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(21.4.18) 高橋和巳の残した遺産

51apyjm2byal_sl500_aa240_1  久しぶりに高橋和巳の話題が出たのは、河村義人さんの読書会で次回のテーマ本を何にするかと検討したときだ。
この読書会には40才台から50才台の始めの人が多いのだが、いずれもかつては高橋和巳の小説に深い感銘を受けた人たちだった。

でも、もういいわ、あの小説はOさんが笑いながら言ったが、その場の雰囲気は「確かに優れた小説家では有るが、テーマが重過ぎてこの年代になるととても読む気がしない。もっと軽い小説の方がいい」と言うものだった。

 高橋和巳39歳の若さで結腸癌で死亡したのは1971年のことだから、それからすでに40年余り経ったことになる。
今では高橋和巳の小説は人気がなく、すでに文庫本は本屋に行っても見つけるのが難しいらしい。

 しかし私が大学生から社会人になった昭和45年前後は、最も人気のある小説家の一人であり、特に全共闘運動の支持者として学生の間では圧倒的に支持されていた。そして高橋和巳の早すぎる死は、多くの人々に衝撃を与えたものだ。

 私が始めて高橋和巳の小説を読んだのは大学生の時で、寮生活をしていたT君の本棚の中にあった「憂鬱なる党派」だった。その時まで私は高橋和巳の名前は知らなかった。
この小説面白いかい。題がすごいね
まあ、面白いとはいえないが、読んでみる価値はあるT君の説明だった。

 読んでみて心底驚いたのを覚えている。私はそれまで井上靖北杜夫サマーセット・モームの小説を読んでいたが、こうした作家がかもし出す明るいユーモアにあふれた世界がことのほか好きだった。

 しかし高橋和巳の世界はこの対極にある、暗黒の胃がきりきり痛むような、言葉通りの「憂鬱な」世界だった。
小説は楽しむために読むものと思っていたが、このとき始めて「気持ちを暗くするために読む」小説があることを知った。

 この小説では60年安保の闘士が次々と挫折して、全員が精神的にも実質的にも野垂れ死にしていくのだが、救いがないと私には思われた。
余り好きになれないな」T君にそういってこの本を返却したのを覚えている。

 しかしその言葉とは裏腹に、その後私は高橋和巳の世界に引き込まれ、この作者の全ての小説と評論を読んでいる。

 なかでも高橋和巳の代表作である「邪宗門」は繰り返して読んだものだ。この小説は「ひのもと救霊会」という宗教団体が、帝国日本とその後の支配者である進駐軍と闘わざる得なかった戦前、戦中、戦後の歴史を描いた、一種の大河歴史小説といえる(モデルは大本教の弾圧史であるが、小説は完全にフィクションである)。

 高橋和巳の脳裏には「邪宗門」は日本史のエポック(帝国日本の崩壊)を描ききった小説と言う位置づけであり、これに匹敵する小説は幕末から明治初年の激動期を描いた島崎藤村の「夜明け前」しかなかったことは確かだ。

邪宗門」とは一言で言って敗北史である。

 戦前・戦中と「ひのもと救霊会」が弾圧を受けたのはその宗教が「強烈な終生観、宿命論を持って世直しを標榜した」からであり、「原始共同体的な自給自足の生活」が戦前日本の天皇を中心とする挙国一致体制と対立したからと言える。

 そして戦後は世直しの主体となると期待した進駐軍が、単に新たな支配者であり、世直しの対極にあることに気付いて絶望的な革命を起こし、集団自殺のように滅亡していった歴史を描いていた。

 なんとも悲しく、ただ敗北するために生きているような人々ばかりが出てくるこの小説は、その後の高度成長と日本の国力の向上につれて誰も読まなくなったようだ。
実態と描かれた歴史観が、あまりに違うではないか」それが率直な印象だったのだろう。

 実際高橋和巳はその後全共闘運動に肩入れし、中国の紅衛兵運動を「精神革命」と評価することによって思想的に挫折し、中国の4人組と同様に歴史から断罪されてしまった。

 私は高橋和巳の思想、特に紅衛兵運動の評価は明らかに間違いだと思っているが、高橋和巳が「邪宗門」で試みた「小説を歴史として書く」態度は高く評価している。

 少なくとも戦前、戦中、戦後の歴史、わけてもその精神史(小説は精神をえがいたものだからを始めて知ったのはこの「邪宗門」を通してであり、高橋和巳が目指した島崎藤村の精神史(幕末から明治の初年を描いた「夜明け前」に匹敵する業績だと思っている。

 そして今、社会主義国が崩壊し、その後に起こった強欲資本主義も崩壊した激動のこの時代は「江戸から明治」「戦前から戦後」に続く「資本主義からそれが崩壊する時代」にあたり、この時代を高橋和巳にならって精神史として描ききることが求められていると私は思っている。

邪宗門」も「夜明け前」ももはや読まれることの少ない小説ではあるが、そうした小説を残しておくことが日本人の精神史にとって重要で有ると言う認識、それこそが高橋和巳が残した遺産だと思う。

 

 

 



 

 
 

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コメント

山崎さんから遅れること10数年、私も引き込まれるように高橋和巳の作品を読んだ一人です。全共闘や学生運動のなごりが本州の北のはずれの大学には残っていました。
なぜ、高橋和巳の作品を読んだのか。人間の個としての、群れとしての可能性や限界を痛ましいほど見つめ続けた姿に引かれた。敗者の視点で。
この思いに辿りつきました。歴史の檜舞台には登場しない精神史。政治や経済体制がどうであれ、死に向かい生きる人の定め・・・・。思いがけず、大学時代の自分と対話していました。高橋和巳の作品は間違いなく心の奥に、静かに潜んでいます。

(山崎) TADAさんとは、何かいつも友達のような感じがしていましたが、共通項に高橋和巳がいたことを知りました。雰囲気のようなもので感ずるのですね。

投稿: TADA | 2009年4月18日 (土) 09時19分

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