(21.4.23) 裁判員制度と毒物カレー事件
裁判員制度は、この5月21日以降に起訴される事件が対象となるが、裁判員制度の運用にとって象徴的ともいえる事件の判決が昨日(21日)、最高裁から出された。
それは和歌山市で1998年7月に起きた毒物カレー事件のことで、殺人罪に問われた林真須美被告の上告を、最高裁が棄却し死刑が確定した裁判のことである。
象徴的というのは、この裁判がもし裁判員制度の対象になっていたら、裁判員にとって最も困難な判断を要求された裁判だったはずだからだ。
この裁判においては直接的な証拠は存在せず状況証拠だけであり、検察側は状況証拠を積み重ねることによって、林被告の有罪を勝ち取った。
これは従来の刑事裁判においてはありえなかった判決であり、たとえばロス疑惑の三浦和義被告は無罪になっている。
「疑わしきは被告の利益に」というのが刑事裁判の原則で、この原則に従えば「直接的な証拠がない」以上林被告は無罪になってもおかしくなかった。
しかし判決では以下の状況証拠があれば林被告が犯人であることが明確だと断定したのである。
① カレーに混入されたものと成分の特徴が同じヒ素が被告の自宅などから見つかった。
② 被告の毛髪からヒ素が検出され、ヒ素を取り扱っていたと推認できる。
③ カレー鍋に混入する機会があったのは被告だけで、鍋のふたを開けた姿が目撃されている。
そして「これらの状況証拠を総合すれば、被告が犯人であることは、合理的な疑いを挟む余地が無い程度に証明された」と言う。
問題はもしこの裁判が裁判員制度のもとに行なわれたとしたら、果たして林被告は有罪になったかどうかである。
各人が自分が裁判員になったと仮定して、シミュレーションをして見て欲しい。
おそらくかなりの人が、状況証拠だけでは有罪を確定できず、「疑わしきは被告の利益に」というのが刑事裁判の原則だから、林被告は無罪と言うのではなかろうか。
裁判員には大きく分けて二つのタイプが存在する。
① 原則派
従来の原則や判例のとおりに判断する。この場合は林被告は無罪。
② 庶民感覚派
法律や原則は無視して、自分が得た感度で判断する。この場合は林被告は有罪。
なお、私の判断は上記の庶民感覚派で林被告は有罪である。
その最大の理由が、林被告が常習的なヒ素を使用した保険金詐欺者だったことにある。
明確な事件では夫の健治と共謀し、保険金詐欺目的で知り合いの男性をヒ素をもちいて殺害しようとしたこと(健治は既に刑が確定し服役中)。
また夫の健治をヒ素を用いて殺害しようとしていたと推定されること(日頃から「健治が死ねば、保険金もぎょうさん入ってくるし、そしたら子どもと一緒に自由気ままに暮らんや」と言っていたとマスコミで報道されていた)
今回の事件では動機は解明されていないと言うことになったが、これは検察が言うように「事件当日、他のお母さん方から非難されて激高した」と言うのが実情だろう。
しかし激高したとしても、カレーにヒ素を入れると言うようなとっさの判断は、日常的にそうしたことをしている人でないととてもできるはずがない。
「殺人方法はその人が最も熟知している方法を使用する」
普通の主婦が見たことも無いヒ素を見つけてきてそれをカレーに入れるはずがないから、林被告はやはり有罪と言うのが、私が裁判員であった場合の判断だ。
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