤字決算であることに変りが無い。

 そして何より市場を驚かせたのはローンに対する貸倒引当金の増加で、バンカメをはじめ各金融機関は前年同期比2倍貸倒引当金の計上を余儀なくされていた。
まずい、決算内容がいいのは粉飾で、実際は大赤字でしかも融資内容は悪化している

 今までは証券化商品の損失が主体だったのに、今度は個人ローンやクレジットカード部門の融資が焦げ付きだした

 実際IMFが先日発表した損失額推計ではアメリカの金融機関の損失額は08年10月では140兆円と見積もられていたが、09年4月には270兆円とほぼ2倍に膨れ上がっている。
半年で損失額が倍増してしまった。

 現在、アメリカ政府は19社の金融機関の特別検査を行なっており、資産内容を厳格に査定した結果を5月4日にも発表するとしている。一部には16社が実質債務超過ではないかとのうわさが流れているほどだ。

 市場はこの結果を固唾を飲んで見守っているが、この第一四半期の上げ底決算を見ると、公的資金の投入が必要な金融機関が増加することは間違いなさそうだ。

 金融危機はいまだ収束していないと言える

 

 

 

 

 

 

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(21.4.24) 千葉市炎上

Images  私が住んでいる千葉市炎上し始めた。千葉市長鶴岡啓一氏が、市道の拡張工事に伴う入札の便宜で、警視庁捜査第2課に昨日(22日)逮捕されてしまった。

 新聞報道によると鶴岡市長は東京都江東区にある東(あずま)起業から、千葉市の土木事業の指名業者に選定されるように依頼を受け、その見返りに100万円のワイロを受け取ったのだという。

 この業者は首尾よく指名業者になった後、入札予定の他の9社と談合して東起業が受注できるように金額調整をし、05年10月約4000万円の工事を受注した。通常は他の9社の名簿は秘密にされるのだが、談合しやすいように千葉市は東起業に名簿をもらしたのだと言う。

 鶴岡市長については、「金に貪欲な印象はない」「まじめで堅実な役人タイプ」と言われており、市民ネットの福谷議員も「お金については不正はないと信じていたので逮捕は非常に残念」とコメントを述べているくらいの人だ。

 常識的には鶴岡市長に限って収賄容疑で逮捕されることなどありえないと思っていたので、ほとんどの人にとって晴天の霹靂と言う感じだ。

 今回の鶴岡市長逮捕劇の発端になったのは、東起業内部の内紛に伴う警視庁への垂れ込みである。

 東起業の千葉支店長はとてもやり手ではあったが、いわゆる裏金によって代議士や県会議員、および市役所に取り入っていたと言う。
本人の言葉として「5000万~6000万は発注者側に渡した」と言うのだから、今回の100万はその内のほんの一部ということになる。

 しかしこうした金は領収書など取れないので、しばしば贈賄側の千葉支店長もネコババすることができ、東起業の経営者にとってはなんとも、信頼が置けないことになる。
ちゃんとリベートは市長に渡っているのだろうか

 疑心暗鬼が嵩じてついにこの千葉支店長は首になってしまったのだが、こうした措置に憤った元支店長は証拠書類を持って警視庁に「おおそれながら」と訴え出てしまった。

 鶴岡市長にとっても今回の逮捕は晴天の霹靂だったろう。まさか信用していた東起業側から情報が漏れるとは露ほども思っていなかったに違いない。

東起業は談合により市から多くの便益を受けているし、会社がそうした裏情報を警視庁に流すはずが無い。
また金額的には100万(他に有るのかもしれないが)程度であり、贈収賄事件としては規模が小さすぎる


 だが、「堅実」の誉れ高い鶴岡市長としても東起業で内紛が起こり、元支店長が垂れ込みをするとまでは予想できなかったに違いない。
あと2ヶ月で勇退と言うのに何と言うことだ」歯軋りする思いだろう。

 確かに本件逮捕には鶴岡市長ならずとも非常な違和感がある。
一番の違和感は元支店長が「5000万~6000万は発注者側に渡した」と言っているのに、100万程度の千葉市長がなぜ槍玉に挙げられたかである。

 もうすぐ勇退するので逮捕しても問題ないと警視庁が判断したのだろうか。
もっともこの事件はどうも100万程度では終わりそうも無い。警視庁には次のターゲットの名簿が用意されているはずだから、東起業から甘い汁を吸った人は枕を高くして眠れないことだけは確かだ

 

 

 

 

 

 

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(21.4.23) 裁判員制度と毒物カレー事件

Images6  裁判員制度は、この5月21日以降に起訴される事件が対象となるが、裁判員制度の運用にとって象徴的ともいえる事件の判決が昨日(21日)、最高裁から出された。

 それは和歌山市で1998年7月に起きた毒物カレー事件のことで、殺人罪に問われた林真須美被告の上告を、最高裁が棄却し死刑が確定した裁判のことである。
象徴的というのは、この裁判がもし裁判員制度の対象になっていたら、裁判員にとって最も困難な判断を要求された裁判だったはずだからだ。

 この裁判においては直接的な証拠は存在せず状況証拠だけであり、検察側は状況証拠を積み重ねることによって、林被告の有罪を勝ち取った。
 
 これは従来の刑事裁判においてはありえなかった判決であり、たとえばロス疑惑三浦和義被告は無罪になっている。
疑わしきは被告の利益に」というのが刑事裁判の原則で、この原則に従えば「直接的な証拠がない」以上林被告は無罪になってもおかしくなかった。

 しかし判決では以下の状況証拠があれば林被告が犯人であることが明確だと断定したのである。

① カレーに混入されたものと成分の特徴が同じヒ素が被告の自宅などから見つかった。
② 被告の毛髪からヒ素が検出され、ヒ素を取り扱っていたと推認できる。
③ カレー鍋に混入する機会があったのは被告だけで、鍋のふたを開けた姿が目撃されている。

 そして「これらの状況証拠を総合すれば、被告が犯人であることは、合理的な疑いを挟む余地が無い程度に証明された」と言う。

 問題はもしこの裁判が裁判員制度のもとに行なわれたとしたら、果たして林被告は有罪になったかどうかである。
各人が自分が裁判員になったと仮定して、シミュレーションをして見て欲しい。

 おそらくかなりの人が、状況証拠だけでは有罪を確定できず、「疑わしきは被告の利益に」というのが刑事裁判の原則だから、林被告は無罪と言うのではなかろうか。

 裁判員には大きく分けて二つのタイプが存在する。
① 原則派
  従来の原則や判例のとおりに判断する。この場合は林被告は無罪。
② 庶民感覚派
  法律や原則は無視して、自分が得た感度で判断する。この場合は林被告は有罪。

 なお、私の判断は上記の庶民感覚派林被告は有罪である。
その最大の理由が、林被告が常習的なヒ素を使用した保険金詐欺者だったことにある。

 明確な事件では夫の健治と共謀し、保険金詐欺目的で知り合いの男性をヒ素をもちいて殺害しようとしたこと健治は既に刑が確定し服役中)。

 また夫の健治をヒ素を用いて殺害しようとしていたと推定されること(日頃から「健治が死ねば、保険金もぎょうさん入ってくるし、そしたら子どもと一緒に自由気ままに暮らんや」と言っていたとマスコミで報道されていた

 今回の事件では動機は解明されていないと言うことになったが、これは検察が言うように「事件当日、他のお母さん方から非難されて激高した」と言うのが実情だろう。

 しかし激高したとしても、カレーにヒ素を入れると言うようなとっさの判断は、日常的にそうしたことをしている人でないととてもできるはずがない。
殺人方法はその人が最も熟知している方法を使用する

 普通の主婦が見たことも無いヒ素を見つけてきてそれをカレーに入れるはずがないから、林被告はやはり有罪と言うのが、私が裁判員であった場合の判断だ


 

 

 


  

 

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(21.4.22) 村田川のこいのぼり 瀬又地区

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 この時期になると村田川沿いに瀬又まで行き、瀬又のこいのぼり見るのが年中行事になっている。
私の住んでいるおゆみ野からは四季の道を経由し、ちはら台かずさの道を通って村田川に下ると、川沿いに自転車道が整備されていて、とても気持ちの良いJOGができる。

 瀬又までは距離にして6~7km程度だと思われるが、四季の道、かずさの道、村田川の堤と最高のJOGロケーションだ。
ただしこの時期になると冬眠していたヘビが一斉に活動を始めるため、村田川の堤を走るときは地面をしっかり見て走らないといけない。

 間違って踏みつけたりすると、逆襲にあって手痛いしっぺ返しを食らってしまう。ほとんどがヤマカガシだが、マムシもいるので注意だけは怠れない。

 通常は走っている場合はヘビもこちらの足音で人が来ることが分かり、草むらに逃げてくれるのだが、自転車の場合は音がしないのとスピードがあるためか、もう少しで踏みつけてしまいそうになる。

 そうした時は蛇も私も悲鳴をあげて大騒ぎになってしまう。また村田川沿いにはヘビだけでなくが多く生息しており、急に傍らから羽ばたいて逃げていくと、こちらの方が一瞬驚いてしまう。
しかしこうした自然が残っているのが村田川で、その上流域に瀬又がある。

 この瀬又地区こいのぼりの川渡し始めたのは平成8年のことだそうで、今から12年ほど前のことだからそんなに昔ではない。
河川改修で村田川が整備されたのを機会に、瀬又清流会が組織され、その行事の一環してこいのぼりの川渡し始めたのだそうだ。

 当初は7匹程度のこいのぼりから出発したが、今では100匹以上(数えたわけではない)いそうだ。すべて寄贈されたものだと言う。

 先週、おゆみ野から瀬又を通り、土気の昭和の森公園までJOGをしたときに写真を撮ってきた。昨日(20日)は、Googleおじさんに四季の道であったのだが「これから瀬又までこいのぼりを見に行く」のだと言っていた。
この時期の風物詩として瀬又のこいのぼりは完全に根付いてきたようだ。

瀬又のこいのぼりの写真です。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/2141902?authkey=Gv1sRgCKqc0KuA4cHxcw#

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(21.4.21) 人間臨終図巻  山田風太郎

519raxjvz8l_sl500_aa240_1  私がこの本の所在を知ったのはNHKが放送している「私の1冊 日本の100冊」シリーズをたまたま見たからだった。
仲畑貴志氏というコピーライター(私は仲畑氏のことは知らな)が選んだ1冊がこの日本臨終図巻で、放送ではその一部を朗読していた。

 私はその放送を何気なく聴いていたのだが、内容を知ってビックリしてしまった。この本では日本人を含めた著名人923人のまさに死に際を、年齢別に記載しているのだが、一番目が15歳で火あぶりの刑に処せられた八百屋お七であり、二番目が赤穂浪士の討ち入りに父とともに参加し、15歳で切腹した大石主税になっていた。
こんな本があるんだ」奇書といっていい。

 著者の山田風太郎氏については、私は忍法帖の作者としか知っておらず、若い頃特にエロチックな「くの一忍法帖」を読んで、「こんな素晴らしい忍法で殺されるのなら殺されてもいいのじゃなかろうか」と思ったのを覚えている。

 したがって山田氏が日本臨終図巻のような本を書いているとはまったく知らなかったが、人間の臨終などと言う特異な内容だけを集めて本にしてしまう執念には驚き入る。

 それぞれの年代の最初に、気の利いた文書が挿入されていて、「十代で死んだ人々」の欄には鴨長明知らず、生まれ、死ぬる人、いずかたより来たりて、いずかたへか去る」であり、山田氏本人もところどころに「人は死んで三日たてば、300年前に死んだのと同然になる」と言うような警句を差し挟んでいる。

 私がこの本を是非読んでみたいと思ったのは、私自身が還暦を過ぎ、いつ神様のお迎えが来てもおかしくない年齢になったからである。
やはり、死に方についても、余り往生際が悪いのは問題だろう
先人の死に方を見て研究する気になった。

 人間臨終図巻は全3冊になっていて、第1冊15歳から55歳で死んだ人が対象になっている。私はすでに62歳であり、ここに記載されている人々は私より早世した人たちばかりだ。
今日までに私が読んだのは32歳までに死亡した65名の臨終の模様である。

 若すぎた死は不慮の死か病死(日本の場合は結核)による死が多く、何かとても憐憫の情が沸き起こってしまい、私が目指している静かな往生の対極にある話しばかりだ。

 対象は古今東西の有名人ばかりでなく、中には藤村 操(みさおのように、明治36年、17歳日光華厳の滝に飛び込み自殺をした人の臨終の模様もある。
藤村は「巌頭の感」という遺書を残し、その当時の多感な青年に強烈な影響を与えた。

・・・・既に巌頭に立つに及んで、胸中何らの不安あるなし。始めて知る。大いなる悲観は大いなる楽観に一致するを
私にはこんな台詞は、この年になっても書けそうもない。

 また山口二矢(おとや)と言えば、昭和35年、当時人気絶頂だった社会党委員長浅沼稲次郎氏を短刀で殺害した右翼の少年で、この殺害の模様はニュースで大きく取り上げられた。

 当時私は14歳中学2年生だったはずだが、その映像を見て信じられないような思いをしたものだ。
当時の学校教育では「反戦思想を唱えるのが正義で、その反対の立場は戦前への道」だと教えられていたので、浅沼稲次郎氏の死は暗い戦前への回帰のような印象だった。

 それだけに山口二矢に対し、非常な憤りを覚えたものである。
山口二矢を死刑にしろ」そんな気持ちだった。

 しかし臨終図巻に記載されている山口二矢の警視庁での態度は「取調べのないときは、雑居房で座禅を組み、瑣末な食事を合唱して食べ、朝はいつも皇居に向かって礼拝していた」のだという。

 その後17歳のその少年は少年鑑別所に移送されたのだが、そこでシーツを首にかけて首吊り自殺をした。
残された遺書は「七生報国 天皇陛下万才」であり、山田氏は「彼は戦争中の少年が、15年を経て不死鳥のごとくよみがえったような少年であった」と記している。

 私のイメージはイスラム過激派の少年が、身体に爆弾を捲きつけて自爆するような印象だ。

 この本は一度読み始めると中断するのがとても至難の本である。死に方と言うものが人生において生きかたと同じくらい重要な位置づけにあるからだと思うが、特に私のように神様のお迎えが近い人間はひときは必読の書と思われるからである。。

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(21.4.20) おゆみ野の森の春まつり

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 今日(19日)はおゆみ野の森2周年記念春まつりが行なわれた。快晴の素晴らしい天候にも恵まれ、400名近くの住民が集まってくれた。昨年は300名程度だったからにぎやかになったものだ。

 想定人数は350名だったので、用意したフランクフルトソーセージピザが足らなくなるのではないかと、裏方のOさんが心配して急遽買出しに行った様だ。

 私は昨年は単なる参加者だったが、今回はスタッフの一員だったので、JunJun姉さんの号令で、何回かの会議や、孟宗竹の切り出しや、前日の荷物運びや清掃を行なった。
山崎さん、必ず来てくださいねJunJun姉さんはとてもすてきなお姉さんなのだが、人使いがあらい。

 もっとも今回は、私が担当の縄文式マラニックや混声合唱団Tomorrowの合唱があったりして、実に楽しかった。Tomorrowの指揮者の女性は指揮だけをするのかと思っていたら、最後の2曲を観客を含めた全員で歌った時、飛び切り素晴らしい透き通るような発声で歌っていた。

 縄文式マラニックは縄文人の服装で森の中を雄たけびをあげながら走り回るのだが、幼児コース200m、小学生コース500m、お母さん用コース1000m、お父さん用コース1500mを設計してみた。
この森はほぼ3haなのだが、上り下りのアップダウンが厳しいコースや、森の草原を疾駆できる1周500mの周回コースが設定できる。

 2月に行なったおゆみ野駅伝のノウハウが効いて、事前にアスファルト上にテープで矢印を貼り付けたり、森の中に矢印をつけたりする作業はお手のものになっていた。
それに何より駅伝の時のスタッフがまた手伝ってくれたので、運営は至ってスムーズにできた。

 マラニックの参加者も多く、森に来てくれた子ども達や、お父さん、お母さんが森の中を疾駆する姿は壮観なものだ。
いやー、すごい。こんなに多くの人が走っている」感激した。

 私はすっかりテンションがあがり、オータム姉さんが作ってくれた弓矢を左手に、メガホンを右手に持って雄たけびを上げながら走り回ってしまった。気持ちは縄文時代人が狩をしている雰囲気だ。

 大人たちはビックリしたようだが、子ども達は私の知能が幼児並だと分かったらしく、すっかり子どもの人気者なってしまった。私の両手に子ども達がぶら下がり、頭を突っついたりして幼児仲間に入れてくれた。

 おゆみ野の森では、実に楽しいひと時が過ごせたのだが、帰宅すると疲れていつものように2時間程度寝込んでしまった。森ではあれほど元気溌剌だったのに、家に着いたとたん、寄る年波が襲ってくる。
うぅーん、これが年というものだ」一日中元気と言うわけには行かない。

春まつりの写真を掲載します。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/21419?authkey=Gv1sRgCMWzzejL7-_kfQ#

また、私が所属しているちはら台走友会のSさんが、飛び切り上手な写真を撮っていましたので、転載させていただきました。
http://picasaweb.google.co.jp/bxk00042/hhTqhB?authkey=Gv1sRgCO-cg-O7tMXYtQE
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(21.4.19) 八ッ場(やんば)ダム建設計画について

Ol_map1  最近行なわれた千葉県知事選挙の争点の一つが、八ッ場(やんば)ダム建設計画の是非を問うものだった。
私自身は八ッ場(やんば)ダムについて今までまったく知らなかったし、千葉県のほとんどの有権者もこの選挙で争点になるまで、知らなかったのではないかと思う。

 そもそもこのダムがどこにあるのかも分からなかったし、何の目的で建設されるのかも知らなかった。
しかし候補者の吉田氏も、西尾氏も建設計画に反対で、建設が中止されれば760億円の千葉県の負担金が要らなくなるとの説明だった。

 当選した森田知事は選挙期間中は態度を明確にせず、「当選後に情報を集めて精査する。軽々には判断できない」と言っていたが、選挙が終わって6日後に「治水、利水の両面からやらなければ駄目だ。早期完成に向け千葉県も賛同したい」と態度を明確にした。

 実に速い精査に選挙民は驚いたが「実は基本的に賛成だった」と本音を漏らした。

 調べてみると八ッ場(やんば)ダム建設計画は日本のダム建設の中でも屈指の反対運動がなされてきたダムであることが分かる。
そもそもの始まりは1949年の「利根川改定改修計画」からはじまったというのだから、60年も前のことで、私がヨチヨチ歩きの頃だ。

 八ッ場(やんば)ダムの建設予定地は利根川の支流、吾妻川吾妻渓谷の中間部に予定されていた。地図で確認すると分かるが草津温泉の近くで、長野県に近い。周りは温泉郷と言える。
このダム建設計画は一旦中断されているが、近くの温泉街から流れ出る水が強酸性で、とても飲料水として適さなかったからである。

 計画が再び持ち上がったのは1965年に「草津中和工場」ができ、吾妻川の水質が改善されたからである。
良し、これなら飲料水としても使用できる。ダムを建設しよう
1967年に建設省はダムの建設を決定した。
この計画が実現すると、1億トン級の水がめができ、首都圏の水対策として万全だと言うのが建設省の説明だった。

 しかし八ッ場(やんば)ダム建設には地元の長野原町で大反対が起こった。最大の理由は水没するのが長野原町河原湯温泉街なのに、固定資産税はダムがある吾妻町に入ることになっていたからだ。
犠牲を払うのが長野原町なのに、固定資産税は吾妻町か

 あまりに反対運動が激しく、建設省の役人は河原湯温泉街に足を踏み入れることもできなかったと言う。
さすがに政府としても公平性の原則にかけると判断して、1973年に「水源地域対策特別法」を制定し、受益を受ける下流部の地方公共団体に負担金を科すことにし、それを財源に犠牲を払う市町村に生活再建案を提示することにした。

 これが千葉県知事選挙で争点になった負担金760億円のことである。
これにより長野原町周辺道路JR吾妻線、および代替地の整備が進むことになったため、さすがの反対運動も収束し、1992年には「ダム建設推進を前提にした協定書」が長野原町、群馬県、建設省の間で締結された。建設省が建設を決めてから25年後に当たる。

 1994年以降は順次道路の建設が進み、住民の代替地の建設も進んだが実際は代替地に住む予定の人は当初予定の5分の1程度になってしまった。住民は長野原町から移転し、都会に移り過疎化が進んでいる。

 現在はダム本体の建設にはいまだ着手されておらず、もっぱら周辺の道路JRの付替え工事、および仮排水工事が行なわれており、完成は当初予定の2010年から2015年に延長されている。

 このダム建設史上最長といえる期間をかけて建設している八ッ場(やんば)ダムについて森田知事治水、利水の面から必要と説明しているが、これに対しては有力な反対意見がある。

 治水については建設省(現国土交通省が進めた、大規模堤防(スーパー堤防により水害の危険性は大幅に緩和されと当の建設省(国土交通省が説明していること、および利水についても飲料水は基本的に首都圏では足りていて水需要が減少していることがあげられている。

 また建設費用は4600億円といわれているが、基金事業費起債の利息を含めると8800億円相当と試算され、さらに千葉県の負担金が増加する可能性があることである。

結局、建設会社を儲けさすためだけのダム建設で、治水も利水も本当は必要なく、千葉県を含む下流部の都道府県の負担が増すだけではないか」というのが有力な反対意見となっている。

 これに対する森田知事の説明はまだされていない。


別件 

本日10時よりおゆみ野の森で「春まつり」が開催されます。
場所は京成学園前駅の隣です。
縄文式マラニックを行ないますので、是非参加してください。



 

 

 

 

 

 

 

 

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(21.4.18) 高橋和巳の残した遺産

51apyjm2byal_sl500_aa240_1  久しぶりに高橋和巳の話題が出たのは、河村義人さんの読書会で次回のテーマ本を何にするかと検討したときだ。
この読書会には40才台から50才台の始めの人が多いのだが、いずれもかつては高橋和巳の小説に深い感銘を受けた人たちだった。

でも、もういいわ、あの小説はOさんが笑いながら言ったが、その場の雰囲気は「確かに優れた小説家では有るが、テーマが重過ぎてこの年代になるととても読む気がしない。もっと軽い小説の方がいい」と言うものだった。

 高橋和巳39歳の若さで結腸癌で死亡したのは1971年のことだから、それからすでに40年余り経ったことになる。
今では高橋和巳の小説は人気がなく、すでに文庫本は本屋に行っても見つけるのが難しいらしい。

 しかし私が大学生から社会人になった昭和45年前後は、最も人気のある小説家の一人であり、特に全共闘運動の支持者として学生の間では圧倒的に支持されていた。そして高橋和巳の早すぎる死は、多くの人々に衝撃を与えたものだ。

 私が始めて高橋和巳の小説を読んだのは大学生の時で、寮生活をしていたT君の本棚の中にあった「憂鬱なる党派」だった。その時まで私は高橋和巳の名前は知らなかった。
この小説面白いかい。題がすごいね
まあ、面白いとはいえないが、読んでみる価値はあるT君の説明だった。

 読んでみて心底驚いたのを覚えている。私はそれまで井上靖北杜夫サマーセット・モームの小説を読んでいたが、こうした作家がかもし出す明るいユーモアにあふれた世界がことのほか好きだった。

 しかし高橋和巳の世界はこの対極にある、暗黒の胃がきりきり痛むような、言葉通りの「憂鬱な」世界だった。
小説は楽しむために読むものと思っていたが、このとき始めて「気持ちを暗くするために読む」小説があることを知った。

 この小説では60年安保の闘士が次々と挫折して、全員が精神的にも実質的にも野垂れ死にしていくのだが、救いがないと私には思われた。
余り好きになれないな」T君にそういってこの本を返却したのを覚えている。

 しかしその言葉とは裏腹に、その後私は高橋和巳の世界に引き込まれ、この作者の全ての小説と評論を読んでいる。

 なかでも高橋和巳の代表作である「邪宗門」は繰り返して読んだものだ。この小説は「ひのもと救霊会」という宗教団体が、帝国日本とその後の支配者である進駐軍と闘わざる得なかった戦前、戦中、戦後の歴史を描いた、一種の大河歴史小説といえる(モデルは大本教の弾圧史であるが、小説は完全にフィクションである)。

 高橋和巳の脳裏には「邪宗門」は日本史のエポック(帝国日本の崩壊)を描ききった小説と言う位置づけであり、これに匹敵する小説は幕末から明治初年の激動期を描いた島崎藤村の「夜明け前」しかなかったことは確かだ。

邪宗門」とは一言で言って敗北史である。

 戦前・戦中と「ひのもと救霊会」が弾圧を受けたのはその宗教が「強烈な終生観、宿命論を持って世直しを標榜した」からであり、「原始共同体的な自給自足の生活」が戦前日本の天皇を中心とする挙国一致体制と対立したからと言える。

 そして戦後は世直しの主体となると期待した進駐軍が、単に新たな支配者であり、世直しの対極にあることに気付いて絶望的な革命を起こし、集団自殺のように滅亡していった歴史を描いていた。

 なんとも悲しく、ただ敗北するために生きているような人々ばかりが出てくるこの小説は、その後の高度成長と日本の国力の向上につれて誰も読まなくなったようだ。
実態と描かれた歴史観が、あまりに違うではないか」それが率直な印象だったのだろう。

 実際高橋和巳はその後全共闘運動に肩入れし、中国の紅衛兵運動を「精神革命」と評価することによって思想的に挫折し、中国の4人組と同様に歴史から断罪されてしまった。

 私は高橋和巳の思想、特に紅衛兵運動の評価は明らかに間違いだと思っているが、高橋和巳が「邪宗門」で試みた「小説を歴史として書く」態度は高く評価している。

 少なくとも戦前、戦中、戦後の歴史、わけてもその精神史(小説は精神をえがいたものだからを始めて知ったのはこの「邪宗門」を通してであり、高橋和巳が目指した島崎藤村の精神史(幕末から明治の初年を描いた「夜明け前」に匹敵する業績だと思っている。

 そして今、社会主義国が崩壊し、その後に起こった強欲資本主義も崩壊した激動のこの時代は「江戸から明治」「戦前から戦後」に続く「資本主義からそれが崩壊する時代」にあたり、この時代を高橋和巳にならって精神史として描ききることが求められていると私は思っている。

邪宗門」も「夜明け前」ももはや読まれることの少ない小説ではあるが、そうした小説を残しておくことが日本人の精神史にとって重要で有ると言う認識、それこそが高橋和巳が残した遺産だと思う。

 

 

 



 

 
 

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(21.4.17) 竹取物語   JunJun姉さん奮闘記

2009041410170000

 最近は何か新しい経験ばかりしている。今度は孟宗竹の切り出しと、たけのこ狩りをすることになった。
この19日(日)に、おゆみ野の森春まつりが開催されるのだが、そこで孟宗竹でポックリを作ることになった。その材料集めだ。

 春まつりの実行委員の一人であるJunJun姉さんから、竹の切出隊に参加するように号令がかかった。私はおゆみ野の森ではJunJun姉さんの部下のようなものだから一も二もなく参加しなくてはならない。

 場所は印旛沼を見渡せる「印旛沼サンセットヒルズ」の竹林だと言う。
ここはNPO法人が管理運営しているのだが、おゆみ野の森インストラクター佐々木さんがかかわっていて、自由に竹の切り出しができる場所なのだそうだ。

 刈田郷に住むUさんご夫婦と、私とかみさん、それに小太郎姉さんJunJun姉さん佐々木さんの7名で出かけた。切り出した竹を自動車で運べる大きさに切って、それを車2台で運ぼうと言う計画だ。
おゆみ野からは約1時間でいける。

 印旛沼サンセットヒルズ佐倉市に有るのだが、佐倉市は歴史の宝庫のようなところだ。近くには国立歴史民族博物館佐倉城址公園があり、印旛沼の湖畔も美しく散策には事欠かない場所だ。
印旛沼は江戸時代、田沼意次が開拓に乗り出し失敗した場所としても有名だ。

 「印旛沼サンセットヒルズ」と言う名前は、ここから印旛沼が一望に見渡せ、特に夕日がことのほか美しいので、この名前がつけられたのだそうだ。
元々はオートキャンプ場として整備されたのだが、テニスコート野鳥の森があり、この森の中に目指す孟宗竹がある。

 私は竹を切ったのは初めてだったが、直径10cm長さ10m以上もある竹を切り倒し、それを自動車で運ぶ大きさにさらに切ったのだが、汗だくになってしまった。

 ところがこの2~3m程度にきった孟宗竹を運び出そうとして頭を抱えた。この森は自動車もリヤカーも入ってこれない場所だから、人力で運び出さなくてはならない。
この森を管理している責任者に相談したところ「あんたがた、竹は運び出してから細分化するのが効率的で、ここで切ってしまったらみんなで担いで運ぶより仕方がないじゃないか」と言われてしまった。

うぅーん、運搬方法一つでも工夫がいるのだ」勉強になったが、仕方がないのでみんなで肩に抱えてリアカーのある場所まで運ぶことになった。
再び汗だくだ。

 こうして、おゆみ野の森春まつりで使用する孟宗竹の確保はできたのだが、期待の竹の子はすでに誰かが掘り出してしまっており、JunJun姉さんがやっと一つ見つけただけだった。

 孟宗竹の切り出しが終わり、「やれやれこれで一仕事が終わった」と思ったら、JunJun姉さんから金曜日と土曜日に春まつり事前準備があるので手伝うように言われてしまった。

 私はJunJun姉さん恩義我が家は貧しくJunJun姉さんが作ってくれるパンを食べて生き延びている)があるのだが、なんとも人使いの荒いお姉さんに仕えてしまったものだと思っている。


竹の切り出し作業の写真です。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/21414?authkey=Gv1sRgCLjsza32x5LI_wE#

 

 

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(21.4.16) タイの政局は不思議の国のアリス タクシン派の4日戦争

Images4_2   タイの政局は通常の日本人の理解を超えている。なにしろASEAN首脳会議が開かれていた11日、反政府のデモ隊数千人(タクシン派)が会議中のホテルに乱入したが、警備の警官隊も軍隊もまったく何もせずに放って置くのだから驚く。

 おかげでASEANの各国首脳はヘリコプターで会場を逃げ出さざる得なかったが、きっと各国首脳にとっても一世一代の経験だったろう。
何で我々が群集に追われて、ブルボン王朝末期の皇帝のように逃げなくてはならないのだ。タイの警備当局は我々を警備する気持ちがないのか」怒りで頭にきてたはずだ。

 麻生首相はたまたま会議場とは別のホテルにいたが、ASEAN会議に引き続いて行なわれる予定だった拡大ASEAN会議も、16カ国東アジアサミットも全て中止になったため、急遽帰国の途についた。
しかし考えてみれば16カ国もの元首を呼び集めておきながら「帰ってくれ」とはタイ政府もひどいものだ。

 日本政府は正式にタイ国政府に抗議はしていないが、間違いなくこれは歴史的な失態と言える。
二度とタイで国際会議を開催するのは止めよう」そう思ったはずだ。

 今回のデモ隊はタクシン元首相率いるタクシン派が組織したものだが、昨年の末までは政権を維持していた。このタクシン派を強引に政権から引き摺り下ろしたのが現政権のアピシット首相率いるアピシット派だが、今度はタクシン派に意趣返しされたものだ。

 翌12日になるとヘリコプターで逃げたアピシット首相内務省の建物に隠れていたのだが、再びデモ隊に襲われた。
今度は首相は内務省の建物から自動車で逃げたが、その自動車を群集が襲う場面が世界に放映された。

 画面ではこの時も、逃げ惑うアピシット首相守る警官も軍隊もいなかった。
一国の首相がまったく警護もされず、ただ逃げているだけなのだ。
これでは武田勝頼が織田・徳川連合軍に攻められ、妻子と一部の郎党だけで逃げ惑い、最後に天目山で自決したのと同じではないかと思ったものだ。

 アピシット首相がようやく反撃に出たのが12日の午後で、バンコック周辺に非常事態宣言を出し、ソンキッティ軍最高司令官が直接デモ隊の鎮圧に向かうことになった。
これですぐさま軍隊がデモ隊を排除するのかと思っていたら、実際はデモ隊を遠捲きにして見守っていただけだった。

 状況が一変したのは13日で、この日デモ隊と市民との小競り合いで市民2名がデモ隊に射殺され、これで軍隊もやっと本腰を挙げてデモ隊を排除することにしたらしい。

 タイでは「死者が出るまでは何もしない」という不文律が軍隊にも警察にもあるようで、デモ隊が各国首脳がいるホテルを襲おうが、また首相を襲おうが死者が出ない限り(警察も軍隊も中立を守り)実力行使をしないのだという。

首相が万一死亡することがあれば、そのときはデモ隊を排除します」と言うのだから、恐るべき不文律だ。

 これが微笑みの国タイの実態なのだから、日本人の感覚からは理解の限度を越えている。
日本では洞爺湖サミットの期間中、周辺の道路を機動隊が厳重に封鎖し、蟻の這い出る隙も与えなかったが、しかしそれが各国元首に対する警備の基本だと思う。

 今回の一連の騒動や昨年末の空港占拠を見ても、タイでは国内事情が優先されて、ASEAN首脳会議などよりタイの国民の生命が大事だとの判断だ。

 しかしそのために外国の首脳の警備を放棄したり、警備当局が首相をまったく守ろうとしないのはいくらなんでも国際的な常識の線を越えている。

 14日に入り、首相府を取り巻いていたタクシン派は突如抗議デモを中止して解散した。タクシン派市民2名を射殺したため、軍隊がデモ隊を強制排除すると通告したからだ。
世論はすっかりタイ国民の命を奪ったタクシン派に冷たくなり、軍隊が明確に現政権のアピシット派についた。

 デモ隊の指導者数名が投降し、タクシン派の4日戦争は終わった

 しかしタイとは実に不思議な国だ。これほど自国民を大事にし、一方で外国の元首をなおざりにする国は珍しい。

 

 

 

 

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(21.4.15) 文学入門 その7 「生きづらさ」について

31zpakb0cul_sl500_aa240_1_2   私は河村義人さんが主催している読書会に参加しているが、今回のテーマ本は「生きづらさについて」という本で、雨宮処凛(あまみやかりん)さんと萱野稔人(かやのとしひと)さんの対談集だった。

 この本を選んだのはOさんだが、Oさんが選択する本は一種独特の本で、もし私が読書会に参加していなかったら一生読むことはなかったと思われる本ばかりだが、今回もそうだった。

 いつものように私は雨宮さん萱野さんのことも知らなかったが、雨宮処凛さんは自伝「生き地獄天国」で作家ビューした女性で、「現在は職も心も不安定さにさらされている人々(プレカリアート)の問題に積極的に取り組んでいる」人だという。

 プレカリアートとは聞きなれない言葉だが、Wikipediaによると「プレカリアート(英precariat)とは、「不安定な」(英precarious)という形容詞に由来する語句で、新自由主義経済下の不安定な雇用・労働状況における非正規雇用者および失業者を総称する言葉」だという。
 一言で言えば先進国における貧乏人の総称のようなものだ。

 一方萱野さんはパリに留学した後、津田塾大で准教授をされているかたで、著書に反権力的なものが多く、左翼的インテリと言う印象だ。

 本自体は対談集であるので、決して読みづらいということはない。読んでみるとこの対談集は、どちらかと言うと萱野さんが雨宮さんに聞くという形式をとっており、萱野さんが学者として話をまとめている。

 雨宮さんの経歴は特異だ。これもWikipediaによると概要以下のように記載されている。

思春期にいじめ、不登校、家出、自殺未遂の経験をもち、10代後半にはヴィジュアル系バンドの追っかけをくり返した。一時期人形作家を志すが、自身の健康問題により挫折、リストカットを繰り返す日々が続いたという。

大学受験の際、美大を2浪し、浪人の際アルバイトをしていたが数日で解雇されることが連続したことで自暴自棄になり、オーバードーズで自殺未遂を経験した。

20歳の時、自身の生きづらさから「今の日本はおかしい」という違和感に駆り立てられ、右翼活動に身を投じる。

日本国憲法前文を読んだことがひとつのきっかけで、右翼思想に疑問を抱くようになり、「自分が目指していたのはこんなものではない」と、右翼思想からは一定の距離を置くようになった。

その後「生きづらさ」の原因の一つに新自由主義の拡大があると考えるようになり、自ら「左傾化した」とも表明した

 日本の底辺で生活し、右翼と左翼の思想に惹かれ、思想遍歴をしている女性と言う印象だ。

 今回の対談集は主として新自由主義こそが「いきづらさ」の原因であり、そのために日本の底辺を形成する若者が精神的・物質的貧困層プレカリアート)に追い込まれていると主張する。

 新自由主義とはサッチャー革命とかレーガン革命とか呼ばれた、資本の活動を世界レベルで推し進めた右派運動で、日本では小泉首相が推し進めた構造改革路線のことである。

 これにより世界市場は一体化し、資本は最も安価な労働力を求めて中国や東南アジアや東欧諸国に投下され、一方余剰資金は石油や金や穀物に投資されて世界的なバブルを引き起こした。
現在引き起こされている金融恐慌の引き金を引いた保守革命と言っていい。

 このため貧富の差が急拡大して、日本の若者は勝ち組と負け組に分かれてしまい、負け組は世界の低開発国並の生活水準に落とされた、と雨宮さんは気づいたと言う。

 これはまったく正しい認識だと私も思う。ただしそれだけの話ならば、経済関連の総合雑誌を読めばどこにでも記載されている。

 この本の特色は雨宮さんがその負け組の代表のような存在であり、負け組の人間がどのような精神遍歴を示すかの告白(自伝「生き地獄天国」に詳しい)であるからだ。

 負け組の条件としては、① コミュニケーション能力が不足し、それゆえ高度な仕事ができないこと、② 他者からの承認が得られないため、精神的に不安定になり、他の代替手段をとっていること、なのだそうだ。 

 雨宮さんは当初右翼運動に参加するのだが、なぜ貧しく虐げられた人が右翼運動に傾斜するのか、それは「自己表現力が乏しく落ちこぼれた人の、残された唯一の存在表現が日本人だ」ということから来るのだと言う。

 実はグローバル化した社会では、これはどこにでも起こっている現象で、ヨーロッパのネオナチ運動に典型的に現れており「国家は我々を救うべきでないのか。なぜ国民でなく外国人を優先するのだ」という叫びになる。
昔風に言えば「われわれローマ市民はパンとサーカスを享受する権利を皇帝から認められたはずだ」ということだ。

 グローバリズムの世界で外国人を優先するのは、単に賃金が安いという資本の論理から来るのだが、「外国人に職を奪われ、底辺にうごめくフリーターと称される我々には、生きづらさ以外の何者でもない」と日本人である雨宮さんは問うているようだ。

 雨宮さんの主張に多くのフリーターと称される負け組が同意するのも、新自由主義の世界が「安ければ何でも良い」という社会だからだろう。

 しかしその新自由主義もこの金融恐慌で崩壊してしまった。
人間も安ければいいのか。俺達は日本人だ。品物じゃない」そうした人々の叫びをどのように受け止めるかが、新自由主義が崩壊した後の新たな取り組みとして今求められているのだろう。

 思えば我々は堀江貴文氏村上世彰氏を金が有ると言う理由で尊敬しそうになった時期があった。しかし日本では「貧しくとも清い生き方」という価値観が存在したと言うことを、今思い出す必要が確かにあるのだろう。

(注)なお、従来は底辺の労働者の声を救う組織は組合のような組織体や左翼運動だった。しかし現在は組合は正社員のみの互助組合であり、したがってフリーターを救う存在になっていない。
結果としてフリーターは右翼になるか、ネットカフェで生きるだけの存在になっていると言う



 今回の読書会の取りまとめを河村義人さんがしています。
また個人的レポートを会の主催者、河村義人さんと今回のレポーターOさんが書かれています。私とは視点がかなり違った見方になっていますので、是非参照して見比べてください。

http://yamazakijirou1.cocolog-nifty.com/shiryou/2009/04/post-825f.html 

 

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(21.4.14) ちはら台走友会へのお誘い

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 私は近くのちはら台を中心に活動しているちはら台走友会に2年前から入会している。
先日年1回の総会があり、昨年度の活動実績と本年年度の活動計画が承認されたばかりだ。会員は全体で34名である。

 ほとんどがちはら台の住民だが、ここおゆみ野からも私を含めて3名が会員になっており、必ずしもちはら台に限定しているわけでない。
入会希望者は特別な理由がない限り入会させてくれる。

 一般に走友会と言うと走ることだけに情熱を傾け、記録の更新に邁進しているように思われているが、ここちはら台走友会はそれだけでない。
年に2~3回の登山をしたり、地区の清掃活動をしたり、またちはら台おゆみ野地区活動にも積極的に参加している。

 ちはら台には夏祭りや、トントンエコマラソン市民体育祭と言った行事があり、またおゆみ野にも駅伝大会がある。こうした行事に参加することによって地区と一体となって活動していくのが、この会のコンセプトになっている。
単に自分達の楽しみだけで集まっているのではなく、地区の一員として活動しようと言うところが違う。

 私は走友会に入るまではいつも一人で練習し、大会にも一人で出ていたが、走友会に入ってからは全員で自動車をチャーターして出かけることが多くなった。
もちろん費用はワリカンだが、一人で行く場合の半分程度の費用でいける。またメンバーの手前ひどい走りができず懸命に走るのでそこそこの記録が残せるのもいい。

 特に私が興味があるのが、リレーマラソン(駅伝)でこれは一人では絶対に参加できない種目だ。青葉の森長柄町一周駅伝に出ているが、駅伝はグループ競技なので手抜きができないのと、気持ちがハイになるので走り終わった後の高揚感が強い。

 しかもちはら台走友会には元日本を代表するランナーの一人だった小栗さんもいるので、第1区では必ずトップで入ってこれる。何かひところの仙台育英高校見たいな感じだ。

 私自身はこの会では真ん中程度の走力しかないが、この会の行事や運営や雰囲気はとても好きだ。個人的にも魅力的な人が多く、よく会に有り勝ちな内部対立もなく、付き合っていてとても楽しい。

 私は最近四季の道で顔見知りのランナーに「走友会に入りませんか」と声をかけているが、それはちはら台走友会が走るだけでなく地区活動を積極的に行なっているとても魅力的な会だからだ。

 ちはら台、おゆみ野地区だけでなく近在の人で、この会に入会希望者が有れば、是非このブログのコメント欄やメール通信機能を使用して連絡して欲しい

 走ることだけでなく登山今年は両神山と飯豊連峰)も楽しめるし、駅伝にも参加できる。地区のお祭りにも積極的に参加しているので、定年退職者の地区デビューにも最適だ。

 合同練習は土・日の午後5時から1時間ちはら台のかずさの道で行なっているが、その人の都合で他の場所や他の時間帯に行なってもいい(私は昼間走ることが多い)。

 マラソン好きな人や地区活動にデビューを希望している人は是非、ちはら台走友会の入会を検討して欲しい。とても素晴らしい会であることだけは請け合いだ。

ちはら台かずさの道の写真です。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/214?authkey=Gv1sRgCMGRirHMy_DhWA#

 

 

 

 

 

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(21.4.13) 聴力の衰えが限界を越えつつある

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 困ったものだ。私の聴力の衰えが、とうとう限界を越えつつある。最近は会話をしていてもまともに話を理解することが難しくなり、返事もヤマ勘でせざる得ない。
はは、そうですね」なんて答えているが本当は何のことだか分からないことが多い。

 それでもよく知った人との会話ではその人のバックボーンを理解しているし、話の筋が読めるからあまり問題はないのだが、始めての人や会議での席の聞き取りには全神経を集中しても難しくなってきた

 たとえば会議でレジュメやレポートがあれば、それを読めばいいから問題ないのだが、そうした準備がされず、口頭だけで説明されると途方にくれる。
君は何か言っているが、私は聞こえないのだから何も言ってないのと同じだ」居直りたくなる。
よく会議の議長が、「次の会議は○○日の××時にします」なんて口頭だけで言うことがあるが、そうした日時のメモはほとんどできない。

 最も私は引退した年金生活者で、重要人物でないから日常生活では余り問題は発生しなかったし、せいぜい天候の話をしていれば済んでいた。
ところが信じられないことに最近は会議に呼ばれることが多くなり、私が質問を受ける立場になってきた。大ピンチだ。

 隣に誰かいれば「あの人は何と言ったのですか」と聞くことができるが、そうでない場合は何回も聞きなおしたりしてわずらわしいことこの上ない。

 思えば私が36歳の若さで右の耳の聴力を失ったのは、真珠腫性中耳炎のためだった。
元々は大学の水泳部に所属していた時に中耳炎にかかったのだが、その後の手当てを放って置いたために、通常の中耳炎が慢性中耳炎になり、そして最後は悪性の真珠腫性中耳炎にまでなってしまった。

 真珠腫はそのまま放って置くと、脳の一部を圧迫して死に至る大変危険な病気である。幸いに手術は成功したが、右の耳の聴力は極端に低下し、しかも年をとるに従ってほとんど聞こえなくなってきた。

 残った左の耳でもっぱら聞くことになったが、こちらも軽い中耳炎を患っており、最近は左の耳の聴力も極端に悪くなってきた。
まずい、両方聞こえなくなったらどうしよう

 現状はテレビでもNHKのアナウンサーの声以外はまともに聞くことができず、特にドラマなんかは、ささやく場面は何を言っているのかさっぱり分からない。

 思い余って日本語のテロップを出すようにしたが、映画のように話とテロップが合っている場合はいいが、ニュースの場合はテロップが遅れて出てくるので、なんとも話がしまらない。
次の画面の時に前の画面の説明を見ているのは思いのほかいやなものだ。

 62歳でこんなに聴力が衰えるとは思わなかった。そのうちベートーベンのようになってしまいそうだ。
私だけがひどい状態なのかと思っていたら、先日歌謡番組を見ていたら、歌手の五木ひろし森進一補聴器をつけていることに気付いた。
そうか、耳が聞こえなくなるのは私だけじゃないんだ」
なんとなく慰められたが、だからといって状況が改善するわけでもない。

注)私は補聴器だと思ってみていましたが、Yさんからこれはモニターでほとんどの歌手が何らかの方法で使用しているとの指摘を受けました。
この記事のコメントに詳しく載っていますので参照してください。


 人間こうして一つ一つ機能を失い、最後は神様のお迎えを受け容れることになるのだろうと達観してみたが、日常生活の不自由さはそろそろ限界を越えそうだ。

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(21.4.12) 漫画について 大人のコミックは輸出産業

Image0  私はこの年になっても無類の漫画好きである。毎月2回小学館が発行しているビッグコミックオリジナルは欠かさず購入して読んでいる。
会社員であった頃も発売日が待ち遠しくて、出るとすぐ駅の売店で購入しては電車の中で読んでいたものだ。

 特にビッグコミックの「C級さらりーまん講座」や「赤兵衛」は笑わしてくれる。電車の中で思わず爆笑しそうになっては懸命にこらえて顔が真っ赤になったことがよくあった。

 もっとも私のような大の大人(それも老人に近い)が好んでコミックを、しかも公衆の面前で読んでいるのは日本だけらしく、日本の識者からよく苦言を呈せられたものだ。

わが国では電車のなかで大人が平気で漫画を読んでいるが、これでは外国人から見ると子ども並の知性しか日本人が持っていないと思われるので、国辱ものだ

 国辱とまで言われると私もいささか躊躇し「家でこっそり読もう」と決心するのだが、やはり漫画の魅力には抗しきれず、いつの間にかまた電車でおおっぴらに読んでいた。

 漫画を好んで読む有名人に麻生首相がいる。麻生首相は無類の漫画好きで、しかもビックコミックが何十年に渡って掲載している「ゴルゴ13」シリーズを全巻保有していると聞いた。
麻生首相が「ゴルゴ13」を読む目的は「日本の世界戦略のため」なのだそうだから、「ゴルゴ13」はハンチントンの「文明の衝突」並みの扱いを受けていることになる。

 最も麻生首相は施政方針演説等でしばしば漢字の読み間違いをしており、インテリ層からは「漫画しか見ないからだ」と揶揄されている。
この点は私も同様で、しばしば漢字の使用の仕方を誤っているらしく、その種の知識が豊富な人からコメントをいただいている。

 一方漫画についてその価値を積極的に評価している識者に、日下公人(くさかきみんど)氏がいる。
氏によると「日本の漫画の水準は世界最高で、世界中の子ども達が日本の漫画に魅了され、特にピカチュウやドラえもんは世界のアイドルになっている。漫画こそが日本文化の伝道者」なのだそうだ。

 私の経験でもタイのバンコックの屋台で日本漫画を売っていたのを見たが、言葉だけタイ語にしたドラえもんを見て驚いたものだ。

 現在、日本の漫画が世界の子ども達を魅了しているのは分かったが、さすがに世界の大人までは魅了できてはいない。
先日も中国の温家宝首相が「自分の孫が見る漫画は日本のウルトラマンばかりだ」と苦言を呈していた。
大人は日本の漫画が嫌いらしい。

 しかし、これはまったくの認識不足で、なにしろ私のような老人でさえ夢中になるくらいなのだから、日本の漫画の水準は群を抜いている。

 たとえば私が大好きなさいとう・たかお氏の「ゴルゴ13」、手塚治虫氏の「火の鳥」、弘兼憲史氏の「人間交差点」、白戸三平氏の「ワタリ」といった大人向け(もちろん子どもも読んでいる)のコミックを世界中の大人が読みはじめたら「かっぱ海老せん」になることは請け合いだ。

 現状はヨーロッパやアメリカや中国のインテリ層は漫画と言えばうウォルトディズニーと思っているので、この日本独自の大人のコミックと言うジャンルの魅力を知らないのだろう。

 この大人のコミックこそは、「すし」と同様日本の誇る輸出産業のコアになれるコンテンツだと私は思っている。だから自動車や鉄鋼ばかり熱心にならずに、この大人のコミックの売込みをする方が日本の産業の建て直しに資するはずだ

 

 

 

 

 

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(21.4.11) おゆみ野クリーンクラブの花見

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 おゆみ野クリーンクラブ
が結成されてから2年以上経ったのだが、その間花見などしたことがなかった。

 当初はもっぱら男性陣が多かったせいもあり、あまり宴会気分もなかったが、ここにきて多くのお母さん方が入会し、その中にお祭り大好きのJunJun姉さんオータム姉さんが入ってから、この会もすっかり華やいできた。

やはり春は花見でなくちゃ、山崎さんしましょうよJunJUn姉さんがすっかり張り切ってしまい、急遽金曜日の午前中に花見をすることになった。

 ここおゆみ野には数箇所のさくらの名所があり、その中でもさくら公園には多くの人が集まってくる。私達もここさくら公園で花見をすることにした。傾斜地に植えられた桜が美しい。

 日差しが強くなり、日陰でないと暑いくらいの天候だったが、空は晴れ渡っていて絶好の花見日和だった。
ちょうど桜の花が散る頃で、私達の周りにも桜の花が風にまって、食器の中に舞い落ちてくる。

花見だからみんなで俳句か和歌をつくろうではないか」と提案したが、「俳句と和歌」と聞いたとたんに全員に緊張がはしり、食事どころではなくなってしまった。
F姉さんはさかんに、指を折って「5・7・5」になっているかを検討していたが、結局だれも風流人にはなれなかった。
は私は一句作ったのだが、紹介する機会を逸してしまった。それは芭蕉を真似た、『風流の はじめや宴の さくら舞』という句である

 クリーンクラブのメンバーは現在全員で13名なのだが、普段は顔を合わせることが少ない。それぞれがテリトリーを持って、自分が自由にできる時間帯に清掃活動をすることにしているので、必ずしも全員が集まるわけではない。

 だから全員で集まろうとした最初の会だったのだが、今回は7名の会員が集まった。男性は私一人である(他の男性陣は仕事や用事があってこれなかった)。
よい機会だったので昨年度の活動報告を行なうこととした。

 このクラブは年間を通してもっぱら清掃活動と落書き消しを行なっている。清掃活動はほぼ毎日なのだが、落書き消しは10回程度行なっていた。
これだけ清掃や落書き消しを実施すれば、おゆみ野の街がさぞや綺麗になってもよさそうだが、実際は改善されたと言う具合にはなっていない。

 人口が急増していて人の数が多くなった分だけ汚れてきたのと、従来からこの街で公共物を破壊することに喜びを感ずる悪がきが後をたたないせいでもある。

 このクリーンクラブ設立の目的が「世界で一番美しい街と遊歩道にしよう」ということだったが、前途多難だ。
それでも立ち上げ当初はたった二人のクラブだったが、今では13名だ。少しずつだが運動の輪が広がっているのだから、良しとしなければならないだろう。

亀ゴン、今日は花見だった。若いお母さんが増えてこの会も華やいでいる
当初は老人クラブだったのですから、大変な変りようですね。先生も年甲斐もなくはしゃいでいましたね

そう見えたかい。男性と言うものは若いお母さんの前では年齢に関係なくハイになるものだ
まあ、鼻の下の問題ですが、先生のようなご老体にとっては若返りの秘訣のようなものですから、奥様も大目に見てくれるでしょう
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(21.4.10) フォード・モーターの孤独な闘い

Images3  フォード・モーターの孤独な闘いが続いている。ほとんど健気な努力と言ってもいいほどのがんばりだ。

 GMクライスラーが早々と公的資金の導入を求め、「政府の支援なくして自動車産業の未来はない」と泣きついているのに、フォードは泣き言も言わず、こわもてのUAW全米自動車労組)と①人件費の大幅削減や、②退職者向け医療保険基金への出資136億ドル約1兆4千億円)を、半額株式にするという合意を取り付けた。

 フォードの説明では「これでトヨタと時間当たり人件費でほぼイーブンに近づき、コスト面で遜色なくなってきた」と言う。

 さらに258億ドル約2兆6千億円)の債務のうち債権者との間で99億ドル相当の債務の株式化24億ドルで99億ドルを買い取り、残りを株式に変えた)まで実施し、自動車部門の負債の約38%の削減に成功したと言う。
これで毎年500億円相当の利息の支払いが軽減されると言う。

 市場はこの決定に好意的でさっそく20%株価がUPしたが、ひところ2ドルを下回っていた株価が4ドル近くまで持ち直した。

 一方でGMクライスラーUAWとの交渉は一向に進捗せず、債務の株式化も債権者の抵抗でまったく進まないのと好対照になっている。

 なぜフォードにできたことがGMクライスラーにはできないのか、UAWは相手を見て対応しているようだが第三者の目から見ると不思議でしょうがない。

 なぜならフォードの経営状況は最悪で、3期連続の赤字06年▲126億ドル、07年▲27億ドル、08年▲146億ドル)が続いており、GMより少しだけいいという程度の状況でしかない。
フォードとしては、09年、10年とも赤字が続くと見ており、収支が均衡するのは11年度と言うことだから、どう見ても倒産企業並だ。

 通常ならばGMクライスラーと同様に政府に泣きついてもまったくおかしくない状況と言える。

 実はフォードGM・クライスラーとのたった一つの違いは資金繰り対策である。
経営の悪化に合わせ、早々に資金対策を練ってきたおかげで、手元流動性だけは確保でき、したがって政府から公的資金を導入しなくても済んでいる。
経営はまったくダメだが、お金だけは確保した」という状況だ。

 もっともフォードの資金繰り対策は鬼気迫るぐらい迫力があった。
昨年の12月末をターゲット回転信用枠(枠の範囲で借入と返済が自由にできる融資と言う融資枠を106億ドル確保したり、フォード資産の証券化にいち早く着手したり、マツダの株式の20%を売却して520億円入手したり、ジョブ・バンク退職した従業員が新たに就職するまで、ほぼ従来の賃金を払い続ける制度)をUAWと交渉して中止したりと、できうる対策は全て打ってきたという感じだ。

 おかげで08年12月末手元流動性240億ドルになり、四半期ごとに50億ドル低下するとしても、ほぼ1年間は持たせることができるとの読みができた。
したがってフォードは公的資金の導入を考えていない」と言う。

 しかしアナリストは自動車の販売が対前年比40%も落ち込んでいる現状から、今年の半ばまでにはフォードも公的資金の申請をするのではないかと見ている。

 今後の自動車の売れ筋は従来の中・大型車小型トラックやSUV)ではなく、燃費が良くて環境に優しい小型車に移っていくことが確実と言われている。フォードは販売戦略としてサブコンパクトカーフェイスタ」を来年にも投入し小型車市場に打って出ようとしているが、これは日本のビィッツフィットと競争しなくてはならない。

 資金繰りについては綱渡りが続いており、また販売戦略では日本の優良メーカーとの競争を強いられ、まさに前門の虎と後門の狼と言う状況だ。

 こうした状況下でフォードは自己努力だけで生き残ることができるだろうか。客観的には絶望的なのだが、何か落城寸前の城にこもって、「城を枕に討ち死にしよう」と誓い合っているみたいな悲壮な決意の自己努力が続いている。

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(21.4.9) 日本経済回復のシナリオ  輸出バブルは終わったか?

Images2  リーマン・ブラザーズが倒産した08年9月与謝野大臣は「蜂に指されたようなもの」との楽観的見通しを述べ、その後も「日本は住宅・金融のバブルはなく、今回の経済危機の影響は軽微」との認識だったが、08年10~12月四半期GDP速報が出された09年2月頃から、様相が一変してしまった。

 その時世界中が驚いたのだが、日本のGDPは年率で▲12.7%も縮小をしており、これより悪い主要国は韓国の▲20.8%だけになっていた(ドイツ▲8.2%、アメリカ▲6.2%、イギリス▲6.0%)。
そうか、日本は輸出バブルだったのか」世界中が大騒ぎになった。

 それまで日本の高付加価値製品レクサスのような高級自動車や薄型液晶テレビ等)が飛ぶように売れ、02年2月~07年10月までは年率ほぼ2%の戦後最長の好景気にわいていた。 しかしそれはアメリカやヨーロッパが住宅・金融バブルで消費が加熱していたためだと言うことに世界が気がついた。

 輸出バブルの間、日本は毎月1兆円~3兆円規模で貿易収支の黒字を稼いできたが、リーマン・ブラザーズの倒産以降この構図が逆転して、08年10月以降4ヶ月に渡って貿易収支が赤字になってしまった(貿易統計ベース)。

 その間の輸出の落ち込み速度はほとんどジェットコースター並で、対前年同月比で11月▲27%、12月▲35%、1月▲46%、2月▲49%と、2月にはとうとう半減した。
日本は戦後最悪の不況に突入した」と与謝野大臣の認識が180度ひっくり返ったのも無理ない。

 それまで日本の経済状況は相対的にまともなので、円は「買い」だと思われていたがまたたくまに「売り」に転じてしまい、90円前後だった円は今は100円前後円安局面になっている。
日本の経済状況は世界最悪だ」これほど認識が逆転した国は珍しい。

 実際、各機関による09年度GDPの予測は主要先進国のなかで日本が最悪の落ち込みをすると予測しており、たとえばOECD日本▲6.6%、 ドイツ▲5.3%、 アメリカ▲4.0%、 イギリス▲3.7%という具合である。

 金融バブルの本家であるアメリカやイギリスよりも、日本やドイツの落ち込みが激しいのは意外だが、これはある意味で輸出立国の宿命とも言える。

 GDPの内訳は ① 個人消費 ② 投資(設備投資、住宅投資、公共投資) ③ 純輸出(輸出-輸入)からなり、このなかで個人消費は比較的安定しており、投資項目と純輸出が景気動向によって大きく動くとされている。

 輸出立国の場合はこの純輸出が常に黒字で、GDPを大きく押し上げてきたが、反対に輸出に急ブレーキがかかるとまたたくまに純輸出がマイナスになってしまう。

 輸入は食糧や原材料が主なのだが、食糧は輸出と関係なく輸入を続けなければならないし、原材料(鉄鉱石、石炭、石油、天然ガス等)については長期契約を結んでいることが多く、すぐには圧縮できない。

 この結果輸出の減少速度に比較して輸入の減少速度が遅れてしまい、いままで1兆円~3兆円もあった貿易収支の黒字が急速に赤字になる。これが昨年の08年10月~09年1月までの状況だった。
GDPの構成要素の純輸出が赤字になれば、確かにGDPは劇的に悪化するだろう。

 しかし09年2月に、ようやく純輸出が僅かながら黒字(824億 貿易統計ベース)に転じてきた。輸入の減少幅(▲45%)が輸出の減少幅(▲49%)に追いついてきたからである。
縮小均衡なのだから、もろ手を挙げて喜ぶわけには行かないが、このあたりで輸出立国日本の大出血は止まり、底が見えたという状況だ。


 これからの日本の経済動向はどうなるのであろうか

① 再び輸出が増加をしはじめ、今までのような輸出大国になる。
 × (これは先進諸国の経済状況から見てありえ

② 輸出・輸入は現状程度で推移するが、個人消費が伸びて内需拡大型の景気回復になる。
 × (定額給付金が唯一のプラス要因だが、失業率の増大等で国内消費は上向かない

③ 政府の公共投資や住宅減税で景気が回復する。
  (15兆円規模の追加投資や住宅減税は一定の効果があるが、一方設備投資が低迷するので、効果はイーブン

 私の09年度の日本経済の予想は「純輸出はほとんどゼロベースだが、政府の景気対策で景気悪化はこれ以上深刻になることにはない。

 第2四半期からは回復軌道に乗りそうで、OECDの予想▲6.6%よりはかなり良く、アメリカ(▲4.0%)やイギリス(▲3.7%)よりはよいパフォーマンスを示す」と言うものだ。

 輸出立国のGDPは悪化するときは急激に悪化するので耳目を驚かすが、回復も急回復するのと、輸出バブルだけが日本の悪材料なのだから、底が見えればそれ以上の悪化はないというのが私の判断だ。

 

  

 

 

 

 

 

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(21.4.8) 斎藤さんがブロガーになった

2114_008  私は人に会うたびに「ブログを作りませんか」と薦めているのだが、嬉しいことに賛同してくれる人が多くなってきた。
最初は登山仲間のタムさんが「私の登山および旅行記」というブログを作り、それから散歩おじさんが「元気姉ちゃんと散歩おじさん」というブログを作ったのだが、今度はおゆみ野の森のインストラクター斎藤さんがちば公園のベンチから」というブログを立ち上げた(それぞれリンクが張ってあります)。

 斎藤さん稲毛浜にある「花の美術館」の館長をされた方で、それ以外にもここおゆみ野幕張の開発に、行政側から携わった経験を持っている。
幕張の浜には幅数十m、長さ数百mの防砂林の松林があるが、この松林をオルガナイズをしたのも斎藤さんで、斎藤さんはおゆみ野や幕張の都市景観の基礎を作った人といっても良い。

 私が斎藤さんを知ったのはおゆみ野の森の活動を通してだが、とてもダンディな紳士で、ここおゆみ野の森に通うお母さん方にもファンが多い。
ヨットマンでもあり、すてきなクルーザーを持っており加山雄三をもう少し年を取らせたような感じの人だ。

 私も一度ヨットに乗せてもらったが、そのときは船酔いをして「若大将」という雰囲気にはなれなかったが、とてもいい経験をしたと思っている。

 斎藤さんがこのたび立ち上げた「ちば公園のベンチから」というブログは一言で言ってほのぼの系で、斎藤さんが過去に経験した山川草木や子ども達とのふれあいが基礎になって書かれている。

 たとえば「歌声が聞こえた」という記事の書き出しは

トントントン。何の音?。
 松ぼっくりが落ちた音。
 ああ良かった。

 トントントン。何の音?。
 サヤエンドウが弾けた音。
 ああ良かった。 

 トントントン。何の音?。
 お化けが戸を叩く音。

  キャー!」
という子どもの歌声を懐かしく聞いている斎藤さんの話である。

 また斎藤さんはNPO活動として「みどりのネットワーク千葉」と言う、ボランティアの市民活動に参加している。
  この団体は、緑に関る仕事の経験や専門知識の持ち主、もしくはその分野の活動に関心ある人達が参加しているのだと言う。

 そんな活動の一つとして、斎藤さんが主導する企画があり、名付けて、「行こう、探ろう、緑と水辺」という散策ツアーだ。

 斉藤さんのツアーは、「都市デザインや、ガーデニングに興味があり、・・・・・・・皆で自分の街、お隣の街を散策しながら、その御町内の人々と交流することを楽しむ。何より・・・・市民自身のための街づくりの事例発掘が目的だ」そうだ。

  今回は、緑区あすみが丘の、公園事情を紹介してくれると言う。

あすみが丘は、その一角に千葉ヒルズと揶揄される、西欧基準の街区を構えることで、世にその名を知られた。 しかし、あすみが丘に住む方々にとって、それだけでこの町を語られることは不本意。

 数年前、整った街並景観での受賞経験もある程、高い志で街づくりが進められている。 一方、周辺の田園地域には、古き良き時代の千葉がある
」という。

 以下の内容で散策を募集しているので、都市景観に興味のある方は是非参加をされると認識が深まるはずだ。

あすみが丘,土気周辺の歴史散歩
 
日時5月30日(土) 午前9時から11時
集合場所   あすみが丘プラザ駐車場

 



 

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(21.4.7) 金正日の瀬戸際外交 長距離弾道ミサイル発射実験

Images6  北朝鮮人工衛星と主張し、世界長距離弾道ミサイルと思っているテポドン2号改良型の実験は、人工衛星であれば大失敗、長距離弾道ミサイルであれば大成功に終わった。

 朝鮮中央通信は例によって「光明星2号(06年に失敗したテポドン2号も人工衛星と言っていたので、これが人工衛星の2号になる)を周回軌道に乗せることに成功した」と発表したが、アメリカの北米航空宇宙防衛司令部は1段目は日本海に落下し、残りは搭載物とともに太平洋に落下した。いかなる物体も周回軌道に乗っていない」とにべもない発表をした。

 北朝鮮は洗脳国家だから、存在しない人工衛星も「金正日総書記の一言」で存在しているように見えるのだろう。

 北朝鮮の朝鮮中央テレビのアナウンサーはいつものように絶叫して、北朝鮮の宇宙開発技術の高さをたたえていたが、日本を除いた各国の反応はさめたものだった。

 日本はアメリカとともに、北朝鮮の今回の行動は「弾道ミサイル計画に関する全ての活動停止を求めた安保理決議1718号」に違反するとして、直ちに国連安保理緊急会合を求め、より強固な制裁決議をもとめることとした。
しかし、中国とロシアの反対でそれも望み薄だ。

 中国は「人工衛星の打ち上げは制裁決議に違反しない」との立場だし、ロシアは「人工衛星か否かを確認してから」と実質的なサボタージュをするつもりだ。

 アメリカのオバマ大統領は「弾道ミサイル技術の開発と拡散は北東アジア地域や国際社会の平和と脅威を与えている」と怒って見せた。しかしアメリカの主要課題はアフガンイラクであり、北朝鮮問題は「中国に任せる」つもりだから、それ以上の対応をするつもりはない。

 韓国は本来もっと厳しく反応してもよさそうだが、今回のテポドン2号改良型の射程距離は約8000kmで、これはハワイアラスカを射程距離圏に置いた実験なので「韓国には直接関係がない」と思っている(対韓国用には射程距離500km程度のスカッド改良型ミサイルがすでに大量に配備されているので、いまさら騒いでも仕方がないとの態度)。
李明博大統領は日本に「過剰反応しないように」と教訓までたれる始末で、過剰反応をしているのは日本だけになってしまった。

 日本が過剰反応したのは、この長距離弾道ミサイルが日本の上空を飛んで太平洋に落下するからであり、あたかも日本を狙ったような実験だったからだが、今回の北朝鮮の意図は明らかに違う

 今回のテポドン2号改良型の実験は「アメリカにも届くぞ」というメッセージであり、実際にハワイアラスカが射程圏内に入ってきた。
8000kmもの射程距離を持つミサイルを保有している国は、ほかにアメリカ、ロシア、中国だけで、たしかに北朝鮮はミサイル大国と言える。
(なお対日本用のミサイルはノドンで射程距離約1300kmと言われており、北朝鮮はすでに約200基のノドンを保有している。対日本用として8000kmはいらない)。

 アメリカにとってはこしゃくな話だが、実際問題としてアメリカの安全が脅かされているとは露ほども思っていない。
核弾頭の数が少ないのと、小型化に成功しているか否か不明なことと、いざとなったらイラクと同様に一気に北朝鮮を叩き潰せると言う自信があるので、「アフガンとイラクが片付くまで自由にさせておこう」というのが本音だ。

 それをいいことに北朝鮮は好き勝手をしているのだが、北朝鮮の瀬戸際外交は相当危険に満ちている。通常の指導者であれば「国民を戦争に引き釣り込むことはすまい」と判断するのだが、北朝鮮には通常の国民と言う概念はなく、金正日とそれを支持する一派だけが国民だ

 北朝鮮の食糧問題は深刻だが、それでも(韓国の推定によると約300億の費用をかけて、テポドン2号改良型の開発を行なっている。通常の国家ならば食糧輸入が優先されるはずだが、金正日のミサイルの方がずっと大事だというのが北朝鮮だ。

俺だけは助けてくれ。そうしないとミサイルをぶっ放すぞ」子どものような脅しだが金正日の本心だ。

 金正日は昨年の8月に脳梗塞で倒れてから、めっきりやせてしまい判断力も鈍っていると言われているので、なにか朦朧とした頭脳で瀬戸際外交を繰り返しているように見える。

 通常の人はトラの尻尾など踏まないのだが、金正日は何度でも踏むので、本当にそのうちにアメリカが牙を剥きそうだ

 

 


  

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(21.4.6) 疲労感

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 春めいて気温が上がるにつれてひどい疲労感に悩まされるようになった。身体が温かさについていけないらしい。
年をとるに従って季節の変わり目に弱くなってきている。

 それでも秋口から冬に変る時は、身体がびっしとしまった感じになり疲労感をあまり感じないのだが、暖かくなるとからっきしダメだ。
散歩おじさんも同じらしく、互いに「疲れるね」と慰めあっている。

 私は毎日朝の清掃活動と、昼間のRUNは欠かさないことにしているのだが、出かけるまでになかなか決心がつかない。
清掃活動は7時には家を出ることにしているのだが、今日はグズグズして30分遅れになってしまった。
身体が「今日は日曜日だし、休日にしてもいいんじゃない」と盛んにささやく。

 本当は休みたかったのだが、ここ数日桜の花が満開で、さくら公園春の道公園は宴会真っ盛りだ。
せっかくの花見だから、ゴミの落ちていない場所で、楽しく宴会をさせてやろう。それにウォークラリーもあることだし・・・・・・
私は四季の道私設管理者なので、心を奮い立たせて清掃活動に出かけた。

 四季の道6km強あるのだが、一周すると45Lのゴミ袋がほぼいっぱいになる。ダンボールや折れた傘を持って歩くと、ぶら下げるのがきつくなって、サンタクロースのように担がなくてはならなくなる。

 家についた頃には疲労感が最高に高まって、最近は1時間程度寝ないと体力が回復しない。
春だから仕方ないか」そう思うが、もしかしたら年のせいかもしれない。なにしろ神様のお迎えが何時来てもおかしくない年齢だ。

 今日はここおゆみ野では大きな催し物が2つあって、「さくらさくさくウォークラリーと「有吉地区の花まつり」が開催されていた。
どちらも知り合いが多く参加しているので、午後からRUNをかねて見学に行くことにした。

 有吉公園ではクリーンクラブのメンバーの小太郎姉さん元気姉さんが、焼きそばを販売しており随分繁盛している様子だった。
ものによっては非常に収益があがるのよ」と小太郎姉さんに教えてもらったことがある。

 今日は春の道公園からさくら公園にかけては、信じられないような人出でとてもRUNをするような状況ではなかった。さくら公園に行ってみるとおゆみ野の森のメンバーが酒盛りをしていたので、ちょっと覘いてみた。
珍しく女性メンバーがいなかったが、聞くと「さくらさくさくウォークラリーの手伝いをしてて花見の時間がとれない」のだそうだ。

 家に帰るとまたひどい疲労感に襲われた。1時間余り昼寝をしたが、何か活動するたびに眠らないと身体が持たなくなっている。
かつて高校生だった頃、柔道部の仲間から「疲れを知らない男」と言われていたが、いまでは慰労感が友達になってしまった。

 これが季節の変り目の一時的な現象か、それとも年齢相応の疲れなのかもう少し経って見ないと分からない。

主よ、このロドリゴをお叱りください。極度に疲労し、何をするにも意欲がわかないのです。いまでは清掃活動はおろか、定額給付金の申請書すら記載するのが億劫なのです
ロドリゴよ、狭き門より入れ。そして心を奮い立たせるのじゃ。よもやワシとの誓いを忘れはしまい。
定額給付金が入ったらユニクロで、おそろいのパンツを買おう』と誓ったではないか。
天国銀行は投資に失敗して、パンツを買う金もなくなってしまい、お前の給付金だけが頼りなのじゃ

 今回は桜の写真のオンパレードです。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/2145?authkey=Gv1sRgCKvevNn73bW0zgE#

 

 

 

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(21.4.5)「 おゆみ野の森の春まつり」の準備

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 今日(4日)は恒例の草刈隊の日だったが、実際は4月19日(日)に開催される「おゆみ野の森の春まつり」の準備をすることになった。

 この春まつりは、この森の開設2周年記念を兼ねていて、この市民の森ができてから2年経ったことになる。
今回は二つのビックイベントを用意しているが、一つは音楽会であり、もう一つは縄文式マラニックである。

 音楽会を行なう広場のチェックや掃除、また金属製の倉庫の周りを竹で覆って森にふさわしい雰囲気にしたり、切り出しておいてあった木材を片付けたり、チップにしたりする作業を行なった。

 春まつりの音楽会は混声合唱団Tomorrowがその歌声聞かせてくれるのだが、Tomorrowはここおゆみ野ちはら台にかけて幅広く活躍している合唱団で団員はほぼ40名だそうだ。

 このTomorrowにはちはら台朗読会を実施している飛び切り声のいいYさんも参加しているが、Yさんは私が朗読担当の時に徹底的に私を鍛え上げた鬼軍曹である。

 もう一つのイベントの縄文式マラニックは私が担当である。
ここは縄文人が暮らしていた住居跡や貝塚が残されており、いまは住宅地になっている場所はかつては海だった。
いわゆる縄文海進という海水面が現在よりかなり高かった頃の話だが、今回はそれを記念して縄文人の服装で、森を走り回ることにしたただしこの服装は主催者側のみ)。

 マラニックと言う言葉はあまり一般化していないが、マラソンピクニックからとった合成語で、「楽しく森の中をかけまわる遊び」だと思えばよい。
通常は森の中は歩いて散策するのだが、そこを走るのがミソだ。

 子どもコース小学生コースお母さんコースお父さんコースも用意して、特にお父さんコース縄文人に負けないようにタフに作ってある。ここを縄文人のように雄たけびを上げながら森の中を走ることにしている。
うわーお、ウサギがいるから捕まえろ
ぎゃーお、いのししをのがすな

昔「ギャートルズ」というマンモスを食べて生活していた古代人を描いた漫画があったが、そんな雰囲気だ。

 このイメージをおゆみ野の森やってみ隊Kお母さん漫画にしてくれたので、これを見るとイメージがわくのではなかろうか(Kお母さんは飛びきり漫画がうまい
食べ物はUR都市機構と関連会社の
新都市ライフが今年もたっぷり用意してくれているので、きっと春まつりを楽しむことができると思う。
誰が来られてもまったく問題がないので、是非参加をしてくれたらと思う。

*時間  4月19日(日) 10:00から13:00
*場所  おゆみ野の森(京成学園前駅の横)

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(21.4.4) 農業はトレンディ

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 私の娘は近くの農村地帯の元農家に嫁入りしたのだが、すっかり農業にはまってしまった。
嫁入り先は元農家ですでに農業はしていないが、家庭菜園をするには十分すぎるほどの敷地があり、ここでシイタケや野菜を栽培している。

 娘が「おとうさん、これから私のことをしいたけマイスターと言ってね」と言いながら朝取れたしいたけを我が家に持ってきてくれる。
私はなによりしいたけが好きなので、「やれうれしや」とばかり食べているが、娘が元農家に嫁いでくれたおかげで、いろいろなの食べ物が入手できるようになった。

 当初はサラリーマンの娘が農村地帯に嫁に行くのだから、古い風習や付き合いで苦労するかと心配したがまったく杞憂に終わった。
嫁ぎ先のお父さんやお母さんがとてもおおらかで、昔のイメージの嫁いびりなどとはまったく無縁なこともあるが、娘が農業好きなのも一因かもしれない。
なんてたって自然が残っているのがいいわね」すっかり農村にはまっている。

 今は義理の父親がしていたしいたけ栽培に乗り出して、あれやこれやと義理の父親を質問攻めにしているらしい。
「○○ちゃんに色々聞かれて、ワシも勉強しなおさなくてはならなくなった」義父さんの弁である。

 毎朝しいたけの出来具合をチェックし、水が足らないと思えば水かけをしたりして、最近腰を痛めた義父さんのかわりをしているという。
また近くに住んでいる親戚のおばさんから野菜作りのノウハウを伝授されている。この人は農業のプロ中のプロと言っても良いくらい農作業がうまい。
今度本格的に農業を教えてもらうことにしたの。なんてたって、○○おばさんから教わるのだから、私も本物よ」いたって元気がいい。

 娘の本業はある中堅企業のホームページの担当者で、いわゆるWebデザイナーの仕事をしているのだが、このような時代の最先端の仕事と農業という古来からの仕事を苦もなくやり遂げてしまうのだから驚く。

お父さん、これからは農業が一番なのよ。家でほとんどのものが作れるし、身体を動かすから丈夫になるのよ」腰をかがめた作業がきつくなくなってきたと言う。

 実は私も娘が農家に嫁に行ったおかげで思わぬ楽しみが増えた。毎年梅の実の収穫と、栗の実の収穫と言う実に楽しい遊びができるのだ。

 そこの梅園栗園は、人出がなくなって採集する人がいなくなってしまった。それを知り合いだった義父さん一族が代わりに無料で収穫しているのだが、私も親戚の一員として参加させてもらえる。
こりゃ、天国ではなかろうか」農作業のなかで収穫作業は最も楽しい。

 農業そのものは決してお金が稼げる産業ではなく、近時後継者問題に悩まされている。
しかし、楽しみとして園芸レベルの農業をすると精神的にも肉体的にも、そして実務的にも実り豊かな作業だと言うことを娘を見て知った。

 私もそのうちに娘に教えてもらいながら農作業をしたいものだと思っている。
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(21.4.3) 米仏経済戦争が始まった

200pxnicolas_sarkozy_282008291  4月1日、2日とロンドンで開催されていたG20はほとんど米仏経済戦争の様相を呈してきた。

 サルコジ仏大統領はアメリカが世界にばら撒いた金融派生商品の害毒に完全に頭に来ており、ドイツのメルケル首相と図って、G20の会議を「国際的な金融規制を導入する会議」にしようとした。

 一方オバマ大統領は「金融規制」より「景気刺激策」だとイギリスのブラウン首相と組んで「IMF基準のGNP対比2%の財政出動」を各国に約束させようとした。

 現在G20米仏経済戦争主戦場は「ヘッジファンドに自己資本規制を設けるか否か」になっており、サルコジ大統領メルケル首相はこの規制に同意が得られなければ「退席も辞さない」構えだった。

 なぜヘッジファンド自己資本規制が主戦場かと言うと、これこそが、景気が回復した後の世界の経済覇権を握るキーポイントになるからだ。

 アメリカヘッジファンド自己資本規制には大反対で、せいぜいFRBに登録させればいいと考えている。
商業銀行FRBの管理下にあり、すでにBIS規制で自己資本の13倍という網をかぶせられている(BIS規制の下では商業銀行は自己資本の約13倍までしか資産『融資や金融派生商品』を保有できない。これをレバレッジが13倍だという)。
投資銀行はすべてつぶれて商業銀行になってしまったので、これもBIS規制の対象になる。
なおレバレッジの規模は商業銀行は13倍、投資銀行は約30倍、ヘッジファンドは約100倍と言われていた

 唯一残ったのがヘッジファンドで、BIS規制の対象にすると景気が回復した後、レバレッジを効かした強欲な金儲けが一切できなくなってしまう。
アメリカが世界を支配する最後の手段がヘッジファンドだ。これが規制されたらアメリカの金融資本主義は終わるオバマ大統領の認識だ。

 ヘッジファンドとは実に不可思議な存在で、金持ちの個人や財団の金を集めて、金融派生商品石油穀物やその他あらゆる金儲けの商品に投資をしている私的組織といっていい。

 本部はケイマン諸島リヒテンシュタイン公国のような租税回避地にあることが多く、出資者は主として大学の財団ハーバード、慶応、駒沢等)やカリフォルニア退職教員組合前日銀総裁村上ファンドに投資していた)のような実に立派な個人や財団である。

 サルコジにしてみればこのヘッジファンドを野放しにしていると、景気回復後に再び強欲金融資本が復活するのが見え見えだから、絶対に許容するわけにはいかない。
二度と金融バブルを発生させないためにこの機会にアメリカの牙を完全に抜いてしまおうメルケルと誓い合っている。

 こうしたすったもんだの挙句に出されたG20首脳宣言は、結局は玉虫色の宣言にならざる得なかった。

 アメリカが求めていたGNP対比2%の財政出動については「08年から10年までの3年間で総額5兆ドルの財政出動をする」と言うことになったが、もちろん各国別の内訳は明示されていない
みんなでがんばって5兆ドルにしよう」と言うことだ

 またフランスが求めていたヘッジファンドやタックスヘイブンの規制については金融安定化ボード(FSB)を設置することにしたが、この規制の具体的内容にはふれていない
これも「みんなでがんばって規制しよう」と言うことのようだ。

 こうしてG20でのアメリカフランスの経済覇権をめぐる熾烈な戦いは痛み分けで終わった。
しかし、この経済戦争は第一ラウンドが終わったばかりで、21世紀の経済覇権争いはさらに継続するはずだ。

 

 

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(21.4.2) 自動車を捨てて

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 我が家に有った自動車を処分してから早半年が経つ。自動車を処分したのは私が自動車に乗るのが年に2回程度なのに、税金保険車検でやたらと費用がかかり、一方年金生活で生活が厳しくなったからである。

あまりにバカバカしいので自動車なんか要らない」決心した。
もっともなぜ自動車を買ったかと言うと、眺めていて嬉しかったのと、車庫を作ったのに自動車がなくては格好がつかないと思ったからだ。

 しかし私の生活は昔も今もまったく自動車とは縁がない。移動はもっぱら歩く走る自転車で、1日あたりの最大走行距離は歩きは40km、走りは100km、自転車は200kmでこれだけあればほとんどどこの場所にもいける。

 もちろん時間はかかるのだが、なにしろ定年退職者で一日中なのだから時間については制約条件になることが少ない。
体力も腰をいためているものの我慢すると痛みはなくなるので、歩いたり走ったりすることには支障はない。
自転車はまったく腰が痛まないので、昨今の最適な移動手段になっている。

 自動車がないと困るのは大きな荷物を運ぶ時で、昔庭に花壇を作るためにレンガD2から購入して運んだ時は往生した(このときはまだ自動車を購入していなかった)。

 我が家からD2までは1km以上あったのだが、その間を農作業でよく使う一輪車でレンガを運んだ。
1回で終わらず数回に及んだので最後は目一杯レンガを積んで押していたら、下りの坂道でコントロールが効かなくなり、車道を右へ左に蛇行し始めた。さらに急速にスピードがあがり、どこに行くのか分からなくなってしまった。
このときは本当にレンガに頭をぶつけて死ぬのではないかと観念したものだ。

 最近の事例で困ったのは、かみさんが足の骨を折ってしまい病院通いをしなくてはならなくなったときで、タクシーで通うことにしていたら娘の嫁ぎ先のお父さんが自動車をだしてくれてかみさんを運んでくれた。

 最近はありがたいことにかみさんも私も知り合いが多くいて、本当に困った時は助けてくれるので自動車がなくても済んでいる。

 私の場合はさして自動車は必要ないという事例なのだが、昨今の世界的な自動車産業の不振を見て、「もしかしたら自動車の世紀は終わりに近づいたのではなかろうか」という感を強くしている。

自動車の時代」はアメリカライフスタイルを世界の人が真似た結果であり、アメリカ人の生活様式こそ世界のグローバルスタンダードだと世界中が思っていたからに他ならない。

 しかしよく考えてみたら、この狭い国土を自動車道路ばかり作って移動するよりも公共交通機関の電車や地下鉄を使用して移動する方がはるかに便利だ。また近在であれば自転車の移動だって問題ない。

 鉄道輸送イギリスで始まったライフスタイルで、明治政府がイギリスをまねて日本中に鉄道網を敷設したものだ。
戦前を扱った映画を見ると、長距離の移動はもっぱら鉄道で有ったことが分かる。

 たまたま日本はイギリスと同じ人口稠密で国土が狭かったので現在でも世界に稀に見るほど公共機関が発達し、都市近辺では自由な移動が可能になっている(北海道のような人口希薄な場所ではアメリカ的なライフスタイルになる)。

 まだ一般化しているとはいえないが遊歩道や自転車道が整備されると、自転車の移動がもっとも便利になる。これは主として北欧のライフスタイルで、ここおゆみ野は特に遊歩道が発達しているので自転車の移動がことのほか便利だ。

 だから自動車文明と言いうのは、日本がアメリカに負けてその生活スタイルまで完全に真似たからで、必ずしも世界的なスタンダードとはいいがたい。
人口稠密な大都市周辺は鉄道を中心とするイギリス型公共交通が、そして郊外の整備された住宅地では北欧型自転車が主流になってもまったくおかしくない。

 アメリカ発の金融恐慌で世界は大騒ぎになっており、特に自動車産業の凋落ははなはだしいが、もともと自動車はそんなに必要なかったのだと考えると合点がいく。
アメリカの金融資本の瓦解と、アメリカのライフスタイルの瓦解が同時に起こっているのか」そう思う。

 21世紀は自分が住んでいる場所や年齢、好み等にあわせて、最適なライフスタイルを求めればよい時代だと思えば、こんなに素晴らしい時代はないのではなかろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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(21.4.1) オバマ大統領とGMのチキンレース

Cavrxihwca5sbwz5caqf14rycabg0579cab  オバマ大統領GMの関係はほとんどチキンレースになってきた。チキンレースとはアメリカ映画でよくある度胸試しのゲームで、たとえば自動車を互いに向き合って全速力で飛ばし、ぶつかりそうになった時に最初にハンドルを切ったほうが負け(チキン)とするあのゲームである。

 オバマ政権は、この3月末までGMクライスラーの再建計画を検討し、その内容が不適切であれば支援を行なわず倒産させるといきまいていたが、実際はGMに2ヶ月、クライスラーに1ヶ月の猶予を与えて、再度再建計画を提出させることにした。

 その間の必要な運転資金については、政府が面倒を見ることにしたのだから、3月末をターゲットとしたチキンレースオバマ政権の負け(チキン)になった。

必ずオバマ政権はGMを助ける」と読んだワゴナー会長の強気な読みは当たったわけだ。
もっともオバマ政権としては、一方的にGMに押し切られたことになると国民が納得しないのでワゴナー会長に懇願した。
会長の首を差し出してくれ。そうしないと国民に説明できない

 ワゴナー会長は退職しても年金が合計で20億だそうだから「まあ、いいや。こんな苦しい仕事をするよりマイアミの浜辺で寝ていた方がよさそうだ」と応じてくれたので何とかオバマ政権の面子だけは保てた。

 しかし2ヶ月間の猶予をもらったものの、2ヵ月後にGMから政府を納得させるだけの再建計画が出てくると考えるのは余りに楽観的過ぎる。
なにしろ販売実績が前年比約50%に落ち込んでいて、そもそも自動車の需要がないのだから再建のしようがない。
トヨタ自動車でさえ赤字なのに、そのトヨタより高コストでかつエコカーで出遅れているGMがどうあがいても黒字になるはずがない(クライスラーも同じ)。

 GMの問題は2つあって、一つは過去の負債をどのように処理するかであり、もう一つは現状で黒字体質になるにはどうしたらよいかである。
08年通期赤字約3兆円で、債務超過額は8兆4千億円なのだから半端ではない。
過去の8兆円規模の債務超過の処理と、毎年出てくる3兆円規模の赤字をどうするかGMの課題だから、おいそれと解決できるような問題ではない。

 この債務超過額8兆円社債借入金や政府の公的資金で穴埋めしており、公的資金以外は利息の支払いに応じなければならない。さらにこわもての労働組合UAWとの約束の退職者向け医療費負担2兆円が重くのしかかっている。

 過去の負担がこんなに重いのに、現状では昨年の半分しか自動車は売れず月を追うごとに赤字が累積している。
どうすりゃいいんだ。やりようがないじゃないかワゴナー前会長でなくとも居直りたくなる。

 結局はGM連邦破産法11条を適用して、社債と株式と借入金と退職者向け医療費を全てチャラにし、さらに現在の生産規模を半減し、労働者も10万人規模から5万人規模まで縮小して再建するよりほかに手はない。

 しかし、これはオバマ政権にとっては悪夢以外の何者でもない。なにしろGM関連の全ての企業群をあわせると従業員数は約300万人と言われているが、少なく見ても半分の150万人が失業者になってしまう。
この失業者を救う企業などアメリカのどこにもない。
これではオバマ政権一枚看板国民に仕事を与える」という公約が吹っ飛んでしまう。

 さらにGMに貸出しをしている金融機関社債権者がバタバタ倒れてしまえば第2波の金融恐慌の大波が襲ってくる。
金融機関自動車産業が倒れたらアメリカはおしまいだ。
だからオバマ政権経済状況が好転してGMの車が売れ出すまで手荒な措置はとりたくない。
自動車産業を消滅させてはならないし、消滅させない」というオバマ大統領の言葉は本気である。

 さてこのオバマ政権GMチキンレースは今度は2ヶ月先の6月末になった。このときまでに抜本的な再建策を提出しないと、連邦破産法11条を適用するとオバマ大統領は言い出した。
ただしこれは金融機関UAWに妥協をせまるブラフにすぎない。

 問題は2ヵ月後に政府が要請した無担保債務180億ドルの株式への変更と、退職者向け医療費100億ドルの削減が達成できるかどうかだ。
もしできればオバマ政権としたら国民に公的資金を導入する説明がつく。しかし達成できなければ3月と同じチキンレースになる。

 チキンレースではオバマ政権チキンになる可能性が高い。150万も失業者が増大しては政権基盤が揺らいでしまうからだ。

 大統領就任前オバマ政権になれば、8000億㌦を上回る規模の景気刺激策を講じて、300万から400万の新規雇用を創出すると言っていた。しかし一方で150万も失業者が出てはザルに水をそそぐようなものだ。

 結局オバマ政権は泣く泣く毎回チキンとなり、それでもGMの経営は好転せず(クライスラーも同じ)最後は清水の舞台から飛び降りるように連邦破産法11条の適用に追い込まれるのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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